第58話 家出したメイドさんです!

 夕方。黒乃は窓の桟に腰掛け、メル子の帰りを待っていた。夕食の買い出しに行っているのだ。通りには買い物袋を抱えた主婦、学校帰りのクソガキ達、フラフラと歩くサラリーマンが我が家を目指して帰巣中だ。


「メル子はまだかなまだかな〜。可愛いメイドさんはまだかな〜。ん?」


 窓に差し込む西日に目を細めながら黒乃が通りを眺めていると、メル子が青いメイド服の袖をブンブン振って走ってくるのが見えた。

 そのままボロアパートの部屋の扉をバタンと開けた。


「ご主人様大変です!」

「何が?」

「メイドロボが川辺に倒れています!」

「何だと!?」


 黒乃とメル子は大慌てで現場に向かった。ボロアパートに程近い隅田川沿いの道だ。橋から遠い場所にあり、人通りはほとんどない。


「ご主人様、アレです!」

「こら! メイドロボをアレとか言わないの!」


 黒乃は仰向けに倒れているメイドロボに駆け寄った。


「コレ!?」

「コレです!」


 マッチョメイドだった。

 身長二メートル超えの巨躯に、フリルがたくさん付いた黒いゴスロリスタイルのメイド服を着ている。しかしそのメイド服は巨大な筋肉によって内側から圧迫され、弾け飛びそうにパンパンに張っている。

 

「なんでマッチョメイドがこんな所に? おい! マッチョメイド! 大丈夫?」

「マッチョメイド、起きてください!」


 黒乃はマッチョメイドの頬をペシペシとはたいた。するとマッチョメイドは身じろぎをしてゆっくりと上体を起こした。


「おで よく寝た ここどこ?」

「寝てたんかい」

「おはよう、マッチョメイド」


 マッチョメイドは周りをキョロキョロと見渡した。立ち上がるとメイド服に付いた埃をぱんぱんと払う。

 まっすぐ立つとその大きさに圧倒されてしまう。


「メル子 メル子のご主人様 助けてくれて ありがとう」

「いえいえどう致しまして」

「黒乃だよ。どうしてこんな所で寝てたんだい?」


 マッチョメイドはうなだれると隅田川に面したフェンスを両手で掴んだ。背中に刺さる西日がマッチョメイドのゴスロリメイド服を赤く染め上げる。


「おで 家出してきた」

「え?」

「家出ですか? どうしてです!?」

「ご主人様とケンカでもしたのかな」


 マッチョメイドはうなずいた。下を向き震えている。巨大なはずの筋肉が弱々しく見える。


「おで ご主人様に お菓子作った でも うまく作れない ご主人様 怒った」

「あー、そういうことか」

「マッチョメイド、お菓子が上手に作れないのはしょうがないですよ。練習しましょう? ね?」


 マッチョメイドは涙を拭った。メル子が背中を優しく撫でる。


「マッチョメイドはどんなお菓子を作ったんだい。メル子ならアドバイスできるかもよ」

「聞かせてください」

「おで 和菓子 作った でも うまくできない」


 マッチョメイドはエプロンのポケットに手を入れ、中から包みを取り出した。その包みを解くとウサギの姿をした白い菓子が現れた。耳がぴょんと飛び出し赤い筋が引かれている。手足は丸っこく綺麗に折りたたまれている。


「うわっ! なんだこれ! 凄い細かい細工してあるじゃん!」

「可愛いです! これをマッチョメイドが作ったのですか!?」

「これ おで 作った メル子 黒乃 食べる」


 二人は包みから菓子を取ると口に運んだ。一口かじると中からトロリとした苺のペーストが口の中に広がった。


「うまい! 外側の真っ白な餅の内側に苺のペーストが仕込んであるんだな。最初に苺の酸味がきて、その後にあんこの甘さがくる!」

「苺のペーストを崩さずに餅で包むのは凄い技術ですよ! あんこには杏の果肉が混ぜ込んであって苺と杏のハーモニーがお見事です!」


 二人は更に包みから菓子を取り完食してしまった。


「マッチョメイドやるやんけ。こんなうまい菓子作れるようには見えなかったよ」

「でもどうしてこんなに美味しいのにご主人様に怒られてしまったのですか?」

 

 マッチョメイドは手に力を入れた。掴んでいたフェンスがグニャリと歪む。


「おでのご主人様 言った このお菓子 マッスル 足りない」

「ちょっと急に何言ってるかわかんなくなったな」

「お菓子にマッスルってなんです!?」


 マッチョメイドは首を横に振った。彼女にもマッスルが何かはわからないのだ。そのはちきれんばかりのマッスルを持つメイドロボにすら理解できないマッスルとは、一体なんなのであろうか。


「おで ご主人様に 夕食 作った」

「ほうほう、夕食ね」

「どんなメニューなのですか?」


 マッチョメイドは手のひらに指で何かを書いている。メニューを思い出そうとしているようだ。


「凍み豆腐揚磯部、寒鰤のお造り、銀鱈西京焼、海老東寺揚げ、有馬じゃこ御飯、合わせ味噌仕立て、林檎薄焼きの蜂蜜掛け」

「高級懐石のメニューやんけ!」

「どうしてそんなのを作れるのですか!?」

「おで AI料理学校和食科 主席で 卒業」

「エリートやんけ、ワレェ!」

「凄いです!」


 しかし再びマッチョメイドは泣き出してしまった。メル子が慌てて背中を撫でる。


「ご主人様 言った マッスル 足りない」

「またマッスルかい! どういう事?」

「単純にもっと肉を出せという事ではないのですか?」


 彼女が言うには肉料理でも同じ事を言われるらしい。


「メル子 料理作る時 何考える」

「え? 私ですか?」


 メル子の顔が赤くなった。目をキョロキョロさせて小さな声で言った。


「ご主人様が笑顔になってくれたらいいなって思って作っていますよ……」

「えー? メル子なんてー? もう一回言ってー? ねー?」

「もう!」


 メル子は腕を振り回して抗議した。


「おでも ご主人様の笑顔 考えてる」

「まあ確かにメル子の料理は食べると笑顔になるよ。マッチョメイドのご主人様はどんな顔だい?」

「ご主人様 いつも 怖い顔 マッスル フェイス」

「もうプロテインでもブチ込んでおけ!」


 マッチョメイドは悲しそうな顔で言った。


「おでも ご主人様の 笑顔 見たい でも見たことない」

「あらら」

「困ったねこりゃ」


 その時、ただならぬ気配を感じて黒乃とメル子は後ろを振り返った。

 そこに立っていたのは短パンタンクトップの巨漢のマッチョ男だった。全身からオーラのように湯気が立ち上っている。その筋肉は暴走機関車のような躍動感をもち、天を貫く山脈のように隆起している。


「あれ? この人、この前のロボット大運動会で見たマッチョメイドのご主人様じゃん」


「マッチョメイド 探した」

「ご主人様 どうして ここに」


 マッチョメイドとそのマスターは見つめ合った。


「ご主人様もマッスル語で喋るのかよ」

「凄い怖い顔です。やっぱり家出した事を怒っているのでしょうか?」


 マッチョメイドはマスターに背を向けた。今にも逃げ出しそうに怯えている。


「ご主人様 ご主人様 おで……」

「マッチョメイド ワレの筋肉 見る」


 そう言われてマッチョメイドは振り返った。そしてマスターの筋肉をじっと見る。するとマッチョメイドの怯えた顔が驚きへと変化した。


「おで 見える ご主人様の筋肉 笑ってる!」

「は? 何言ってんだマッチョメイド」

「ワレの筋肉 マッチョメイドに会って 笑っている」

「どしたどした(笑)」


 その時メル子は何かに気がついたようだ。


「わかりました、ご主人様!」

「何が!?」

「マスターの顔は全然笑っていないのに、筋肉は笑っているのです!」

「ほうほう」

「マッチョメイドはご主人様を笑顔にしようとはしていました。しかし筋肉を笑顔にしようとはしていなかったのです!」

「メル子のAIもマッスルにやられたのかな?」


 マッチョメイドとマスターは力強く抱き合った。ドゥン!という筋肉と筋肉がぶつかり合う音が響いた。


「おで わかった 料理にマッスル 入れる方法」

「マッチョメイド 家帰る 飯作る」

「家帰る! 飯作る!」

「家帰る! 飯作る!」


 二人は肩を組みながら夕日に向かって歩き出した。黒乃はそれを呆然と見送った。


「ご主人様良かったですね! 私感動しました」

「ええ? ああ、うん。そりゃよかった」


 黒乃とメル子も並んで歩き出した。もうじき日が沈みそうだ。


「ああ……メル子」

「はい」

「今の出来事は意味わからなかったけどさ。でもいつも美味しいご飯作ってもらって感謝してるよ。ありがとう」


 メル子はトテテテと黒乃の前に回ると黒乃の顔をじっと見つめて言った。


「いいのですよ。そんな事を言わなくても」


 メル子はくるりと後ろを向いた。メイド服の裾がフワリと舞い上がった。


「私はご主人様が笑顔になってくれれば、それで満足ですので」

「……そうか。でも今日はあっちのマスター見習って注文つけちゃおうかな」

「何です?」


 黒乃は夕日の中のメル子を目を細めて見た。


「今日は和食で頼む」

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