第336話 修行です! その二
——浅草寺仲見世通り。
今日もメル子の南米料理店『メル・コモ・エスタス』は大盛況であった。
照りつける日差しにもめげずに行列を作る客達。厨房の中も戦いだ。青い生地に雪の結晶が刺繍された涼しげな和風メイド服も、この暑さの中では心許ない。
そしてその暑さを全身で味わっているのは、マイクロブタロボットのブータンだ。ブータンはタイトバースから現実世界へやってきて修行中なのだ。『美味しいお肉を提供する』という使命を果たすために。
「ブー! 今日もがんばるブー!」
「ブータン! お肉の焼き加減を見てください!」
「わかったブー!」
ブータンは寸胴から離れると焼き台の鉄串を回した。本日の料理はペルーの串焼き『アンティクーチョ』だ。牛の心臓をタレに漬け込んでから炭火で一気に焼き上げる。
「ブー! ブー! あり得ない香りブー!」
ブータンは突き出た大きな鼻をブヒブヒいわせて煙を吸い込んだ。香ばしさ、甘さ、辛さが一体となって押し寄せてくる。
「それは私特製のタレですよ! 唐辛子、ニンニク、ワインがベースになっていて、その他にも何種類ものスパイスが調合されています!」
「さすがメル子のアネキですブー!」
「本当は秘伝のタレなのですが、特別にブータンにレシピを教えてさしあげます」
「ブー!」
ブータンは料理の修行のために、ここ数日ずっとメル子の店と浅草動物園を往復している。
朝は事務所の台所で仕込みの手伝い。昼までは営業の手伝い。その後は、また事務所で料理の研究だ。
ただ料理を覚えればいいというわけではない。料理をタイトバースへ持って帰り、そして大勢のタイト人に提供しなくてはならないのだ。飲食店経営のノウハウも必要である。
「がんばるブー!」
その時、ブータンの鋭敏な鼻に謎の香りが忍び寄ってきた。
「ブー!? なんだブー、この香りは?」
フゴフゴと鼻を鳴らし、周囲を見渡す。
「抗いがたい香りブー」
マイクロブタロボは串を置き、四足歩行に戻った。床を嗅ぎ回ると、店の外まで彷徨いでた。
通りは大勢の人が行き来する危険な場所だ。十キログラムしかない小さな
「こっちブー! こっちから匂ってくるブー!」
匂いをたどりながら通りを横切る。通行人は足元を動き回る小さな影につまずきそうになった。やってきたのはメル子の店の向かいにあるフランス料理店『アン・ココット』だ。
「ここブー!」
ブータンは裏口へ回り、店の横に積まれた段ボール箱を漁った。中に入っていたのは黒い石のような塊であった。
「なんだブー!? この黒い物体は? 本能的にこれを求めてしまうブー!」
突然、網がブータンの体を覆った。
「捕まえましたのー!」
「罠にかかりましたのー!」
「ブー!?」
体に絡みついた網の中でもがくブータン。それを抱き抱える金髪縦ロールのお嬢様。
「うちで飼いますのー!」
「お嬢様ー! ボロアパートはペット禁止ですわえー!」
「オイラはペットじゃないブー!」
その時、メイドロボが向かいの店から鬼の形相で迫ってきた。
「お二人とも! なにをしていますか!」
「野生の
「さすがお嬢様ですの」
「ブータンはうちの従業員です! 返してください!」
メル子はマリーの腕の中からブータンをひったくった。そして抱き抱えたまま、大股で自分の店へ帰っていった。
「アネキー! これなんですブー!?」
ブータンは口に咥えた黒い物体を見せた。
「これはトリュフです! 持ってきてしまったのですか!?」
「たまらん香りブー!」
夜。ブータンは浅草動物園に帰宅した。仲見世通りから浅草動物園までは隅田川を隔ててすぐである。
灯りが落ちた園内は独特な雰囲気を持っている。暗い入り口のゲートを潜り抜け、静まり返った中央広場を進む。さらにその奥の岩山エリアへと入る。ここがブータンが寝泊まりしている場所だ。
岩山の小さな窪みに体を潜ませた。もう夜だ。周囲に動物ロボ達の気配は感じるものの、動くものはいない。
冷たい岩肌に体を預け、疲れた四肢を休める。口に咥えた硬い物体を地面に転がした。前足で挟み込んで様子を確認する。お土産に持ってきたトリュフだ。
「不思議な香りブー。森の匂いというか、土の匂いというか、ウエノピアを思い出すブー」
ブータンはタイトバースの西方に位置するウエノピア獣国の出身だ。ウエノピアはジャングルに囲まれた国である。
「ひょっとしたらタイトバースにも、このトリュフとかいうキノコがあるのかもしれないブー」
ブータンはトリュフを齧りながら涙を流した。故郷を思い、修行の辛さを思い、未来を思う。
「本当に使命が果たせるか、不安ブー」
物音がした。ふと顔をあげると星空を遮るなにかが目の前にいた。
「ウホ」
「ゴリラロボブー!?」
二メートルを超える巨体を持つゴリラロボはバナナをブータンの前に置いた。
「くれるブー?」
「ウホ」
ゴリラロボは毎晩、動物園の見回りをしているのだった。彼には浅草動物園のスターとしての重責がある。彼に与えられた使命は『子供に大人気の動物園を作る』だ。それはタイトバースでも現実世界でも変わらない。
ブータンは涙を拭ってバナナに齧り付いた。
「うまいブー! お返しにトリュフをあげるブー!」
「ウホ」
二人は星空の下、仲良く夜食を楽しんだ。
——バクロヨコ山。
タイトバース南方の国家アキハバランド機国。その首都であるUDXの東方にそびえ立つ山が『バクロヨコ山』だ。
穏やかな山水画のような風景であるが、魔獣が蔓延る魔境である。
ゲームスタジオ・クロノス一行はその山を登っていた。森の中を走る川を遡り、ある場所を目指す。
「シャチョー! 本当にいるんデスか!?」
FORT蘭丸は重いボディを引きずるように坂を登った。
「知らん」
「……妖精の女王、うふふ、会えるといいな」
フォトンは魔女の杖を振り回し、軽快に歩いている。
桃ノ木は先頭に立って地図を覗き込んでいた。
「先輩、私の地図に反応がありました。恐らくこの先に妖精の集落があります」
黒乃達がこの山に来るのは二度目である。タイトクエスト事件の折に、マッチョメイドがこの山に潜んでいるという情報を聞きつけ登ったのだ。
今回探すのはマッチョメイドではなく妖精だ。それも妖精の女王『ティターニア』である。
「グレムリンを一匹一匹スカウトするのなんて無理だからね。ここは彼らの上司に話をつけるのが筋ってもんでしょ」
黒乃達は自身のオリジナルゲーム企画に大量のAIを欲している。企画に必要なAIを、万単位で一から育成するのはコストがかかりすぎる。そのため、既に育成済みのAIを流用しようと考えたのだ。
それがタイトバースに生息する妖精グレムリンだ。彼らを現実世界のプチロボットのボディにインストールするという作戦だ。
調査の結果、このバクロヨコ山に妖精郷があることを突き止めた。そこに住むのはグレムリンだけではない。ピクシー、レプラコーン、クルラホーン、シルキー。多種多様な妖精達が暮らしているのだそうだ。
「あそこです」
桃ノ木が指を差した。その先には森に囲まれた泉があり、さらに奥には小さな滝が流れ落ちている。
静謐なる泉に打ちつけられた水が、鏡のような水面を揺らしている。飛び散った水滴が霧となり、あたり一面を覆った。微かに漂う神聖な雰囲気に黒乃達は緊張した。
「ここが入り口か……」
黒乃は泉の縁に膝をつき、水面を覗き込んだ。自分の顔が映り、次いで透明な少女の姿をした妖精が逆に水の中から覗き返してきた。水の精霊ウンディーネだ。
「おお、おお。いるわいるわ。桃ノ木さん、アレある?」
「どうぞ、先輩」
桃ノ木は草の束を黒乃に手渡した。それを振りかけるようにして泉に落とす。
「……UDXで売ってた浮気草。これが妖精郷に入るためのキーアイテム」
「イヤァー! ゲームっぽいデス!」
「元々ゲームだものね」
ウンディーネ達は沈んだ浮気草をクスクスと笑いながら弄んだ。そして水面に小さな腕を伸ばし、黒乃の手を掴んで引っ張る。
「おわわわ!」
黒乃は水面に現れた渦の中に消えた。桃ノ木、FORT蘭丸、フォトンも意を決して渦の中に飛び込んだ。
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