第29話 登校中の岐路

 応用魔術の授業当日。

 残された時間に対して、覚えられていない魔術は釣り合うことがない。たった一週間で中級を完璧にするなど到底無理な行為たっだのだ。


 登校するフィルの足は、一度歩みを止めれば再度動き出すことはないだろう。

 それほど大学に行きたくないという思考が脳内を支配している。


「はあ……」


 半ば放心状態で歩くフィルは、今日という日に限ってうらうらと輝く太陽を睨む。

 何がどうして、お先真っ暗な道をこうも憎たらしく照らすのだ。


「――ちょっといい?」


 しかし、そうやって歩くフィルの姿は普通ではなかったのだろう。道行く人の誰かが近づいてきた。

 低い身長に合わないぶかぶかなで顔を隠し、不審者と言うしかない相貌。 


 ただ、その魔法使いが被るような黒帽子を見た瞬間、"何か"が記憶の片隅を刺激した。古い記憶の引き出しを開けようと、脳みそが必死に回転している。


「なんでしょ……って!なになに!」


 その不審者は、突然フィルの顔を触って覗き込んできた。


 当然、フィルはすぐに手を払いのける。思いっきり距離を取り、眼前の不審者に臨戦態勢。腰に携える剣に手をかける。


 

 ――しかし、顔を覗かれてしまったために、その人のとは成し遂げられたのだ。



「見つけた――」


 

 黒帽子の不審者がそう呟けば、目の前に緑色の魔方陣が写し出される。


 そしてそれは、フィルが見た中で度を越えてとしていた。一度見たことがある上級の魔方陣など比にもならない。きっと、それ以上の魔術だ。


 その魔法の発動を今更止めることなどできない。

 ただの現実逃避にしかならないが、防衛本能が目を閉じさせる。

 これから起こる事柄を見届けられなかった。


「ぅ……」


 数秒して、周りから通行人の雑多音が消える。

 話し声、歩く音、そのどれもが聞こえない。もうすでに死んでしまったんじゃないかと思う。


「――おーい、大丈夫かいな?」

 

 身体に何も異変を感じない中、目の前から先ほどの人の声がする。

 ゆっくりと目を開ければ、やはり黒帽子の不審者が立っていた。そして、流れるように周りを見渡せば、


「……は?なんで……だれも、いないんだよ……?」


 茫然自失にそう呟く。

 周りの雑音が消えたのは、が消えたからだった。


「まあまあ、落ち着け落ち着け。ただ"人払い"をしただけじゃない」


「ひ、人払い……って。ていうか……あっ」


 ――そこで、ずっと引っかかっていたことを思い出す。


 黒帽子を被った不審者。顔を触って、覗き込んでくる不審者。

 そうだ。ずっと昔。まだフィリッツの部屋を漁っていたとき、頻繁に報告書に上がっていた人物ではないか。


 まだ捕まっていなかったのかと顔を顰めるが、しかし、あの報告書では顔を触ってくるだけで無害だったはずだ。

 現状を見れば全然無害ではない。周りの人を消し去り、強制的に一対一の状態にさせられた。


「ほら、一回深呼吸でもしてみたらどう?まだ出会えたばかり、先は長いよ?」


「……」


 黒帽子はこちらをなだめるように話し掛けてくる。

 第一印象が最悪なだけで、敵意はないように見える。


「……あなたは、どちら様なんでしょうか?」


 ということで一旦冷静に、情報収集に努める。

 対話ができるならそれに越したことはないだろう。


「そうだった、まだこっちが知ってるだけだったね。っと、私は"イレーネ"、よろしく」


「よ、よろしく……ん?」


 そういって黒帽子を取った彼女は、それは一般的な人間のものではない。赤色の髪をたなびかせ、とてつもない美貌である。

 前世の知識を振り返ると、一つ思い当たるものがあり、それは――


「……もしかして、"エルフ"とかでいらっしゃいますか?」


「おっ、知ってるんだ。もうそれを覚えてる人間はいないと思ってたけど」


「ほ、本当にエルフの方なんですか?ていうか、この世界にエルフいるんですか?!」


「おおう……落ち着いて落ち着いて」


 人間以外の種族と初めて出会い、その興奮を隠そうともしない。

 先ほどまで主導権を握っていたはずのエルフは、その勢いに押されている。


「君がそんな感じなのは予想外だな……もっとこう、戸惑うかと思ってたんだけど。やっぱ"見えちゃう"人は違うんだねえ」


「いやなんて……?見えちゃう?」


 イレーネは顎に手を置き、ふむふむという様子。何がなんだか分からないが、彼女は何かを理解しているようだった。

 聞きたいことは山ほどあるが、どれから聞けばよいのかもはや分からない。余りある手札からどれを選べばいいのだろう。


「――うん、分かる。君が色々話したいことがあるのは分かるよ。けど全部説明すると一日終わっちゃうから君の質問は一旦置いておいて。私のこととか気になるだろうけど、私が君を探していた経緯と、用事を済ますことにするね」


「ま、まあ……ぶっちゃけ何から聞けばいいか分からないし、いいんだけど……」


「飲み込みが早くて助かるなあ、それじゃあそんなお言葉に甘えて本題へ」


 話の主導権を再度明け渡し、どれほど滅茶苦茶なことを言うのだろうと眉を顰める。


 しかし、異世界に転生されて十数年。そろそろ慣れてきた頃合いだ。

 たとえ周りの人を消し去った彼女とはいえ、どんなことを言おうと驚くことは――


「まず、私は"運命の分岐点"を見ることができてね――」「ごめんごめん、無理無理。なに運命の分岐点って。さも当然のように言わんで?」


 前言撤回、この世にはまだ知らない世界があるらしい。

 予想していたスピリチュアルのレベルを優に超えている。


「いやー、確かにちょっと大袈裟だったかな? 柔らかく言えば『この世界の生末が良くなる行動』を知ることができるってこと。今までやったやつだと……崖から落ちそな人を助けて、その人が名医になったりしたね」


 アハハと軽く笑って、イレーネはそんな訂正にもならないことを言った。

 別に柔らかくなどなっていないし、どちらかといえばより超常的になった。


「で、それを見た結果、私がここで君に会ってたってわけよ。まあ、いつかまでは分からないからあてもなく探してたんだけどね。便利なんだか不便なんだか、まったく苦労しちゃうね」


「……それ、もしかしなくても十何年前からずっと?」


「うん、ちょっと時間掛かっちゃったね」


「ちょっとて……長寿特有のあれですか、時間の感覚違うやつですか」


 幼い頃に見た報告書。ずっと捕まらなかった不審者は十数年、自分を探していたのだと知ってなんとも微妙な感覚。

 しかもエルフ特有ともいえる体感時間のズレを味わい、感嘆の声が漏れた。


「――さてはて、ここからが本題なんだけど、ここで私は君に選択肢を与える。君はその選択肢から、"欲する方"を選んでよ」


 どこか真面目な雰囲気へと様変わりして、イレーネは握った両手を差し出す。一瞬にして張り詰めた場の空気に飲まれ思わず固唾を飲んだ。


 そして、選択と聞いて思い出すのは"運命の分岐点"という先ほどの言葉。

 嫌な予感が頭を駆け巡った。

 

「選択って……それ、もしかしなくても何かの運命を左右するやつじゃ……」


 自らの選択に謎のプレッシャーを感じ始める。命運を分けかねない何かを選ぶなどしたくもない。

 しかし、


「ああ、それは心配しなくても大丈夫。君がどちらを選んでも結果的に良い方向へ進む。特に気負いせず、欲望のままに選んでくれていいよ」


「はぁ……それなら、まあ……なのか?」


 イレーネはなんともないようにケロッとそんなことを言い放つ。知らないところで運命が決まったといってなんとも不思議な感覚。こんなことで世界の生末を決めていいものなのか。


 そして、イレーネは握っていた両手とその口を開いた。



「選択肢は『最悪の時間について』か『魔術の素質』、この二つ。――さあ、選んで?」



 開示された選択肢はひどく単純な単語の羅列。一つはそのままとして、もう片方はなかなか要領を得ない。このままでは意図が分からないだろう。


 ただ、それでも。

 耳に入ってきた"魔術"に関することは、どんなことだとしても喉から手が出るぐらい欲しいものだった。

 単語を理解してしまった脳は、選択肢ということも忘れるぐらい沸騰する。


「――魔術の素質で」


 迷うことなく即答。


 このエルフと出会うのがほんの二週間前後していれば、まだ一考の余地があっただろう。しかし、今日は。よりによって今日だけはタイミングが悪かった。

 魔法のことで頭が一杯で、理想と現実の乖離に苦しめられていた一週間。悩むなという方が難しいかもしれない。


「うん。それじゃあいくよ」


 その返答の速さに驚く様子はなく、イレーネは微笑みながらその小さな手を差し出す。向けられた手の平にどこか既視感を覚えながら、はたして、何をされるかは不明で危険である可能性は捨てきれない。


 ――しかし、そんなことではこの手を払いのけるに至らない。フィルの中で膨れ続けた憧れとは、この程度のリスクを許容させるに十分だった。


「……うおわ」


 突如、フィルの頭の周りを無数の魔方陣が囲む。それらは見たこともない文字で、学んだ魔術文字とは違う模様で埋まっていた。

 しかも先ほど見た魔方陣よりも混沌としていて、たとえ見ながらでも写し出すことは不可能だと思えるものだ。


 しかし、これにもどこか既視感がある。遠い昔、憎たらしい記憶と共に見たことが――


「――いだだだだだだあ"あ"あ"あ"あ"!!!!!」


 その中の一つ、ある魔方陣が光ると同時、脳に高熱の何かが押し当てられるような激痛を感じる。

 まるで焼印を押されているような、というか焼き付けられている。

 

「ああ、ごめんごめん。私この神域魔術苦手で……本来ならもっと心地いいらしいんだけど、私がやると……ちょっと痛いらしいよね」


「ちょっとどころじゃな"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!」


 魔方陣が光り終わり瞬きの平穏が訪れたが、それは二つ目の魔方陣が輝くことで終焉が告げる。

 

 また同じような激痛が襲い絶叫。

 視界にはチカチカと光が走り、意識が飛びそうだ。


「待"っ"て"!!!お"願"い"!!ほ"ん"と"少"し"で"い"い"か"ら"!!」


「ん?だめだよ。だって、まだこんなにあるんだから。どんどんやっていかないと」


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 二人以外誰も見えない通り。

 しばらくの間、静かだったはずのその通りをフィルの悲痛な叫びが響くのだった。





 どれくらいの時間が経ったのだろう。ほんの数分だったのかもしれないが、地獄のような激痛に蝕まれていたからか時間感覚は消え失せていた。

 途中から意識がぼんやりとしていて、ただ痛みに反応して叫ぶ人形と化してした気がする。


 しばらく激痛を感じなくなり数秒。ついに痛覚か死んでしまったのかと思う。


「――おーい。大丈夫かいな」


 すると、イレーネの声が聞こえた。

 ピントの合わない視界を瞬きをすることで落ち着かせ、眼前にいるイレーネと目を合わせる。


「おっ、やっと意識戻ってきた。お疲れさま、もう終わったよ」


「お、終わった……?やっと……終わった……?」


 精神が完全に疲弊しているが、崩壊しなかったのはその精神力の高さ故だろう。ただ、どうしてこんなことになったのか、当初の目的は忘れている。


「それで、今俺は何をされたんだよ……」


 魔術の素質、という甘い言葉に惑わされ、内容すら聞かずに即決してしまったことを今更後悔する。

 これでこの地獄に見合わないものならば、目の前の彼女を"つい"で殺してしまうかもしれない。


「そうだね、説明してあげよう。なんと"極級"までの魔方陣を頭に焼き付けてあげたんだ。今ならどんな魔方陣も瞬時に写し出せるはずだよ」


「――……え?」


 言われた言葉を嚙み砕き、咀嚼する。

 次第と身体が震え、そして、


「ッ!」


 すぐに中級の属性魔法を一つ思い浮かべてみる。

 未だ覚えきれていなかったそれは、まるでただの真円を頭に描くかのようにスラスラと浮かべることができた。


 今まではひとつ写し出すだけで数十秒掛かっていたが、もう瞬きの間で可能である。


「おぉ……!!」


 そして続け様に上級の治癒魔法を浮かべようとしてみる。

 まだ欠片も頭に入っていないにも関わらず、その魔方陣は自然と浮かんできて、


「ま、まじか……!まじかまじか!!」


 嘘みたいな本当の話。

 目の前には暗記することを諦めていた上級魔法が展開されていた。念願叶ったそれを見て、どこか胸が熱くなる。


 しかし、ひとつ引っかかることも出てくる。

 フィルが知識として知っているのは初級から上級までの魔術だ。彼女が言った極級とはもはや見たことがない魔方陣であり、はたしてどうやって思い浮かべるのだろう。


「えーと……ん?」


 そういって極級のことを考えた瞬間――頭の中に見たことがない魔方陣が並ぶ。

 しかも、初見のはずのそれらが極級のどの魔方陣か、何故かどうして理解できていた。


「……おうまいがあ」


 魔術というものに心底感動する。

 記憶領域にここまで影響を与えることができるのは凄まじいと言わざるを得ない。


「どう?満足した?」


「……本当にありがとうございます」


 イレーネの言葉に、フィルは自然と土下座の体制へとなる。感謝の念に堪えない。

 確かに魔術を焼き付けられていたときは地獄だったが、その恩恵としてはあまりにも大きかった。


「ちょっとちょっと!そんなことしなくてもいいって!」


「いえ、これでも感謝の気持ちとしては足りません……」


 完全に屈服した。彼女に逆らうことはこの人生ではできそうにない。

 しばらく土下座の体制から動かないフィルに、イレーネは困り始めた。恩人を困らすことは本意ではなく、そこでフィルは立ち上がる。


「……けどまあ、君が即決したのは意外だったなあ。気にならなかったの?もう片方の選択肢」


「それ言われると、少し気になるっちゃなるけど……ちなみに、どんな内容だったのか教えてもらうとか……?」


「うーん……そうだなあ……」


 駄目元で聞いてみると、意外と考慮の余地があるらしい。

 イレーネは唸りを上げて、随分と悩む素振りを見せる。そして、


「じゃあ、どんなものだったかぐらいは教えてあげる。特別だよ?」


「なにからなにまでほんと……」


「ちょっと、またそんな体制にならなくてもいいって!汚いよ?」


 土下座をしようとしたフィルを止めて、イレーネはふうと息を吐く。

 そしてなぜか不満そうにしているフィルに呆れたような視線を向け、口を開くのだった。


「まあ、どんなものかを言ったってどうしようもないものだからさ。そうなんだぁぐらいの感覚で聞いてね」


 イレーネの向けていた冷ややかな目に、どこか憐みの感情が含められる。

 その感情の変化には、どのようなものがあったのか。フィルに分かることはない。

 

「選ばなかった選択肢の方を選ぶと、文字通り『最悪の時間』について教えてあげれるんだよ。……近い未来、君に降りかかる最悪のことについて、それを払いのけられるようにね」


「……そ、そうなんだぁ」


 言われた通りの感想しか出てこない。これではまるで、"将来最悪なことが起きる"と宣告されたようなものだ。

 それがどのような事態かは知る由もないが、魔術の素質と天秤にかけられるほどのことなのだろうか。


「……きっと君は、『最悪の時間』を目の当たりにしたときにこの選択を後悔するかもしれない。けれど、そうだな……今の君を恨まないであげてね」


「まあ……はい」


 なぜか助言じみたこと言われ、意味を理解する前に中身ゼロの適当な返事が口から漏れる。

 しかし、フィルはけど、と続けて、


「――最悪っていうものがどんなものから知らないけど、それが払いのけられるものなら、聞かずとも払いのけてみせますよ。任せてください。腕っぷしには自信があるんで」


 そうやって自信満々に言ってのける。魔術を会得した今、フィルに怖いものはなかった。

 有り体にいえば調子に乗っている。気分が高揚していて、冷静な言葉ではないかもしれない。


 けれど、そんな意気揚々としたフィルを見てイレーネは優しく微笑むのだ。


「なら、そうなるといいね――」


 イレーネがそう呟いたと知覚した瞬間。



 ――次のまばたきと同時に、イレーネは跡形もなく消え去っていた。



 遅れて、周囲から雑多音が聞こえてくる。周りを見渡せば、さっきまでは誰もいなかったはずの通りを人が歩き、談笑していた。


 イレーネと話していたのはたった数秒前のことなのに、周囲の人の普段通りの風景はそれを否定するようで、まるで、何事もなかったかと錯覚してしまう。

 しかし、頭の中で自在に引き出せる魔方陣は健在で、先ほどまでの出来事が白昼夢ではないことを証明していた。


 突然のことにしばらく放心状態になったが、ギリギリ回転を始めた脳みそが現在の状況を理解する。


「――ていうか授業……これ、遅刻か……?」


 呟いて、フィルは全力疾走を始めるのだった。

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