第340話 夏休みです! その一

 タイトバース西方の国家ウエノピア獣国の首都オンシーパークは、にわかに活気付いていた。

 街の中心にそびえる巨大な樹木に繋がれた幾本もの吊り橋には、獣人達の行列ができていた。その列はそろりそろりと樹木の中に存在するシャンシャン大聖堂へと吸い込まれていった。


「ブー! お待たせしたブー!」

「お待たせいたしました!」


 大聖堂の中は獣人で埋め尽くされていた。皆一様に串を携え、肉にかぶりついていた。彼らの犬歯が肉を引き裂く。迸る肉汁が毛皮を濡らした。


 黒乃達はようやく行列の先頭にたどり着いた。大聖堂の奥には一台の屋台があり、豚の獣人とメイドロボが熱心に肉を提供していた。


「アネキー! やりましたブー!」

「ご主人様! 見てください!」


 ブータンとメル子であった。


 昔懐かしい引車の屋台だ。大きな車輪が左右に二つ。前方に突き出たコの字型のハンドル。引車の上には天板が敷かれ、八の字型の屋根が頭上を守る。

 内部には炭が焚かれ白く燃えている。その上にはずらりと巨大な串が並ぶ。串に刺された肉が炭火で炙られ肉汁を落とすと、炭が盛大に煙を吐き出す。煙とともに香ばしく、荒々しい肉の香りが大聖堂を満たした。


「うお、うお。すげぇ!」


 黒乃は屋台の屋根に掲げられた看板を見上げた。


 『肉の聖地ブータン』


 堂々たるブータンの店だ。


「アネキー! オイラの渾身の豚串、食べてくだせえ!」

「最高傑作ですよ!」


 ゲームスタジオ・クロノス一行は串焼きを受け取った。

 現実世界ではあり得ない巨大さだ。鉄の串には肉塊が三つ刺さっている。


「ぐわわ! なんじゃこりゃ! 豪勢すぎる!」


 黒乃はたまらず肉に齧り付いた。その途端、肉汁が洪水のように溢れ白ティーを汚した。


「あちあち! しっかりとした噛み応えの肉だ! これはメル子のタレの味だ!」

「私のタレを完璧にマスターしましたよ!」

「ブー!」


 黒乃は二つ目の肉塊に齧り付いた。先ほどと違い、プリンのような柔らかさの肉だ。


「んん! 柔らかい! 脂身が多めの部位だな、ぐおっ!」


 黒乃の脳天を電撃が走り抜けた。


「なんだこのタレは!? メル子のタレじゃない! このえも言われぬ不思議な香りはなんだ!?」


 しかしどこかで嗅いだことのある香りだ。これは……?


「これはブービーが生み出してくれたタレですブー!」


 黒乃は衝撃を受けた。ブービーとはブータンのペットの巨大豚のことである。


「え? 嘘でしょ……この肉はもしかして……ブービー! うおおお! ブービー!!」

「違いますブー。ブービーが発見してくれたトリュフをベースにしたタレですブー」

「あ、そう」


 先日、妖精郷へ赴いた際に大量のトリュフを発見していたのだった。ブービーの鋭敏な嗅覚のなせる技だ。彼は手に入れたトリュフをふんだんに使用した、オリジナルのタレを開発したのだ。


 黒乃は最後の肉塊に齧り付いた。その途端、黒乃の目から涙が一筋こぼれ落ちた。プルプルと震える手を抑え、ブータンを見つめた。


「ブータン……」

「アネキ……」


 そう。最後のタレは黒乃とブータンの出会いのタレだ。ここオンシーパークで黒乃が脱獄する際に使った高級焼肉ロボロボ苑のタレだ!


 一行はブータンの豚串を完食した。



 日は落ち、シャンシャン大聖堂から人の姿は消えていた。残されたのは樽に入った大量の鉄串のみ。

 ブータンとメル子は屋台の撤収を終えた。


「アネキ、オイラやりましたブー」

「ああ、ブータン。美味しかったよ」


 黒乃と豚の獣人は見つめ合い、しっかりと抱き合った。

 それを横で見ていた桃ノ木は歯軋りをしてつぶやいた。「豚が……ッ!」


 これよりブータンは旅立つことになる。

 彼の『美味しいお肉を提供する』という使命は道半ばだ。屋台を引き、タイトバースを行脚して皆に豚串を届けにいかなくてはならないのだ。

 それが巫女サージャから与えられた契約だ。黒乃達のゲーム企画『めいどろぼっち』を実現するために必要なプロセスだ。


「オイラ、いきますブー」

「ブータン、元気でな」

「またお手伝いにきますからね!」

「ブー!」


 ブービーが引く屋台はみるみる遠ざかっていった。黒乃達は巨大な木の上からそれを見守った。





 ——ゲームスタジオ・クロノス事務所。


 今日も静かな路地に怒声が轟いた。


「貴様らーッ!!!」

「シャチョー!? ナンデスカ!?」

「……声がでかい」

「先輩、どうしました?」


 黒乃は鋭い丸メガネで皆を見据えると、ゆっくりと語り出した。


「我々のオリジナルゲーム制作もいよいよ本格的に動き出した」

「ヤリまシタね!」

「……長かった」

「おめでとうございます」


 黒乃は腕を組み目を閉じた。


「今ブータンがタイトバースで自分の使命を果たそうとしている。その道のりは簡単ではない。だがブータンならきっとやってくれると信じている」

「シャチョー! 豚串美味しかったデスね!」

「……また食べたい」

「だが、それにはまだ時間がかかるだろう。その間、我々はなにをするべきか。お前らーッ!? わかるかーッ!?」


 事務所に緊張が走った。


「イヤァー! まさかまたデスか!?」

「……合宿のスパンが短すぎる」

「先輩、今度はどこにいくんですか?」


 黒乃は腕を組んだまま笑った。平らな胸が上下に動いた。


「くくく、勘違いするな皆の衆。今回は合宿ではない。さすがに大長編を連発すると、なんとか三郎とかいう作者の体がもたない」

「シャチョー! 変な発言はやめてくだサイ!」


 黒乃は立ち上がった。するとおもむろに白ティーをまくり上げ、脱ぎ捨てた。


「夏休みだよ! 無人島にバカンスにいくぞー!」


 白ティーの下は水着であった。それを見た社員達も勢いよく立ち上がった。


「ヤリまシタ! 夏休みデス!」

「……無人島で泳げるの?」

「先輩、無人島にお土産屋さんはありますか?」


 突然の休暇に俄然色めき立つ一行。既に頭の中では妄想のバカンスが行われているようだ。


「浮かれるな! バカンスとはいえ、無人島! 油断すると痛い目に……」


 その時、壁にかけられた時計が正午の刻を告げた。


「お昼デス! 女将サン! 今日のメニューはナンデスか!?」

「……無人島でなに食べよう」


 FORT蘭丸とフォトンは勢いよく台所に突進していった。





 ——太平洋。


 燦然と輝く太陽の下、豪華クルーザー『うみねこ丸二号』は波を突き抜けて爆走していた。


「うひょー! 気持ちいい!」


 デッキに立つ黒乃の白ティーが音を立ててはためいた。その後ろの操舵室ではメル子が舵輪を握っている。


「わああああ! すごい! どうしてこんなすごいクルーザーがあるの!?」


 メル子にしがみついて大騒ぎしている白ティー丸メガネ、黒髪おさげの少女は黒ノ木家四女、鏡乃みらのだ。


「このクルーザーはアイザック・アシモ風太郎先生が快く貸してくださいました。ちなみにうみねこ丸一号は木っ端微塵になって海の底に沈んでいます!」

「メル子さんって船の操縦ができるんですね!」


 丸メガネを輝かせてメル子にしがみついている白ティー丸メガネ、黒髪おさげの女性は黒ノ木家次女、黄乃きのだ。


「もちろんですよ! AI高校メイド科を卒業すると船舶免許を取得できるのです!」

「ぐほぐほ、マンゴーラッシーあった。飲んじゃお」


 キャビンの冷蔵庫を物色している白ティー丸メガネ、黒髪おさげの少女は黒ノ木家サード、紫乃しのだ。


「ご自由にお飲みください! 備え付けのものですので無料ですよ!」


 黒ノ木姉妹も今は夏休み。たまには姉妹でゆっくり無人島で過ごそうと黒乃が誘ったのだ。


「黒乃山、我々も誘ってくれるとは。気がきくじゃないか」

「マヒナ様は多忙で休みをとることは滅多にありません。今回はとても感謝しています」


 デッキで水着になり寛いでいるのはマヒナとノエノエだ。褐色の肌にはオイルが塗られ、より一層太陽を艶かしく反射していた。


「ぐふふ、どういたしまして」


 黒乃達がクルーザーで向かっているのは、『肉球島』という無人島だ。かつてサバイバル合宿を行い、どえらい事件に巻き込まれた島である。


「ぐふふ、二人がいれば大抵の危険はどうにかしてくれるはず。またあんな目に遭うのはごめんだからね」

「ん? 黒乃山、なにか言ったか?」

「なんでもないさ。ゆっくり寛いでね……ごふぅ!」


 黒乃の背中に何者かが飛びついてきた。勢い余ってデッキの手すりから体がはみ出る。


「黒乃〜、海すごい〜」

紅子べにこ! 危ないでしょ!」


 背中にしがみついているのは、くるくる癖っ毛の小さな小さな女の子であった。

 紅子。近代ロボットの祖、隅田川博士の娘にして存在しない状態と存在する状態が混じり合った量子人間である。データ上のことではあるが、黒乃の娘ということになっている。


「うふふ、紅子ちゃん落ちないでくださいよ」

「ニャー」


 キャビンから現れたのは黒いメイド服のメイドロボ、黒メル子だ。その腕には大きなグレーのロボット猫、チャーリーを抱えている。

 キャビンの奥のベッドでだらしない姿で昼寝をしているのはFORT蘭丸とそのマスター、ルビーだ。


「先輩、肉球島は今どういう状況なんでしょうか?」

「……まだロボキャット達いるのかな?」


 桃ノ木とフォトンは島の状況を懸念しているようだ。かつての事件のことを思い出しているのだ。


「わからんけど、我々はあくまでバカンスにいくんだからね。細かいことは気にしないで、思う存分楽しもうじゃないか!」

「「はい!」」


 愉快な仲間達との愉快な夏休みが幕を開けた!

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