第101話 北海道です! その二
「メル子、ごめんねごめんね」
新千歳空港で黒乃は謝り倒していた。
「まさかそこまで怒るとは思わなくてさ」
メル子はほっぺを膨らませて目に涙を溜めながらツカツカと空港内を歩いている。黒乃は自分の荷物とメル子の荷物をまとめて引きずっているのでメル子に追いつくのがやっとだ。
「ね、メル子。機嫌直して。ご主人様悪気は無かったの。ほんとだよ。ね?」
黒乃は必死に訴えるがメル子は聞く耳を持たないようだ。
「ね、メル子。お詫びにメル子が行きたい所に連れて行ってあげるからさ。スキー場だっけ? 牧場だっけ? チタタプ?」
「ロボ牧場……」
メル子がぼそりとつぶやいた。
「え?」黒乃はメル子の顔に耳を近づけた。
「ロボ牧場で乳搾りがしたいです……」
黒乃はふぅと息を吐いた。
「よしよし、じゃあロボ牧場行こうよ。ね? 牛さんとたくさん遊ぼうじゃないの」
「本当ですか?」
「本当だよ! ご主人様が嘘ついた事なんてないでしょ?」
メル子はピタリと止まると振り返って黒乃の胸に飛び込んできた。二人は抱き合って仲直りをした!
——新千歳空港駅。
新千歳空港に直結している地下鉄。JR北海道唯一の地下鉄駅である。そのホームに二人はいた。
「さあ、じゃあ今日のスケジュールを説明するからね」
「はい」
「まずエアポートに乗って
「はい!」
メル子の目に輝きが戻ってきたようだ。
「それから電車で
「はい!」
「その後は小樽の郊外にあるペンションに行ってお泊まりね。期間中、私はペンションと小樽の会社を行き来する事になるから」
「ペンションも楽しみです!」
二人は札幌行きのエアポートに乗った。たった三十分で札幌駅だ。出発して間もなくすると列車が地上に顔を出した。抜けるような青空の下を突き進む。
「思っていたよりずっと都会なのですね」
「ほんとだね。流石に空港から札幌の間は北海道っぽさは無いな」
それでもメル子は目をキラキラさせて景色を眺めている。黒乃は機嫌を直したメル子を見てほっと息をついた。
程なくして列車は札幌駅に到着した。ビルが林立する大都会だ。列車を降りると荷物をロッカーに預けた。大勢の人が行き交う駅の構内をすり抜け外に出て最初に感じたのは寒さだ。
「寒っ!」
「寒いです!」
冬のこの時期、札幌の気温は東京に比べて10℃は低い。二人はあっという間に凍えてしまった。持ってきた防寒着を装着する。黒乃はモコモコの白いダウンジャケットを、メル子は袴に合わせて青い柄のケープを羽織った。
「メル子のそれ可愛いなあ。明治時代の女学生みたいだね」
「はい! ルベールさんに見繕ってもらいました!」
「じゃあご主人様はそこのビルで打ち合わせをするから。しばらくのんびりしてきな」
「はい! お気をつけて!」
黒乃はテクテクとビルの中へ消えていった。それを見送るとメル子は空気をいっぱい吸い込んだ。
「町中ですけど空気が東京より澄んでいる気がします!」
二十二世紀現在、日本では環境対策が進み、大気の状態は百年前に比べて格段に良くなっている。ガソリン車は全体の1%にも満たない。
メル子は小走りで町中を進み出した。初めての遠い場所。全くの見知らぬ土地。
「何かドキドキします! これが旅行というものでしょうか」
十分程南へと進んだ。見えてきたのはかの有名な『札幌時計台』である。正面に回り屋根のついた時計台を見上げた。
「これがあの時計台ですか。地味です」
白い壁の木造建築の上に大時計が設置されている。高さは二十メートルあるが周囲をビルに取り囲まれている為小さく見える。
「ここは明治時代に演武場として作られたそうです。二百年以上前の女学生さん達もこの時計をここから見上げたのでしょうか。感じ入ります」
周囲の観光客達は一人時計台に没入する金髪巨乳メイドロボに目を奪われた。
「さて、お昼に食べるラーメン屋さんを探すことにしましょう。札幌に来たからには札幌ラーメンを食べなくてはなりません!」
メル子は町の散策を始めた。身をきる寒風もなんのその、メル子はすすきのの町をスキップで練り歩く。
「フンフフーン。ほかほかほかほか北海道〜、可愛いメイドさんが歩きます〜。さぽさぽさぽさぽ札幌で〜、美味しいラーメンどこでしょな〜。フンフフーン」
歌舞伎町、福岡と並んで日本三大歓楽街と呼ばれるだけあり、すすきのにはこれでもかと飲食店が乱立している。観光客達がランチを求めて町を彷徨い歩いている。
「おや? この店は?」
メル子は赤い看板のラーメン屋を発見した。
——札幌駅前。
しばらく待つと黒乃が会議を終えてビルから出てきた。
「うー、さぶさぶ。メル子お待たせ〜」
「お疲れ様です、ご主人様」
二人は並んで歩き出した。
「お仕事の方はいかがでしたか?」
「うん、良かったよ。新しい音声合成システムを開発してて、今後はここに発注する事になるかもなあ。メル子はどうだった? 札幌の町は」
メル子はぴょんぴょん飛び跳ねながら町の様子を語ってくれた。そうこうしているうちに目的のラーメン屋に到着した。
「ご主人様、ここです!」
「へ〜、なになに『札幌ロボれ』? もはや元の名前が何なのかわからんな……」
「ご主人様、ロボれって聞いた事はありませんか?」
「え? ああ! コンビニでロボれのカップ麺売ってるわ。食べた事ないけど」
「それです!」
二人は店の前にできている行列に並んだ。寒風の中の行列は骨身に応える。だがその分暖簾を潜り抜けて店の中に入った時の安堵感はひとしおだ。
注文を終え、しばらく待つと目の前に派手なビジュアルのラーメンが到着した。味噌スープの中にざっくばらんに黄色いちぢれ麺が顔を見せている。その上にネギ、メンマ、チャーシューが無造作に乗せられている。
「うわ、なんか見た目がすごいな。昨今の整った見た目のラーメンじゃない」
「割とごちゃっとしたビジュアルですね。それに湯気が立っていません。どういう事でしょうか」
黒乃はレンゲを使いスープを一口飲んだ。その瞬間猛烈な熱さが口の中を駆け巡った。
「あちちちち! これ湯気が立ってないからぬるいのかと思ったらそうじゃない。表面にラードの膜が張られているんだ」
「なるほど! これのせいでスープの熱が外に逃げずに熱々で食べられるのですね!」
二人はフーフーしながらスープを味わった。
「濃い! なんだこの濃厚さは!? 単に味噌味が濃いのではない。ニンニクと生姜がスープにコクを与えているんだ!」
メル子は麺をズズズと啜った。
「この麺も凄いです! 麺を持ち上げるとラードと共にスープが絡みつきます! 熱い! アチアチ! 黄色いはずの麺がスープで着色されて黒味を帯びています!」
夢中になって味噌ラーメンを啜った。寒い北国で食べる最初の料理。北海道の燃えるような熱気を全部体に閉じ込めて二人は店を出た。
「うぃー、食った食った」
「もう汗をかきました。美味しかったです!」
二人は蒸気機関車のように白い息を吐きながら札幌駅に戻った。
「じゃあまたエアポートに乗って小樽まで行くから」
「はい!」
札幌から小樽までは列車で三十分である。町中を抜けると左手に
「ふわー、綺麗ですねー。真っ白です」
「おーおー、ようやく北海道らしくなってきたな」
さらに進むと今度は右手に海が現れた。
「ご主人様! 海です! 大きいです!」
「おーおー、北海道っぽい」
「見てください! 凄く綺麗です! もうすぐ目の前が海岸! 手が届きそうです! 水平線が見えます! ご主人様! 見て!」
メル子は黒乃の白ティーをぐいぐいと引っ張って大騒ぎをした。黒乃は白ティーが伸びないように必死にメル子の手を押さえた。
——小樽。
北海道有数の港湾都市。石狩湾に臨む小樽港は日本海側の物流の拠点として活躍している。漁業も盛んに行われており海産物の養殖に力を入れている。
二人は小樽の町に降り立った。港町の為海からの潮風により札幌より更に冷える。
「寒っ!」
「寒いです!」
ガタガタと震えながら黒乃はビルの中へと消えて行った。またも会議である。それを見送ったメル子はすぐさま走り出した。
「先ほどお昼を食べたばかりですが、折角小樽に来たのですから食べたいものがあります!」
港町の小樽と言えば寿司が有名だが、メル子が今食べたいのはニシンそばだ。
「江戸時代から明治にかけて小樽はニシン漁により栄えたのです。北海道中から労働者が集まり活気に溢れていました」
手頃な立ち食い蕎麦屋を見つけると速やかにニシンそばをオーダーした。ほんの数分でニシンそばが目の前に登場した。
ニシンそばとは甘露煮にしたニシンの干物をそばに乗せた郷土料理である。京都にも同様のものがあるが、あちらは関西風の出汁に対して北海道は黒い出汁だ。
「うーん、素朴なビジュアルです。恐らく明治の頃から変わっていないのでしょう」
甘露煮を一口齧る。独特の香りと歯触りを感じた。出汁を啜った。濃口醤油の力強さが港の労働者達の活力になったのだろう。そこに甘露煮の甘さが溶け出し優しく喉を潤した。
「素朴です。ガツンとしたロボれのラーメンを食べた後だからこそ、この味が体に染み渡ります」
そばをずるずると啜るメイドロボを周りの客は呆然と見ていた。
小樽の町に街灯が灯り始めた。その灯りの中に黒乃はヨロヨロと現れた。
「ご主人様、お疲れ様です」
「ふー! 今日のお仕事は終わり! さあ、ペンションに行こうか!」
「はい!」
黒乃はロボタクシーを捕まえると小樽の郊外へ向けて走り出した。ぐんぐんと坂を登り山に入っていく。山の頂上付近までやってくると小さな集落が現れた。民家がいくつかとペンションがいくつか。そのうちの一つの建物の前でロボタクシーが停車した。すっかり日は落ち、ペンションは灯りで煌々と照らされている。
「ここだね。『ペンション バリル』」
「ほえ〜、お洒落な建物ですね」
ペンションとは西洋風の民宿の事をいう。一般的に家族経営が多く、部屋も数部屋にとどまる。西洋の料理を提供してくれる。
「メル子はここでメイドさんとして働くんだよ」
「はい! ワクワクします!」
黒乃は玄関を開けた。チリンチリンとベルが鳴り、すぐにオーナー夫婦が現れた。初老の夫婦で笑顔が柔らかく暖かみを感じる。
「あ、黒ノ木です」
「長旅お疲れ様でした。さあお上がりください」
玄関の先には小さなロビー。アンティークの置物がお洒落に飾り付けられている。その奥には食堂だ。夕食時には皆がここに集まり食事を楽しめる。
「あの、こっちはメイドロボのメル子です」
「まあ随分可愛らしいメイドさんね。昨日来た子とは雰囲気が違うのね」
オーナー夫人が笑いながら言った。
「昨日来た子?」
「あの! メイドロボのメル子です! 今日からここで働きます!」
「本当に助かるわ。この時期は満室で忙しくてねえ」
オーナーと夫人が手分けをして荷物を持ってくれた。二階の部屋へと案内をしてくれる。
しかしその時、凍てついたコキュートスから湧き上がる嘆きのような声がペンションに響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! 何ですかこの声は!?」
「ええ? なになにまさか」
ペンションの階段の上に立っていたのは金髪碧眼縦ロール、シャルルペローの童話に出てくるようなドレスを纏った少女と、金髪碧眼縦ロール、シャルルペローの童話に出てくるドレスのようなメイド服を纏ったセクシーなお姉さんであった。
「オーホホホホ! 遅いお着きですのねー!」
「オーホホホホ! きっと今の今まで馬車馬のように働いていたのですわー!」
いつものお嬢様たちである。
「ええ……まさかの旅行先被り?」
「「オーホホホホ!」」
北海道旅行に新たなる花が加わった。
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