第215話 授業参観です!

 冬の夕方。黒乃とメル子は夕陽を背に受けながら浅草の通りを歩いていた。


「ふーい、今日もよく働いたね〜」

「お疲れ様です。私の出店も大盛況で即完売でした」

「それはなによりだ」


 二月の冷たい風が二人を撫でるが、心まで冷やすには至らない。見慣れた愛しのボロアパートが頼もしく二人を迎えてくれるからだ。

 しかし今日はボロアパートの前にいつもは見ない光景が待っていた。


「あれ、マリーじゃん」

「マリーちゃん、こんにちは!」


 ボロアパートの前に一人で立っていたのは一階に住む中学生マリー・マリーだ。マリーはキョロキョロと辺りを見渡した。


「どしたん一人で。珍しいね」

「アン子さんはどうしたのですか?」

「アンテロッテは夕食の準備をしていますの」


 するとマリーは黙って一枚の紙切れを差し出した。黒乃とメル子は怪訝な表情でそれを受け取った。


「なにこれ」

「読んでほしいですの」

「ふむふむ、授業参観のご案内だって」

「授業参観をするのですか!」


 その紙はマリーの通っている中学校の一日授業参観のプリントであった。日時と当日のスケジュールが記載されている。


「黒乃さん達にも来てほしいですの!」

「なんで私達が!?」


 黒乃は面食らった。こんなに大きな娘を持った覚えはない。


「マリーちゃん、アン子さんは来ないのですか?」

「もちろん来ますわよ」

「じゃあアン子でいいじゃんよ」


 マリーはもじもじと体をくねらせて、チラチラと黒乃を横目で見た。


「アンテロッテは保護者って感じがしませんの。保護者に来てほしいんですの。クラスメイトはみんな保護者が来ますの」

「いや、アン子は保護者でしょ!」


 新ロボット法では通常マスターが保護者、ロボットが被保護者となる。しかしマスターが未成年の場合はロボットが保護者の扱いを受ける。


「アンテロッテはわたくしのお姉様ポジションですの」

「うーむ、そう言われればそうだな」


 アンテロッテはマリーの実の姉のアニーを模して作られたメイドロボである。二人は見分けがつかないほど瓜二つである。


「ご主人様、どうしましょう」

「ふむ〜、よし! 他でもないマリーの頼みだ。いっちょ二人で行ってみますか!」

「はい!」


 マリーの顔が冬に咲くサイネリアの花のように輝いた。


「嬉しいですのー!」

「お嬢様、なにが嬉しいんですの?」

「なんでもありませんのー!」


 急に部屋から出てきたアンテロッテに必死に取り繕いながら二人は部屋に戻っていった。



 ——授業参観当日。

 浅草にあるなんの変哲もない中学校。都内ならではの狭い校庭、ビルに囲まれた古めの校舎。その校舎を二人は見上げた。黒乃は黒い背広、メル子は赤いジャージ姿だ。


「ご主人様、そのドクロマークのネクタイおしゃれですね! それに比べてなぜ私は赤ジャージなのですか……。プリントには正装で来てくださいって書いてあったのに!」

「メル子のメイド服は正装ではあるけれども、中学生には刺激が強すぎるでしょ」

「ひどいです!」

「お二人ともお待ちしておりましたわ」


 声をかけてきたのはアンテロッテだ。大人びた黒いスーツを着込んでいた。メル子はそれを見てプルプルと震えた。


「うわ〜、アン子綺麗だわ〜」

「ずるいです! なぜ私は赤ジャージですか!」


 三人は校舎に入った。スリッパに履き替え、廊下を進む。既に廊下は保護者達で溢れていた。


「あー、なんか緊張するなこの雰囲気」

「私、学校に来たのは初めてですよ!」

「ここがお嬢様のお教室ですわ」


 『1ーA』の札がついた教室の前までやってきた。窓から中を覗くと生徒達がそわそわとした様子で授業の開始を待っていた。


「いたいた! マリーだ! やっぱすごい目立ってるよ! 一目でわかる。金髪だもん! ぷぷぷ! お嬢様のドレスじゃない!」

「学校の制服ですね! 可愛いです!」

「お嬢様ー! 今いきますわよー!」


 始業のベルが鳴った。それと同時に扉が開放され、保護者達が教室に入っていった。黒乃達もそれに続き、生徒達の後ろに並んだ。


「おい、みろよ」

「あれ黒乃山だろwww」

「黒乃山だwww」


 教室がざわざわとし始めた。


「あれ、なんか私笑われてない?」

「ご主人様! 気のせいですよ!」


 マリーは耳まで真っ赤になった。


 

 ——一時限目『数学』。


「数学か〜。結構得意だったよ」

「へ〜、意外ですね」


 歳をとった男性の数学教師が黒板にすごい勢いでチョークで文字を書いている。懐かしいカツカツとした音が教室に響き渡った。しかし実際はデジタル黒板とデジタルチョークなのであった。

 生徒達はデジタルノートを広げてデジタルペンを使い黒板の内容を映し取っていく。しかし実際は黒板の内容をコピペしているだけだ。


「では、この方程式を解ける人はいますか?」


 教師が問題を提示した。すかさず手を挙げる生徒達。


「よし、いいぞ。マリーも手を挙げて……あれ?」

「なんでしょうか、あの中途半端な挙げ具合は?」

「お嬢様は数学は苦手なのですわ」


 マリーは明らかに指されるのを避けようとしているようだ。右手が耳の横までしか挙がっていない。


「ではマリーさん」


 教師がマリーを指名すると青ざめた顔で黒板へと向かった。プルプルと震える手でチョークを持つと方程式を解き始めた。


「お嬢様ー! 移項をしたら符号が反転するのですわー!」

「マリーちゃん! かっこを展開してください!」

「お母様方、お静かに願います」


 マリーはなんとか方程式を解いた。再び青ざめた顔で席に戻ると生徒と保護者から拍手が起きた。


「お嬢様、さすがですわー!」

「やりました! 天才ですよ!」


 マリーはテーブルに顔を伏せたまま動かなくなった。


「可哀想に……」黒乃は同情した。



 ——二時限目『国語』。


「今日は古文か〜、結構得意だったな」

「へ〜、意外ですね」


 女性の教師が順に生徒を指名していく。指名された生徒は一段落ずつ朗読をしていく。


「だれだってききたそうなひょうじょうしてんでじこしょうかいさせてもらうがよ」

「にげるんだよ〜。どけーやじうまどもー」

「おらおらおらおら。てめーはおれをおこらせた」


 朗読が終わると教師は問題を出した。「この吸血鬼の気持ちがわかる人はいますか?」


 皆一斉に手を挙げた。マリーはまたも中途半端に手を挙げた。


「お嬢様は古文は苦手なのですわ」

「では、マリーさん」


 教師に指名されたマリーは青ざめた顔で立ち上がった。


「あの、その、ですわ」

「お嬢様ー! 不老不死を手に入れた気持ちになるのですわー!」

「マリーちゃん! 本当によくなじんだ状態を考慮に入れてください!」

「お母様方、お静かに願います」


 マリーはなんとか答えを絞り出した。


「あの、あ、最高にハイって気持ちですわ」

「マリーさん、よくできましたね」


 生徒と保護者から拍手が起きた。マリーは青ざめた顔で座ると顔を伏せて動かなくなった。


「可哀想に……」黒乃は同情した。



 ——お昼『給食』。


「おお! 保護者も一緒に給食を食べられるのね!」


 マスクと帽子とエプロンを装着したマリー達が教室に巨大な寸胴を運んできた。黒乃達はアルマイト製の食器が乗った御盆おぼんを持って並び、料理をよそってもらった。


「黒乃さん、たくさん食べてほしいですのー!」

「おお、マリー。ありがとう!」


 揚げパン、ソフト麺、ミートソース、フルーツサラダ、牛乳瓶。料理がたっぷりと乗った御盆を持って席に着いた。


「うわー、懐かしいな。給食ならではの独特な香りってあるよね」

「ご主人様! 私給食は初めてです!」

「わたくしもですわー!」


「お待たせですのー!」配膳を終えたマリーが黒乃達の席へとやってきた。


「いや〜、マリー。大活躍だったじゃん」

「恥ずかしかったですのー!」

「立派でしたよ、マリーちゃん!」

「さすがお嬢様ですの」


 するとお盆を持ってクラスメイトが集まってきた。


「マリーちゃん! 一緒に食べていい?」

「もちろんですわー!」

「マリーちゃんのパパって黒乃山だったんだ!」

「誰がパパじゃい」

「ねえ、どっちがママなの!?」

「マリーちゃん、大人気です!」

「さすがお嬢様ですの」


 いただきますの号令がかかり、皆夢中で給食を楽しんだ。

 


 ——三時限目『体育』。


 体育館へと移動した生徒と保護者。筋肉モリモリの若い体育教師が元気に声を張り上げた。体操着姿のマリー達は準備運動を始めた。


「体育の授業はバスケットボールをやるのね。結構得意だったな。バスケ部だったし」

「意外です!」


 それぞれチームに分かれて試合が始まった。保護者たちはコート脇からそれを見守る。


「マリーってほぼ超人だから、中学生相手だと勝負にならないんじゃないの?」

「お嬢様はバスケットボールは苦手なのですわ」


 マリーにボールが回ってきた。華麗なドリブルで次々に敵をかわし相手陣地に切り込んでいく。


「うわわ、すごい! いや、やっぱりこれ勝負にならないよ!」

「マリーちゃん、今です! ゴールががら空きです! シュートです!」


 マリーは美しいフォームでジャンプシュートを放った。金髪縦ロールがふわりと舞い上がった。ボールは綺麗な放物線を描いてコートの外へと消えていった。


「あらら」

「ドンマイです!」

「お嬢様ー! もういっちょですわー!」


 その後もシュートを打ち続けたが、全て明後日の方向へ飛んでいった。マリーの顔が真っ青になった。

 チームメイトがマリーの元へ集まってきた。


「マリーちゃん! 大丈夫だから!」

「パス回していこ!」

「走っていこう!」


 その後マリーは素早い身のこなしを活かし、パス回しに専念した。仲間達の活躍で見事マリーチームは勝利を収めた。

 マリーは笑顔で仲間達とハイタッチを交わした。



 ——放課後。


 黒乃とメル子は下校をしていた。アンテロッテはマリーを出迎えてから帰るようだ。

 メル子は笑顔でスキップをしていた。黒乃は黙って歩いていた。


「ご主人様! 今日は楽しかったですね!」

「ええ? ああ、うん」

「給食も美味しかったですし、学校って最高ですよ!」

「うん」

「ご主人様?」


 黒乃は道路に転がっていた石を蹴り飛ばした。


「なにかありましたか?」

「うーん」


 黒乃は顔を上げて赤くなり始めた空を見た。メル子はその様子を不思議そうに見上げた。


「なんていうか、今日のマリーって普通だったなってさ」

「普通ですか?」

「普通の女の子だったよ。普通の中学生さ」

「はあ」


 黒乃は歩道の縁石の上に乗って歩き始めた。


「ご主人様はさ、マリーは特別な存在だと思っていたんだよ。見た目超絶美少女だし、お嬢様だし、個性が強すぎるし、超人だし」

「まあそうですね」

「だから学校で浮いているんじゃないかって思ってたけど、普通の子に見えたよ」

「それっていいことなのでしょうか?」


 黒乃は少し首をひねって考えた。


「良いか悪いかはよくわからないけどさ。学校を楽しむのには普通の方がいいのかもね」

「……普通ですか。まあ学校が楽しいのならば普通って素晴らしいことなのではないでしょうか」

「うん」


 メル子はあることに思い当たり、聞くべきか迷ったが聞くことにした。


「ご主人様は学校は楽しくなかったのですか?」

「うーん……」


 黒乃の学生時代はメイドロボの事で頭がいっぱいであった。学校生活を楽しもうという概念がなかったのだ。


「覚えていないなあ……」黒乃はポツリと呟き、そのまま黙ってしばらく歩いた。


「でも、後悔はしていないよ」

「はあ」

「そのおかげでメル子と出会えたんだし。ご主人様の青春はこれからさ。マリーに負けていられないよ」


 メル子は渾身の笑顔で前に走りだした。そして黒乃の方へ振り向くとこう言った。


「私の青春もこれからです!」


 黒乃は夕陽に照らされたメル子を眩しそうに見つめた。

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