第263話 猫カフェです!
メル子は自慢のアンティークティーポットに茶葉を入れ湯を注いだ。蕾が開くように茶葉が広がり、赤いベールがポットの中に生まれた。それと同時に甘い香りが小汚い部屋へ漂い出た。
「うーん、今日もいい香り。メル子の淹れる紅茶は日本一だからな」
「うふふ、当然ですよ」
夕食後のいつものティータイム。黒乃はふと思い出し冷蔵庫へ向かった。その中にはいつもの食材が積まれていた。
「そういえばスモークサーモンがあるのを忘れていたな。こんなにどっさりあるぞ」
「そういえばそうですね」
なぜスモークサーモンが積まれてしまったのだろうか。その答えは簡単だ。
「チャーリーのやつ、ここのところ姿を見せていないな」
「はい……心配しています」
メル子はカップに紅茶を注いだ。その水面にはやや曇り顔のメル子が映っていた。
のんびりと紅茶を飲み、なにもない時間がただ流れていく。すると窓をひっかく音が聞こえた。その瞬間、メル子は椅子から飛び上がり勢いよく窓に飛びついた。
「チャーリー!」
メル子は窓を開けた。そこにはグレーの毛並みの大きなロボット猫が座っていた。
「チャーリー!」
メル子はチャーリーを抱き抱えた。艶やかな毛皮に頬擦りをする。
「ニャー」
「チャーリー、今までどこに行っていましたか!? 心配したのですよ?」
「ニャー」
チャーリーはメル子の腕から抜け出すと床の上で丸まった。
「おいチャーリー。スモークサーモン食べるか? たくさんあるぞ」
「いつもの最高級のやつですよ!」
しかしチャーリーは首を振った。その代わりに口に咥えた紙切れを床に置いた。
「ん? なにこれ?」黒乃はその紙切れを手に取った。
「ご主人様、なんですかそれは?」
紙には『ロボット猫カフェ ねこくさ』の文字が記されていた。
「猫カフェ!?」
「ご主人様! これ隅田公園の近くにある猫カフェのチケットですよ! どうしてチャーリーがチケットを持ってきたのですか!?」
チャーリーは控え目に一声鳴いた。「ニャー」
「なになに? この猫カフェに遊びにこい? え? チャーリーもここで働いてるの!?」
「どういうことですか!?」
「ニャー」
チャーリーはもう一度鳴くと窓から飛び出していった。二人は屋根を飛び移って去っていくロボット猫のケツを呆然と眺めた。
翌日の午後、二人はチケットを握り締めて隅田公園を目指していた。行き交う人々の群れの中を掻い潜りたどり着いたのは小さなビルだ。その二階が『ロボット猫カフェ ねこくさ』である。
階段を登り店の入り口へと進んだ。扉を開けるとロッカールームがある。靴と大きな荷物は全てここに入れなくてはならない。さらに進むと受付だ。チャーリーから貰ったチケットを渡した。この猫カフェは滞在時間に比例して料金が増える仕組みだが、黒乃達のチケットは一日券のようであった。
「ご主人様! 猫ちゃんです!」
「おお! ロボット猫がたくさんいる!」
受付を済ませてフロアに侵入した二人はその光景に目を輝かせた。店内は広く、明るい雰囲気のカフェといった風情だ。猫が自由に動ける空間を広く確保し、所々に椅子やテーブルが置かれている。猫が遊ぶためのクッションやオブジェがふんだんに用意されており、人も猫も自由気ままに寛いでいる。
「おお、おお。結構数いるなあ」
「ご主人様! 見てください! この子はミヌエット! この子はラグドールです!」
パッと見渡しただけでも二十匹はいるようだ。ペルシャ、マンチカン、ラガマフィン。どの猫も毛並みがよく、丁寧に手入れがされている。
「こいつらみんなロボット猫なの?」
「そうです。
二十二世紀現在、動物愛護の観点から生猫の猫カフェは禁止されている。代わりに登場したのがロボット猫カフェだ。ロボットであれば個々の猫をID管理しやすく、安全と健康を詳しくモニターしながら営業ができるのだ。
二人は手近なテーブルに着いた。するとすぐに一匹のロボット猫がテーブルの上に登ってきた。
「うわ! きたきた」
「すごくロボ懐っこいです!」
メル子はアメリカンショートヘアの縞模様を撫でた。ロボット猫は気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。
「いやあ、可愛いなあ」
黒乃はアメリカンショートヘアに手を伸ばした。ロボット猫はその手をするりとかわしてメル子の膝の上に飛び乗った。
「あれ……」
「うふふ、甘えん坊さんの猫ちゃんです」
すると黒乃の手に握られている呼び出しベルが微かな振動を伝えた。
「お? 料理ができたみたい。取ってくるね」
「お願いします!」
黒乃は料理の受け取り口に向かった。あらかじめ『ねこちゃんセット』を注文していたのだ。
セットが乗ったトレイを持ってテーブルに戻ってきた時には、メル子はすっかり猫に囲まれていた。
「うわうわ、すごいな」
「ご主人様。みんないい子ですよ」
黒乃が注文したのは、コーヒー、ケーキ、猫のおやつのセットだ。黒乃が席に着いた瞬間、ロボット猫達の視線がトレイに集中した。
「あはは、みんなおやつが欲しいみたいだな」
「あげてみましょう」
おやつの容器の蓋を剥がす。中から出てきたのは色とりどりのスティックキャンディだ。
メル子がキャンディを手に取ると早速猫が群がってきた。
「見てください。ペロペロと舐めています」
「可愛いなあ。どれ、ご主人様もあげてみるか」
黒乃はキャンディを握るとロボット猫の顔に向けて差し出した。しかしロボット猫はプイと顔を背け、テーブルから飛び降りてどこかにいってしまった。
「あれ……なんで私のキャンディは誰も舐めないの?」
黒乃は不貞腐れてコーヒーを飲んだ。ケーキにフォークをブッ刺し齧りつく。
「でもまあ、見ているだけでも楽しいけどね」
床を走り回る猫。棚の上で眠る猫。二匹でじゃれあって転げ回る猫。それぞれの猫にそれぞれの個性があるのが見てとれる。
「なんちゅう平和な空間じゃあ」
「ご主人様ぁ〜」
ふとメル子を見るといつの間にか床のクッションに寝転がっているようであった。そのメル子の上には何匹ものロボット猫が覆い被さっていた。
「ふわぁ〜、暖かいです〜」
「ぷぷっ、猫の布団だな」
黒乃はその光景に思わず吹き出してしまった。コーヒーを飲み、ケーキを齧ろうと手を伸ばすとムニリと柔らかい感触が手に伝わった。
「ん? なんだ?」
テーブルの上にいたのはグレーの毛並みの巨大なロボット猫であった。
「チャーリー!?」
ロシアンブルーのロボット猫は黒乃のケーキを貪り食らっていた。
「チャーリー、貴様ーッ!」
「ニャー」
チャーリーは黒乃のケーキを全て平らげた。
「なんだ、チャーリー。ようやくお出ましか」
黒乃はチャーリーの頭を撫でた。珍しくその大きなロボット猫はされるがままでいた。
「ふはは。撫でさせてくれるのはお前だけだな」
黒乃はここぞとばかりにチャーリーを撫で回した。
「ニャー」
「うん? なになに? これを買えって? なにこれ?」
チャーリーはいつの間にか持ってきていたメニュー表を前足でつついた。
「ご主人様、どうされましたか?」
「ああ、いや。チャーリーがこれを買えって言ってるんだよ」
「なんでしょうか?」
黒乃達はロボット猫カフェを存分に堪能して店を出た。
既に日は落ち始め、夕日が隅田川の川面を照らしていた。
「なあ、チャーリー。どこにいくんだい?」
「チャーリー、この品物はどうするのですか?」
「ニャー」
「着いてこいってさ」
チャーリーに導かれるまま、三人は隅田公園に入った。人気の少ないひょうたん池のほとりの茂みにチャーリーは向かった。
「なんだなんだ?」
「ここになにがあるのでしょうか?」
チャーリーを追って茂みに入った。ニャーと鳴くチャーリーの先にいたものは……。
「んん!? なんだこの白猫は?」
「ご主人様! ダンチェッカーです! 白猫のダンチェッカーがいます!」
チャーリーの思い猫のダンチェッカーだ。ロボット猫ではなく生猫である。茂みに横たわる小さなダンチェッカーの胸元にはさらに小さな影が微かに動いていた。
「ああ!? これは!?」
「ご主人様! 赤ちゃんです! ダンチェッカーの赤ちゃん猫です!」
それは小さな小さな命であった。四匹いるようだ。白いのが二匹、黒いのが二匹。それぞれが懸命にダンチェッカーの乳を吸っている。
「うわぁ、小さいなあ」
「小さいけれどしっかりと生きています!」
すると近くの茂みから大柄な黒猫のハント博士が現れた。筋肉が浮き出た体を揺すりながらゆっくりと近づいてくる。ハント博士は地面に寝そべり、じっとこちらを伺った。
「ハント博士との子供みたいだね」
「はい」
チャーリーも地面に伏せた。今日はハント博士と争うつもりはないようだ。しばらく皆で子猫の様子を見守った。
「なるほどなあ。チャーリーお前。このためにこれを欲しがったのか」
黒乃は猫カフェで購入した箱を開けた。中には百円玉サイズのシールのようなものが入っていた。メル子はそのシールを四匹の赤ちゃん猫の背に貼り付けた。これはペット用の生体情報デバイスだ。貼り付けた動物の生体データを送信して管理することができる。
「このデータは自動的に全日本生猫連合協会に送られます」
全日本生猫連合協会はメル子が所属する全日本ロボット猫連合協会と対をなす組織で、ペットや野良の生猫の管理を行っている。
もし子猫達に異常があれば彼ら会員が駆けつけてくれるというわけだ。とはいえなにぶん野良猫の数は多い。その数に対して会員の数はまるで足りていないのが実情だ。
「でもなにもないよりかはいいよね」
「はい……」
黒乃とメル子とチャーリーはその場から去った。街灯に照らされ生まれた影が四方に伸びて静かな公園の地面に広がった。とぼとぼと四本足で歩くチャーリーの表情は沈んでいる。
「チャーリー、元気出せよ」
「きっとチャーリーは……ダンチェッカーを諦めたのではないでしょうか?」
「うーん……」
チャーリーの恋は終わった。これがチャーリーからダンチェッカーへの最後のプレゼントだったのだ。これからチャーリーはなにを糧に生きていけばいいのだろうか?
黒乃はチャーリーを抱き上げた。チャーリーは手足をばたつかせて抵抗した。
「チャーリー、心配すんな。なにが起きてもうちらはお前の味方だからさ」
「そうですよ、チャーリー! また一緒に遊びに行きましょうよ!」
チャーリーは急に大人しくなった。プルプルと震えている。
「ハッハッハ、泣くなチャーリー。男だろ! いでぇ!」
グレーのロボット猫は黒乃の手を爪でひっかくと、唸り声をあげながら走っていった。途中で止まって一度こちらを振り向くと茂みの中へと消えた。
チャーリーが立ち直るにはもう少し時間がかかりそうだ。
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