第43話 藪の中の蛇

「フィルさん……!!」


 血だらけで壁に寄りかかるフィルを見たエイラは、考えるより先に走り出そうとしていた。


 多くの血だまりが広がる闘技場と、転がる腕と手。

 そして、追い詰められているフィルと、血濡れた剣を持つ自らの兄。


 これらの相関関係を理解するより先に、彼女は走り出そうとしていた。


「「――こっちに来るな!」」


 フィルと"ユリウス"はその行動を柄でもない大声で制した。

 エイラは驚き、一度は足を止める。


 しかし静止は一瞬で、すぐにフィルの元まで駆け寄ってきたのだ。


 ユリウスが危害を加えることを恐れていたが、ユリウスは頭を抑えて苦しんでいる様子。

 雀の涙ほどの理性が、エイラの登場で刺激されているのだろう。


「何があったんですか?お兄様に……斬られたんですよね。こんな……ひどいことを……」


 震える手で治癒魔法を唱え、身体を蝕んでいた痛みが引いていく。

 ついには欠損した右手も生えてきて、数秒後には元通りだ。


 ただ、感謝をしている余裕はなかった。

 今は何もしてこないユリウスが、数秒後にも同じとは限らない。


「そんなことはどうでもいい。ユリウスは今、禁忌の魔法を使って正気じゃないんだよ。エイラにも危害を加えるかもしれない、だからすぐに逃げろ」


「き、禁忌って……そんな。お、お兄様が……?」


 エイラは目を丸くしている。

 心の底から、本当に信じられていないらしい。


「ッけど!それならフィルさんも一緒に逃げましょう!さっきの様子、フィルさんでも敵わなかったんですよね!?もし次に致命傷を負ったらフィルさんが……!」


「背中向けて逃げられるほど甘くないんだよ。誰かが時間を稼がなきゃいけなくて、それに適してるのが俺で。さっきの傷だって少しミスっただけだ。それまでまあまあいけてたし――大丈夫、心配すんな。時間ぐらい稼げるだろ」


 口から出まかせの虚勢でしかなかったが、とにかくこの場からいなくなってほしかった。

 この蜘蛛の糸は、掴みたくなかった。

 もしもの時に――自分以外の誰かが死ぬ責任が持てなかった。


 エイラはしばらく目を合わせ、こちらを伺って、目を閉じて思考する。

 そして、


「……分かりました――二人でお兄様を止めましょう」


「……ッだから、それは俺だけで十分だって言って」


「それなら、二人で確実になるじゃないですか。私、九割より十割の方が好きなんです」


 確固たる意志を持って、エイラは立ち上がる。

 ユリウスは頭を抑えながらこちらを睨んできていて、言い合っている時間が無駄だと理解する。


 どうやら、覚悟を決めるしかないらしい。


「……気絶だ。気を失わさせれば禁忌は効力を失う」


「ええ、頑張りましょうね」


 フィルは懐から短剣を抜いて、ユリウスと対峙する。


 心なしか、心強い。

 どれだけ強大かを知っているからこそ、なんとかなりそうな気がしてくる。


「……あぁ、エイラ。なんでそっちに……僕が、こんなにエイラを助けようっていうのに……なんで。なんでなんでなんで!!!」


 意図不明に激高しながら、ユリウスは突っ込んできた。

 しかし、


「――ッ!」


 その道中に、ユリウスを遮るように多くの魔方陣が展開された。

 雷や火、土など様々な属性魔法が入り混じる一群。

 

「自然よ、お兄様に少しばかりの戒めを」


 エイラの詠唱を皮切りに、それらはユリウスにとめどなく物理現象を見舞う。


 ただ、情緒がおかしいことと戦闘能力が強化されるのは別の話で。

 ユリウスは必要最低限の動きで避けて、少しずつ距離を詰めてくる。


「……ん?」


 そろそろ接敵、といったところで、フィルを囲むようにいくつかの魔方陣が展開された。

 それらの魔方陣には見覚えがあって、決闘でユリウスを強化したものだ。

 移動速度や筋力上昇など、超級バフのほとんどは並んでいる。


「祝福よ、どうか彼をお守りください」


 魔方陣が光ると同時、身体が軽くなるのを感じる。

 あの大雑把な詠唱でこれだ、自分で唱えたときよりもバフの効果が体感できる。


「……お前ぇえ!妹に何を吹き込んだんだよ!?絶っ対、殺してやる!」


 血相を変え叫ぶユリウスに普段の面影はない。

 もはや、話が通じる段階にないのは明らかだ。

 

 振られる剣戟に短剣を合わせ、それらを軽くいなしていく。

 剣と違って身軽で慣れていて、エイラのバフもある。


 体全体を使って攻撃を避けては、所々で反撃を繰り出す余裕もできた。


 この余裕は援護が偶発的になったエイラも貢献している。

 先ほどと違って、ユリウスが後衛を狙って動いていないのだ。

 理性の大半を失っても尚、妹を傷つけることはできないらしい。


 しかし、この状態も長く続くという保証はない。

 禁忌の進行が進めば、妹も関係なしに手を下しかねない。

 ならば、そうなる前に止めてやるのが優しさというやつだ。


「……ッく」

 

 ――およそ三十秒、剣がぶつかり合う音が激しく鳴っていた。

 

 適度な魔法による援護。エイラから受けたバフ。慣れた短剣。

 それによって戦況は有利に進んでいる。


 しかし、殴る蹴るなどの物理攻撃を挟むほどの余裕はない。

 真剣を使っていることから、致命傷になることを恐れて剣を上手く使いこなせない。

 つまり、有利を活かせないまま戦闘を長引かしてしまっていた。


 すると、


「お前さえいなくなれば……お前さえいなければ!!」


 恨み節を吐きながら、ユリウスは力いっぱい剣を振るう。


 異常な身体能力から放たれるフルパワーの一撃。

 剣の速度はすさまじく、一瞬視界から外れた。


「――ッ!」


 次に見えたときには目の前で、後数コンマ見えなければ反応すらできなかった。

 フィルは身体を逸らしながら、短剣を間に挟む。


 軌道を外すことはできたが、万全でない状態で受けたからか大きく剣を弾かれる。


 それをユリウスが見逃すはずがなく、そこを追撃。

 ただ、不利な受け方をした瞬間、こうなることはフィルも感じていた。

 

 繰り出される攻撃をよく見て、回避一択。


「チッ!」


 思わず漏れる似合わない舌打ち。ただ、まだユリウスの有利は続いていた。

 もう一撃、もう一撃とさらに攻撃を繰り返す。


 フィルは険しい顔をしながら間一髪、短剣で防いでいく。

 すると、ユリウスにしては甘い攻撃が見えた。


 反射的にそれを弾き、距離を詰めて剣を振るう。

 状況を変えるための若干無理やりな攻撃だった。


 剣は間に合わないと判断したユリウスは、身体を動かして回避しようと足を動かそうとして、


「ッなに!?」



 ――ユリウスの足を、手の形をした土が掴んでいた。



 やっと訪れた好機に視野が狭ったタイミングでの一手。

 ユリウスは大きく状態を崩すことになる。


 当然、回避行動は阻害されてフィルの剣は直撃コース。


 そしてその剣は――ユリウスの首元へ向かってしまっていた。


「――ッぐ!!」


 それを認識しまえば、フィルは剣を止めるしかない。

 

 この好機を逃すのは勿体ないが、この首を落とすわけにはいけない。

 ユリウスも体勢を崩しているわけで、一度距離を取ろうと"身体に入っている力を緩める"。

 


 ――そう。まさか、不意に足を掴まれたこの状態から反撃してくるはずがないと、油断してしまった。




「――……は?」


 足を掴まれ、体勢が悪いあの状態で。

 人間ではありえない挙動で。


 気付けば、


 ――フィルに剣を振るっていたのだ。


「フィルさん!!」


 胴体に大きな切り傷が一本できた。

 剣は深く、臓器も多く傷つけられた。


 ユリウスは狂気に染まった笑顔で、いやらしく口角を上げている。


「――まったく、お前は甘いなあ。僕たちは殺し合いをしてるっていうのに」


 そう呟くと、ユリウスはさらにもう一振り。

 胴体に深い切り傷が、もう一つ。


「……がっ、は……」


 本能的に胸を抑え、出血を止めようと手を当てるもその程度で収まる傷ではない。

 チカチカとする視界でユリウスを必死に捉えようとして。


 ――見えたユリウスはもう目の前で、その右足をフィルに向かって放っていた。


「ッぁが!?」


 受け身も取れないまま転がり、闘技場の端で沈黙する。

 意識は朦朧として、もはや立ち上がることもできなかった。


「――フィルさん!!」


 エイラは叫びながら、ユリウスに向かってあらゆる魔方陣を展開していった。

 ただ、その全ては躱され、当たることはない。


 しかも――ユリウスが頭を抑え始めた。


「あぁ、エイラ……なんで分かってくれないんだ……?残念だ、本当に残念だ。あ――もしかして……お前も、あいつにおかしくされたのか……?嘘だろ、もう、手遅れだったいうのか?」


「正気に戻ってください!お兄様!」


「そうなのか……もう手遅れだったのか。可哀想なエイラ……いま僕が、楽に――」



 ――フィルが最後に見えたのは、ユリウスがエイラに向かって、走り出したところだった。



――――――――――



「――……フィルさん、フィルさん。大丈夫ですか……?」


 フィルは呼ばれる声で目覚める。

 そしてすぐに胸の痛み、というか体の痛みがないことに気付いた。

 傷が完全に塞がっている。


 状況が分からない。

 まとまらない思考で、声の方を向いて――目を見開いた。


 ――そこには、。指や耳などが欠損したエイラがこちらを向いて、治癒魔法をかけていたのだ。


「エ、エイラお前……!俺に治癒魔法かけてる場合じゃないだろ!?その傷……!早く止血しないと間に合わなくなるぞ!」


 フィル怒鳴る。

 しかし、痛々しい姿をしたエイラは不格好な笑みを見せるだけだった。


「おい!俺はいいから治癒魔法を――「すいません……フィルさん。こんな形に、なってしまって」」


「は?」


「私が、完治したところで……あのお兄様には、もう数秒だって持ちません……ほら、あそこで、私をこんな姿にして、自己嫌悪してますけど……」


 エイラの指差した方には、うずくまり叫んでいるユリウスが見えた。

 しかし、それも一時のことなのだろう。

 最愛の妹をここまでできるのだ、もう、彼に理性は残っていない。


「魔素も、ギリギリで……どっちにしろ、私が完治するほど……残ってないんです。だから、フィルさん。お兄様が動けない内に、逃げてください……動けるように、なりましたよね」


 エイラは虚ろな目で言葉を紡いでいく。

 その命の灯が消えかかっているのは明らかだった。


「おい……まて、エイラ。待て待て、待ってくれ」


「私は……フィルさんに、恩を返せたでしょうか……困らせて、ばっかりだった、ような気がしますね……」


「――バカ女神、彼女を癒し、回復しろ」


 精一杯の願いを込めた詠唱で、フィルは治癒魔法をかけた。


 しかし、魔素は残り少なく、階級は中級で出血を止めることしかできない。

 しかも、全ての傷を塞ぐことすらできない。


「あの……フィル、さん……最期に、伝えたい、ことが……」


「最期じゃない!諦めんな!!」



「――……私は、あなたの……、ずっと……――」



「おい……?エイラ……?エイラ!エイラッ!!」


 ――エイラは目を閉じ、身体から力が抜ける。


 同時にエイラの展開していた魔方陣が消えた。


 フィルは叫びながら、もう一度治癒魔法を展開する。

 魔素の残り一滴だって構わずに回復を続け、気を失う一本手前まで吐き切った。


「おい……エイラ。頼む、起きてくれ……」


 心の底からの懇願。

 しかし、エイラは目覚めない。


 現実は非情だ。

 それは、嫌というほど分かっていたことだった。

 けれどこれは――


「ああああ!!そうだ!俺は悪くない!アハハハ!あとで蘇生したら元通りになるだろ!?ああそうだ!だったら早くあいつを殺さないと……殺さないといけないな!!」




 遠くから、イカれた男の叫び声が聞こえた。


 意味の分からないことを一方的に押し付けて、俺を殺すとかほざいて。


 挙句にはレナード達を瀕死にして、エイラを――。



 ――ていうか、なんで俺は、律儀に神の言うことなんて聞いていたんだろう。


 別にいいだろ、あのアホ一人ぐらい殺したって、な。



「死ねえぇぇぇええええ!!」


 すぐ近くで、バカの叫び声が聞こえた

 いい歳の癖してはしゃいで、本当にイライラする。


「アハハハッ――……は?」


 向かってきた剣は生温い。

 少し弾くだけで殺すには十分な時間が生まれる。ていうか、ずっとあったんだけどね?


 ――ただ、まだ殺さない。


 剣を持っていた手を両断し、まずは武装解除からの無力化。


「な、なぜ……?」


 面白いぐらい状況を飲み込めてないバカに肉薄して、次は両足を斬り刻む。


 痛みに顔を歪めてはいるが、生意気にも足を振り上げ反撃をしてきた。


 ただ、そんなボロボロの足で繰り出される蹴りなんか脅威じゃない。

 逆に、思いっ切り短剣を突き刺して、右足の神経や筋肉をかき混ぜる。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 足を抑えて倒れたガキに馬乗りになって、まだ元気な左肩に短剣を差し込み――一気に切り裂く。

 左腕はその場に転がり、我ながらキレイに切り落とせたと思う。


 ガキは喉が潰れるんじゃないかってぐらい叫んでいるが、こんなのはまだ序の口だ。


 後ろで倒れるエイラを見てみろよな、四肢の内二つも切り落とされてる。

 まずは他人に与えた痛みを知るところから始めるべきだと思うわけ。


「ッどけ!!」


 次は耳か指か、なんて考えてたら手のない腕で押しのけられた。

 左腕、右手、片足はズタボロ。なのに、まだ俺への殺意は消えているようには見えない。


 どこでこんなに殺意を買ったのか。

 指でも切り落としながら聞くべきだろうか。


 どっちにしろ、ほぼ案山子状態のガキへ歩き始める。

 ガキは比較的軽傷の足を軸にしてまた蹴りを放ってくるが、顔を後ろに逸らすだけで避けれた。

 

 あぁ、見本でもみせてやるか。

 こうやってやるんだぞ、ってさ。


「ぁが……!ぁ……」

 

 ただ頭を蹴っただけなのに、ガキは白目むいてその場に倒れ伏す。

 おかしい、ただ加減なしで蹴っただけなのに。なんで気絶してんだこいつ。


「はあ……まあいいか」


 当初の予定通り、気絶させることには成功したわけだが。

 なんかもうそういうのじゃない気がする。


 ムカつくし、まだなんか腹の虫がおさまらないし。


 ていうか、俺が殺しちゃいけないの人でしょ?

 このガキ人間じゃねえって。ほら、たぶん魔物が成り代わってる。

 あ、絶対そうだわ。んじゃ、殺していいじゃんね。


 ――この短期間で随分と血を吸った短剣をお手玉のように遊ばせながら、倒れる魔物に近づいていく。

 

 完全に気絶はしているようで、止めを刺すのに苦労はしなそうだ。

 仰向けにして、馬乗りになって。


 ちょうど心臓のあたりに短剣を――



「フィル……さん。もう、十分です……大丈夫です、よ……」



 ――後ろから、声が聞こえた。


 ハッとして振り向けば、片手片足のないエイラがいた。

 歩けないエイラにとって遠いのに、ここまで這ってきたのだ。


「――……エイラ、生きてたのか……?」


「すいません……びっくり、させちゃったみたいで……ほら、魔素切れで」


「あぁ……魔素切れ……。魔素切れ。……なんだ、魔素切れか……」


 フィルは、ユリウスから離れてエイラの元でへたり込む。

 目の前に見えるエイラはちゃんと生きていて、夢や幻の類ではない。

 そうと分かれば、


「……はぁ」


 フィルはため息をこぼして、エイラを持ち上げる。

 生きてはいるが、未だに出血は止まっていない。欠損部位を生やすまでしなくても、止血は早急に必要だ。


「ちょ、ちょっと……フィルさん。お兄様は……?」


「そんなことよりその出血を止めることが先決だろ。あいつのことは後でいい」


「そんなわけ……」


 納得の言っていない様子のエイラを無視して、フィルは闘技場を出ようとする。

 すると、


「あぁ……」


 背後から苦しむような声が聞こえる。

 振り向けば、ユリウスが痛みに顔を歪めながらこちらを見ていた。


「……まだ、何かあるか?」


 エイラを下して、何があってもいいように短剣に手をかける。

 ただ、ユリウスの目からは病的な何かを感じない。憑き物が取れたように、消沈した目をしていた。


「……いや、もう、フィル君に何かするつもりはないよ。謝罪が通じるとは思えないし、思ってもないけど……私は君に謝罪と、最大の感謝をしたい。


 ――二度も妹を守ってくれて、本当にありがとうございました。そして、こんなことをしでかして、すいませんでした」


 そう言って、ユリウスは地面を頭に擦りつける。

 なんと形容すればいいか分からないが、もう警戒する必要はないと直感する。


「……どうせ許すとかないし、さっさとエイラを治癒してくれ。何も言ってないけど、普通に激痛だから」


「ああ、分かった。魔素が足りないから鎮痛と止血しかできないけれど……すまないな、エイラ」


 ユリウスはエイラに治癒魔法をかける。

 鎮痛効果が効いたのか、エイラの表情が少し和らいだ。


「……ところで。なんでこんなことをしてまで俺を殺そうとしたんだ。禁忌まで使って、あんな入念に」


 どこか話してくれそうな雰囲気を感じて、フィルは問いかける。

 だが、ユリウスは顔を顰めて、答えたくなさそうにしていた。

 敗者に選択肢なんかないだろ、と思ってみても、


「フィル君。こんなことをしておいて、心底身勝手かもしれないが……私はこの件について如何なる処罰を覚悟している。けれど、誰に対しても行動の理由を話すつもりがない。……いや、正確には話す気がなくなった」


「……なんでだよ、俺にぐらいいいだろ」


 これまたハッキリとした返答で、絶対に話す気がないと伝わってくる。

 本当に自分勝手で、なんなんだこいつは、以外の感想が湧いてこない。

 ただ、呆れているフィルを見て補足でもするように呟く。


「……藪蛇だ」


「はあ?藪蛇?藪蛇がなんなんだって?」


「私は……十二分に藪をつついたと自覚しているが、その藪に蛇はいなかった。そして、もしかするとその蛇は一生出てこないかもしれない。――しかし、"確信"こそが蛇のいる藪の可能性がどうしたって否定できない。だから、私は誰にも言えないし、言わないんだ。分かってくれるか?」


「……いいや、全然。その抽象的な物言いやめろよ。何も伝わってこないから」


「ハハハっ、あえてだよ。あえて」


 最後まで何を言っているか、全くもって理解できなかった。不快感が蓄積してきて、もう一発ぐらい殴っても許されるかと考え始めたとき。


 ――廊下の方から馬鹿でかい足音が数人分聞こえた。それはどんどんと近づいてきて、


「――フィルさん!!!」「「フィル!?大丈夫!!?」」


 その五分の三が絶叫と共に姿を現した。

 レナード、アーツ、そしてフィリッツとティルザ。加えてアグネリアの五人である。


 レナード達の傷は完全に治っているようで、ティルザに治してもらったのだろう。それから人を集め、ここまで全力疾走でもしたのか、肩を揺らして呼吸していた。


「よかった無事で……!!ほんとによかったです……!」


 五体満足のフィルを見て、レナードはとてつもない速度で抱きついてくる。

 暑苦しく厄介でしかないが、泣いているところを見てしまえば流石のフィルも突き飛ばす気にはならない。


 少し遅れてやってきたティルザは、手足を失っているエイラを見て治癒魔法を唱える。

 残っていた傷は塞がり、切り落とされた手足も生えて元通り。ふう、と息を吐き安堵を零したフィルだった。


「ユリウス君……いいかな?」


「はい、ご迷惑をおかけします」


 そして、アグネリアとフィリッツに肩を貸されてユリウスが連れていかれようとする。

 目的も理由も隠したまま、彼は連れていかれようとしているのだ。フィルは本当に、なんとも気に食わなかった。


「――ああ、最後に」


 しかし、途中でユリウスが立ち止まり、フィルの方へ向く。

 そして、


「フィル君。君に少しの幸福と、奇跡を願っているよ」


 どこかで聞いたことがあるようでないような、そんな祈りを残していたのだった。

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