第158話 駅そば食べます!

『まもなく〜品川〜品川〜』


 小汚い列車が小汚い駅の小汚いホームに滑り込んだ。


「いや〜、相変わらず品川駅は小汚い」

「ご主人様! なんてことを言うのですか!」

「小汚いし、薄暗いし、人が多すぎる」

「事実ですけれども! 関係各所に迷惑がかかるので発言には気をつけてください!」


 黒乃とメル子は品川駅山手線のホームへと降り立った。正月休み期間とはいえ既に駅は人で溢れかえっている。


「さすが世界で九番目に利用者が多い駅だ」

「利用者に対して駅の大きさが間に合っていませんね。混雑度では日本一かもしれません」


 黒髪おさげ長身のお姉さんと緑の和風メイド服のメイドロボの組み合わせはどこにいても目立つ。ジロジロと見られながら人ごみを掻き分けたどり着いたのは質素な駅そば屋であった。


「ここですか……」

「そう、ここが伝説の駅そば『ロボ盤軒ろぼわけん』だ」


 ロボ盤軒。創業1964年の老舗そば屋である。店の前に立っただけで濃口醤油の強烈な香りが鼻を刺激した。ガラス張りの店内には客がひしめき合っているのが見えた。黒乃とメル子は入口の券売機で食券を購入し店の外で待った。

 程なくするとカウンターに二人分のスペースが空いたのですかさずそこに滑り込んだ。食券を渡し、立ったまま出来上がりを待つ。


「ご主人様……駅そばって独特の雰囲気がありますよね」

「確かに。普通食事というのは寛ぎの空間と時間のはずなんだけど、ホームの立ち食いそばはちょっと違うよね」


 ほんの二言三言言葉を交わしている間にもうそばが提供された。


「早いです」

「早いね」


 もくもくと湯気をたゆらせた丼の中には真っ黒なつゆ、ぷりんとしたそば、そして丼面の八割を覆いつくすかき揚げが鎮座していた。その上に多めの輪切りネギが散らされている。


「黒いです」

「黒いね」


 関東のつゆが黒いのは周知の事実ではあるが、駅そばは特に黒い。つゆの中に沈んでいるはずのそばが見えないほどに黒い。

 その黒いつゆの中に箸を突っ込むとやや太めのそばが顔をのぞかせた。


「いただきます!」


 黒乃は勢いよくそばを啜った。醤油の香りが鼻を突き抜け、塩気が舌を刺激した。そばを噛むとむにむにとした歯触りの後プツンと千切れた。


「やはりおつゆが濃いですね。電子頭脳にガツンときます」

「うむ。東京のそばはこれでないとね。駅そばは忙しいサラリーマンの為のファストフード。元気が出る味だよ」


 二人はかき揚げに齧り付いた。


「かき揚げも美味しいです」

「この大きさも嬉しいね。お腹にしっかりとたまるエネルギー食だよこれは」


 二人は一心不乱にそばを啜り、丼を両手で持ち上げるとつゆをごくりと飲んだ。


「あ〜つゆがうまい。グビグビいきたくなっちゃうんだよね。中毒性があるというか」

「でも次があるのでこの辺にしましょうか」


 関西ではつゆは飲み干す事を前提に作られているが、関東のつゆは飲み干す事を前提にしていない。濃すぎるからだ。

 元々東京のそばは水でしめたそばを濃いつゆに浸けて食べる「もりそば」から始まった。しかしせっかちな江戸っ子がいちいちつゆに浸けて食べるのは面倒だということで、つゆをそばにぶっかけて食べ始めたのが「かけそば」である。

 つまりそばのつゆは元来濃いのだ。だから飲み干さないのが基本である。


 二人は食べ終わると店を出た。再び人で溢れる構内を歩き京浜東北線に乗り込んだ。


「ご主人様。次はどちらへ?」

「ふふふ、東神奈川」

「横浜の港の方ですね!」


 品川駅から東神奈川駅までは京浜東北線で三十分かからない。

 列車はひた走り、東神奈川の駅に到着した。すぐ隣は利用者数世界五位を誇る巨大ステーション横浜駅であるが、こちらの駅はホームが二本だけの簡素な駅である。


「品川と違ってずいぶんと寂れていますね」

「横浜線から京浜東北線に乗り換えるのが主目的の駅だからね。ちなみに横浜線は横浜って名前がついているのに横浜駅の手前の東神奈川駅が終点なのだ」

「無常ですね……」


 閑散としたホームを数秒歩きたどり着いたのは小さな駅そば屋『ロボ栄軒ろぼえいけん』だ。ホームの幅が狭い為、店も狭い。五人が並んだら満杯のカウンターだけの店だ。幸い先客は二人だけである。


「ご主人様! すごくいい香りです! さっき食べたばかりなのにもうお腹が減ってきました!」

「こりゃたまらんね。東神奈川駅の利用者は毎日この香りを嗅いでお腹を鳴らしているという」


 入口で食券を購入し店に侵入した。


「ご主人様。ここはどういうお店なのですか?」

「ふむ、ここは老舗中の老舗。駅そば界の聖地。なんと創業1918年」

「1918年!?」

「大正七年から変わらない自家製のつゆが自慢だ」


 すぐにそばが出来上がった。二人はその丼を見て仰天した。


「なんですかこれは!?」

「これは穴子天だ!」


 丼の上に橋のように架かっているのは巨大な穴子の天ぷらであった。大きすぎて丼から三割はみ出してしまっている。


「大きすぎますよ!」

「うひょー! これはたまらん。いただきます!」


 つゆは例によって真っ黒く、そばはぷりぷりとした太め、ワカメがたっぷりに控えめの輪ネギ。予期せぬゆずの香りが嬉しい。

 二人はまず穴子天を箸で挟んだ。しっかりとつゆを染み込ませて齧り付いた。


「ほくほくだあ!」

「身がしっかりと詰まっています! タンパクな白身に濃いおつゆの相性が完璧です!」


 続いてそばを持ち上げ一気に啜った。


「あ〜、なんだろこれ。この妙な美味さ。説明できない」

「リッチな美味しさのおつゆではなく、ジャンク感と家庭感のあるおつゆです。醤油はしっかり効いているのにまろやかです」


 二人は夢中になって穴子天に齧り付きそばを啜った。ふと店の外を見るとホームには列車を待つ人達の行列が見えた。


「電車の発進音をBGM、利用客をおかずにして啜るそば。駅そばの醍醐味だね。ホームと店の中で流れている時間が違うみたいだ」

「私達は今、ホームの王者と言っても過言ではないですね」


 お腹をパンパンに膨らませた二人は一旦改札に入り直し、ホームにやってきた列車に乗り込んだ。始発だったため空っぽの座席に座ることができた。しばらくすると列車はゆっくりと東神奈川の駅を出発した。


「メル子、どうだった?」

「はい! 美味しかったです! 浅草の老舗のおそば屋にも行きましたが、そことは全く違う美味しさでした!」


 黒乃は白い歯を見せて笑った。


「そうなんだよね。正直言うと駅そばはそば粉の割合が低いぶよぶよ麺。つゆも濃さ優先で出汁控えめ。天ぷらは揚げたてじゃないからサクサク感は乏しい」

「はあ」

「でも無性に美味いんだよ。すぐにでも食べたくなる味なんだよ。きっと江戸っ子達はこのそばをそばと呼んでいたんだと思うよ」

いにしえのおそばが形を変えて現代まで受け継がれているのですね!」


 黒乃は列車の外を流れる景色を眺めた。


「そういや古といえば、日本最古の鉄道は明治時代の新橋〜横浜間だったらしいね。今私達が乗っている列車も横浜から新橋……あれ?」

「ご主人様。我々が乗っているのは京浜東北線ではなく横浜線のようです。新橋には行きません」

「八王子まで行っちゃうじゃん!」


 その時、妙な声が轟いた。初めはレールを転がる車輪の音かと思ったが違ったようだ。


 オーホホホホ……オーホホホホ……。


「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」

「オーホホホホ! この列車では浅草に帰れませんのねー!」


 前の車両から扉を開けて出てきたのはマリーであった。


「オーホホホホ! 日本の鉄道は複雑すぎますわー!」


 後ろの車両から扉を開けて現れたのはアンテロッテであった。


「お二人ともなぜ横浜線にいますか! 後なぜ別々の扉から現れますか」

「乗り違えまで被せてくるとはなあ」

「ついでですのでこのまま八王子までGO!ですわー!」

「一緒に八王子ラーメンを食べて帰りませんことー! 新横浜のラーメン博物館でもよろしくてよー!」

「「オーホホホホ!」」


 空っぽの車内にお嬢様の高笑いが炸裂した。


「いやマリー、私達そば食べたばっかりなんだけど」

「そうですよ。それに今回はそば回なのですから」

「案外だらしがないんですわねー!」

「お嬢様は中華街で肉まん十個食べた後ですのにねー」

「「オーホホホホ!」」

「にゃろ〜大口叩きやがって〜」

「ご主人様! 負けていられませんよ!」


 いつもの四人の賑やかさは今年も健在のようだ。


『まもなく〜大口〜大口〜。車内はお静かにお願いします〜』

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