第10話 【神器】③

――――薄暗く、ジメジメとした空気が充満する牢屋の通路。

 そこを奥へ奥へと進む度に、暗さと湿気が強まっていく。

 牢屋1つ1つに小窓があるので密閉状態ではないはずなのに、まるで換気できていないと思えるほどの不快さだ。


 だが――ようやく、私たちは通路の行き止まりまで辿り着いた。

 そして、最奥の牢屋の中を見やる。


「…………」


 そこには――重厚な鎖で何重にも身体を縛り付けられ、身動きひとつ取れない状態でベッドの上に放り出された【勇者】の姿があった。

 

 彼は私たちの存在に気付いているのかいないのか、こちらに背を向けたまま微動だにしない。


「……こんにちは。あなたにお話があって来ました、新しき【神器使い】よ」


「……」


「ど、どうやらその様子だと怪我は治ったみたいですね! 流石は神に選ばれし者、アレくらいへっちゃらなんですね!」


「……」


「あ、あの~……」


 鉄格子の向こうから幾ら呼び掛けても、彼はうんともすんとも返してくれない。たぶんこっちに気付いている上で、無視スルーし続けているのだ。


 うう……こんなに露骨に無視されるなんて初めて……どう話しかけたらいいの……?

 一度神器モーニングスターで殴ってるから余計にバツ悪いし……。


 一瞬挫けそうになる私。

 いえ――それでもがんばるのよ、修道女シスターリリー!

 これはきっと神々が私に与えた試練なんだわ!

 そう自分に言い聞かせ、大きく息を吸って呼吸を整える。


「……この3日間、あなたのことを『ラオグラフィア』や『レギウス王国』の情報機関を使って調べさせて頂きました。あなたが授けられた【神器じんき】のことから、あなた自身の個人情報まで」


 ちなみに『ラオグラフィア』とは108人の【神器使い】を保護・統括し、〈終末戦争ラグナロク〉から人々を守る救世主として教育する平和維持機関のことだ。

 【神器使い】の運用から対魔族の戦術研究、【神器】や魔族の情報収集・管理など、〈終末戦争ラグナロク〉に備えたあらゆる事柄を取り扱っている。

 無論私やチャットもそこに所属しており、新たな【神器使い】が発見されたためにこうして特使として派遣された、という流れだ。


「ですが、とても驚きましたわ。調べた結果――あなたのことは、なにもわからなかった。名前も出生地も、なにひとつ不明。まるで、あなたはこの国の中に存在しない亡霊ゴーストのような人です」


「……」


「でも、意外な組織からあなたに関する情報提供がありました。……〝暗殺者ギルド〟。この名前に聞き覚えはありませんか?」


「――!」


 その組織名を出すと、彼は僅かに反応する。

 そのリアクションを見て、私はすぐに言葉を続ける。


「……正規のルートからでは、なにもわからないはずです。あなたは孤児の捨て子で、そもそもの戸籍が抹消されていたんですね」


 いつの時代、どんな場所でも、こういう悲劇は起きてしまう。


 労働力を増やして国力を増すため、あるいは先々で起こるであろう〈第三次終末戦争サード・ラグナロク〉に備えて兵力を増強するために、良かれと思って行った人口増加計画。

 確かに、〝国家〟という括りで見るならば良いコトずくめなのだろう。

 人口が増えれば労働力が増え、あらゆる物資の生産力が向上する。

 さらに税収も増えて軍備の増強も図れ、来たるべき魔族との大戦にも余裕を持てる――。


 しかし、所詮それは〝国家〟という枠で見た場合の話なのだ。

 現実は、往々にして異なる。

 まず、全ての家庭が1人2人と増えた子供を養う余裕があるのかと言われれば、そうではないだろう。

 世の中は安定した中産階級の人々ばかりではない。

 実際には満足な生活を送れない貧困層の人々によって、経済は支えられている。

 少なくとも今現在の『レギウス王国』はそうだ。


 そんな貧困層が多数を占める世情の中で〝各家庭で子供を生んで養え〟などと言われても、無理がある。

 事実その政策は失敗に終わり、育児放棄された捨て子が大量に保護施設や教会などに預けられた。

 それでも保護された子供たちはまだ運が良かった方であり、ほとんどの子供たちは路上で野垂れ死んだか、犯罪者となる道を辿った。


 この目の前にいる灰色の髪の少年――暗殺者ギルドの元暗殺者アサシンも、そんな恵まれない子供の1人だったのだ。

 個人の情報など、初めから無いのである。


 暗殺など、人殺しなど到底許せる所業ではないが――そんな生い立ちを知ってしまうと、同情せずにはいられない。

 彼はそうしなければ生きられなかったはずだから。

 もっとも、そんな同情も彼に対して失礼になってしまうのだろうが。


「……あなた、組織では〝ラクーン〟と呼ばれていたそうですね。暗殺者ギルドからの情報提供で、あなたには少なくとも10件以上の殺人容疑が掛けられています。調べればもっと出てくるでしょう。彼らからは、不気味なほど詳細な情報を幾つも頂きましたから……。このままでは、極刑は免れません」


「……だろうな。あのギルドマスターのやりそうなことだ」


 ようやく口をきいてくれた。

 どうやら、彼は暗殺者ギルドに命を狙われているらしい。

 存在そのものが違法である地下組織が堂々と名乗って情報を提供する辺り、捨て置けない理由があるのだろう。

 もっとも暗殺者ギルドが違法な犯罪組織とされるのは建前で、実際には『レギウス王国』の貴族や豪商と深い繋がりを持っている〝社会の必要悪〟――だと聞いたことがあるけれど。


 彼の情報も貴族を通じての物だったらしく、個人的には国家の闇の一部を垣間見てしまったようで気分は良くない。

 そもそも、彼が狙われるのはギルドを抜けたからなのか、それとも【神器使い】となってしまったからなのか……理由は定かではないが――


「あなたのしてきたことが本当ならば……それは到底許されることではありません。ですが、罪を償おうと思うならば、生きる道はあります。話を聞いてはくれませんか?」


「……知ったことか。もう俺に関わるな」


 相変わらず、ツーンとした態度をとり続けるラクーン。


 ほう――?と私はちょっとだけ眉間にシワが寄る。

 これだけ話をしているのに、聞く耳持たずですか、そうですか。


 いいでしょう、そっちがその気なら、こちらにも考えがあります。

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