第25話 彼女との再会は遠く
あれから三日。
様々な必修の授業があったが、まだどれもオリエンテーションの段階で、授業らしい授業はまだである。
しかも、あれだけ実践的な試験をしておいて、フィルが最も嫌う机に向かうような授業が多いのなんの。『歴史の解釈』や『社会的倫理』など多種多様な文学が揃っている。
しかしまあフィルからすれば、それらは"もう一つの問題"に比べれば大したことではなかった。大学生活のどんな事柄も"この問題"の前には些細なものだ。
そのもう一つの問題とは――全休が”あの二人”のせいで潰れたということである。
あの大学は有名大学ではあるが、必修で時間割が埋まるということはなく、必修がばらばらで元々全休なんて存在しない、なんてこともない。前世と比べると生徒に親切な時間割だ。
きちんと全休があり、
あの二人が言った『応用魔術』と『応用剣術』はそれらの全休の一限から二限まで。朝早いし長いし、全休全部潰れるし、取る意味が本当に一つも見当たらない。
魔術の方は教えて貰えるからギリギリ取ってもいいと思えたが、剣術の方は心の底から面倒で。フィルは提出する一分前まで用紙に書き渋っていた。せめて一日、大学に行かなくてもいい日を作りたかった。
ただ、そんなところをロゼの無機質な目で睨まれて、その圧倒的なプレッシャーに負けたというところである。
「――はぁぁああ……」
そんな悪夢を回想していたフィルは、朝早くの大学でため息を吐く。
今日は応用剣術の為だけの登校だ。わざわざ三十分、往復一時間。道中のため息は止まらなかった。
「ていうか、闘技場ってどこだっけ……」
応用剣術は実践的なことをやるらしく、集合場所は試験で使用したあの闘技場だった。まだ校内を完全に把握しているわけではなく、しばらく右往左往して闘技場を見つけることができる。
扉の前に立ったフィルは両手を合わせて空を望み、
「……どうか楽な授業でありますように」
どこかで見ているだろう神様に祈りながら扉を開けた。
その広い闘技場には三十人ほどの生徒たちが既に集合していて、奥に講師のアグネリアと見たことのない大人が見える。
アグネリアは変わらずニコニコしているが、その隣にいる人は見るからに雰囲気が暗く、鬱々としたオーラを放っていた。
そして、フィルがアグネリアと目が合うと、
「おーーい!フィル君が最後だよー!早く来なー」
そう言われて、焦りながら集団の中へと駆けた。
時間を見れば遅刻ギリギリ。持っていた余裕は迷っている内になくなっていたようだ。
「――さて、みんな揃ったことだしこれから授業を始めるよ」
試験の日や担任、フィルはアグネリアとは何かと接点が多い。
知らない先生よりかいくらか気楽だが、顔を合わすことが多い先生というのも考えものである。
「と、その前に担当する講師を紹介しなきゃか。私はアグネリア、よろしくね。で隣のこの人が……」
「……"ライヒ・エンパイア"、です。隣の『ヴァーザ帝国』から来ました。よろしく、お願いします」
長い前髪で顔を隠して内気そうな男、エンパイアは短い挨拶をするとすぐに後ろの方へと下がっていった。
すぐに気が合いそうだと見抜けたのは、その人間関係のあからさまなぎこちなさからか。
「とまあ、この二人でこの授業を進めていくからよろしくね。で、授業でやっていくのは――」
そこで言葉を止めて、アグネリアは生徒たちを見渡した。
それは何かを見定めているような目つき。そして、
「君と君。君と君、で君と君……んー、君と君でしょ、あと君と君……」
と、生徒たちを二人一組で振り分けていくのだった。
続々と割り振られていって、フィルが誰と組まされるのかで不安になる中、隣に誰かが近寄ってくるのに気付いた。なんとなしにそっちを見ると、
「おはよ、フィル」
「……おはよう」
元凶とも言うべきロゼが立っていた。
もはや慣れ始めた距離感。路地裏のことで離れるかと思ったそれは、逆に近づきつつあった。
「わざわざこっち来る必要あったか……?」
「うん。たぶん、私たち一緒だし」
「……なんで」
どこか確信を持ったその意見の訳を聞こうとしたとき、アグネリアの目がフィルたちの方を向いて
「おっ、流石君たちは分かってるね。そこは一緒ね」
「……」
見事言う通りになって沈黙。何がどうなってこの組み合わせななのか、見当もついていない。
すると、すべての生徒たちを割り振ったアグネリアがその疑問を解消することを話していく。
「さて、これで全員だね。今のは実力がだいたい同じだと思った二人。この授業はその二人で切磋琢磨し合って、それを見た私たちが時々口を出す、みたいな授業なんだ」
「切磋琢磨……?」
小声で呟くフィルだったが、耳の良いアグネリアはその小さな声を拾って、
「そう、切磋琢磨。打ち合ったり互いにアドバイスをしたり、私たちにアドバイスを求めたり。……まあ、君たちに私らのアドバイスが必要かは分からないけど、そんな感じの授業だよ」
なんなんその放任的な授業、というのが第一の感想。そんなのに一二限も使うなと顔を覆った。
そして次に思ったのが、
「てか俺、この授業中、ずっとお前と一緒なのな……」
「うん、うれしいでしょ?」
「……そりゃ、もう」
こんな授業方針にオリエンテーションがあるわけがなく、さっそく各自の鍛錬が始まった。
フィルはサボりたくて仕方ないが、目の前にいる彼女がそれを許すはずがない。仕方なく、配られた木剣を握って対面した。
すると試験の日を回想して、あの日の尋常な疲労感を追憶した。あれをそう何度も繰り返すのはさすがに御免で、
「なあ、俺もうロゼと打ち合いとかしたくないんだけど……」
口に出したが、しかしロゼはそんなことないようで、
「……その内、楽しくなる」
と、意気揚々としている。どうやら中々ジャンキーのようで。
どうしようもなくなってと周りを見渡すと、見覚えのある姿を見た。
「レナード……」
レナードも応用剣術を取っていたらしい。木剣を握り、割り当てられた人と打ち合いをしている。キレのある動きで相当な実力が伺えた。
ロゼに瞬殺された印象が強く、それほど実力のあるイメージは持っていなかったが、今更になって彼が"最上位序列"にいる意味を理解する。
教師の目は節穴や過大評価などではなく、きちんとした実力をみれていたらしい。
すると、
「あらら……」
ある一撃が決まって、レナードが膝をついた。
今回の打ち合いの勝敗は決したようだ。
そして、なんとなしに対面していた相手を見たフィルは――
「――おいっ……!」
一瞬見失うほどの速度で
戸惑いや驚きが感じられたがそんなことを気にする余裕はない。
――なぜならその人が纏っていた
「ア、アデルベルトさん……どうしたんすか……?」
尻もちをついていたレナードは血相を変えたフィルを心配するが、今のフィルはそれすらも聞こえない。目の前の奴がユリかそうでないか、ただそれだけが頭を埋めている。
しかし仮にユリだった場合、そのフードを外すことが許されるはずがなく、いち早く正体を知りたいフィルは、しかし返答を待つことしかできなかった。
すると、
「……なんすか?いきなり」
フードを纏ったそいつから――不機嫌な
それは、この人がユリではないことをこれでもかと知らしめている。
「……お前そのフード……どうした?」
ただ、このフードがユリのものであったことは間違いない。
唯一捕まえた彼女への手がかりを、フィルは手放したくなかった。
「……ずっと昔に、ある子からもらったんすよ」
「どこで……いや、その子は今、どこにいる」
「さあ?もうずっと会ってないんで、知らないっすね。その子との接点もこれもらった時だけでしたし」
「……」
手がかり、というにはあまりにも少ない情報。フィルは落胆を隠そうともせずにため息を吐く。
そして彼女がこのフードを手放したというのに少々の驚愕。どこかで、ずっと持っていてくれるものだと思っていた。
もっと聞きたいことはあるはずなのに、これ以上問い詰める言葉はなく、
「……いきなり、すまん」
「はあ……?」
肩を落としながら、ロゼの方へと戻る。
ロゼはぽつりと立っていて、首を傾げながらフィルを見ていた。
「……どうしたの?」
「……いや、ずっと前に会えなくなった友達かと思ったんだよ」
そう言うとロゼは目を細める。感情を表に出さない彼女にしては珍しく、人の気持ちに鈍感なフィルでも分かるぐらい不機嫌で。
フィルは嫌味に口角を上げてふざけた風に、
「なんだよ、嫉妬か?」
「……違うけど。ただフィル、その子のこと、どう思ってるの」
その質問の答えに詰まる。言葉が出てこなかった。
ずっと再会したいと思っていたが、それがどのような思いからくるものか考えたこともなかった。
――俺は、ユリのことをどう思っているんだろう。
「……考えたこともなかったわ、どう思ってるかなんて」
「……そう」
答えは出さないで、適当な言葉で誤魔化す。
いくら考えたって分からない自信があったし、出てきた答えが正解かも分からない。気持ちを知らない今、きっと誤った解を出すことしかできない。
そうして、しばらく二人は黙っていたが、
「ねえ、フィルってさ。剣、苦手でしょ」
「……なんでそう思うんだよ」
否定ができないぐらいなんともその通りだが、一応理由を聞いておく。
「だって、試験で戦った最後。フィル、短剣のときより動きが硬かった。身体の動かし方が分からない人特有の、硬さしてた」
「……そうなん?」
「うん」
確かに、フィリッツが剣を教えてたのはたった一度、しかも稽古はフィーリングの塊。身体の使い方を知る前に終わったの真実だ。
しかし、剣を使ったのは本当に最終盤だけだった。あの一時だけで見抜かれたのならばぐうの音も出ない。するとロゼは、
「だから、私が教えてあげる。……特別だよ」
そう言って、木剣を握る。
そして、身体に力が入るのが見える。それはこちらに飛び掛かってくる力の入り方で――
「ちょ待っ!」
「説明するのは苦手だから、身体で覚えてね」
慌てて剣を握って、飛び掛かってくるロゼの剣に剣を合わせる。
形容するのも面倒なほどたくさんの小技や動き。
それらを必死になって捌きながら、フィルはロゼと剣を響かすのだった。
「――はあぁ、まじでもう勘弁してくれ……ただでさえ体力には自信がないんだわ……」
「……もう授業終わるし、いいよ。勘弁してあげる」
「ありがとうございますありがとうございます……」
あれから二限分の時間を目一杯使ってフィルたちは打ち合っていた。慣れない剣でロゼの動きについていくのは大変で、終わるころには肺が痛くて仕方なかった。
「……じゃあ今日は用事あるから、先帰るね、フィル」
「お、おう……じゃあな」
正確にいえばまだ授業時間内であるがそんなものは些細なことらしく、ロゼは気にする風も見せず闘技場を出ていった。なんともマイペースな人である。
一秒でも早く帰りたいフィルだが、尻もちをついて息を整える方が優先するべきことだった。久しぶりの訓練とも言うべきしごきに身体は悲鳴を上げ、休息を求めている。
すると、
「……ちょっといいかな?」
知らない声で話し掛けられる。
その声の方を向けば、それがまた知らない男の人で、
「……誰でしょうか」
いきなり声を掛けられることにも慣れてきたが、一応の警戒心を持って会話を始める。
慣れによる慢心は良くないと、歴史が言っている。
「す、すまない。私は"ユリウス・クラウディア"。君と同学年のエイラの兄だ」
「ああ、あの……お兄様で」
と、一見冷静に見えるフィルは内心が沸騰した水のように暴れ散らかしていた。
なぜなにどうしてなんのようで、まさかエイラのやつ女装のことこいつにバラしたのか、と。
「それで……なんの御用でしょうか」
「ああ、それはだな。君、幼いころにエイラを助けてくれた子なんだろ?」
「っ……」
あの野郎バラしてやがったのかと心の声でブチギレるが、すぐに落ち着きを取り戻す。それは、彼女が淀みなく真摯に言い放った『秘密は誰にも言ってません』というのを思い出したからだ。
勘違いの可能性であることを考えて、フィルは必要な質問をしていく。
「……そ、それはエイラさんから?」
「直接聞いたわけではないのだが……ずっと探していた人が見つかった、と喜んでいたからな。それから楽しそうに君とのことを相談してきて、きっと君なのだろうとな」
「なら、当時の状況とは知らないんですね?」
「……? そ、そうだが……」
信じてたよエイラ……と手のひらを引きちぎり、フィルは秘密がバレてないことに安堵する。
最後の質問の意図が分からず、ユリウスは困惑していたがそんなことよりも用事があるようで、
「そ、それでだな。一度、お礼を言おうと思ってな……妹のこと、本当にありがとう」
「……」
直角に頭を下げて、兄妹揃ってなんとも紳士的だ。
――しかし、ユリウスの目的がこの
「それでなんだが、もう一つ君に言いたいことがあってだな……」
フィルの察した通り、ユリウスはどこか話しにくそうにし始める。
その打算的な人間らしい一面は、人というものが善意だけで動くものではないことを思い出させた。フィルは目を細くして、ユリウスを見る。
「その――妹のこと、きちんと考えてくれているのだろうか?もし、遊び程度と思っているなら申し訳ないが……」「ちょっとちょっと……え、なんの話?」
一人勝手に話を進めるユリウスを止める。一から百まで何も理解できていない。
ユリウスはぽかんとしたが、すぐに調子を取り戻して、
「い、いや、君……エイラと付き合っているんじゃないのか?」
「付き合ってませんけども……」
なんとも単純な誤解をすぐに解いた。
エイラとの会話からいらぬことまで読み取ってしまったのだろう。それを兄として黙っていられず、口を出してきたのだ。
「そ、そうなのか。いや……そうなのか」
ユリウスはその事実をしっかりと噛みしめて、
「いや、すまない。こちらの早とちりだったようだ。これからも妹と仲良くしてやってくれ」
「は、はあ……」
「本当にすまなかった、しかし感謝の気持ちは本当だ。それでは失礼するよ」
神童と言われているらしい彼でもしっかり兄であり、フィルというぽっと出の男と付き合ったと誤解して妹を心配していた。わざわざ面と向かって忠告するほど妹思いである。
しかし、そんな複雑な人間感情がフィルに分かるはずがなく、一から九十九まで理解できぬままユリウスは立ち去ってしまう。
一人残されたフィルは、闘技場を出ていく背中を呆然と見つめるしかない。
すると、
「アデルベルトさん。お疲れさまです!」
「……今度はレナードか、なんだよ」
人が入れ替わりで寄ってくる。今度はうるさいのが寄ってきた。
フィルはもう疲労困憊で、どこか排他的な態度をしてしまう。しかし、レナードは微塵も気にする様子も見せず、
「いやいや、ただ挨拶しに来ただけです!」
「そうか……お前、元気なんだな……」
「そ、そうっすか?けど、アデルベルトさんはお疲れみたいっすね。うーん……ぜひとも談笑してみたかったすけど、俺は帰ることにします!お疲れ様した!」
空気を滅多に読まないレナードにしては珍しく、見るからに疲弊していたフィルを労わるのだった。
普段のように圧倒的な距離感で絡んできたら危うく絶交だっただけに、この気遣いのある言葉はフィルにパーフェクトコミュニケーションだ。
「レナード、お前は良い奴だ……本当に……」
「……え?そ、そうですか?」
フィルの言ったことが理解できずぽかんとした表情のレナード。
きっと普通のことに対する言葉ではないことに驚いているのだろう。ただ、褒められたということは受け入れられたようで、
「じゃ、じゃあ、また今度っす!」
綺麗に頭を下げて、レナードは嬉しそうに闘技場を後にする。
少し優しい言葉をかけただけでこの反応。この忠犬とも思えるレナードの忠実さは、フィルの自己肯定感を気づかないところで歪め始めているのかもしれない。
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