第3話 二人きり

 その後、信一たちは大きな収穫のないまま、本庁の刑事たちと一緒に署に戻った。


(連続未解決強盗事件、か……)


 考えながら、刑事課の自分の席に戻ったら、佳奈が微笑んで出迎えてくれた。


「おかえりなさい、先輩」


「た、ただいま」


「なんだか新婚の夫婦みたいですね」


 佳奈が小声で耳元でささやく。

 からわかれているのかどうか、判断に悩む。


 信一が口をぱくぱくさせていると、佳奈はくすっと笑う。

 そして、捜査会議のある部屋を教えてくれた。


 刑事でない佳奈は不参加だ。


「いつか先輩の隣で、刑事として働けるといいんですけど」


「梓さんは優秀だから、すぐに刑事になれると思うよ」


「ありがとうございます」


 嬉しそうに佳奈が柔らかな笑みを浮かべた。

 信一は微笑み帰すと、会議室へと向かった。


 会議室前方のスクリーン横に、幹部の席がある。

 署長、そして署の刑事課長といった署の幹部と一緒に、真帆乃が並んでいた。階級で言えば、真帆乃は署長と同ランクだ。


 真帆乃はちらりと信一を見たが、すぐに書類に視線を落とした。少なくとも、真帆乃が警察官だとは、信一は知らなかった。


 二人は幼馴染で家族ぐるみの付き合いがあった。名古屋市の住宅街で生まれ、小学校・中学・高校と一緒に過ごしていた。

 

 客観的に見ても、真帆乃と信一は仲が良かったと思う。真帆乃は美人で成績も優秀だったから、信一はコンプレックスを感じていたけれど、なぜか真帆乃は信一のことを「いちばん大事な幼馴染」なんて呼んでくれた。


 だが、ある事件をきっかけに喧嘩をして以来、真帆乃とはすっかり疎遠になった。

 連絡をとっていなかったから、真帆乃がキャリア組の警察官僚だとは知る由もなかったのだ。


 やがて刑事たちが揃い、捜査会議はつつがなく始まった。信一は所轄署の下っ端刑事として最後部の席でひっそりとメモを取っていた。


 さて、捜査一課の刑事の誰と組むことになるだろうか? いわゆる地取り捜査と呼ばれる、事件現場付近の聞き込み捜査は、所轄署の刑事と捜査一課の刑事がペアとなって行う。

 

 そんなことを考えていたら、会議が終わった。

 問題が起きたのはその後だった。


 信一は座ったまま、メモをまとめていた。その肩を誰かが突然叩く。


「おい、君」


 横柄な態度で呼びかけたのは、捜査一課の30代の刑事だった。

 長身で厳しい顔の彼は、信一を見下ろしていた。


 慌てて信一は立ち上がる。


「なにか御用でしょうか?」


「秋永管理官が本庁にお戻りになるので、運転手をやってくれ」


 信一はぎょっとして、口ごもってしまう。普段ならもちろんはきはきと「承知しました」というところだが……。

 相手は幼馴染の真帆乃だ。


 なぜよりにもよって信一なのか? 所轄署の刑事が運転手をやるのは、慣例といえば慣例だが……。


「管理官のご指名だ。早く行け」


 命令されて、信一は警察署の玄関へと向かった。

 コンクリートの無機質な外観の玄関で、真帆乃が待っていた。


 ふわりと真帆乃は微笑む。


「原橋巡査部長、ですね。よろしくお願いします」


 あえて階級をつけて呼ぶところに、真帆乃の意図を感じた。真帆乃は階級こそ高いが、部下は年上や同世代がほとんどだ。

 部下たちにも丁寧に接する姿勢を見せることが求められる。


 幼馴染であることは隠したほうが良いだろう。


「こちらこそよろしくお願いいたします、秋永管理官」


 敬礼として、信一は頭を下げた。ちなみに、私服刑事である信一は、警察の制帽を被っていない。

 なので、手を挙げて敬礼することはなく、普通のお辞儀が敬礼となる。


 真帆乃はくすりと笑うと、目の前のパトカーの助手席に乗り込んだ。これが普通の幹部であれば、後部座席に座る。


 親しみやすい人間をアピールしているのかもしれない。

 いや、それとも相手が信一だからか。


 警戒しながら、信一は運転席に乗り込み、そして、扉を閉める。

 途端に、真帆乃の顔から、さっきまでの柔らかい表情が消える。

 

 その表情には冷たい美しさがあった。


「出して」


「承知いたしました」


 信一がエンジンを入れ、アクセルを踏む。

 パトカーには警察無線が入っているが、今のところ、何も音声は流れない。


 無言のまま、信一と真帆乃は過ごす。


「私たちの関係は、絶対に秘密だからね?」


 真帆乃が隣から、小声で言う。


「関係、とは何でしょうか? 秋永管理官?」


「とぼけないで。私たち、幼馴染でしょう? それに、二人きりのときに、敬語と役職呼びってわざとやっているの?」


「執務のあいだは、私と秋永管理官は、部下と上司です。タメ口で話さないのは、当然のことでしょう?」


「まだ昔のこと、怒っているの?」


「怒るような過去は存在しませんよ」


「なら、普通に話しなさい、普通に。……君が嫌じゃなければ、ね」


 真帆乃は不安そうに付け足す。

 そう言われると、信一としても、そっけない態度を取り続けるのは気が引ける。


 信号待ちで停まったとき、信一は言う。


「わかったよ」


 真帆乃は一瞬、ぱっと明るく顔を輝かせた。嬉しそうな表情だ。信一の視線に気づいたのか、真帆乃は顔を赤くして、咳払いをする。


「わかっていると思うけど、二人きりのときだけね?」


 真帆乃はその言葉を信一に言ったはずだが、まるで自分に言い聞かせているような調子だった。


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