第41話 最悪の転機だった
ユリウスとの話し合いに備えて胃が痛みだしてから――三週間。
ほぼ一か月が過ぎようとしていた。これはフィルがユリウスから逃げているのでなく、どちらかといえば逆。
あれからユリウスが大学に登校せず、出会えていないのだ。
エイラに聞いてみても「具合が悪いようで……明日にはきっと」以上の返答はない。隠している、というよりエイラ自身も把握しきれていないようだった。
大学内のユリウスに対する風評が悪くなるのを感じる中、迎えた放課後。
――フィルは一人、闘技場の方へと向かっていた。
何も自主練や、決闘の予定があるわけではない。なんなら、今日は闘技場が閉まっている日で目的地ではない。
ただ、呼ばれたのだ。
渦中の
『放課後。一人で、ある空き教室に来てくれ』と、手紙で。
それは闘技場の近くにある古くからある教室で、闘技場が開いていない今日の放課後で誰にも聞かれたくない話をするならぴったりの場所だった。
三週間も姿を現さなかったユリウスの突然の手紙に驚きはしたが、逃げてはいけない話し合いである。覚悟して、闘技場への道を進む。
「ふぅ……」
――そうしてやってきた、雨の音しかしない教室の前。
息を吐いて、フィルは教室の扉を開けた。
そこには、
しかし窓に寄りかかりながら何か本を読む姿は、気持ちの悪いほど絵になる。
「――やあ、待っていたよ。フィル君」
「こっちのセリフですよ、ユリウスさん」
苦笑しながら冗談交じりに言い返す。しかし、ユリウスから返答はない。
ただ、疲弊した表情を一瞬向けてくるだけだった。どう会話を進めたものか悩むフィルだったが、唐突に、ユリウスが話しを始める。
「……随分と、長い間考えていたんだよ。誰にも相談できない……というかしたくなかったからね」
「は、いや……何を――」
「何十回何百回と同じ思考を繰り返しながら少しずつ折り合いをつけて……"もしかしたら"の希望的観測に投げ出してしまいそうになって。……いや、そう信じれてしまえそうだったんだ。耳に入ってくる情報はすべて、まるで英雄だ。聞かされてきた印象とは程遠くて、"最悪"なんてこれっぽちも想像できなかった」
――いや、話し始めたのではない。
ユリウスは一方的に、持っていた本に目をやりながら口を動かしている。独白となんら変わらない。
口を挟む隙間なんてなく、内容も計り知れないがただ聞くことに徹するしか選択肢はなかった。
「恩人なんだ、君は。妹を助けてくれて。……あの頃のエイラはどこかふさぎ込んでいて、まだ幼かった私ではどうしようもなかった。何に悩んでいるのか、理解を示すことすらできていなかったと思う。けれど、君に助けられ、そして助けたときから……見違えるほど立派になった。今、魔術の天才と呼ばれている功労者は、フィル君かもしれない」
「――それだけじゃない。何がどうして、自らを犠牲にしてまで王女様を守ったらしいじゃないか。実際にその光景を見たわけじゃないから詳しいことは言えないが、あと数秒助けが遅かったら命まで危なかったんじゃないかと聞いている。まあ、その道程の恐喝も中々の迫力があったとも聞いているけどね」
「表に出ているものがこれだけあるということは、日の目を浴びていない話もあるんだろう。物事とはそういうものだろ。――……そうだよ。これだけ英雄まがいな話を聞いて、信じたいと思うのは普通じゃないか。私の常識を疑ってしまうのは当然じゃないか。 どれもこれも、何か一つ嚙み合わなければ君は今ここにいなかったかもしれない話だ。妹が君を助けられなかったら?フィリッツさんが間に合わなければ?……これは十二分にあり得た"もし"で、君の武勇を結果論だけで語ってはいけない所以だ。君は『絶対に安全』という前提がない状態で、命の危機に足を踏み入れている」
ずっと話続けていたユリウスは、ここで息を整える。
しかし、独白はまだ続くようで、さらに口を開き、
「人伝の話ばかりだが、それは関係ない。信頼できる人から聞いた信頼できる話だ。君が残した武勇は、崩れようがない絶対的な前提と言っていい。……時代や王が違えば、君は全王国民から賞賛を浴びていたかもしれない」
「それほどの英雄的武勇で……妹を助けてもらって……妹に慕われていて。あぁ――本当に、聞きたくなかった。気付きたくなかった……そうであってほしくなかった。……私が、抑止力となれればよかった。万が一で……絶対安全だと信じられればよかった」
「ユ、ユリウス……?」
――ユリウスは頭を抑えたまま、声を震わせ始めた。
ずっと"病的な何か"を感じていたが、これは度を越えている。
ブツブツと呟く言葉は誰かに向けてものではなく、内側に溜め込んでいたものがあふれ出ているだけだ。これは、異常だ。
「――けれど……私は抑止力には成りえなかった。そして――……君を信じられれなかった。私は……万が一。いや、億が一に"最悪"が起こったら、それを阻止できるかもしれなかった自分を許せない。その"最悪"で世界が滅んだら。国民が大勢死んだら。家族が……妹が死んだら?……そうなったら私は……私は――」
「――君を殺しておかなかったことを、死んでも後悔してしまう。……だから、すまない」
そんな言葉と共に、ユリウスは
魔方陣を構成する線が端々から滴り落ちていて禍々しい。
こんな魔方陣見たことが――あった。
エルフに焼き付けれらた時よりもずっと前、この世界に産まれる前。
今の今まで忘れかけていた神に、ただぬか喜びさせるためだけに授けられた祝福という名の嫌がらせ。
その時にもらった『自我を失うと共に、強大な力を得れるという魔法』
頭に焼き付いているその魔方陣と、全くもって酷似している。
つまりあの魔方陣は――
「――禁忌と知って尚、願う。我に、彼を殺す力をくれ」
「!? 待ッ!!」
詠唱を止めようと、フィルはユリウスに飛び掛かった。
しかし、時すでに遅く、魔方陣はどす黒く光り出す。
瞬間――
フィルは吹き飛ばされ、教室の壁、そして対面にあった闘技場のドアをぶち破る。
「ッガハ!……はぁはぁ」
痛みに耐えながら周りを見ればそこは闘技場のど真ん中で、その出口にユリウスが立っていた。
逃げ道を塞ぐように、確実な殺意を持って立っていた。
「君が恨むべきは、"原初の最悪"だ。前例が無ければ
全くもって理解のできないことを言いながら、懐にあった剣を抜く。
刃は木などではなく、本当に殺す気なのだと目で見て理解できる。
それを見たフィルも、
何かあったときに戦えなければまずいと持ってきておいたものが、まさか役に立つとは数十分前の自分に言っても信じないだろう。
「……ユリウス。何を考えてきて答えを出したのか知らないけど、後戻りするなら今なんじゃないか。……本当に戻れなくなるぞ」
「その口ぶり……まさかこの"禁忌の魔術"についても知っているのかい?――ならやっぱり、殺しておくべきだな」
話が通じる内に説得を試みるも、それは無に帰した。
ユリウスの決意は固く、理解できていない背景が多くある。そこから吐ける薄く少ない言葉では無理だ。
「ていうかあの魔法禁忌だったのかよ」なんてツッコミは、今はしないでおこう。
フィルは女神の言った『気を失ったら解呪される』を念頭に、剣を握る。
どうにかしてユリウスを気絶させなければ逃げられそうもない。
「死んでくれ、フィル君」
――その言葉を皮切りに、命の懸かった殺し合いが始まった。
あの"禁忌"と呼ばれていた魔方陣は、身を滅ぼす
どのような強化がされるか知らないが、決闘で戦ったときよりも上位のものだと思った方がいい。
フィルは警戒しながらユリウスの動きを注視して――
「――ぐッ!?」
一瞬見えた剣戟に剣を合わせるが、その力は決闘のときと比にならなかった。
剣を手放さないよう食いしばって、数メートル吹っ飛ぶ。
しかし、受け身を取って体制を維持。
いつものように、痛みに悶えている暇はない。
今の相手は、今まで対峙した誰よりも確固たる殺意を持っている。
そんな相手にそんな隙、殺してくれと言っているようなものだ。
「ッ!」
案の定、視界に映ったユリウスはすぐ目の前。
ギリギリ見える剣戟を繰り返して振るってくる。
木剣と違い、鉄のぶつかり合う音が響く。
ただ決闘の時と要領は同じで受け流しに徹し、とりあえずの延命。
決闘を体験しておいてよかったと思う日が来るとは思わなかった。
「……ッ!っ……ぁ!?」
ただ、魔法で得たのは力だけではないようだ。
反射神経や動体視力など、戦闘で用いる全てが強化されている。
ただの力押しでも辛かったのに。
それに加え、今まで反応してこなかった振りを防いできて非常に戦いずらい。
しかも、
「ここ!、って――ッまず!」
剣のスピードに目が慣れ始めた頃。
ちょっと見えた隙に反応して蹴りを入れた。
しかし、フィルの足より先にユリウスの蹴りがフィルに命中。
丈夫な身体が軋み、胃液が口から漏れる。
「……がはっ……やば、これ」
「……」
――舐めていたわけではないが、想像以上だった。
喰らって初めて気づいたが、あの隙はブラフだ。
IQというか、判断能力も強化されているのだろうか。
――ほんと、禁忌なだけある。これは人生一まずい。
「ッ!!」
痛みに悶えている時間を与えるわけもなく、ユリウスは追撃を仕掛けてくる。
先ほどの物理攻撃のダメージは大きかった。
自分でも分かるぐらい動きは鈍くなっていて、所々に切り傷を増やす。
致命傷は避けれているが、それは綱渡り。
いつかこの猛攻に耐え切れなくなり――
「……あっ」
やらかした。剣の振りを一手間違えた。
そのミスは決定的で――ユリウスの剣は簡単に、身体を大きく切り裂く。
「が……はっ、あ」
「……」
ユリウスは、腕をゆっくりと振り上げる。
確実に止めを刺そうとして、フィルに死を認識させ――
「爆風!!!」
唐突に現れた魔方陣から放たれた衝撃に吹き飛ばされる。
遠くで人体が壁と激突する音がした。
ただ、その事実を知覚する前にフィルは後ろへ倒れ込む。
――しかし、その背中を支えられる。顔を向ければ、
「フィルさん!大丈夫っすか!!?って、その傷……!」
慌てふためく、レナードがいた。
遠くからアーツの声もする。
恩人だ。安堵もした。しかし、フィルは
「……ばか、逃げろ。俺は……大丈夫だから」
逃げてほしかった。
あんなユリウス相手に、立ち向かわないでほしかった。
けれど、
「――何言ってんすか!そんな状態で大丈夫なわけないっすよ!!」
そう叫ぶ。
遠くで、のっそりと立ち上がるユリウスが見える。
レナードは逃げず、剣を抜いてユリウスと間に立ち塞がるのだ。
「おいあほ、お前がどうこうできる相手じゃ……」
「だからって放っておけるわけないじゃないですか」
「今のユリウスは正気じゃないだって……最悪殺されるかもしれないんだぞ……!」
「――いいっすかフィルさん。俺は
少し大きく見えた背中。
そんなレナードの近くと、倒れるフィルに数個の魔方陣が展開された。
「憧れに近づこうと頑張ってきたのに、ここで逃げるなんてごめんですね。それに――」
「――強化。治癒」
後ろから、相変わらず簡素な詠唱が聞こえてきた。
それによってレナードはバフを受け、フィルは痛みが引いていく。
「後ろにはアーツってあの魔法使いがついてるんですから、きっと大丈夫ですよ」
――その言葉を言い切ると同時、ユリウスとレナードはぶつかった。
ただ、初撃でレナードは飛ばされる。
なんとか剣を防げたらしいが、あれでは十秒だってもたない。
「フィルさん、もう少し治癒魔法を……あんまり得意じゃないけど」
フィルが起き上がったのを見て、アーツから不安そうな声が聞こえた。
すぐに治癒魔法が展開されるが、フィルは首を振る。
「大丈夫……自分でやる」
フィルは、自分の傷を見て“治癒“と“強化“の魔方陣を出す。
しかし、展開された魔方陣を見てアーツが驚きの顔。
「えっ、それ、
もう、なりふりなんて構ってられない。
どんなに不自然でも、周りを気にしてこの事態を無事に切り抜けなければ、きっと後悔してしまう。
「――治癒と力を」
大きく切り裂かれた身体が繋がっていき、流れ出た血が湧いてくる。
そして、身体が軽くなるのを感じた。
あの致命傷から戦線復帰できるのだから、甚だ魔法とは、偉大である。
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