第140話 新入社員を歓迎します!

 浅草寺から何本か外れた静かな路地に古民家が佇んでいる。外見は古めかしい二階建ての日本家屋ではあるが、隅々まで手入れがなされている。

 その古民家から手を打つ音が路地に漏れてきた。店の前を掃除していたルベールはその音を聞いて微かな笑みを浮かべた。


「はい! 今日から我が社に! まだ会社じゃないけど、新しい仲間が加わりました。はい! 自己紹介して!」


 古民家の一室。机が四つ並ぶだけの簡素な部屋。黒乃に紹介されたロボットは斜め下を向きながら口を小さく開いた。


「……です」

「なんて?」

「お絵描きロボの影山かげやまフォトンです。フォト子ちゃんって呼んでください」

「フォト子ちゃん!」

「フォト子ちゃーん!」


 皆一斉に激しく手を叩いた。その音に怯えてフォトンは後ろによろめいた。

 お絵描きロボの影山フォトン。背は低くメル子と大差がない。一見子供のように見えるが成人ロボットだ。

 真っ直ぐに腰まで伸びる光沢のある髪の毛は青色に輝いている。ダボダボと裾の部分が膨らんだニッカポッカに、やはりダボダボのパーカーを着込んでいる。

 なぜか全身にペンキがひっついており、それは頬にも及んでいる。時々それを指で擦って落とす仕草が可愛らしい。


「いやー、まさかまさか。うちにこんな可愛いロボットが来てくれるなんてね。こんな男だらけのむさ苦しい職場でごめんなさいね」

「ご主人様、男性は一人しかいませんが……」


 黒乃はフォトンを席に着かせた。黒乃の左隣りがフォトン、正面が桃ノ木、左前がFORT蘭丸ふぉーとらんまるである。これで座席が全て埋まった。


「ようやくですよ。ようやくプランナー、プログラマー、グラフィックデザイナーが揃ったからね。これで幅広い業務を受注できるってもんだよ」

「黒ノ木シャチョー! ヤりましたね!」

「黒ノ木先輩、おめでとうございます」


 黒乃は体をプルプルと震わせて喜んだ。


 黒乃の事業計画はこうだ。

 まずは何はともあれ資金が必要である。ゲーム一本制作するには何千万、何億という資金が必要になる。いきなり自社タイトルの作成は難しい。ひとまず他社から制作補助の仕事を受注し資金、信用、実績を稼ぐ。これらが揃えば融資を受けやすい。

 受注した業務と並行して自社タイトルの企画を練っていく。それを具体的な形にするには四人が力を合わせなければならない。


「まあまあ、今日はほら、めでたい日だから業務は明日からにしよう」

「シャチョー! じゃあ今日は何をするんデスか?」


 黒乃は立ち上がり腕まくりをした。鼻息を荒くして一同を見渡した。


「今日はね。社長が自らみなさんにお昼を振る舞おうと思います。寿司パーティーです!」

「寿司パーティー!?」


「……だけど」フォトンがぼそりとつぶやいた。

「なんて?」

「南米料理が食べられるって聞いて来たんだけど」

「まあまあまあ! 今日は私が! みんなをもてなすから! 労うから!」


 するとメル子が折りたたみの机を運んできた。酢飯が入った大きな桶とネタがぎっしりと詰まった皿を机の上に並べた。


「さあ準備ができましたよ! 仕込みは私がしました!」

「きたきたきた!」


 黒乃は机の向こう側に移動すると呆然と眺める社員達と向かい合った。


「丸メガネ寿司、開店でーい!」

「大将!」メル子は手を叩いて囃し立てた。それにつられて三人もまばらに手を叩いた。


「黒ノ木シャチョーは寿司を握れるんデスか?」

「高校の頃に回転寿司のスシローボでバイトしてたんだよお!」

「黒ノ木先輩の握った寿司……ハァハァ」


 黒乃は水の入った桶で手を念入りに洗いアルコールスプレーで消毒をした。


「さあお客さん! なにを握りやしょう!」

「炙り大トロをくだサイ!」

「FORT蘭丸!!」

「はいィ!?」

「まずはフォト子ちゃんからでしょが!」

「ごめんナさい!」


 フォトンは遠慮がちに注文した。


「……コハダ」

「へい! コハダ!」

「フォト子ちゃん、渋いネタからいきますね」メル子は三人に緑茶を振る舞った。


 黒乃は左手でコハダを掴むとサビを塗りつけた。すかさずシャリを乗せ真ん中を指で押し込んだ。右手に移動させ左手で包むように握った。上下を回転させ優しく形を整える。この一連の動作にかかった時間はわずか三秒である。


「黒ノ木シャチョー! そノ技は伝説の『本手返し』!?」

「へい! コハダお待ち!」

「……サビ抜きがよかった」

「それ先に言って!?」


 フォトンはコハダを素手で掴むと醤油皿につけ口に運んだ。口が小さいので一口では入らず真ん中で噛み切った。


「ワサビがつんとくるけど美味しい」

「そりゃよかった!」


 フォトンの髪の毛が青色から緑色に変化した。


「すごい! どうして髪の毛の色が変わるのですか!?」メル子が食いついた。

「……偏光素材で作られた特殊な毛髪。先生が特注でつけてくれた。気分で勝手に色が変わる……」

「可愛いです!」


「シャチョー! ボクもいいデスか!?」

「なんでもこい!」

「炙り大トロ!」

「少しは遠慮しろ!」

「エエ!?」


 黒乃は本手返しで大トロを握った。すかさずメル子がバーナーで大トロを炙った。


「へい! 炙り大トロお待ち!」

「美味しそうデス!」

「FORT蘭丸!」

「ハイ!?」

「普通だったらいきなり炙り大トロいく奴は追い出すところだぞ」

「ナンデ!?」


 FORT蘭丸は炙り大トロを手で掴むと満足そうに頬張った。


「口の中でとろけてなくなりまシタ。脂が甘くて電子頭脳にガツンときマス」FORT蘭丸は涙を流して喜んだ。

「でも普通の回転寿司よりネタが小さいですネ」

「タネはデカければいいってもんじゃねーんだよ!」

「ヒィ!?」

「最近の回転寿司はタネを大きくすりゃあいいって思ってやがる! 大事なのは大きさじゃなくてシャリとタネのバランスなんだよ!」

「巨乳ばかり求める人のセリフですか……」メル子は呆れた。


「桃ノ木さんはなにいく!?」

「私はいつも最初はカニ味噌って決めているんです」

「へい! カニ味噌!」


 シャリを握り、帯状にカットした海苔のりをシャリに巻きつけた。そこにスプーンでカニ味噌を入れる。


「へい! カニ味噌お待ち!」

「いただきます」


 桃ノ木は箸で寿司をつまもうとした。


「寿司は素手でいこうよ! こっちは素手で握ってるんだからさあ!」

「やかましい大将ですね……」メル子は呆れた。

「あ、はい。では」桃ノ木は素手で軍艦を掴むと一口で一気に頬張った。

「美味しい……濃厚な磯の香りです」

「私が今朝、NEO築地市場で仕入れてきたのですよ!」

「それに、シャリが普通より温かいですね。それがよりネタの香りを引き立てています」


 黒乃はニヤリと笑った。


「そこに気がつくとはお客さん『通』だねえ」

「大将のうんちくが始まります! よく聞いてください!」

「普通シャリは『人肌』、三十六度が良いとされているんだ」


 シャリが冷たいと口当たりが悪くなりネタの香りが立たない。熱いとネタの生臭さが出てしまうというのが理由だ。


「しかしうちは四十度のシャリを使っている。その方がタネの香りが引き立つからだい!」

「シャチョー! それデはネタの生臭さも出てしまうのではないデしょうカ!?」

「それは昔の話でい!」


 現在では海産物の保存や処理の仕方の進化により、昔に比べて格段に生臭さを抑えられるようになっている。その為シャリの温度を上げても生臭さは出ずに香りだけを引き出す事ができるのだ。


「だんだんと温かいシャリが主流になりつつあるねえ」

「シャチョー! 炙りえんがわくだサイ!」

「……アジ」

「カニ味噌」

「へい!」

「あおさのお味噌汁もどうぞ!」


 一行は盛大に寿司パーティを楽しんだ。

 


 夕方。社員達は既に退社していた。桶もネタの皿もほとんど空になっていた。

 黒乃とメル子はまったりと二人きりの時間をくつろいでいた。


「ようやく社員が揃いましたね」

「うん。基幹メンバーが揃えば後は外注でどうにかなるからね。ここからスタートって感じかな」


 黒乃は巻きすをまな板の上に広げた。


「なにを作っていますか?」

「海苔巻きだよ。最後は海苔巻きで締めようよ」


 巻きすの上に焼き海苔を敷き、その上に白米を広げていく。


「お母様直伝の恵方巻きでしょうか」

「ふふふ、あれは母ちゃんしか作れないよ」


 黒乃が白米の上に乗せたのは梅干しとシソの葉だ。それを巻きすを使いしっかりと巻き込んでいく。


「梅しそ巻きですか。随分シンプルですね」

「締めにはさっぱりとした海苔巻きがピッタリだよ」


 巻きすを外し、包丁で三センチ幅に切りそろえる。


「なんか可愛いですね」

「海苔の黒、ご飯の白、梅の赤。美しいね。さあ食べて」


 メル子は指で海苔巻きをつまみ口に運んだ。


「梅の酸味とシャリの甘みがいい具合です。あれ? これは酢飯ではないのですか?」

「普通の白米だよ。梅の酸味を活かす為に敢えて酢飯は使っていないんだよ」


 メル子は感心と呆れ半々の気持ちで黒乃を見つめた。


「全く無駄なところに気を利かせますね。普段は大雑把なのに」

「そうかなあ?」

「そうですよ」


 メル子は再び海苔巻きをつまむと今度は黒乃の口へと運んだ。


「お、気が利くねえ」

「気を利かせるのがメイドロボのお仕事です」


 黒乃はメル子の指ごと海苔巻きに齧りついた。


「ぎゃあ! なにをしますか!」

「メル子の指うめぇ〜」

「キモいです!」

「うめぇ〜」


 二人の大騒ぎの音は古民家の外まで届いてきた。店の外で掃除をしていたルベールはそれを聞いてクスクスと声を漏らした。

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