第55話 猫を継ぐもの

 黒乃はボロアパートの部屋の窓に顔を張り付けて外の様子を窺っていた。秋にしては強い日差しがギラギラと黒乃の顔に照りつける。


「ご主人様、またまた何をしているのですか?」


 メル子がそれを見て不審そうに尋ねる。

 窓に張り付いたまま手をパタパタさせてメル子を呼び寄せた。


「しー! 静かに!」

「なんです?」


 黒乃はボロアパートの駐車場をしきりに気にしているようだ。駐車場には車は数台しか停まっておらず、ほとんどがメル子の家庭菜園のプランター置き場になっている。

 そのプランターの陰に何やら動くものが見え隠れしている。


「あの野郎……メル子の畑を荒らしやがって。絶対に許さんぞ」

「畑を荒らす?」


 黒乃は窓から離れて勢いよく扉を開けて外に飛び出していった。メル子が呆気にとられて窓から眺めていると、黒乃が下の駐車場に現れた。

 黒乃はプランターの陰に隠れているものに向かってダイブした。


「とったどー!」

「ええ!?」


 黒乃の手に抱えられていたものは猫であった。


 黒乃は猫を抱えたまま部屋に戻ってきた。それはかなりの大きさで、キラキラとしたグレーの毛並みが美しい。品種的にはロシアンブルーだろうか?


「あれ? この猫ちゃんは……」

「そう、こいつはこの前うちに来たエロロボット猫!」

「ニャー」


 猫の首の後ろにはIDが表示されていた。新ロボット法では全てのロボットに対してID表示が義務付けられている。

 そして口にはキュウリを咥えている。


「こいつ、メル子のキュウリを盗み食いしてたんだよ!」

「あらら。ダメでちゅよ猫ちゃん」

「ニャー」


 メル子はロボット猫の艶やかな毛並みの頭を撫でた。ロボット猫は気持ちよさそうに目を細めると、前足を前に突き出した。すると前足がメル子の胸にプニっと埋まった。


「地獄の猫じゃらしカーニバルを開催してやろうか!!!」

「落ち着いてください」


 黒乃はロボット猫をテーブルの上に乗せた。結構な大きさの猫なのにくわえて毛がふさふさと長いため、テーブル全体がロボット猫に占拠されてしまったように感じた。

 ロボット猫は口に咥えたキュウリをテーブルに置いた。


「あれ? この子全然キュウリ食べていないですよ?」


 キュウリは歯型一つ付いておらず、ピカピカと光っている。


「巣に持って帰って食べるつもりだったんじゃないの」


 するとロボット猫はテーブルから降り窓へ駆け寄った。そして前足で窓をつんつんとつついた。


「窓の外に何かあるのですかね」

「なんだろ? あれは……」


 目をよく凝らしてみるとボロアパートの向かいの民家の屋根に猫が寝転んでいるのが見えた。

 

「ご主人様、わかりましたよ!」

「なにが?」

「このロボット猫ちゃんは向こうの猫ちゃんにキュウリをプレゼントしたいのですよ!」

「ニャー」


 ロボット猫は目をキラキラさせながら尻尾をフリフリしている。


「このエロ猫がー?」

「どうやら向こうのはメスの生猫ちゃんみたいですね」


 メル子は目の付近を両手の指で囲うようにして生猫を観察している。白の毛並みにグレーのアクセントが映えるスコティッシュフォールドのようだ。


「よく見えるね」

「望遠機能がありますから」


 ロボット猫は爪でガリガリと窓を引っ掻いている。


「しょうがないな。キュウリくらいくれてやるか」


 黒乃はロボット猫を両手で持ち上げた。


「ふんふん、お前はオスだな。よし! お前をチャーリーと名付ける! 五万年前に作られて最近月面で発見されたチャーリーだ!」

「どういう設定ですか……」

「ニャー」


 黒乃は窓を開けた。キュウリを差し出すとチャーリーはそれを器用に口に咥えた。

 チャーリーは窓から飛び降りると駐車場を横切り、向かいの民家の屋根に向かって歩き出した。


「いけー! チャーリー!」

「頑張ってチャーリー!」


 しかしチャーリーは民家の下まで行くとキュウリを咥えたままその場でくるくると回り出した。壁を登る気配が全く無い。


「何やってんだあいつ」

「チャーリーどうしました!?」

「チャーリー! チャーリー、一旦戻れ! こっちこい!」


 チャーリーはくるりと踵を返して凄い早さで二階の窓まで戻ってきた。


「こらチャーリーこら。お前何やってんだ」

「チャーリーどうしたのですか?」

「ニャー」


 チャーリーはこうべを垂れてしょんぼりしている。


「こら、チャーリーお前ビビってんのか?」

「ご主人様、言い過ぎですよ!」

「お前男だろ! キュウリの一つも食わせられないで何がロボット猫だよ。立派なのは毛並みだけか!?」

「ニャー」


 チャーリーはキュウリを咥え直した。頭を上げてメス生猫の方を見た。


「あのメス生猫をダンチェッカーと命名する。チャーリー! ダンチェッカーを落としてこい!」

「命名が雑!」


 チャーリーは窓から飛び降りると一直線にダンチェッカーの元へ向かった。壁を駆け上りダンチェッカーのすぐ前まで来た。ダンチェッカーはチャーリーをちらりと見やるとペロペロと毛繕いを始めた。


「チャーリーいけ!」

「そこです!」


 チャーリーはダンチェッカーのすぐ前にキュウリを置いた。


「よし! ダンチェッカー食え!」

「召し上がれ!」


 しかしダンチェッカーはキュウリに見向きもしないどころか、尻尾でキュウリをペシっとはたいた。

 それを見たチャーリーは慌てて部屋に戻ってこようとする。


「こらチャーリー! キュウリ! キュウリは持って帰れ!」

「え?」


 チャーリーは一旦引き返し、キュウリを咥えると再び黒乃の部屋の窓に戻ってきた。


「ニャー」

「ちくしょう! ダンチェッカーのやつメル子のキュウリになんて事しやがる!」


 黒乃はチャーリーからキュウリを奪い取るとバリボリとかじり始めた。


「ご主人様、せめて洗ってから食べてくださいよ」

「ダンチェッカーめ、いけすかない生意気な奴だぜ」


 チャーリーは窓の桟にうなだれて、前足で頭を抱えている。


「どうしたチャーリー。まさかお前諦めるのか?」

「ニャー」

「まだ一回失敗しただけだろ。諦めるのは早いって」

「ニャー」

「なに? ロボット猫と生猫の恋は無理だって? ふざけんじゃないよ!」

「ご主人様が猫と会話をしている……」


 黒乃はメル子の肩を掴んでグイッと引き寄せた。


「チャーリー! 私とメル子を見ろ! 人間とロボットだけどラブラブだからね!」

「ええ……」

「ベロチューもしたからね!」

「してませんが。猫ちゃん相手に話を盛って情けなくないのですか」


 黒乃は冷蔵庫をゴソゴソと漁ると何やら取り出した。それをチャーリーの前に置いた。艶々と輝く色鮮やかなサーモンである。燻製の香りが食欲をそそる。


「お前にとっておきのスモークサーモンをやろう。無添加無着色無香料の高級品だぞ」


 チャーリーは目の前に出されたスモークサーモンをバクバクと食べ始めた。


「チャーリー貴様ーッ! お前が食べてどうすんだよ!」


 チャーリーは手を上げて自分の頭を叩いた。


「てへっ、じゃないわ! いいか、このサーモンなら絶対にダンチェッカーを落とせる」

「ご主人様のお気に入りのサーモンですから、間違いないですよ!」

「ニャー」


 チャーリーはサーモンを咥えると堂々とした足取りでダンチェッカーの元へ向かった。

 そしてサーモンを彼女の足元に差し出した。


「さあダンチェッカー、意地を張らずに食え!」

「ダンチェッカー! それを逃したら二度と食べられませんよ!」


 ダンチェッカーは前足でつんつんとサーモンをつついた。鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。舌でペロリとサーモンを舐めた。

 そしてとうとうダンチェッカーはスモークサーモンにかじりついた。


「やったチャーリー!」

「よくやりましたチャーリー!」


 チャーリーとダンチェッカーは身を寄せ合い仲良く一つのサーモンを食べ始めた。


「うんうん。やっぱりロボットと生の間にも愛が芽生えるんだな。チャーリーはそれを証明してくれたんだよ。ありがとうチャーリー、おめでとうチャーリー」

「ご主人様……」


 黒乃とメル子は手を握り合い二匹の様子を眺めた。


 しかしその時、屋根の上にゴツい黒猫が姿を現した。


「あれ? あれはオスの生猫ですね」

「んん?」


 するとダンチェッカーはサーモンを咥えるとオスの生猫の方へ走り寄った。お互いペロペロと体を舐め合った後に二匹は仲良くどこかへ消えていった。

 一匹ポツンとその場に残されて呆然とするチャーリー。


「あのオス生猫はハント博士だ! ハント博士とダンチェッカーは最初からデキていたんだよ! チャーリーの入り込む余地なんてなかったんだ! チャ〜リ〜〜〜!!!」

「ハント博士って誰です!? ああ! チャーリーがこっちを見ています! 視線を合わせられない! チャ〜リ〜〜!!」


 秋の風がロボット猫の涙をさらって空に舞いあがり、そして儚く消えた。

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