第298話 ずっと一緒です!
いつものボロアパートのいつもの小汚い部屋。いつものように床に寝転がりケツをかく丸メガネ。
キッチンでは赤い花柄のメイド服を着たメイドロボが夕食の準備をしていた。鼻歌に合わせて揺れる帯は、仕事で疲れた心と体を眠りへと誘う。
ふと床に目を落とした。ボロアパートには似つかわしくないほど完璧に磨かれたその床は、天井の灯りを反射していた。そしてその反射によって映るはずの埃はどこにも見当たらない。
「へ〜、綺麗に掃除してあるなあ」
黒乃は指で床を撫で、指先を確認した。チリ一つついていない。
「フンフフーン、当然ですよ。世界一のメイドロボが毎日心を込めてお掃除していますから。フンフフーン」
黒乃は息を大きく吸い込んだ。微かに香る花の香り。窓際には竹細工の壁掛けがあり、その中には一輪の花が刺さっていた。百合の花だ。
黒乃はそれに近づき、まじまじと見つめた。
「前はお花の香りなんて気にしたことなかったな。ていうか鼻が詰まってて感じ取れていなかったのかも」
「ご主人様は鼻炎気味でしたからね。呼吸の様子でわかりました」
「え? そうなの?」
しかし今は鼻が詰まっている感じはない。いつの間にか治ってしまったのだろうか。
「私が来てからは完璧にお掃除していますから。お部屋の空気が綺麗になって鼻炎は治ったのです」
「すげぇ!」
ハウスダストは鼻炎や喘息を引き起こす原因となる。埃によってダニが繁殖しやすくなり、ダニアレルギーになる危険もある。
人間の健康は第一に空気。空気が良ければ健康になり、空気が悪ければ不健康になるのだ。
「確かにメル子が来てから呼吸が楽になったかも。体の痒いのもなくなったし」
そう言いつつ黒乃はケツをかいた。
「あとは精神面の影響もありますね」
「どういうこと?」
「世界一可愛いメイドロボが同じ部屋にいるだけで、ストレスが減りますから」
「こいつぅ! 言いやがる!」
ガハハハハと黒乃は大笑いした。それにつられてメル子も手に持ったお玉を上下に震わせた。
翌朝。メル子はボロアパート前の駐車場にあるプランター畑で野菜を収穫していた。そら豆、きゅうり、なす、ピーマン。青々と実った野菜達は、太陽の光を反射して新鮮さを主張してきた。
「見てください! 美味しそうです!」
「もうじき七月だもんなあ。ガンガン収穫できるな」
採れた野菜はボロアパートの住人達にお裾分けをする。大家夫婦、お隣の林権田は嬉しそうにそれを受け取った。
「ご主人様! 大家さんからお返しにお肉をもらいましたよ!」
「すき焼き用のお肉だぁ! 今夜はすき焼きパーティだな。あと林権田からは果汁百パーセントのリンゴジュースもらった」
黒乃はジュースが入った瓶を持ち上げて太陽に透かしてみた。燦々と輝く太陽に照らされて育った赤々としたリンゴの姿を想像する。
「正直、ボロアパートに住んでる人と会話なんてしたことなかったよ。どんな人が住んでるのかも知らんかった。メル子が来てからみんなと話すようになったな」
「都会に住んでいると、人付き合いが疎かになりがちですよね」
昼。二人は仲見世通りにやってきていた。いつもの出店の営業ではなく神社のお参りのためだ。
「黒乃ちゃん! きびだんご食っていきなよ!」
「あ、どもども。えへへ」
「メル子ちゃん! 超電磁めんこの新シリーズ入荷したよ!」
「あとで買いにきます!」
黒乃とメル子が仲見世通りを歩けば、次々に威勢のいい声をかけられる。
「黒乃山ですよね!?」女子高生の二人組が黒乃に群がってきた。
「黒乃山のファンなんです!」
「ええ? ああ、うん。ありがとう」
握手でファンサービスをしていると、聞き慣れた叫び声が耳に入ってきた。
「ドロボーですわー! チャーリー、お待ちなしゃれですわー!」
仲見世通りの中程にあるフランス料理店『アン・ココット』。その中からグレーの塊が飛び出してきた。口には大きなフランスパンを咥えている。それを追いかけて店を飛び出す金髪縦ロールのメイドロボ。
「アン子、どしたの?」
「チャーリーが勝手にパンを持っていったのですわー!」
黒乃は訝しんだ。チャーリーは店のものには手を出さないはずである。
「なんだろう? よっぽど腹が減っていたのかな?」
「ちゃんとチャーリーのご飯は用意しておりましたのにー!」
大騒ぎをするアンテロッテを尻目に、二人は仲見世通りから一本外れた路地に入った。浅草神社への道だ。
「あれ? なにか人だかりができていますね」
浅草寺のとめどない喧騒とは違い、浅草神社は落ち着いた雰囲気を楽しめるスポットだ。その神社の一角に大勢の人が集まっている。
「炊き出しをしているんだ!」
白い割烹着姿のロボットが、大鍋からお椀に料理をよそっている。入れ代わり立ち代わりする人々にそれを渡す。
「さあ! まだまだありますから食べていってください!」
「んん? あれは……
「どうしてロボ三君が炊き出しを!?」
高級料亭『美食ロボ部』の板前ロボ、ロボ三。食の大家、美食ロボの秘蔵っ子だ。坊主頭の若いロボットは、キラリと光る汗を輝かせながら懸命に料理を配っていた。
「あ、黒乃さん! メル子さん! お二人もどうぞ!」
ロボ三は二人にお椀を差し出した。芋煮のようだ。
「おお、ありがとう」
「私達も食べていいのですか?」
「もちろんです!」
炊き出しは基本的には生活困窮者を支援する目的のものであるが、誰でも利用することは可能だ。
二人は具が山ほど詰まった芋煮をすすった。
「おお、うまい! 里芋の処理が丁寧にされているから、形が綺麗で食べ応えがあるな」
「さすが高級料亭のお仕事です。でもどうして炊き出しをしているのですか?」
「それは先生のご意向です!」
その時、ロボ三の背後から着物を着た恰幅の良い初老のロボットが現れた。
「フハハハハハ! ようこそスプリーム炊き出しへ!」
「美食ロボ!?」
「あれ!? 美食ロボって倒れたままでしたよね?」
先日黒乃が美食ロボ部へ闖入した際、なぜか美食ロボが倒れており動かなくなっていた。そのまま浅草工場に引き取られていたはずである。
「フハハハハハ! 世のため人のため、私はこの世界にやってきたのだ! フハハハハハ!」
「先生! ご立派です!」
「フハハハハハ!」
腕を組んで大笑いするロボットを二人は口を開けて眺めた。
「なんか
「でもご主人様、炊き出しは立派なことですし……」
「うーむ……」
二人は一旦この件を忘れることにした。浅草神社に来た目的は、浅草神社の御神体ロボであり巫女メイドロボのサージャに会うことだ。
「えへえへ、サージャ様いるかな?」
「マッチョメイドの和菓子を持ってきたので喜びますよ!」
二人は神社本殿の裏に回り込んだ。社殿の壁に向かって二拝二拍手一拝を決めた。
「サージャ様、お供物を持ってきました」
黒乃が呼びかけたが応答がない。本殿の表から聞こえる鈴の音だけが二人の耳に伝わってきた。
「サージャ様?」
「お出掛け中でしょうか?」
しばらく待ったが、なんの反応もないので二人は渋々帰ることにした。
神社からの帰路。二人は隅田川沿いを歩くことにした。
空から差し込む光が川面に反射をして黒乃とメル子の顔を照らした。水上バスが起こす波によって水が跳ね、微かな川の香りを二人に届けた。
「ふう、今日も色々あったなあ」
黒乃はぽつりと呟いた。
「毎日色々ありますよ」
「だね」
メル子と出会う前はどんな生活をしていたのだろうか? 思い出そうとしても灰色の風景が脳裏に広がるばかりだ。メイドロボを手に入れるため、ひたすらバイト三昧だった日々。浅草に来てからもボロアパートと会社を行き来するだけの日々。その日々は遥か彼方の出来事のように感じられる。
「メル子が来てからまだ一年も経っていないのになあ」
「私もAI学校にいた時のことは、夢の中の出来事のように感じますよ」
二人は隅田川沿いの歩道を歩いた。いつの間にかその手は繋がれていた。
「もうメル子がいない人生なんて考えられないなあ」
「私もです」
メル子と出会い、様々な経験をした。大勢の仲間ができ、会社を作り、冒険をした。そしてこれからも様々なことが起きるだろう。きっと絶望や挫折もあるに違いない。しかしどんなことがあろうと必ず乗り越えられるはずだ。
「メル子、これからもずっとご主人様と一緒にいてね。どこかにいったらいやだよ」
「どこにもいきませんよ」
梅雨は明け、新しい季節が始まる。新しい旅が始まる。
二人はお互いの手を強く握りしめた。
どんな困難も二人ならば乗り越えられるはずだ。
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