第22話 再会

 あれからシャルロットに押し付けられたストレス反応に苦しめられながら過ごしてはや三週間。行きたくもない大学の書類を提出し、行きたくもない大学の制服を購入し、あれよあれよと準備は進んで今日は入学試験の日である。


 推薦なのだから入学試験は免除でいいはずだ。しかし、なぜか入学試験に足を運ぶようシャルロット直筆の手紙で言われた。することはなく顔を見せるだけらしいが、フィル的にシャルロットの言うことは信頼に値しない。どうせ面倒くさいことに発展するに決まっている。

 

 しかし、国八分になるかならないかの瀬戸際でもある。

 まさかドタキャンできる訳がなく、いつも通りに目を覚ましたフィルは強く感じる重力に抵抗して一階に降りた。


 居間には既にフィリッツとティルザが朝食の準備を終えていて、のそのそと動くフィルに苦笑を浮かべている。大学に行きたくなさそう、というフィルの気持ちは両親には伝わっているらしい。


「おはよう、フィル。そんなブルーにならなくても今日は顔見せるだけだろ?心配しなくて大丈夫だって」


「そういう問題じゃないんだよ……」


 元気付けようとしているのだろうフィリッツの言葉はフィルには届かず、ぐったりと一蹴された。変わらず精気が抜け切っているフィルは椅子に座りゆらゆらとご飯を食べ始める。

 

「まあまあ。それに私は鼻が高いわ、息子がバハムート大学に入学するなんて」


「……ねえ、前から気になってんだけど、バハムート大卒って"バハ卒"って言われてたり……」


「あら、よく知ってるわね。"バハ卒"って言われてるわよ?」


「やっぱ"バハ卒"なんですね……」


 ある意味予想通りな通称にフィルは苦笑。どこか聞いたことのある大学名から勝手にバハ卒とかイメージしていたが、本当にバハ卒らしい。

 確かに高学歴っぽさはあるか。


「それにほら、ここからバハムート大学って結構遠いし今から出てもいいんじゃない?せっかく早起きしたんだし、ゆっくり歩いてたら気分転換にもなるかもしれないわ」


「遠いんだ……ちなみに、片道何分ぐらい?」


 この通り、入学試験当日なのにも関わらず、フィルは一度もバハムート大学に行ったことがない。やる気の底が見える。

 すると、ティルザは考える素振りを見せて、


「三十分、ぐらい……?」


「えっ!?そんなに……?」


 往復一時間という驚異の遠さを聞き、また憂鬱の要因が増えた。どれくらいの頻度で行くものか知らないが、毎日とかであればどれほど面倒なことか。


「ここ、中心部から少し遠いから……ごめんね、まさかバハムート大学に行くことになるとは思わなくって……」


「うん、俺も思ってなかったよ……」


 なんでどうしてこうなった、と自らの人生を悔やんでいると、フィリッツが何か書かれた紙を差し出してくる。


「ほれ、これバハムート大学までの地図。登校兼散歩、いい案だと思うし早めに出てもいいんじゃないか?」


「うーん……」


 そう言われて、自然と時間ギリギリに到着した時の気まずさを想像した。

 周りのみんなは入学したくて必死に準備してきたというのに、推薦で入学が確約されているやつが遅刻なんかして来たらどう思うだろう。

 ただでさえ少しズルいというのに、受験生を舐めていると受け取られても仕方ない。ボコボコにされても不思議じゃない。

 

「――よし、ならもう行くわ」


「えっ?もう行くの? さすがにちょっと早すぎるんじゃない?」


「いや、道に迷うかもしれないんだし、早いに越したことはないでしょ」


「そ、そうかしら……?」


 ――言うが早いか、フィルは残っているご飯を爆速で胃に収め、一瞬で着替えを済ませる。その行動の早さにフィリッツたち唖然としていた。


 しかし、フィルは気にすることなく必要なものを鞄に入れて、ものの数分で出かける準備を整えた。


「あら、服はそれでいいの?」


「……ほかになにがあるの?」


「ほら、もっとかわいいのが――」


 そう言って、明らかに女物の服を取り出すが、


「絶対に着ないわ!!」


 と怒鳴り、一目散に玄関を飛び出した。




 そうして、フィルが出ていった家の中。

 二人は示し合わせたように時計を見ると、


「まだ二時間ぐらいあるけど、ほんとに行っちゃったわ……」


「フフッ。まあ、早いに越したことはないらしいぞ?」


 と、微笑ましそうに話していたのだった。


―――――――


 さて、どの程度の時間の余裕があるかを知らないフィルは地図に沿って通りを歩き、バハムート大学に向かっていた。

 手書きのそれは所々で見にくいところがあり、途中で立ち止まることが少々、いや多々あったのだが。


 そうして、三十分歩いたときだろう。そこそこ大きい地図を広げ、右往左往しながら街を歩いているフィルは――誰かに、ずっと後をつけられていた

 それも、ここ数分の話ではない。家を出てからずっとである。


 最初はただ道が一緒なだけの人かと思っていた。しかし、それを確認するために普通入らない裏路地へ入ったとき、面白いぐらい律儀についてきたことでそれは確実なことになった。

 尾行だとしたらもっと上手くやれないものなのか、下手すぎてバレバレである。


「うーん……」

 

 そして、ただでさえ後をつけられていて面倒だというのに、フィルのはもう一つあった。


 しばらく見て見ぬふりをしていたが、ついにはその悩みが取り返しのつかないことになったことを認め、距離を取るために動かしていた足を止める。


 そう、それは――


「迷った……」


 自分がいまどこにいるのか、完全に分からなくなっていたのだった。

 いつから、と言われれば後ろをついてきてる人を意識し始めたときからなのだが、決定的となったのは普通入らない路地裏へ入った時だ。

 あれで自分の位置を完璧に見失った。ほんと、慣れないことをするべきじゃない。


「どうしよ……」


 後ろの人は気になるが、フィルには入学試験という大事な用事があるのだ。これをぶっちする訳にはいかない。


 幸い、周りには大勢の人がいる。

 道行く人に場所を聞いていけばバハムート大学に辿り着くことは可能だろう。しかし、それでは後ろの人の問題は解決できないままである。

 

 ――そう、幸い、周りには大勢の人がいるのだ。

 よって、バハムート大学に辿り着ける、かつ、後ろのやつの問題を解決することのできる画期的な方法を取ることができる。


「よし」


 フィルは意気込み、少し後ろで姿を隠している人へと近づいていく。

 フードを被ったそいつはフィルが近いてきたことで動揺しているのか、分かりやすくアタフタしているのが伺える。


 しかし、問答無用で距離を詰め行き、話ができる距離まで来ると――さも当たり前かの如く話し掛けた。


「あのー、すいません」


「なっ、なに……?」

 

 返ってきた声は高い。後ろをつけていたのはどうやらのようだ。

 少し見える体格から小柄であることも分かり、声を掛けたことは良い方へ転がりそうである。

 

 なぜ良い方へ転がりそうなのか。

 それは、この人だかりで滅多なことはできないだろうという楽観的な思考と、そして、このクオリティの尾行をしてくる刺客がいたとしてそれに負けるかという謎の自信。


 ――それにずっと後ろをつけられたフィルは、この人から殺意のような怪しいものを感じていなかった。


 もちろん、それを確認するためだけに話しかけたのではない。


「バハムート大学って、どっち行けばいいですかね?」


「えっ?」


「ん?」


 こいつにバハムート大学への道を聞けば一石で二鳥なのだ。なんて頭が柔らかいのだろう、と自画自賛。


 そして挙動不審だったそいつは、その質問を聞いて素っ頓狂な声を上げる。

 フィルは返答を待ち、その不審者の様子を眺めていると、


「えっと……」


 と、言葉を濁しながら、手をフードにかけて――そのフードを外した。

 そして、その姿はとても、


「私も、道、知らなくて……あなた、バハムート大学に推薦されてた人、でしょ?だから、ついていけばいいと思ったんだけど……」


「あっ、そうなん……ですか」


 腰ほどまでに長く真っ白い髪をたなびかせ、彼女は困惑した顔を見せていた。

 嘘かどうかわ分からないが、やけに整ったその顔から繰り出される困り顔はこれ以上の追及を押さえつけた。


 そうしてフィルが話すことに困っていると、その女の子は背を向けて、


「あの……それじゃ、私は……」


「あっ、ちょっ」


 フィルの静止を振り切って、足早に立ち去っていった。

 結局、後ろについてきた不審者について分かったことは性別だけ。ただただ時間を取られただけになった。

 そして、段々小さくなっていく背中を見つめいると、フィルはふと現在の状況を思い出す。


「こんなことしてる場合じゃないんだった……」




 ――街行く人に道を尋ねながら歩くこと数時間、フィルはバハムート校の目の前に辿り着いた。


 意外にも時間が掛かってしまったわけだが、道を聞いた人の中にあの"シャルロットの訪問"を見た野次馬が紛れていたからだ。ただ道を聞いただけなのに話が広がり、有り得ないぐらい質問攻めになるときがあった。


 巡回していた騎士が集まりだしていた人を散らしてくれたことで事なきを得たが、あの人の好奇はトラウマになりかねない。


 そして、少々強張っていた身体を深呼吸で落ち着かせ、フィルは大学の校門をくぐる。

 現在の時刻は分からないが、周りには入学試験を受けるであろう人たちが同じように校門をくぐっていた。どうやら、早めに出たのが功を奏したらしい。


 ただ、やはりここでも周りから様々な視線を感じるような気がする。顔と風評は行き渡っているようで、しかし誰とも目を合わさないように歩き、

 そして、


「――あー!もしかして、アデルベルトさんですかー!?」


 突然、苗字を大声で叫ばれた。


 だがフィルは振り返らない。十中八九呼ばれているのだろうが、万が一で同性の人という可能性がある。その場合、自意識過剰の烙印がずっと心に刻まれることになる。


 よって、フィルは後ろから聞こえる声を無視する。


「あれ、人違いだった?あのー、フィル・アデルベルトさんですかー?」


「……」


 本名まるまる呼ばれたが、まだ振り返らない。


「あのー?すいませーん」


 そうして、顔を覗き込まれた。

 ずっと名前を叫んできたその男は金髪の好青年で、フィルが苦手なさわやかさを醸し出している。陽々とした雰囲気を見て、思わず苦い顔をしてしまった。


「やっぱり!フィルさんですよね!!えっ、なんで試験に来てるんですか!?あっ、もしかして推薦蹴って実力で入りたいとかですか!?だとしたら応援します!俺、フィルさんにめちゃくちゃ憧れてて――」


 しかし、この青年はそんなフィルなどお構いなしにまくし立てて、呼吸の暇なく喋り続ける。しかも、推薦を蹴ったとかいう謎の推測を大声で話したことで、心なしか周りがざわざわし出した。

 余計なことを、と思わず反論をしようとするが、


「――こらっ!その勢いで距離を詰めるなって!」


「いって!!」


 青年はいきなり頭を叩かれ、フィルは口を閉じた。青年は頭をさすり、痛みに悶えている。

 叫んで叩かれて、怒涛ともいえる展開についていけず呆然とし始めるフィル。すると、青年を叩いた人は先ほどとは打って変わった優しい声色で話し掛ける。


「あのー。私"アーツ"って言います。こいつがほんとすいません。見てわかる通り馬鹿で……」


「は、はあ……」


 そう言って頭を下げる女の子は青年より良識があるように見える。

 次いで彼女はアーツは青年の頭を押さえつけると、無理やり下げさせ謝罪させようとする。

 しかし、


「……自分だってさりげなく名前教えてんじゃん。てか、どっちかっていえば頭悪いのはお前の方じゃね……?」


 と、青年がボソッと呟いたのが聞こえた。

 フィルに聞こえるぐらいなのだから当然近くにいる彼女にも聞こえたようで、「なんだとー!」という雄たけびとともに賑やかな喧嘩が始まった。


 完全に置いてけぼりになったフィルは、もういいか、と会話を諦めて気付かれない内にとその場を立ち去る。すると、思いのほか喧嘩は熱狂しているようで、何故だか本当に気付かれずいけてしまうのだった。



 ……何なんだったんだろうか、いやまじで。



 それから、明らかに増えた視線を無視しながら進んでいると受付を見つけた。魔術、剣術、弓術、槍術などが書かれた複数の受付があり、周りの人たちは緊張した面持ちでそのどれかに並んでいる。


 この大学、どうやら実技試験があるらしくこの割り当てはどれで受験するか決めるものなのだろう。


 ただ、フィルは呼ばれただけであり試験を受けるわけではない。どれかに並ぶ必要はないが、ここからどうすればいいかも分からず、顔を顰めて立ち止まっていた。


「はぁ……」


 ちゃんと手順を書いとけよとシャルロットを恨みながら、仕方なしに受付の奥に見えた係員らしい大人に話を聞こうと歩き出す。


 そうやってフィルが近づくと、一人の女性と目が合った。


 その人はフィルを見ると分かりやすく慌てて、駆け寄ってくる。

 そして、目の前まで来て手を合わせ、


「ご、ごめんね!まさかもう来ると思ってなくて!」


 急に謝ってきたのだった。


「え、いや……?」


「ああ、ごめんごめん。私、この大学で講師を務めてる"アグネリア"っていってね。お父さんから聞いてない?今日、私が案内するよう言われててさ」


「何も聞いてないですね……」


 アハハ、と笑うその女性は赤い髪を一つに結び、腰に剣を携えている。ただ、アグネリアは上機嫌に笑っているがフィルは恨む対象が増えた話だ。

 父はなんでそんな大事なことを教えないのか、不思議で仕方ない。


「それにしても来るの早いね。もう少ししたら校門で待とうとか考えてたんだけど……」


「家が遠くて、ちょっと早めに出たらこんな時間で」


「あー。お父さんの家、ちょっと離れだもんね。私も言ったんだよ?不便じゃないかって。けど、ここがいいって二人とも譲らなくてさー」


「そうなん、すね」


 社交性のないフィルはちょっとした雑談をあっという間に終わらせる。この十五年間で唯一培われなかった技能だ。

 そして、そんなフィルの性格を見抜いてか知らないが、アグネリアは話の継ぎ目に「さて」と言葉を零し、


「まあ、こんなところで話してても仕方ないか。じゃあ、案内するからついてきてよ」


「あ、はい」


 そうして、フィルを先導する。

 二人は大学内に入って、廊下を進んでいた。


「――そういえば、お父さんは私のことについて何か言ってた?」


「いや、特になにも……」


「えー?そうなんだー」


 何も言ってないことが気に入らないようで、アグネリアは眉を顰めて面白くなさそうにしていた。

 

「私とお父さん、それともう一人はそれはそれは有名なパーティーでさ。世界各地のダンジョンを制覇しては回ったんだよ。いやー、その武勇を一つも言ってないなんて本当に信じられないなー。父なら、子供にいい顔見せたくないのかな」


「パーティー……?ずっと騎士団入ってたんじゃないんですか?」


 父の知らない経歴を聞いて、思わず疑問を口にする。

 そして、どんな感情か分からないが、その質問にアグネリアはニヤニヤとして、


「そうなんだよ。あの時はきっとどこに行ったって敵なしだったね。けど」


 アグネリアはそこで言葉を切り、


「ほら、フィル君のお母さんに一目惚れしてさ。ありとあらゆる手を使ってアタックし出したんだよ」


「へぇ……」


「まあ、身分が天と地ほど差があったから当然ティルザのお母さんに反対されてね。それでもフィリッツは諦めきれずにない頭を捻って捻って……」


「それで騎士団に入ったんですか?」


「そうそう。騎士団に入団して、爆速で昇進して"王国騎士団団長"に成り上がって。ずっと反対してたお母さんの首を縦に振らせたの。まあ、そのせいか分からないけどあんまり仲は良くないらしいね」


「そういえば……」


 と、昔の王城でのやり取りを思い出す。険悪というレベルを超えていた。

 ただそんなことより、フィリッツの無茶苦茶さに関心がもたれる。騎士団に入団して団長に昇進するという、身分の差の埋め方がイカれている。


 そうしてあらかた話し終えたのか、アグネリアは息を吐いて、


「いやはや、ただの放浪者だった私たちがこんなちゃんとした仕事に就くとは昔だったら信じられないわけでさ。じゃなきゃ、ずっと命を懸けてお金を稼げなきゃいけなかったし。これも半分フィリッツのおかげなわけで」


「そうなんですか」


「そりゃそうよ。騎士団に入団した後も色々と気にしてくれて、本当に感謝してるんだから」


 アグネリアは誇らしげにフィリッツを語る。

 フィルが十五年見てきたフィリッツのイメージとは少々一致しないが、たまに出る柄の悪さの理由が分かった気がした。


「――さて、ここが待合室だよ。後で呼ぶからそれまでここでゆっくりしてていいからね。部屋に置いてあるのも勝手に飲んだりして大丈夫だから」


「あ、ありがとうございます」


「いいんだよ、それじゃあね」


 そう言って、アグネリアは廊下を歩いていった。

 面白い両親の過去を聞けたフィルはどこか愉快そうにしながら部屋へと入っていく。

 

「おぉー……」


 そこは一人で過ごすには少々広く、様々な本が並んでいる本棚と柔らかそうなソファーが完備された部屋だった。しかも丁寧に飲み物まで準備されている。

 一人を満喫できる空間であり、なんて楽園なんだろう、と持ってきていた魔方陣の書かれた本を取り出して、フィルはソファーに腰を落ち着けるのだった。

 



 そうして、二時間が経った辺りだろうか。

 フィルは――生理現象である尿意に襲われていた。


 さすがに部屋にトイレは付いてなく、仕方なくトイレを探しに部屋を出ていた。もちろん、ここで王城のときと同じ轍は踏まない。歩いた道を覚えながら廊下を進んでいる。


「おっ、あった」


 フィルがしばらく歩き角を曲がると、お馴染みの標識を見つけた。全世界共通の看板に感謝しつつ、何事もなく用を足すことができた。


 スッキリしたフィルは来た道を戻ろうと廊下へと出る。

 すると――前に修道服を着た少女がいた。


 ここまで人とすれ違うことは少なく、いても先生か係員だと思われる大人だけであった。試験を受けると思われる人は珍しく、修道服を着ているのも相まってほんの興味本位で見つめてしまう。


 となれば、視線を感じた少女がフィルを見て、目が合ってしまうのは自然の摂理である。

 そして、


「あっ」


 と少女が声を上げた。

 顔を驚きの一色で染め、綺麗な目を丸くしている。


「……あの、えーと……」


 しかも、あろうことか話しかけてきた。

 自分で蒔いた種だが、校門での出来事を思い出してフィルは苦い顔をした。また面倒なことになる予感がしてしょうがない。だから、


「すいません、今時間がなくて……また後程……」


 と、フィルはその場を颯爽と後にすることを選ぶ。

 後ろから静止を求める声が聞こえたが、それにも構わず廊下を走った。朝の不審者と校門の男女で十分うんざりしているのだ。これ以上人と話してなるものか、と硬い意思を持っていた。


 どうやら追ってきてはないらしく、一度角を曲がると彼女は見えなくなる。

 その執念浅さを他の人にも見習って欲しいものである、と愚痴る。


 そうして一安心しつつ部屋の方へ戻ると、ドアの前にアグネリアが見えた。

 彼女は走ってきたフィルを見ると、


「――あっ!いたいた!部屋覗いたらいないからさ、びっくりしちゃったよ」


「トイレ行ってて……すいません」


「大丈夫大丈夫、別に責めてるわけじゃなくて、本当にびっくりしちゃっただけでさ」


 アハハと笑うアグネリア。

 ただすぐにそれどころじゃないと焦りの色が見え始めた。


「そうだ!もう試験始まっちゃってるから、ほら、急いで!」


 と、フィルを急かして背中を押し始めたのだった。


 そうやって無理矢理廊下を歩かされると、段々と人の熱気を感じてきた。それだけではなく、どこかピリピリとした空気も伝わってくる。


 じわじわと緊張感が高まってくる中、一つ大きな扉の前に着く。

 扉を突き通して少年少女達の活気が漏れている。


「ここだね、ちょっと遅れちゃったけど……まあ問題ないよ。さあさあ」

 

「……」


 アグネリアは促してくるがいざ入るとなると緊張はしてくるもので、フィルは扉を開けるのを躊躇う。


 そんな身体の代わりに思考が回っていると――ここにきて自分は何をするのかという疑問が湧いてくるのだった。そう、具体的なことを何一つ聞いていない。それを聞こうとアグネリアの方を向くと、


「ほらほら、そんな遠慮してないでよっと――」


 と、問答無用で扉を開ける。


 ――その先は広い闘技場のような場所で、様々な武器を持った少年少女たちが闘いを繰り広げていた。

 

 誰もが真剣な表情で打ち合うその様は圧巻で、ごちゃごちゃだったフィルの頭の中をスッキリさせる。


「さあ、こっちこっち」


「ちょ、ちょっと……!」


 呆然としていたフィルの背中を押して、アグネリアは闘技場を進ませる。

 外では人目を集めていたフィルだが、ここでは皆が皆目の前の闘いに集中していて見向きもされない。きっと、この日のために一人一人が努力してきたのだ。


「て、ていうか、俺は何するんですか?」


「うーん、私もよく分かってないんだけど、取り合えずいてくれればいいらしいよ?言われたのはそれだけだしね」


「そんな大雑把な……」


 そう言って、おそらく試験官が集まる天幕のような場所に連れてこられる。

 そこにいた五人ほどの大人に軽く挨拶をして、フィルは言われるがままに席に座ることになった。


 あまりに身の丈に合わない席に恐縮してしまうが、だからといって本当にすることはなく、出来ることといえば大人しく闘う人達を見るだけだ。


「……そういえば、これはどういう試験なんですか?みんなで実力を競っているように見えるんだけど……」


 ふと再燃した疑問がそのまま口に出た。

 アグネリアは「ああ」と漏らして、


「本当にそのままだよ。トーナメント式に実力を示していって、先生方のお眼鏡にかなえば合格。シンプルでしょ?」


「……そんな雑でいいんですか……?てか、トーナメント式って……。対戦相手に左右されすぎませんか?」


「まあ、そこはほら、強ければいいわけだから。あと、色々なところから先生は見ているからね。別に初戦負けでもちゃんと実力があれば合格するんだよ」


「……そんなもんなんですね……」


 相変わらずの実力至上主義に呆れつつ、聞きたいこともなくなりまた視線を前に戻す。

 そうやってボーっと眺めていると――校門前で絡んできた青年を見つける。

 彼は対戦相手に木剣を構えていて、朝とは打って変わって真剣な表情をしていた。


「「……」」

 

 しばらくの間、二人は互いに牽制し合い間合いをはかっている。

 先に動くか、動くのを待つか、時間はゆっくりと進み――

 

「――!」

 

 突然に、闘いは始まった。

 両者とも一歩も譲らない打ち合いを繰り返して、カンカンといった音を響かす。

 意地と意地のぶつかり合い、努力の成果を見せるとき。


 ひとしきり木剣を振り合い、そして、


「――しゃあああ!!」


 絡んできた青年がガッツポーズをとった。

 対戦相手の剣を吹き飛ばし、無防備な身体に一発。

 意外にも、あの感じでちゃんとした技術があるように見える。


 すると、


「「……あっ」」


 その青年とフィルは目が合い、同じタイミングで声を漏らした。


 青年は身体全体でアピールをし出して、こっちを見てくれと表現していた。フィルはなんとも言えない顔をして、サッと目を逸らす。

 それでも視界の端にうるさい動きが見えるが、断固として無視を決め込んだ。


 それを見て、アグネリアが口を開く。


「あの子、友達?」


「……全然。そんなんじゃないですよ」


「そうなんだ?まだこっちに手振っているけど、返さなくていいの?」


「はい、知らない人なんで」


 頑とした態度がツボにハマったのか、アグネリアはお腹を押さえて笑った。

 楽しそうで何よりです、と一人冷めながら目を逸らしていると、今度はついさっきすれ違った"修道服を着た女の子"が少し離れた場所で立っているのを見つけた。


 彼女は武器を持っていないが、目の前には審査員のような人がいる。

 何をするのか気になり、見ていると、


「……おぉ」


 ――中級ほどの魔方陣を七個ほど展開した。


 そのどれもが別々の魔方陣で、それを一度に写し出した彼女の恐ろしさが今は分かる。


「おっ、彼女に目をつけるとはさすがだね。凄いよね彼女、流石はあの神童"ユリウス"君の妹だよ」


「……だれ?」


 神童、という響きが記憶のどこかに引っ掛かったが、思い出すまでには至らない。しかし、アグネリアはその質問に目を丸くして、


「え、知らないの!?ユリウス君を!?」


「は、はい……誰ですか?」

 

「驚いた……君って結構箱入り息子だったりするのかな」


 アハハ、と愛想笑いを零すがその線は否めない。今まで知り合った人など片手で数えられてしまう。


「流石にラグノク教団は知ってるよね。そこで司教やってるあの"クラウディア一家"だよ。ほらルフラさんとか知らない?」


「あー……知ってます知ってます。思い出し――」


 王城で卓を囲み話しているルフラを思い出し、連鎖的に庭でした"お悩み相談"が頭に浮かんで、そして勘付いた。


「……ユリウスさんの妹って言いました?つまり彼女って……」


「そうそう、さんだよ。やっぱ知ってたんじゃん」


「……そうですね、そういえば……知ってました……」


 もう一度エイラを見る。

 王城の庭で悩みを聞いて、よく知らないメイドに殺されかけて、そして助けた彼女の面影が確かに見えた。


 次いで、トイレの前ですれ違った彼女の顔を想起する。

 彼女は――女装が印象深いだろう人の一人だ。

 あの顔は。驚いたようなあの顔は、もしかして女装に気づいたのではないだろうか。


 そういえば、内気であった彼女がいきなり話しかけてきたのもいささか引っかかる。それを確認するために話し掛けてきたのではないだろうか。

 

 考えれば考えるほど、エイラとこれ以上話さない方がいい気がしてならない。


「……」


 フィルはエイラを見つめながら、親の仇を見るような目で睨む。

 彼女は要注意人物だ。少しでも選択を間違ったら、女装をしていた過去を拡散されかねない。



 ――そうしていると、近くから人のざわめきが聞こえてきた。



 遠くのエイラしか意識になかったフィルはハッとする。

 すぐに視線を戻せば――あの青年が倒れていた。


「あの、なにが起こって……?」


 完璧なよそ見で決定的瞬間を見逃した。傍で目をぱちくりさせていたアグネリアへ質問を投げかける。


「み、見てなかったの?ほら、あの子が君の友達君を一瞬で下したんだよ。友達君も実力は十分だと思うんだけど……いや、今年の首席はあの子かもね」


「あの子……?」


 友達だということを否定することも忘れて、視線を青年が倒れていた場所に戻す。

 青年の目の前には、先ほどは目に入らなかった少女が佇んでいて――


「あれ……あいつ……」


 ――その少女は腰ほどまでに長く真っ白い髪をたなびかせ、感情が見えない無表情。

 

 つい最近見た覚えのある顔の彼女は――朝に出会った不審者だった。

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