第27話 その一挙手一投足は

 聞き覚えのない声の方を向けば、これまた知らない女の子が見えた。

 白い髪の短い髪、中性的な顔。きれいな顔立ちだが、気さくに挨拶を交わすほどの関係を築いた記憶はない。

 

「……誰でしょうか?」


 そう問えば、その子は不満そうな表情をする。

 そして、まるで心外だとでも言うように。


「ええー!覚えてないのー!?僕だよ僕、だよ!」


「……えっ、アスク?あの錬金術使う?」


「そうだよ!!もうっ、フィルってばー」


 そう笑う彼女には、確かに幼い頃の面影が見えた気がした。

 言われてから思ったことだから、ただの思い込みかもしれないが。あまり人の顔を覚えるのは得意ではないらしい。


「て、ていうか、お前……ここ通ってたんだな」


「そうだよ!しかも僕は去年に入学したからフィルより先輩なんだからね!ちゃんと先輩って言ってよ!」


「……まあ、それは考えとく」


 アスクは昔会っていたときよりも明朗快活だ。

 しかしその強い押しはどこか懐かしく、薄れていた記憶を呼び起こす。


「もう、フィルは変わんないね。そういうなあなあな感じー」


「なぁなぁて、人聞き悪いな」


「だってほんとだしー。……あっ、もう行かなきゃなんだった。それじゃフィルまたねー!」


 アスクは台風のようにこの場を去っていく。

 騒ぐだけ騒いで返答も聞かず、残された二人は唖然としている。


「なんなんだ、あいつ……」


「……フィルさん、彼女とも知り合いなんですね」


「え。まあ、ずっと昔に少し付き合いがあったんだよ」


「そうなんですね……」


 エイラは不服そうな顔。アスクは理由も分からない不和を残していったらしい。

 訳を聞くにも切り出し方が分からない。しかしすぐ、彼女の顔は平静に戻り、


「――それにしても……アスクさん、明るくなりましたよね」

 

 と、呟く。

 それはアスクが前までは明るくなかったということであり、今の姿を見ると信じられない言葉である。

 そして同時に、フィルの知らないアスクの過去を知っているような口ぶり。

 

「クラウディアって、アスクのこと知ってたのか」


「ええ、王城に通っていた時、何度か会う機会があったんですよ。けれどその時はもっと暗い雰囲気で……」


「……それは、まあ……そうか」


 フィルはアスクと別れる原因となったことを思い返す。

 それはアスクの母親が亡くなった事件であり、悲しむ彼女を慰められなかった後悔の日。彼女が暗い雰囲気だったのも、それを引きずってのことだろう。


「けど、今はあんなに明るくなったんだよな。よかったんじゃないか?」


「それは……そうですね。けど彼女、急に明るくなったので無理とかしてないか少し心配で」


「急に?」


「えぇ。ずっと人との関わりを拒絶していたアスクさんが、たった一日の間に……まるで人が変わったように明るくなったんです。それからはあんな調子で」


 それを聞くと少し不安にもなる。

 いくら気持ちの切り替えだといっても、エイラの言うような突然の変化があり得るのだろうか。

 ずっと悲しみに暮れていたアスクが明るくなれるような何かがたった一日の間で起こりえるのか。


 しかし、


「……けど、それでも。何がアスクの生きる希望になったかは知らないけど、本人が元気そうなら……それでいいだろ」


「それも……そうですね」


 そこで一つの結論に達して、二人の会話は途切れた。

 アスクの感情の起伏については気になるが、彼女が元気である以上、余計なお節介は藪蛇な場合がある。

 せっかく明るくなった彼女に"良くない影響"を与えるのは好ましくなかった。


 ――仮にアスクが何か"良くない影響"で明るくなったのだとしても。


「それはそうと、そろそろ休憩は終わりにしますか?」


「そういえば休憩中だったな……そろそろ始めるか」


 フィルは広げられている本に目を戻す。

 休憩できたかは疑問だが、幾分か息抜きにはなっただろう。


「ある程度覚えたようですし、次は魔術の覚え方のコツついてを教えますね。魔方陣を見てみて下さい。さっきとは見え方が少し違いますよね?」


 エイラは二時間前の魔方陣をもう一度指で差す。

 そこには覚えた文字がつらつらと並んでいて、模様というよりは文字の羅列として捉えられる。それだけで若干の進歩と言えるだろう。


「……確かに」


「それではあとは方法です。魔方陣の一層ずつを声に出して読んで、文字として覚えるんです。中級は五層ほどですので約五文を覚えれば暗記できます」


「……なるほど?」


 読む、と言われて魔方陣を見る。それは確かに五層で成り立っていて、


 一層目は『デカミブ?ラタロ?ラズブア』

 二層目は『モク?ナイケイ?デドテ』

 三層目は『レウデシイラタレテク』

 四層目は『デネイニツアシソテモスレ』

 五層目は『アネウスズ?ネホイ?ガシデスアソデミ』


 ――と、なんの法則性もクソもない出鱈目な文字が列挙していた。


 これを覚えるのも模様を覚えるのと同じぐらい大変だが、これを厄介にしているのは途中に知らない文字である"?"があることだ。五十文字はある程度頭に入れたはずだが、それらは完全に初見である。

 フィルはそれを指差し、


「なあ、この文字知らないんだけど……これなに?」


「それは……この文字とこの文字が重なっているんです。ほら、こんな感じで」


「……重なってる? え、重なってんのこれ?ただ文字が羅列してるだけじゃないの?」


「はい……それが魔術における一つの鬼門なんですよ」


 エイラは苦笑いしながら答えた。

 そして「けど」と続け、


「中級まではその重なった文字が少なくてですね。ですから、この発音しながら覚えるのがギリギリ使えるんです」


「……」


 では中級以上はどう覚えるんですか、という疑問は恐ろしくて声に出ない。

 今は条件である中級の暗記を彼女の献身に応える程度には誠意努力するのが目下の目標である。


「頑張るかあ……」


 フィルはもう一度気合を入れ直して、魔方陣に並ぶ文字をぶつぶつと言いながら頭に刻んでいくのだった。


―――――――


 頭がおかしくなりそうなぐらい意味不明な文字を復唱して過ごした休日。模様として暗記しようとしていた時よりは遥かに覚えやすく、水、炎の属性魔法は何かを見ることなく展開できるようになっていた。

 ……まだまだ時間は掛かるのだが。


 しかし、"頭がおかしくなりそう"というのは決して比喩などではなくて。

 三日という短い間に人間ができる集中は限界があり、フィルはずうっと頭の中に文字を刻み続けている。吐き気などの分かりやすい体調不良が出てきていて限界は近い。


 そんな極限状態で迎える平日。非常なことだが普通に登校する日だ。

 しかも今日の授業は今年からの新しい授業である『歴史の解釈』というバチバチの座学であった。

 きっと寝る、絶対寝る、とフィルは確信している。


 この授業は受講する人が多く、それに伴って通常より広い教室に着けば、フィルは適当に席に座ってさっそく腕の中に頭を沈める。


 傍から見れば気概の欠片も感じられない姿勢。ただこれは授業を集中して受けるという最低目標を達成するための必要な姿勢だ。

 真面目のための不真面目である。

 軽い仮眠は取れなくても、目を休められれば十分。その程度のこと。


 しかし、この授業を取っているのはフィルだけではなかった。


「――アデルベルトさん。おはようございます!」


 隣の席に人が座ったのと同時、聞きなれた声で肩を叩かれる。

 振動を不快に思い顔を上げれば、やはりレナードがそこにいた。


「……おはよう。そして俺は今めちゃくちゃ眠い。 ということでおやすみ」

 

「ちょちょちょ!もう授業始まりますよ!寝たらだめですって!」


 レナードはそう言って体を揺らす。

 良かれと思っての行動だろうが、当のフィルは殺意が湧いて仕方ない。色々と助けてもらったわけだが、それとこれとは話が違う。


「教授が来たら教えてくれって……ほんと一分でいいから……」


「そ、そうなんすか?……いや、だめですって!今日の教授めっちゃ怖いって先週の授業聞いて分かったじゃないっすか。もし入ってきたときに寝てる姿見られたら怒られるっすよ!」

 

「……はあ」


 フィルはため息を吐いて顔を上げた。そして、この授業の教授を思い出す。

 レナードの言う通り、ただ授業の説明をするというだけで二、三人の生徒にキレていた。絶対に曲がらない信条を持っている年食った堅苦しいおじさんで、それに反することがあればすぐに声を上げる人だ。


 つまり面倒くさい教授であり、怒らすとダルいタイプであった。

 

「そういえばそうだったな……あんま怒らさん方がいいか」


「そうですそうです、その方がいいです。 あ、しかもあの人、臨時教授らしくてですね。この授業のためだけに採用されたらしいっすよ。だから評判とかも全然で……あの感じして実は良い先生なのかも分かんないんすよ~」


 そう言うレナードは気怠そうにして机に肘をついた。

 だいたい明るい彼からネガティブな表現が出るのは珍しく、相当この授業の教授が気に入らないらしい。

 

「それにこの授業って今年からの授業ですよね。だから色々な学年の人が取ったらしいっすけど、みんなあの教授に不満そうにしてましたよ。その日の機嫌で生徒に当たってきそうだって」


「あの教授そんな嫌われてんの……」


「そうっすよ!俺だって同じ意見です!」


 随分と苛立ちを露わにしている。この学校に珍しいタイプの教授なのだろうか。あまり受け入れられている様子は見られない。


「それにっすね!まだあって――」


 エンジンがかかったらしいレナードは止まることを知らず、まだまだ話を続けている。

 随分と溜まっているらしい不満を吐かせてやろうと放っていると、教室の扉が開いた。

 そちらを向けば、噂の教授がダルそうに入場してきていた。


「――皆さん静粛に。授業を始めます」


 教壇に立った教授は癖のあるトーンで話し始める。

 先週の授業でこの教授の性格を知った賢い生徒たちはあっという間に静まり返って、粗を出さないように専念していた。


「はい、それでは無駄な時間は取らずにさっそく……。歴史を学ぶにあたって避けることはできない五百年前の"大厄災"について。現在の社会的偏見、差別に大きく影響を与えたことですので、しっかりと基礎を学ぶつもりで聞いてください。教科書の五十ページを見てください、まず五百年には――」


 生徒たちの心を掴む軽い小話なんてあるわけがなく、教授は淡々と授業を開始した。


 そして教科書を開いたフィルはその面白味の感じられない話とトーンの変わらない口調で、まだ授業が始まって数分だというのに瞼が重くなってくる。授業前に目を休められなかったのが確実に効いていた。


 頭の中では寝てはいけないと十分に理解している。

 しかし、瞼を引っ張る力は一秒ごとに強くなり、抗いかねない睡魔がフィルを襲う。

 何とか意識を保とうと目に力を入れて視界を確保するが、気付かぬ内に船を漕いでいて。意識は途切れ途切れであった。


 当然、そんな不真面目な生徒はフィル一人で大層目立っている。

 教科書に目をやっていた教授が顔を上げれば、それはすぐに気付けるもので。


「――ん。そこの人……隣の人を起こしてくれ」


 呼ばれたレナードは気まずそうにしながら半目のフィルの肩を叩いた。

 控えめだが唐突な衝撃にフィルはビクッと身体を揺らす。


「ッ!! な、なに……どうした?ね、寝てないぞ?」


 目が覚めても状況を理解できていないフィルはあたふたとしていた。無駄な言い訳を隣のレナードに繰り出したが、レナードは気まずそうに教授の方を指差す。


「……あっちっす、アデルベルトさん……だいぶまずいっす」


「はっ?あっ……」


 フィルが教授の方を見れば、目を細くしていたその人と目が合う。

 そして、超高速で現状を理解した。自分はきちんとやらかしたのだと。


「君、名前はなんだ」


「……アデルベルトです」


「君がそうなのか……はぁ……」


 名を伝えれば、教授は大きくため息を吐く。見るからに不快の極みのようで。


「君みたいにある程度もてはやされたら人の授業を寝られる身分になれるとでも思っているのか?私が後世に伝えていきたいと思う、君たちが必要だと思って教えている授業を寝れる身分になれるのか?教えてくれ、どうして寝るんだ」


「……いや本当、寝不足からくるものでして……」


「寝不足?それが理由か?そんな下らん理由で私の授業を寝ているのか?」


「……少々混みあった事情からくる寝不足なものでして……」


「事情など私が知りえるものか。君が選択した授業なんだろう。ならばそれを考慮した行動をできないのか。君はその程度の自己管理もできない人なのか?」


 教授の詰問は止まらない。次々と言葉のナイフを投げつけてきて、それらがチクチクと心臓に刺さって痛い。

 しかし、こればっかりは完全にこちらに非があり、それはフィルも重々承知していた。余計な言葉が出ないよう気を付けながら、ただただ教授の機嫌が直ることを祈るばかり。


 すると、その願いが届いたのか教授はもう一つため息を吐いて問いかけを止めた。


「はぁ……もういいです。教科書の続きを読んでください」


「はい……」


 フィルは教科書に目を移すが、そこでピタッと動きが止まる。

 寝ていたため、今現在どこを読むべきなのかが分からないのである。せっかく怒りが収まってきたのに、これではまた噴火させかねない。


「……五十八ページですよ」


 そうやって固まっていれば、隣のレナードから助け船がやってくる。

 フィルは感謝の気持ちを表情で表し、言われたページを開いた。


「早くしてくれませんか?」


「はっ、はい」


 急かされ焦るが、どこを読むべきかが分からない。五十八ページは日本語がびっしりだ。

 三段落ぐらいで線で区切られて文章の塊があるが、どこまで読んだかなんて知るわけがない。


 ただ、ここでフィルは閃く。

 教授が言った『続きを読んでください』という言葉。これから導き出されることは、少なくとも一番上の段ではないということ。


 つまり真ん中か最後の段落を読めばいいということだが、ここで真ん中が読むべき段だと感が告げていた。だからフィルは、


「――勇者は旅の途中で仲間になった魔法使い、騎士、僧侶と共に魔王を倒しました。魔王が蓄えていた財宝を王国に帰ると、親代わりのおじいさんとおばあさんに大層歓迎されました。しかし、財宝を独占したい腹黒き王様に嵌められ、勇者は国を追われてしまうのでし……た」


 と、子供に聞かせるような話である真ん中の段を読んでいると、また不機嫌な視線を感じた。

 教授の方をちらりと見ると、ついさっき見たような細い目をしていて、どこか呆れている。


「君はどこを読んでいるんですか……」


「どこって……五十八ページの――」


 真ん中の段ではなかったか、と直感が外れたことを悔やみながら、もう一度読んだところに目をやる。

 

 ――そして、気付いたのだ。

 先ほど読んだ分のちょうど上、

 小さな文字で『古代厄災文字の書き写し』と記述されていたことに――


 厄災文字なんてものは知らない。

 しかし、少なくともこの世界で使われている言葉の俗称ではないということは知っている。そしてこの記述の大事な部分は"古代文字の書き写し"であることだ。


 フィルはこの世界に来てから言語の勉強は一切していない。

 おそらく神から授けられた技能かなんかでこの世界の文字や言葉が日本語となっていたのだ。


 つまり、未知の言語が日本語に翻訳されているということであり、

 ――それはこの『古代厄災文字』とやらも"翻訳されて"しまっているのだという可能性を示唆している。


 教授の反応を見るに言い放った物語に思い当たる様子はなく、古代文字を読んだ人だとはまだ思われていない。

 よって誤魔化すなら今が最後であると、今日はどこか回りがいい頭で理解できた。


「――すいません、開いていたページを間違えてたみたいです」


「はぁ……五十八ページであるのは合っている。そこの最後の段落だ、早くしてくれ」


「はい」


 フィルは言われたところを、今度こそは間違えないで音読していく。

 なんとか山を乗り越えれたらしい。代償にこの教授からの信頼を完全に失ったが、この数分間でやらかしたことを考えればギリギリプラスだろう。


 読み終わり着席したフィルは睡魔など完全に消え去っていて、無事に授業を最後まで聞くことができたのであった。

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