第28話 格付けるは圧倒的な才能の差

 集中していると時間が過ぎるのが早いもので、あっという間に三日が経った。

 今日は応用剣術の日である。つまり明日が応用魔術の授業がある日でありタイムリミットだ。


 朝起きたフィルはとりあえず貰った本を見て魔術文字を音読する。

 まだ覚えてない魔法の量と現在のペースから、もう間に合うことはないと薄々分かっている。しかし、完全に無駄と分かっていてもフィルは暗唱を止めることはなかった。

 色々と言われ、どこか意地になっているのだろう。


 朝食を食べ、着替えが終わると、ふと大学に行きたくないという気持ちが湧いてくる。

 ロゼと打ち合うということ、明日にある魔術のこと。登校する準備は万端なはずが、様々な理由がよぎりドアを開ける手が固まった。


 そして、数十秒もそうしていれば両親が不審に思うのも当然で、


「どうしたの?なにか忘れ物でもした?」


「……いや、ちょっと……」


 今日は大学を休みたい、その一言を言おうかと逡巡。

 顔を顰めた、どこか申し訳ないと感じる。だが、行きたくないのも本心だ。


「……もしかして、大学でなにか嫌なことでもあったの……?」


「――まさかそんなことあるわけ!行ってきます!」


 フィルは嬉々としてドアを開け、ルンルンとした様子で歩き始める。

 心の底から案じていると分かるティルザを見て、第一声がこれである。母親を心配させまいと不器用ながら頑張っているようだ。



 そして、真面目であるフィルはその道中も意味の感じられない文を発音していた。

 やれ「ブマラオタブホサラノカア」とか、「アカツブタチララノヲブコ」とか。ちなみに今のは炎と土の属性魔法、一層目一文目である。

 当然、不審な人物であり、以前とはベクトルの違う注目を浴びたのは言うまでもない。


 しかし、外聞を気にしない甲斐あってか三十分ではあるが時間を有意義に使えただろう。

 疲労からため息を吐いて、闘技場の前に立ったフィルは本を鞄に戻し扉を開けた。


 闘技場には生徒がぼちぼちと見えて、中には授業前にも関わらず既に打ち合いを始めている人もいるようだ。そのキラキラとした熱意は少し眩しい。


「あっ!アデルベルトさーん!おはようございます!」


「おはよう、相変わらず元気だな……」


「そんなことないですよ!フィルさんも元気そうじゃないっすか!」


 ニコニコとしているレナードが熱い。物理的にも感情的にも。

 ただ、気のせいか慣れ始めている自分もいる。適応する生き物人間、その実感が湧いた。とすれば、レナードとは種類の違う厚かましさを持つ彼女を思い出す。

 開口一番、声を掛けてくるのが彼女でないのは少々違和感がある。


「――フィル、おはよう」


「おわっ!!」


 背後から声を掛けられ、情けない姿を見せる。

 後ろを向けばやはり彼女が立っていて、


「ロ、ロゼか……できれば次から背後から声を掛けんでくれんか?ほんと心臓に悪いから」


「それは気付かないフィルが悪い、ちゃんと気付いて」


「……一理あるのが困る」


 ちょうどいい反論が見つからず言葉に詰まる。気付けない自分に非がないとはいえない。

 フィルは顎に手を当て唸りを上げた。彼女の凛とした姿勢を言葉で説き伏せるのは難しい気がする。


「ほら、フィル。もうすぐ授業始まるし、早く打ち合お」

 

 言うが早いか手を引き、ロゼはいつの間にか二人分の木剣を背負っている。果たしてこのやる気はどこから来るのだろう。


 しかし、彼女と剣を交える時間は一秒でも短い方がいい。

 授業が始まる前から打ち合うなんて御免被りたかった。


「まあ待て、落ち着け。俺はまだやることがあってだな……」


「なに?」


「……まあ待てって」


 否定から入った癖に何一つ具体的なことが出てくることはない。手を振り払ったロゼは不服そうにしていたが、フィルの物言いを聞いて分かりやすく不満をあらわにした。


「だから、何?やることって」


「……いや、まあ、非常に言いにくいんだけどさ……そうだな」


 言葉を濁しながらもっともらしい理由を考える。

 後付けで誰もが納得でき、この押しの強いロゼを渋々だろうと退かせ、授業開始までの時間を稼げる言の葉。



 ――そんな金言あるわけがない。



 八方塞り、退路が絶たれた。終わった、思考が停止した。

 フィルの稚拙な頭じゃこんなもん、いや孔明ほどの頭脳をもってしてもこの戦況は覆せないだろう。


「……ないんでしょ?ほら、やろ?」


「いやぁ……」


 また手を引っ張られ、開いているスペースへと運ばれた。

 対応に失敗したということであり、これから長時間に渡る地獄の死闘を覚悟し始める。また、足腰が限界を迎えるまで鍛えられるのだ。


 そんな二人に近づく影が一つ。


「――フィル君、とシズレリア君。少しいいかな?」


 呼ばれてほぼ同時に振り返れば、そこにはユリウスが立っていた。どこか気まずそうで、以前話したときよりも元気がない様子。覇気が感じられない。


「……なんですか?」


 とすれば、フィルより先にロゼが答えた。目を細めていて、いきなり話し掛けてきた男を警戒しているようだ。

 ロゼの視線には少しの敵意もまぶされていているが、ユリウスは決して物怖じない。

 確かに覇気はないが、何かしらの覚悟があった。


「いきなりで申し訳ないのだが――フィル君、手合わせをお願いできないか?」


「……へ?手合わせ、ですか?俺と?」


 素っ頓狂な声を上げ、自らを指差した。疑問符は止まらない。

 

「突然なのは承知している。しかし、どうしてもお願いしたい。頼む、この通りだ」


「そう言われても……」


 ぶっちゃけ困る。突然なのもそうだが理由も不透明だ。……が。

 これを断ればロゼと地獄の打ち合いが始まってしまうのだ。であれば、返答はもう決まっているだろう。


「……いや、分かりました。やりましょう。一回と言わず何回でも大丈夫です!」


「そうか、それはよかった。……すまないな、シズレリア君。少し借りるよ」


 ロゼは不服そうだが何かを言うことはない。彼女にしては珍しく、フィルに剣を渡してあっさりと後ろへと引き下がるのだ。


 それを見たユリウスはやはり申し訳なさそうにしながら、持っていた木剣を構えた。


「……それじゃあ、いくぞ」


 ユリウスが全身に力を入れ、声を掛けてくる。

 フィルは遅れて木剣を構え、準備ができていること伝えた。



 ――そうして、


「っ!」


 準備はできていたが、半ば奇襲のように突然飛び込まれた。

 向かってくる木剣を受け止め、攻撃的な目を向ける。


「……」


 返されるのは深く無感情な目。

 この初撃をなんとも思っていないらしい。どころか、どことなく悔しそうではある。


 それから振るわれる多種多様な攻撃。

 長い間培われたであろう剣術が、打ち合いを通して手に取るように分かる。



 ――ただ、どうだろう。



 ユリウスは明らかに全力だ。

 それは剣筋からこれでもかと伝わってくる。


 しかし、ひどく残酷なことだが、今までの相手より幾分か見劣りするというのが抱いてしまった率直な感想。

 未だ不慣れな木剣で十分に太刀打ちできる力量。


 段々と余裕が無くなっていくユリウスとは対照的に、フィルは汗一つかいていない。


 この二人の格差とは、既にこの時点で決しているのだ――。


「クソッ……!!」


 様々な技術を見せたが、どれも通らない。そのもどかしさから苛立ちを声にする。


 しかも、フィルから繰り出される攻撃は少なく、それはまるで品定めしているかのような態度。

 まったく思い通りに進まない戦闘は、頭のどこかでどうにもならない差を感じさせた。


「これは、これでは……っ!」


 フィルに戦闘のペースを完全に握られ、動きに焦りが見える。

 加えて、苦虫を嚙み潰したような表情。


 ただの打ち合いであるのに、ここまで本気になる理由は分からない。

 かつて神童と呼ばれていたことから、プライドによる行動かとも思えたが、

 けれど、一度話をしたユリウスはそんなことを気にする人ではない気もしていた。


「……ならっ!」


 すると、ユリウスは一度距離を取る。

 どうしたのだろうと様子を見ることに徹したフィルだが、それは裏目に出たようで。


 ――ユリウスは片手を前に出し黄色の"魔方陣"を展開したのだ。


「はあ?!まじで言ってる?!」


 剣術以外のまさかの行動にフィルは声を上げた。


 魔方陣を見ただけでどんな魔術か分かるほど魔法を理解しているわけがない。

 今から距離を詰めるのは恐怖が勝り、ユリウスの動きに注視することしかできない。


「……魔術の信徒たる我に、その恩恵を与えてくれ」


 そして詠唱。

 魔方陣は淡く光り、それはユリウスを包み込む。


 しかし、その魔方陣がしたことはそれだけ。

 おそらく属性魔法ではなく、補助魔法だったのだ。


「これなら……!」


 恥も外聞も捨て補助魔法らしいものを使用し、ユリウスは先ほどよりも動きのキレが良くなる。

 筋力強化系だとやっと理解したが、ただの打ち合いにそれを使ってきたことに若干引く。


「ぐぁっ……! なんだよこの馬鹿力……!」


 振られた剣に剣を当てると、それだけで剣が吹き飛びそうになった。

 力の込め方を間違えれば冗談でも何でもなく剣を手放しかねない。


「ちょ……!容赦なさすぎないです……!?」


「……」


 ちょっとした軽口もスルー。取り合う暇もない。

 どうしてかな、慎重に相対さないといけなくなった。


「まっ、じっ、でっ! つらいっす!」


 剣を弾きながら苦言を呈する。

 力任せに振るわれる一撃一撃が苦しくて仕方ない。

 こんなことになるなら補助魔法を使っていない内に下しておけばよかった、と軽く後悔する。



 ――しかし、ここでユリウスに表情に変化が。

 少しずつ優勢に傾き始めた戦況に笑みを浮かべていたのだ。

 

 心に余裕が生まれたからか、動きからも緊張が取れて伸び伸びと剣を振るい始め、いい意味で調子に乗ってきた。


 とてもまずいことに、フィルは追い込まれていた。

 

「これなら――!」



 ――流れに乗ったユリウスは、一つ大振りな攻撃を繰り出す。



 勝負を焦ったわけではない。

 はやる気持ちに抑えられなかったわけではない。


 ただ、普段なら問題ない程度の振りだったのだ。

 

 しかしそれは致命的な隙であり、勝負を決した行動で――。

 

「――ッ!!」


 フィルの身体はそんな隙に無意識に反応する。

 そしてぬるりと懐に潜り込めば不可避の剣戟を振るうのだ。

 そんな容赦のない一撃は無防備な腹部に直撃し、


「グハッ!!」


 その鈍痛に苦痛の声を漏らし、ユリウスは吹き飛んだ。

 勝負あり。かくして、この打ち合いの勝者は割とあっさり決まったのだった。


「……って。大丈夫……ですか?」


 倒れて動かないユリウスを見て、当たり所が悪かったのかと近寄り声を掛ける。

 ただ、ユリウスはよろよろと立ち上がると憔悴した様子を見せた。確かに疲労する激闘ではあったが、それでは説明が付かないぐらい疲弊している。


「……すまない、思ったより当たり所が悪かったようだ。一度医務室に行ってくるよ」


「そ、そうなんですか?すいません……なんというか」


「いや、いいんだ……気にしないでくれ」


 そう答える姿はどこか無気力。

 ただの力比べの勝敗にどれほど傷心しているかは知らないが、とぼとぼと闘技場を後にする彼を見送るのは心が痛んだ。


 次にあのお兄様とどんな顔して合えばいいんだ、と悩むが、そんな時間はもう無いようで。授業開始を告げるチャイムがうるさく鳴り響いた。

 ともなれば、彼女が意気揚々とし始めるのだ。


「フィル、次は私と打ち合いだよ」


「いや……ちょっとは休ませてくれよ」


「だめ。そんなに疲れる戦いじゃなかったでしょ」


「……ロゼ。もうちょっとこう……言葉は選ぼうな」


 容赦のない物言いにフィルは苦い顔をする。話し掛けてきた時の反応といい、ロゼはユリウスのことを好いてはいないらしい。


「いいから、もう授業を始まってるし」


「あの、ほんとうにご慈悲は……」


「うん、ダメ。ほら、はやく」


「んな無慈悲な……」


 フィルの懇願は吐いて捨てられて、結局この日は授業が終わるまで木剣での打ち合いに付き合われるのだった――。

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