第300話 ロボなる宇宙 その一
荘厳な大理石の床を鎧の人物が歩いていた。その者が放つ足音は磨かれた床を飛び出し、ゴシック様式の壁を伝わり、天井画に吸い込まれていった。描かれた鳳凰、麒麟、飛龍は鎧の人物をただ物憂げに見下ろすばかりだ。
「サージャ様は!? サージャ様の行方はまだわからぬのか!?」
凛と響く若い声は少女らしさを湛えつつも、幾つもの戦いによって擦り切れ、掠れていた。全身を覆う白金の板金鎧の意匠は、削られては直されてを繰り返されたことが窺える。
鎧の女性は聖堂の奥、祭壇の間へとやってきた。その後ろには同じ板金鎧で全身を包んだ騎士達が続く。天を仰ぎ見る三体の石像が彼女を出迎えた。石像の前に跪き、頭を垂れた。
「サージャ様、必ずお救いいたします」
祈りによる静寂は金属音によって破られた。泥まみれの兵士が聖堂に駆け込んできたのだ。転がるようにして大理石の床に伏せた。
「シャーデン騎士団長! お伝えします!」
シャーデンと呼ばれた板金鎧の女性は、祈りを邪魔されたことに若干の苛立ちを覚えつつ、床に跪く兵士の肩に手を置いた。
「申せ」
「ハッ! 西方よりはウエノピア獣国軍が! 南方よりはアキハバランド機国軍が進軍中! 明日には我がアサクサンドリア教国領地内に入るとのこと!」
シャーデンは思わず腰に帯びた剣を震わせた。その金属音はざわつきの中に紛れた。
「巫女様が行方をくらましたこのタイミングで、二国が同時に侵攻だと!?」
「休戦の協定はどうなっている!?」
「教会のニンジャどもはなにをやっていたのだ!?」
鎧の騎士達が次々に捲し立てた。騎士団長はそれを一喝した。
「鎮まれ! ニンジャどもに命じろ! 機国と獣国が同盟を結んだのかどうか! 休戦協定は破棄されたのかどうか! 調べるのだ!」
「ハッ!」
「ハイデン騎士団とヘイデン騎士団を
「ハッ!」
騎士達は慌てて動き出した。数名の側近を残して聖堂には誰もいなくなった。
シャーデンは再び三体の石像の前に跪いた。震える両手に力を込めて掌を合わせた。
「タイトバースの命運はサージャ様にかかっております。必ずお救いいたします!」
シャーデンは立ち上がり、三体の石像に背を向け歩き出した。
浅草寺から数本外れた静かな路地。ヴィクトリア朝のクラシカルなメイド服を纏ったメイドロボ、ルベールは石畳を箒で掃除しながら今日も元気な声を聞いた。
「うふふ、やっていますね」
路地にひっそりと佇む古い町浅草らしい古民家。その中から賑やかな声が路地に響いてきた。
「貴様らーッ!!! よく聞けーッ!!!」
声を張り上げているのは白ティー丸メガネ、黒髪おさげののっぽな女性であった。
「はい! 皆さん聞いてください!」
合いの手を入れたのは赤い花柄の和風メイド服を着たメイドロボ、メル子だ。小柄な体格に似合わぬ
「……声がでかい」
黒乃の隣の席で耳を塞いだのは、子供型ロボットの
「黒ノ木シャチョー! 朝からナンデスか!?」
声に驚きツルツル頭の発光素子を明滅させているのは、プログラミングロボの
「先輩、いよいよ決まったんですか?」
顔を赤らめているのは
黒乃は頷いた。椅子から立ち上がり、社員達を鋭い視線で突き刺した。
「合宿の行き先が決まった!」
「はい! 拍手です!」
メル子と桃ノ木は勢いよく手を叩いた。FORT蘭丸とフォトンは硬直してしまっていた。
「イヤァー! モウ合宿はコリゴリデスよ!」
「……今度はどんな遠くへいくの」
不安で青ざめる二人。
これまでは富士山、月、無人島で合宿を行った。どこへいっても波乱の合宿になった。今回もろくでもないことが起きるのではないかと、半ば確信している二人であった。
「安心しろ! 今回は近場だ! 徒歩十分!」
「……近すぎる」
「隅田公園でキャンプデモするんデスか!?」
メル子はメイド服の袖から紙切れを取り出した。それを皆に配って見せた。
「先輩、これって?」
「……これ知ってる」
「シャチョー! 『タイトクエスト』のチケットじゃないデスか!」
『タイトクエスト』
台東区に存在する大手ゲームパブリッシャーがサービスを開始した、イマーシブ(没入型)ゲーム。
イマーシブマシンを使い、量子サーバ内に作られた『異世界』に没入して遊ぶ、多人数同時参加型のゲームだ。
「このタイトクエストの中に合宿にいく!」黒乃は机をバシンと叩いた。
「……それってゲームで遊ぶってだけじゃないの」
「遊びにいくダケなら楽でいいデスね!」
「いいか! タイトクエストは最新のイマーシブゲーム! 我々ゲーム開発者は常に最新のゲームをプレイして、感性を磨かなくてはならん!」
黒乃は鼻息を荒くして椅子に座った。「遊びじゃないからな!」
「先輩、このチケットは一日券のようですが。今回の合宿は一日だけなんですか?」
「いいところに気がついた! プレイするのは地球時間で一日だけだが、ゲーム時間では十日にあたる! その十日間でゲームクリアを目指す! クリアするまで帰れないと思え!」
「デモ、楽しそうデス!」
「……よかった。今回は無茶な合宿じゃなかった」
メル子は皆の机に緑茶を配った。
「皆さん、イマーシブマシンは浅草工場にあります。合宿当日は工場に現地集合ですから、遅れないでくださいね!」
「「はい!」」
——
赤い壁の巨大な施設の前にゲームスタジオ・クロノスの面々は集まっていた。
「シャチョー! 合宿なのに手ぶらナンて最高デスね!」
「……楽しみで昨日眠れなかった」
「先輩と一緒にゲームできるなんてステキです」
皆、興奮さめやらぬようだ。
一行は並んで工場内に入った。朝の工場は忙しく、目まぐるしく人間とロボットが行き交っている。
「ボクはゲームをプレイするトキは、前情報を一切仕入れナイでプレイする派デス!」
「……ボクも」
「気がアイマスね!」
「……キモ」
FORT蘭丸とフォトンは先頭に立って廊下を歩いている。
「私は行き詰まったら攻略情報を見る派かしら」
「うふふ、桃ノ木さんは合理的だねえ」
「私は攻略情報を全部見てからプレイする派です! アイテムの取り逃がしとかあったら嫌ですから!」
メル子は黒乃の背中をグイグイと押した。
長い廊下を歩いてようやくプレイルームに辿り着いた。部屋の中で待ち受けていたのは職人ロボのアイザック・アシモ風太郎だった。
「ミナサン、オ待チシテ、オリマシタ」
「先生! 今日はよろしくお願いします!」メル子は丁寧にお辞儀をした。
プレイルームには日焼けマシンのような、酸素カプセルのような装置が何十も並んでいた。
「すげぇ! これがイマーシブマシンか!」
一行は装置に群がった。中に人間が一人寝転がれるスペースがあり、幾本ものコードが伸びている。ロボットの場合はプラグを一本、首の後ろに差し込むだけだが、人間の場合は大量のパッドを身体中に貼り付ける必要がある。これにより人体に対して各種情報を入出力するのだ。
このイマーシブマシンが日本全国各地にあり、大勢の人が同時にゲームに参加できるのだ。
「お? もうマシンに入って遊んでいる人がいるな」
「イマーシブマシンハ、八又産業ノ、設計デス! ゲームガ、実行サレテイル、量子サーバハ、アルベルト・アインシュ太郎博士ノ、設計デス!」
「へー、そうなんだ。よしみんな!」
黒乃達は一斉にマシンに乗り込んだ。
「タイトバースで会おう!」
「「はい!」」
タイトクエストの世界『タイトバース』。または大陸の名前。この大陸には三つの国が存在する。
『アサクサンドリア教国』、『アキハバランド機国』、『ウエノピア獣国』。
そしてその中心に存在する『
プレイヤーは冒険者としてこの世界に挑むことになる。それぞれの国でのんびり暮らすもよし、国家間戦争に参加するもよし、
黒乃は目を覚ました。自分の手足を見る。いつもと変わらないように見える。周囲を見渡してみた。中世ヨーロッパの街並み。荷台に麦を乗せ運ぶ農夫、馬を駆る兵士、屋台で果物を売る老女。遥か丘の上にそびえるは、荘厳なサンジャリア大聖堂。
「おお、おお! ここはアサクサンドリアの町か!」
黒乃は町の通りを走ってみた。いつもと変わらぬように動く体。現実と見紛うばかりの風景。酒場から漂ってくるスープの匂い、夕方の少し冷えた風、足の裏に伝わる石畳の固さ。ゲームの中にいるとは信じられない、リアルな感触を味わっていた。
「ご主人様!」
現れたのは赤いメイド服風鎧に身を包んだメル子であった。背中には刺股を背負っている。
「うわ、メル子! かっけぇ!」
「シャチョー!」
「……いたいた」
「先輩、お待たせしました」
クロノスのメンバーが次々に集まってきた。
「みんなかっけぇ!」
フォトンはとんがり帽子にぶかぶかのローブを羽織っていた。いかにも魔女といった出立ちだ。
桃ノ木は露出が多い衣装の盗賊だ。ナイフが武器だ。
FORT蘭丸の体にはいくつもの工具がくくりつけられていた。なんのジョブであろうか?
「ご主人様はいつもと変わらないようですが……」
「いや、なんか腰に帯が巻いてある。なんだろこれ」
黒乃は腰の帯を叩いてみた。頑丈そうだ。
「よしよし、全員無事揃ったね」
「やりましたね、ご主人様!」
「……いよいよ合宿が始まる」
「シャチョー! 今日はモウ寝まショウよ!」
「先輩、まずはなにをしますか?」
初めての異世界に皆、地に足がつかないようだ。
「えーと、そうだ。プレイヤーにはそれぞれ使命が与えられるんだ。その使命を達成するのがとりあえずの目標かな」
「どうやって使命を確認するのかしら?」
「桃ノ木さん! ステータス画面で確認するみたいですよ!」
メル子のその言葉に全員の目が輝いた。
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
同じワードを口々に叫んだ。
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
しかしなにも起こらない。一行はお互いの顔を見合わせた。
「あれ? メル子。ステータスが見られないけど?」
「ふふふふ」
「ワロてる」
「皆さん、全くおわかりでないようですね」
メル子は腕を組んで笑った。メイド服アーマーが金属音を鳴らした。
「どういうこと?」
「今から本物のステータスオープンをご覧にいれますよ」
「いや、意味がわからんけど」
メル子は大きく息を吸い込んだ。
「ステータスオープン!!!」
「うるさっ!」
あまりの大声に、道をいく人々がこちらを振り向いた。するとメル子の目の前に、厚みのない板のような画面が現れた。本人のみならず、パーティメンバーであれば自由に見ることができる仕様だ。
「大きな声で叫ばないと、ステータスは見られません」
「なにそれ!?」
ステータス画面にはこう表示されていた。
レベル 1
ジョブ
スキル
装備
使命 竜王になる
「すげぇ! 竜騎士だ!」
「女将サン! カッコいいデス!」
「ふふふん、どんなものですか。世界最強を目指しますよ」
ドヤるメル子を尻目に黒乃は叫んだ。
「ステータスオープン!!!!」
「……うるさっ」
「でたでた、でましたよ! みんな見て!」
クロノス一行は黒乃のステータス画面を覗きこんだ。
レベル 1
ジョブ
スキル
装備
使命 世界一美味い焼肉を作る
黒乃は後ろにひっくり返った。
「なんじゃこりゃ!?」
こうしてタイトバースでの合宿が始まった。
しかし彼女達はまだ知らない。このゲームが浅草を、いや日本を巻き込んだ大事件になることを……。
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