第2話 秋永真帆乃警視。

 強盗ということで、機動捜査隊――事件現場に迅速に向かう警察官――が先に現場には向かっているはずだ。


 加えて、管内の交番勤務の制服警官も、現場を保存するために出向いている。


 係長と信一もすぐに現場に出向く必要があるのだが、そのまえに一つ心配することがあった。

 捜査本部だ。


 刑事課長がやってきて、係長と信一に「捜査本部ができるかもしれないから」と言って、慌てた様子で去って行った。


 信一は係長に言う。


「準備をしないといけませんね。会議室、空いているでしょうか?」


「どうでしょうね? 悪いけど梓くんで急いで押さえてください」


 凶悪事件が起きたとき、事件の情報を集約するために、捜査本部が所轄署に置かれる。今回の事件が強盗……それも強盗殺人のようなもので被疑者不明の状態なら、捜査本部が立つことになる。


 もし強盗事件の捜査本部がこの署にできるなら、警視庁本部の捜査一課から多数の刑事が派遣されてくる。

 そのスペースの確保が必要だった。


「捜査本部ができるんですか……」


 佳奈が深刻そうな表情でつぶやく。重大事件の発生を重く受け止めているのだろうか……。

 と思ったら、佳奈は顔を上げて、がっかりという顔をした。


「あー、残業、嫌だなあ」


 信一は肩をすくめ、くすっと笑った。係長も怒るかと思いきや、苦笑いをしている。


 捜査本部ができると、刑事課の人間たちは家に帰る暇もないほど忙しくなる。佳奈は刑事ではないから多少マシだが、残業しないといけないことに変わりはないだろう。


 佳奈がちらっと信一を見て、微笑む。


「でも、先輩がいれば、頑張れます!」


「そ、そっか……」


「冗談じゃなくて、本気で言っているですよ?」


 なんて言いながら、佳奈は一階の警務課に行って、会議室を予約しに行ってくれた。

 信一は係長と顔を見合わせる。

 

「やっぱり、原橋くん、好かれていると思いますけどねえ」


「そ、それより現場へ行きましょう」


「ごまかしましたね?」


 係長の言葉を受け流し、信一は現場へと向かうことにした。



 ほかの強行犯係の刑事は別件で、出払っている。


 信一がパトカーを運転して、現場に到着してみると、すでに現場のビルの周囲は規制線が張られていて、制服警官が周りを警戒していた。


 警官の一人に警察手帳を見せて、係長とともにビルに入る。何の変哲もない、3階建てのオフィスビルだ。


 独立系のシステムインテグレーター、平たく言えばIT企業が入っている。

 明るく開放的なフロアで窓からの陽の光で満ちていた。

 

 中年の男性と、若い女性の二人が困った様子で立っていた。この会社の従業員で、押し入った男たちに二人がナイフを突きつけられたとか。

 盗まれたのは現金ではなく、会社の機密情報の入った端末らしい。


 たいてい強盗事件なんて、現金目当ての犯罪なのでちょっとめずらしい。怪我人がいないのが、不幸中の幸いだ。

 ということは確認したが、信一たちにそれほどやることはない。


 すでに警視庁本庁の捜査一課の刑事たちがやってきている。


 彼らはプライドの高い捜査のエリート集団で、この段階で所轄の刑事である信一たちができることはほとんどなかった。


 現場検証が終わったら、彼らの案内として聞き込みを行うぐらいだろう。捜査一課の刑事たちの下働きをするのが、所轄署の刑事の役割だった。


「それにしても、捜査本部ができるような事件にはならなさそうで安心しました」

 

 信一がつぶやくと、係長は苦笑した。


「被疑者が捕まっていないのに、安心はまだ早いですよ。それに、この強盗ですが、より大きな事件に関係しているようなんです」


「え?」


「といっても、強盗殺人とかではなく、連続強盗事件ですね。何が目的なのかオフィスビルで強盗を重ねているらしいんです。本庁に捜査本部も立っています」


「へえ……するとこれも本部事件なわけですね。誰が指揮をっているんでしょうか?」


「ええと、たしか島田管理官か、室町管理官あたりかな……」


 捜査の指揮をとるのは、本庁捜査一課の管理官だ。

 300人の刑事を擁する捜査一課には、課長、理事官、そして13人の管理官と呼ばれる幹部がいる。


 通常の捜査本部では、管理官の一人が陣頭指揮を取ることになる。

 誰が指揮官としてやってくるかは、事件解決の鍵を握るだけでなく、信一たち刑事の働き方にも関わってくる。


(あまり無茶振りをする管理官じゃないとよいけど……)


 そのとき、人混みをかき分け、颯爽と数名の刑事が現れた。

 管理官が臨場(現場に捜査に来ること)したのだ。


 中央にいるのが、管理官だが……。


「女性……ですね」


 信一がつぶやく。しかも若い。どう見ても、20代だ。すらりとした長身で、美しい黒髪が肩までかかっていて、後ろで一つに結んでいる。


 黒のパンツスーツがびしっと決まっていた。


 その顔を見て、信一はあっと驚いた。


 彼女は、全体のクールな雰囲気に反して、やや幼い童顔だ。けれど、顔のパーツはおそろしく整っている。

 一言で言えば、想像を絶するほどの美人で、モデルやアイドルと言っても通用するだろう。清楚で完璧な美人で、しかもスタイル抜群だから、パンツスーツ姿でも女性的な魅力のある身体に、男なら目が離せなくなるだろう。


 そんな彼女は管理官だ。警視の階級を持つ。平たく言えば、とても偉い警察官だ。信一の階級の巡査部長の上に警部補・警部があり、そのさらに上に警視は位置する。


 普通の都道府県採用の警察官は、40代にならないと警視には昇任できない。

 つまり……。


「キャリア組ですよ。秋永真帆乃警視。知らないんですか?」


 係長が不思議そうに信一に問う。

 キャリア組とは、国家公務員試験の総合職を受けて、警察官僚になったエリートたちのことだ。


 毎年20名程度しか採用されない。警察全体の1%未満を占める彼ら彼女らが、警察庁長官や警視総監、大規模県警本部長、警視庁の主要部長のポジションを独占している。


「最近は女性のキャリア組警察官僚も増えているし、現場経験を積ませようということで、管理官に抜擢されたとか。時代ですねえ」


 係長がのんびりと言うが、信一は気が気でなかった。

 

 信一が焦るのには理由があった。こちらに歩いてくる真帆乃と、信一は目が合ってしまう。

 

 真帆乃は目を丸くして、一瞬立ち止まり、信一をじーっと見つめた。


「管理官、どうかされましたか?」


「いえ……なんでもありません」


 傍らの刑事の問いに真帆乃は静かに答える。そして、何事もなかったかのように、信一の脇を通り過ぎた。

 係長が怪訝な顔をしている。


 真帆乃が立ち止まったのには、理由がある。

 信一と真帆乃は……小学校から高校まで同級生だった。


 つまり、幼馴染だったのだ。

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