第286話 免許をとろう!

 赤いボディに花柄のラップが施されたド派手なキッチンカー『チャーリー号』が店仕舞いの準備をしていた。

 秋葉原のロボバシカメラ前での営業は本日も大盛況であった。


「ふいー! 今日も完売! メル子、お疲れちゃん!」

「お疲れ様です!」


 看板とゴミ箱を車内に格納し、販売面の扉を閉める。二人は座席に乗り込んだ。


「ではボロアパートに帰ります!」

「お願い!」


 運転席のメル子はゆっくりとキッチンカーを進ませた。二十二世紀は車の所有率が下がり、道路の混雑は大幅に緩和されたとはいえ、秋葉原近辺はそれでも交通量が多い。慎重な運転が必要だ。


「メル子って運転うまいねえ」

「当然ですよ。AI高校メイド科でみっちりと仕込まれましたから」


 流れるようなハンドル捌きで大きなキッチンカーを走らせた。


「実はさ、ご主人様も免許をとろうと思ってさ」

「え!?」


 その言葉にメル子は一瞬ハンドルを握る手を震わせた。


「いやさ、いつもメル子ばっかりに運転させて悪いと思っててさ。ほら、キッチンカーで九州まで行った時もずっとメル子の運転だったし」

「いえ、私は運転が楽しいので平気ですが……」


 しかし黒乃は鼻息を荒くして語り始めた。


「メル子がさ、楽しそうに運転しているのをみてご主人様も運転したくなっちゃったんだよね」

「はあ」

「だからさ、もうロボット教習所のチケットをもらってきたんだよね」

「もらってきた!?」


 赤いキッチンカーは交差点で停止した。目の前を大量の歩行者達が通り過ぎていった。


「浅草工場にいってさ、アイザック・アシモ風太郎先生にお願いしたらチケットをくれたんだよ。なんか先生プルプル震えてたけど」

「可哀想に……」


 こうして黒乃はロボット教習所に通うことになったのだ。



 ——ロボット教習所。

 八又はちまた産業浅草工場に併設されたロボット向けの自動車教習所。ロボットのマスターであれば人間でも利用が可能だ。


「ほえ〜、ここがロボット教習所か〜」

「広いです!」


 目の前には広大なコースが広がっていた。朝にもかかわらず、多数のセダンやバイクがコース上を走り回っている。


「教習所なんて尼崎でいった以来だな」


 黒乃は原付免許を持っているのである。学生時代、バイトに必要だったのだ。二十二世紀では原付免許を取得するのにも一日の実技講習を受ける必要がある。また学科は原付免許も自動車免許も同一のため、原付免許を持っているものは学科試験は免除される。


「ドウモ、私が教官のミハエル・シューマッ春雄デス」


 レーシングスーツを纏って現れたのは、がっしりとしたアゴを持つ柔和な雰囲気の中年ロボットであった。


「かっけー! イケオジロボだ!」

「よろしくお願いします!」


 黒乃は早速白いセダンの運転席に乗り込んだ。ミハエル・シューマッ春雄は助手席に、メル子は後部座席に座る。


「デハ、発進の練習をしマス。シートベルトを締めてエンジンをかけてくだサイ」

「はい!」


 黒乃はシフトレバーの位置を確認し、ブレーキを踏んでからエンジンボタンを押した。エンジンと名がついているが、実際はエンジンではなくモーターを搭載した電気自動車である。この時代、排気ガスの規制が進み、99%は電動なのだ。

 あまりに静かなモーターの動作音ゆえ、正常に起動しているかどうかはランプの表示で確認をする必要がある。


「教官! 発進準備完了です!」

「後方の安全を確認して、ウィンカーを出してから発進してくだサイ」

「はい!」


 黒乃の車が前に進み、車線に入った。後方から来た車と激突した。


「あれ?」

「なにをしていますか!」

「おかしいデスね。教習車は安全AIが搭載されてイテ、ぶつかるなんてことはないハズなんデスが」

「教官、AIの故障ですか?」


 車はそのまま進み始めた。長い直線道路だ。


「赤信号で止まる練習をしマス」

「はい!」

「ご主人様! 今度は気をつけてくださいよ!」


 黒乃が運転する車は信号機の手前にさしかかった。黄信号の点灯が終わり、赤信号が点灯した。

 黒乃の車は信号機の下を素通りした。


「なぜ止まらないのですか!?」

「いや、いけると思って」

「黄信号の時点で停止してくだサイ」


 次はS字カーブだ。


「内輪差を意識シテ、脱輪しないヨウに気をつけてくだサイ」

「はい!」


 黒乃はS字カーブのコーナーにぶら下げられたポールを全て弾き飛ばした。


「あれ?」

「なにをしていますか!」


 次は坂道発進だ。一旦坂の途中で停止をした。


「サイドブレーキを引いて、アクセルをユックリ踏みながらサイドブレーキを降ろしてくだサイ」

「はい!」


 黒乃の車は猛烈な勢いで坂を駆け上り、宙を舞った。


「あれ?」

「ぎゃあああああああ!」


 着地の衝撃でメル子のアイカップがバスケットボールのドリブルのように幾度も上下に弾んだ。


「黒ノ木サン、車は地面を走るものデスよ」

「えへへ、飛んじゃいました」

「ワロてる場合ですか!」


 最後は緊急停止訓練だ。道路脇から飛び出してくるスタントロボにぶつからないように停止をする。


「ご主人様! 絶対にスタントロボを轢かないでくださいよ! いいですね!」

「なになに? 大丈夫だよ、も〜」


 車は前進した。軽快に直線道路を進む。その時、スタントロボが道路脇から飛び出してきた。


「今です! ブレーキを踏んでください!」

「え? なんだって?」


 スタントロボは車に弾き飛ばされて地面に転がった。


「ぎゃあああああ! ご主人様がロボットを轢きました! ロボ殺しです! どうして止まらないのですか!」

「いやだって、急に大声出すから」


 メル子は車を降りてスタントロボに駆け寄った。スタントロボは圧倒的に頑丈に作られているので、この程度ではびくともしていないようであった。



 ——午前の教習後。

 黒乃とメル子は校舎の中にいた。コースが見える窓際の席に並んで座り、ぎこちなく走る教習車達をぼんやりと眺めた。


「ふー、疲れた」

「それはこちらのセリフです」


 メル子の顔はげっそりしていた。それに対し黒乃は楽しそうであった。窓の外で奮闘する仲間達の走りをじっと見つめている。


「ご主人様……」

「ん? なんだい?」

「車の運転はやめた方がいいかもしれません……」

「ええ? どしたの突然」


 メル子の額から汗が流れた。メイドロボとしてご主人様の行動を否定するのはどうかと思ったが、安全に関わることゆえ言わなければならない。


「ご主人様は運転に向いていませんよ」

「ええ!? なんでよ!?」

「午前の教習で気が付かなかったのですか!?」


 メル子があまりに青ざめた顔で訴えるので、黒乃は改めて自分の運転を振り返ってみた。


「まあ、確かにあんまりうまくなかったよね」

「あんまり!?」

「ご主人様は機械の操作に夢中になると、周りが見えなくなっちゃうんだよね」


 その時、手元のベルが鳴った。黒乃は立ち上がり売店へ向かった。


「ほらほら、うどんができたよ」


 黒乃はお盆の上に二杯の丼を持って帰ってきた。丼からは美味しそうな湯気が立ち昇っていた。


「さ、食べよう」

「ご主人様! 真面目に考えてください!」

「食べたらね」


 二人はコースを眺めながらうどんをすすった。関東風の黒いつゆにネギ、ほうれん草、かまぼこ、生卵といういかにもシンプルなうどんだ。


「ん? うまい!」

「売店のうどんにしては異様に美味しいですね」


 黒乃は一気にうどんをすすり、つゆまで飲み干した。


「ふーい、生き返った〜」

「ごちそうさまでした」


 二人はしばしうどんの余韻を味わった。窓の外では一台の教習車が懸命にクランクを突破しようともがいていた。


「ご主人様は別に自転車の運転は下手ではありませんよね?」

「まあ、普通だね」

「原付も乗れるのですよね?」

「そりゃあ、バイトで使ってたからね」

「なぜ車の運転は極端に下手くそなのですか!?」


 黒乃は昔を思い出してみた。小学生の頃、学校の校庭で自転車の練習をした記憶が蘇ってきた。


「自転車はもっと下手くそだったよ」

「そうなのですか!?」

「あんまり下手くそだったから、放課後にクラスのみんなと先生が残って教えてくれたんだよ」

「どういうことですか!?」


 当時、同級生で自転車に乗れないのは黒乃ただ一人であった。一学期の間、毎日練習しても乗れず、二学期になっても乗れなかった。圧倒的に不器用な子であった。


「そしたら先生が校庭を貸してくれてね。毎日みんなに教えてもらって、ようやく乗れるようになったのさ」


 原付の運転も同様に不器用であった。実技講習を何度も受けたが合格をもらえなかった。それを見かねた教官がコースを無料で貸し出してくれたのだった。


「不器用でもなんとかなるもんさ。だから今回も全然心配してないよ」

「ご主人様……」


 メル子は毒気を抜かれたような表情を見せた。少しの間目を閉じる。次に見開かれた瞳は綺麗に澄んでいた。


「スタントロボの心配はしてください」



 午後の教習。

 再びミハエル・シューマッ春雄教官の指導となる。


「あ、教官。よろしくお願いします」

「お願いします!」

「黒ノ木サン、諦めずに練習をしまショウ。モット下手くそな人も大勢いまシタ。デモみんな立派に卒業していきまシタ。私も全力で指導しマス」

「「はい!」」


 三人は意気揚々と座席に乗り込んだ。



 後日、メル子は試験会場にいた。

 今日は教習所の卒業試験の日である。広大な敷地には大小様々な車両が目まぐるしく走り回っていた。


「ハァハァ、キッチンカーの片付けに手間取って遅れました。もう試験は終わってしまったでしょうか? おや? なんでしょうか、この爆発音は?」


 一台の戦車がドリフトを決めながら敵車両の側面に回り込み、75ミリ砲を撃ち込んだ。敵車両は黒煙と白旗をあげて動かなくなった。

 別の車両が背後に回り込み大砲を撃つ。それを超信地旋回でかわすと、振り向きざまにカウンターの砲撃を食らわせた。

 その後も次々に的確な位置どりと砲撃で敵車両を沈めていく戦車。動くものがいなくなった時、試験は終了した。


「あれ? なんでしょう。会場を間違えたのでしょうか?」


 メル子は会場を呆然と眺めた。

 最後まで生き残った戦車から出てきた人物を見てメル子は驚愕した。


「ご主人様!?」

「あ、メル子。来てくれたんだ。どうだった、ご主人様の操縦テクは?」

「ご主人様が戦車を操縦していたのですか!?」


 黒乃は同じ戦車の搭乗員達とハイタッチを交わして、勝利の喜びを分かち合った。


「いやね、ミハエル・シューマッ春雄教官の指導が的確でさ。あっという間に自動車の運転は覚えちゃったから、ついでに戦闘車両の練習もしたんだよね。そしたら結構才能あったみたいでさ」

「ちょっと言っている意味がわからないです……」


 こうして黒乃は自動車免許と、ついでに大型特殊戦闘車両免許を取得したのであった。

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