第30話 尊厳の回復する音


「――はぁ、はぁ……」


 息も絶え絶え、授業の始まりを告げるチャイムが聞こえて数分が経ってから教室の前に着く。


 つまり遅刻は確定しているわけで、目の前にある扉を開けるのが躊躇われる。


 ――しかし、扉を開けたくないというわけではない。


 なんていったって、ここ数年頭を支配していた悩みの種が取り除かれたのだ。嬉々として、胸を張って入場できる心情である。


「……よし」


 覚悟を決めたフィルは、教室の扉に手をかける。

 そして、


「――すいません、遅れました」


 バッと勢いよく開け放ち、しかし遠慮気味に声を出す。

 教室を見渡せばフィル以外はきちんと着席していてちゃんと優等生なのが憎らしい。もう一人ぐらい遅刻者がいたら目立たなくて済んだのに。


 ただ、そんなことを耽っている暇はない。

 何かを話していたらしいフレアが、あんな大見得切って遅れてきたのが気に入らないのか目を細めて睨んできている。

 柔らかな表情とは裏腹にどこか不機嫌そうである。


「おいおい、遅刻してくるとは驚いたよ。せっかく君のために時間をとっておいたのにさ」


「あはは……ほんとすいません」


 けれど、登校中に起こったことを馬鹿正直に説明したって時間の無駄になることは目に見えている。信じてもらえないか、遅刻をした者の嘘と受け取られるか。

 どっちにしたって話すのはあり得ない。謝っておくのが吉だ。


「――まあ別にいいよ。ほら、今から帰ることになるかもしれないんだしね」


 フレアは変わらぬ口調で皮肉めいたことを言い放つ。


 全くもって事実ではあるが、言葉を選ばない物言いは心にぐさりと刺さる。

 もし、何も準備できないままこれを言われていたら誰もが驚く逆ギレをかましてしたかもしれない。



 けれど、それは既に"もし"の世界線に成り下がっている。



 今ならどんな罵詈雑言も海より広い心で受け止められる自信があり、なんなら、高揚が止まらない自尊心が勝手に口を開かせた。


「いやいや、きちんと"完璧"にしてきましたよ。授業、受けさせてますから」


 二つの人生を振り返ってみても、ここまで得意げになったことはないだろう。鼻という鼻は伸びきっていた。

 すると、相変わらず不愉快そうな目で睨まれる。薄ら怪しく笑っているような気がする。


「それは楽しみだなあ。……じゃあ、これから言う中級魔法を展開してみせてよ。ほら、私がって思ったら授業受けていいからね。ぜひ、才能とやらを見せてみてよ」


 ――さて、合格条件がめちゃくちゃである。

 何の定義もなされていない。完全にフレアの匙加減。もし、条件によっては合格できそうな準備であったら即抗議していた。


 しかし、臆することはない。

 こんな問いなんて胸を張って答えることができる。


「――構いませんよ、任せてください」


 


 フィルは今教壇の前に立たされている。

 目の前ではフレアが頬杖をついていて、ニコニコと愉快そうに笑っている。別に性格が悪いとまではいかないが、性根は確実に腐っている。

 

「そうだなぁ、じゃあまず……基本的な属性魔法からいこうか。水、火、氷、土。とりあえずこの四つを順番に展開してみて。ああ、魔素は流さなくてもいいよ」


 と、少し前なら無理難題だったことをあっさりと言い放つ。まったくどうして、先週まで素人だった人に出す問題の難易度なのか。それとも、これぐらいできなければ認められないのか。


 ――ただ、口から放たれた魔方陣は次々と頭の中に浮かんでくる。


「――……」


 目の前には言われた四つの魔方陣が並んでいる。

 そのどれもが淡く光っている。


 そして、先ほどまで愉しそうだったフレアから笑顔は消えていて、一転、真剣な相貌で睨んでいた。


「……なら、次は補助魔法。筋力増加、治癒、解毒、浮遊、結界」


 はてさて、後半の方は欠片も頭に入っていなかった魔法である。

 しかし、聞こえた言葉といつの間にか存在していた記憶は簡単に結びついて、いとも容易く展開することができた。並んでいる魔方陣を見れば、本当に自分が展開したのか疑わしいほど壮観だ。


 であれば、フレアの目はさらに鋭くなり、けれどすぐに口を開く。


「そう……次が最後。全部展開できたら合格ね。じゃあ、睡眠、催眠、催淫、催涙、幻覚」


「……えーと」


 なんと、どれもマイナーと呼ばれる魔術である。

 講義中にふと零した雑談の内容を試験問題に出すようなものであり、まったく優しくない。



 けれど――



「――はあぁぁぁあ……まじぃ……?おっけ……合格だよ。ほら、席に座って……おかしいなあ、人を見る目には自信があったんだけどなあ……」


 催促され、席に座るフィル。なにやらブツブツと聞こえたが、見返してやったという優越感が体中を駆け巡っていてそれどころではない。あまり健康的ではない脳内物質がどばどばと溢れていた。

 見ただろうかあの驚いた顔。予想だにしていなかったと、まん丸に開かれた目がそれを語っていた。


 自分でも把握していなかった魔法が使えて、しかも浮かび上がってくるまで一秒もかからない。名前を聞いただけで使えるのだから、お先真っ暗だった魔法道に光が見え始めたということ。ずっと霞かかっていた気持ちがこれ以上ないほど躍動していた。


 自然と綻んでしまう顔を手で押さえ、未だに機嫌が戻らないフレアの授業を聞く。けれど、聞こえてくる言葉は右から左へ流れて行ってしまい、どこか集中できない。この興奮はしばらく収まらないだろう。


 すると、


「ちょっと、フィルさん……!」


 小声で呼びかけられる。

 声のする方を向けば、先ほどのフレア同様、焦っているような顔をしたエイラが見えた。


「ど、どうした……?」


「どうしたじゃないですよ……!どうやったんですか、あれ……!」


「いや、どうやったっていっても……」


 正直に言ってしまおうか悩む。しかし、どう考えても信じてもらえる気がしない。

 登校中、エルフに絡まれて、よく分からない二択を迫られて、選んでみれば魔方陣を焼き付けられたなど。いくら懇切丁寧に説明したって困惑以上の感情を引き出せないだろう。


「……まあ、あんな激痛に耐え切った結果だな。正気保ててたの、自分でも関心しちゃうわ」


「はあ……?」


 何言ってんだコイツ、という顔をされた。

 まあどうせ、起こったことを話してもこの反応と変わらないことだし、特段気にすることではなかった。


「……あ。なら、"神域魔術"って知ってるか?」


 フィルは話を逸らすついでに、魔方陣を焼き付けてきたときに使われたとされる魔術について聞き出す。通常普及している魔術と一線を画していたあれは新たな興味の対象だ。

 しかし、エイラは眉を顰めて、


「神域……魔術、ですか?すいません、そのような魔法は知らないですね……失われたと言われている、古代魔術の類でしょうか?」


「知らないならいいんだ、ちょっと気になっただけだし」


「そ、そうですか……?ってそうじゃなくて!」


 振り回されてばかりのエイラである。きっと応援してくれていた彼女もこの試験を無理だと思っていたのだろう。たった一週間であれだけの魔術を覚えるなど、到底無理なことだったのだ。

 それが知らない内に中級魔術を軒並み会得していて、何が何だか状態なのである。


「はいそこー。うるさいよー」

 

「はっ、はい」


 話を逸らされたことに気付いてさらに問答を続けようとしたエイラはフレアの注意で止まる。解決しなかったことで心にモヤを残したようだが、真面目な彼女はその後授業を聞くことに徹するのだった。




 地獄の苦しみの果てに得た授業を受ける権利。それによって得たことは、そこそこ為になることであった。

 例えば、魔素が篭りやすい単語。魔法ごとに相性のいい言葉があるらしく、詠唱するときにそれを使えば同じ語数で倍以上の魔素が送れるらしい。意欲が乗らない魔法の歴史なんかは一切なく、本当に実践的なことを列挙していた。


「――さて、こんなもんかな。今日はここまで。また来週ー」


 そうして、他の授業に比べると随分と早く魔術の授業が終わった。時間的にではなく、体感的に。フレアは時間外労働をしない主義なのか、授業の終わりを告げるとあっという間に教室から立ち去ってしまった。

 

 フィルももう大学にいる必要もなく、さっさと帰ってしまってもよかった。荷物をまとめ、いざ帰ろうかと思うが、しかし、隣から物凄い圧を感じる。いや、きっと教室にいる人全員からそのような視線を向けられているのだろうが、隣の圧が凄すぎてそれらの存在感は皆無。


「フィルさん!ちゃんと説明してくださいよ!」


「いや、だから、なんというか……」


 本当のことを言う気がないので言葉に詰まる。けれど、目の前の彼女からは説明するまで逃がさないといったことが伝わり、授業中に良い言い訳でも考えておくんだったと後悔する。

 

「んん!!誤魔化さないでくださいよ!」


 目を逸らしてもなお感じる圧。どうしよう、とフィル。

 自分ではもうどうしようもなくなって、誰か助けてくれないかなと周りを見渡す。しかし、教室に残っている生徒はみなエイラと同じ心持ちなようで、フィルの方を盗み見てはいるが助けてくれる気はしなかった。


 すると、教室の扉が開き、


「――すまない、フィル君はいるかな」


 と、意外なことにユリウスが顔を見せる。

 普段ならこの来襲を厄介に思っただろうが、名前を呼ばれたフィルはそれがこの状況から抜け出す救いの糸に見えてしまって。


「はい、なんでしょうか!」


「おおっ……そんな勢いで寄ってこないでくれないかな……?」


「ああ、すいません」


 あまりの食いつきにたじろぐユリウス。しかし、すぐに平静を取り戻すとフィルの奇行を気にも留めずに話を続けた。


「まあ、いるならよかった。この後、時間はあるかな?少し話がしたいんだが……」


 この誘いもいつもなら同様、『急に話し誘ってくるとかなにー??』と顔を顰めるところだ。誘いを了承するにしても、どこでとか誰ととか、色々事前に聞いて心構えが必要だ。

 ただ、様々な時と場合があるように、今はこの教室から仕方なく出る理由を求めている真っ最中である。つまり――


「分かりました、さあ行きましょう!」


「ちょ、ちょっとフィル君。そんな急がなくても……!」


 教室中から後ろ髪を引かれる視線を感じる中、自ら強引に先導してしまうのもそれは仕方のないことである。

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