第21話 踏んだり蹴ったり
――魔法を教えてもらった日から三年と少し経った。
つまり、現在十五歳のもうすぐ十六歳。
この世界の成人は十八歳らしく、大人にあと一歩の距離まで来たことになる。
いやはや、時間が経つのは意外と早いもので、魔法を見ていたらあっという間に三年という月日が流れていた。
これといって特別な出会いや再会、別れなんかもないまま、ただ平穏な三年間。おそらく、心の底から魔法の勉強に没頭できた。
……ん?
存分に使った三年間の成果?
もし……魔法を極めた状態を100とするなら、三年間を費やした今現在の練度は……ざっと……"9"ぐらいだろうか。
うん、贔屓目に見て。オブラートに包んで。
――魔法陣が複雑すぎるのが悪い!!
なんだあの中級の魔法陣は?!あんな似たような模様ばっかの絵、区別して覚えられるわけねぇだろ!!
いや、初級はまだ許せた!
初歩の魔法陣を踏襲したような感じで、ギリギリ覚えやすい部類に入ってたよ。
けどな!中級になった瞬間、前提とかぶっ壊しまくったクッッッソ複雑な魔法陣になってやんの!
中級の魔法陣眺めてたらギリ覚えてた初級とごっちゃになってくるし、どれがどれなのかの判別もギリだから!
……結局、魔法陣を暗記するという頑固だった意志は僅か半年で折れた。
そっから、魔法陣の書かれた本を見ながら魔法を使うという方針に心惹かれて、ただいま中級を鋭意練習中である。
まあ……なんか中級の批判ばっかして、あたかも初級は全部暗記したみたいな雰囲気が出してたけど、初級も両手で数えられるぐらいしか暗記できてないけどね。
それ以上はどうしても暗記してた魔法陣と混ざってしまって、暗記が上手く進まなかった。
この進捗度”9”は実質の限界といっても過言ではないかもしれない。
悲しきかな、享年十五歳で俺の魔法道は逝ってしまったわけだ。
そして、これはついでだが、母さんが懲りずに女装させようと挑戦してくるようになった。
何があっても絶対着ないし、着る機会も存在しないからあしらっているが、母さんの何かに火が付いたらしくとてもしつこい。
間違って女服を買ったのが始まりらしいが、そもそも間違って買う意味が分からない。何をどうしたら間違えるというのだ。
母さん曰く、「間違ったついでなの、フィルの身長的に似合うのは今だけだから」と舐め腐った主張をずっと譲らない。
残念なことに、これがこの三年で一番の変化。魔法の技術より、母さんの方が大変な退化をした。
二日に一回のペースで聞いてくるのはストレスでしかない。
――ただ、これだけは言える。
俺は、絶対に、着ない。
―――――――
微小な成果で三年を終え、絶賛十五歳のフィル。
最近、人と話すより本を眺める時間が多いとフィリッツに指摘され、すっかりしなくなった庭での運動が強制された。
ただ嫌々運動はしているが、頭の中は魔法のことで一杯だ。
頭の中で自虐気味にツッコミを入れて誤魔化してはいたものの、努力が全く実らずどこか鬱々としているのは間違いない。
そして現在時刻は早朝。
朝起きたフィルは枕元にある魔法陣の書かれた本を見る。起きた時と寝る前の習慣で、一秒でも多く魔法陣を眺めていたかった。
眺めては目を瞑り、頭の中に描いて足りないところを本を見て埋める。やはり、終始本頼りで一つ写し出すまで時間も掛かる。
――三年間、ずっとこれの繰り返しであった。
しばらくして、廊下から階段を登る音が聞こえてくる。
おそらく、ティルザがご飯だと呼びに来たのだろう。
「フィルー?起きてるー?入るわよー」
「んー」
丁寧な呼び出しの後、返事を確認してからティルザはドアを開けた。
フィルはその姿をチラッと見て、すぐまた本に目を戻そうとするが、眼球はもう一度ティルザの方へ吸い込まれた。
「……なにそれ」
「可愛いでしょ?実際に見てみたら気が変わるんじゃないかと思って持ってきたんだけど、本当に着てくれないの?」
そうやって掲げたのはフリフリとした可愛らしいドレスであり、フィルは目に入っただけで顔を顰めた。
返答はもちろん、
「嫌です。勘弁してください」
「そう?残念、気が変わったら教えてね?」
「変わらんわ」
早朝からいきなり気分が下がるイベントだった。もうこのやりとりを何回したかなんて覚えていない。
フィルは鬱屈とした気分で朝食を食べに一階に降りた。
――すると、今日は休日なのかフィリッツが私服で席に座っていた。普通に平日であり休みなのは少し珍しい。
「父さん、今日は休みなの?珍しいね」
「あぁ。なんでも働きすぎだからとかなんとか。王直々に言われたよ」
「へぇー」
王様直々だなんて慕われてるんだなぁ、と零しながら席に着く。流石の副団長である。
目に入ってきた相変わらず色鮮やかな食卓を見て、この世界の色合いに慣れてきた自分に苦笑。
最初は見るたびに食欲が削られていたのに、いつの間にか気にしなくなっていた。人間というのは、案外適応力があるのだと身を持って知った。
ティルザが主食を取り分け、三人は談笑を交わしながら食べ進める。
話題は三人の気分で入れ替わり、最近忙しいとか同僚にあった出来事とか、会話のキャッチボールが止まることはない。
いつの間にか雑談には花が咲き、楽しい朝食であった。
「――そういえばフィル、魔法の勉強はどうなんだ?進んでるのか?」
「…………少しずつ?一応進んではいるよ……?」
「そうなのか、ならいいんだ。ちゃんと運動とバランスは取るんだぞ」
「う、うん」
しょうもない嘘を信じてしまったフィリッツに対して罪悪感とも違う気まずさを覚え、しかしこれ以上深掘りされるのも嫌で、フィルは一刻も早くこの話題を変えたかった。
変化の少ない日常から話題を探して、つい口から出たのは、
「いやけど、少し前からずっと母さんが女装を推してきてさ。嫌だって何回も言ってんのにマジで諦めないの。父さんからも何が言ってくれない?」
「えっ?」
それを聞いたフィリッツは目を丸くして驚き、次いで呆れた表情でティルザを見た。
視線を受けたティルザは汗をだらだらと垂らし、明後日の方を向いている。
「お前……まだそれやってたのか」
「り、理由があるのよ?それもちゃんとした!」
「どうせ今が最後のチャンスとかそんなんだろ」
「ヴッ!」
下らない理由を綺麗に看破され、ティルザは胸を抑える。
フィリッツはその様子を見て「お前なぁ……」とため息一つ、そこから粛々とした説教が始まった。
魔法の話題は狙い通り消え去り、なんだったらティルザによる女装ハラスメントもなくなりそうな雰囲気。
苦し紛れに打撃った弾丸はクリティカルヒットであった。
因果応報だ反省しろ、と説教を受けてしょんぼりし始めたティルザを清々しい気持ちで眺めるフィル。
性格が悪いと自覚はあるが、三年で擦れ切った心はそれを許容していた。
と、人の不幸を美味しく舐めていたフィルは――歓声のような騒がしさを耳にする。
それは、まるで有名人が歩いているかのような騒めきで、しかもその喧騒は少しずつ近づいているような気がする。
いつしかティルザとフィリッツも話を止めて、玄関の方を見ていた。
「……なにかしら?イベントがあるとか聞いてないわよね?」
「あぁ、ちょっと様子を見てくるか」
そう言って、フィリッツは玄関の方へ歩き、少し扉を開けて外の様子を伺った。開いた扉の隙間から外の騒音が流れ込み、騒音源がすぐ近くにあることが分かる。
フィリッツは外の様子を見終えたのか、そっと扉を閉めて、ゆっくりとこちらを振り向いた。
――しかし、何故かその顔には汗という汗が滴っている。
「……何かあったの?」
「何かっていうか、誰かっていうか……」
返答は有耶無耶でハッキリとしないし、言葉に詰まり、吃っている。
ただ、フィリッツの表情からはこれから良くないことが起きそうというのだけが察せた。
ということでフィルは、
「鍵閉めて、居留守しよう」
「いやー、それしたら最悪不敬罪に――」
フィリッツが言いかけたところで、玄関が思いっ切り叩かれる。ノックと言い張るには少々乱暴である。
「――フィリッツ・アデルベルト!王女様直々にお越しくださったんだぞ!早急に扉を開けるんだ!……ていうかさっきこっち見てただろ!なんで見て見ぬふりしようとしてんだよ!」
扉の反対側から喧しい声が聞こえてきた。色々と面倒くさい単語が聞こえた気がした。
ただ、名指しで呼び出されて居留守が決められる訳なく、数秒の躊躇いの後フィリッツは渋々と扉を開ける。
「……なんでしょうか、”シャルロット様”がわざわざこの家に足を運ぶとは……」
――開け放たれた扉から見えたのは、何人もの騎士に囲まれたシャルロットだった。
フィルと目が合うと笑みを浮かべて、それは広場での出来事をフラッシュバックさせ忌まわしいといった感情を抱かせる。ギリギリ顔には出さなかったのは、彼女が王女という立場にいるからだ。
ただ、そんなフィルの気持ちなど梅雨知らず、シャルロットはニコニコとしながらフィリッツの問いへと応える。
「いえいえ、それほど大したことではありません。三年半前のお礼について、お伝えしようかと思いまして」
「お礼、ですか?感謝状などはもう頂きましたが……」
「あんなものは形式上でしかないでしょう?私の命を救った対価がそんなもので足りるはずありません」
「はぁ……」
相変わらず目的が不透明なシャルロットにフィリッツは狼狽えている。
フィルは「あれと会話するのが自分でじゃなくて良かった」と、我が家の玄関で行われている煩わしい話し合いを他人事のように眺めていた。
しかし、
「――フィルさん、こちらへ来ていただけますか?」
「え”っ」
しっかりと目を見て、名指しで手招きされた。
すぐに立ち上がれず、身体が行くのを躊躇うがフィリッツとティルザの『早く行きなさい』という視線を受けて、無理矢理身体を動かす。
「……うげ」
目の前まで行くと、周りを囲む野次馬の数にたじろぐ。
王女がアデルベルト家へ行った、などの噂が爆速で広まってのだろう、この辺りの人以外も見に来ている。
「フィルさん、あの時は本当にありがとうございました」
王女がお礼を口に出せば、それだけで周りの野次馬はザワザワと反応を示す。
きっと、フィルの言葉にも同じぐらいの興味を持たれていて、とてもじゃないが下手なことは言えない雰囲気である。
「いや、まあ…………はい」
何か言葉を紡ごうにも、周りの圧に屈して言いたいことが出てこない。間違っても失言をしてはいけないというプレッシャーがフィルを押しつぶしていた。
「それでですね、私は考えてたんです。どうしたらこの恩を全て返せるのか。そして、ピッタリなのが思い付いたんですよ!」
「はぁ……」
恩返しなら
そしてシャルロットは手を広げて、
「それは――あの”バハムート大学”への推薦状です!近衛と渡り合い、王族の為に命を掛けた貴方なら快く推薦できます!」
そうシャルロットが言い放った瞬間、
――周りの野次馬はこれ以上ないほどの歓声を上げた。
バハムート大学とこの推薦状の価値など微塵も知らないが、歓声に含まれている驚愕や尊敬の感情、隣にいたフィリッツも顎が外れると言っても過言でもないほど口を開けていて、無知のフィルでもこれが物凄いことだと容易に察しがつく。
ただ、それが嬉しいことかと言われればまた別の話で、
「……ねえ、父さん。これ、まさか断ったりって……」
大学に行くなどといかにも億劫なことに変わりなく、フィルは小声でフィリッツに聞く。
自分でもまさか断れるとも思っておらず駄目で元々だが、億が一の可能性に賭けた。
しかし、その質問を聞いたフィリッツは、
「おまっ……そんなの無理に決まってるだろ……!シャルロット様が自分で渡しにきた上に、バハムート大学の推薦状なんか滅多に出るもんじゃないんだぞ……!これ断ったら余裕で国八分だからな……!頼むフィル……ここは、折れてくれ……!」
「ですよねー……」
一から十まで予想通りだった。
周りで騒ぐ野次馬も既にお祝いムードであり、仮にこの状況で『いらないです』なんて返答した日には冗談抜きで国八分になりかねない。
思えば、シャルロットに関わるといつもこうだった。裏に隠れた真意が見えずに、いつの間にか向こうのペースで、あっという間に逃れられない状況のど真ん中に押しやられる。
例に漏れることのない今の状況を見渡してフィルは苦笑、全く笑顔を崩さないシャルロットを見下ろす。
すると、シャルロットが一歩距離を詰めて、耳元に顔を寄せた。その王女らしからぬ距離感に戸惑い――
「ねぇ、まさか断ろうとしてた?」
「……ッ」
イタズラ好きの小悪魔みたいな囁きで身体は硬直した。
「……やっぱり。ダメだよ断るなんて。この推薦枠を確保するのがどれだけ大変だったか想像してみてよ。それはそれは長い時間を費やしたんだよ?フィルの誤解を解いたり、功績をアピールしたりさ」
言い終わるとシャルロットは一歩下がり、また先ほどのような笑顔を振り撒いた。
おそらく予定になかった密着だったらしく、王女を守る衛兵達はシャルロットの奇行に狼狽えている。
「ということで。はいこれ、推薦状です。後で色々な書類が届きますから、よく読んで、提出なども忘れないで下さいよ?」
「……はい。ありがとう、ございます……」
最後通牒を突きつけられ、心が受け取りたくないと必死に叫んでいたが、周りの圧力により震える手と声が繰り出された。
仕方ないかと許容できるわけもなく、大学なんか行きたくないと叫びたくて仕方ない。
すると、
「さて」
とシャルロットは呟いて、帰る素振りを見せた。
渡すものだけ渡して、面倒ごととストレスを残した張本人は颯爽と去ろうとしている。
心の底から許せないし聞きたいことは山ほどある。しかも、きっとそれは氷山の一角で、海の下には自分でも認識できていない疑問が埋まっている。
だが、それと対極に残された時間は少ない。
なにを聞こうかと逡巡して、一つの疑問を口にする。
「なっ、なんでそこまでして推薦枠なんか用意したん……ですか」
フィルの不器用な問いかけにシャルロットは振り向く。
ただ、ギリギリ滑り込ませたのが丸わかりな敬語を面白く思ったのか、フフッと笑みを零して、
「――恩返しですよ。私なりの」
そう、答えた。
慈愛に溢れた表情で、見た人の視線を硬直させる。
人を惹きつける何かを、感じざるを得なかった。
すると、シャルロットはまた一歩距離を詰めて、フィルの視界の大半をそのご尊顔で埋める。
フィルの落ち着きかけていた心臓は再び暴れ出す。
そんな距離感でシャルロットは、それに、と小声で呟き、
「フィル、自分で大学行こうとか思わないでしょ」
「……そんなん……分からんだろ」
否定は分かりやすい嘘で、肯定なんかしたくない。
フィルに残っていたそんな意地のようなものが、シャルロットの問いかけに肯定でも否定でもない返答をさせた。
ただ、シャルロットは予想していた答えだとでも言うように、憎たらしく意地悪い顔をして、
「分かるよ。だって私だったら嫌だもん、あんな人間関係の巣窟」
それがどう関係ある、と言い返そうとするが、シャルロットはフィルの言葉に被せるように「ていうことは」と続け、
「――同族さんのフィルも、同じ気持ちってことでしょ?」
「へっ……?」
短絡的な脳が自分は王族だったのかと明らかに誤った解を出したが、すぐにあり得ないことだと気付き正気に戻る。
では、一体何が同族であったのか過去を鑑みると、庭でカミングアウトし合った”コミュ障”のことだと勘付いた。
シャルロットの色々な面を見てきて本当にコミュ障なのかは怪しいところだが、彼女の言い当てた思考回路はコミュ障のそれだ。
あんな感じで笑顔振りまいて人前に出て演説もして、それこど息が詰まるような貴族とも関わりもあるだろう。
それにも関わらず、不憫なことにそれほど人が好きではないらしい。
……少し心配になる境遇だ。
数秒思考の海で泳いでそんな正解に辿り着いたフィルだが――目の前を映せば、いつの間にシャルロットはすっかり離れた位置にいた。
衛兵に囲まれて、後ろにあった豪華な馬車に乗り込もうとしている。
つい条件反射で呼び止めようと口を開けたが、それを正当化する大義名分が無いことで躊躇い、ついには諦めて口を閉じる。
結局、フィルは半ば放心状態でシャルロットを見つめることしか出来なかった。
――すると、
「あ、そうだ」
と、馬車に乗り込もうとしていたシャルロットの動きが止まった。そのままフィルの方へと振り向き、
「その、言わないのは良くないと思うので伝えるんですが……たぶん”フィルさんが一番心配してると思うあのこと”についてで……」
「………??…………っ!?」
シャルロットの抽象的な物言いによる「何言ってんだこいつ」という鈍い眼差しは、
しかし
常日頃頭の片隅にへばりついて離れなかった”
「い、いいやいいいいやいや!!ななななににを言おうとしてるんですか?!俺には心配してることなんてありませんよ!?」
なに人の秘密をこんな公衆の面前で暴露しようとしてんだ、と内心が怒りやら焦りやらで混沌としていた。
あのまま自然な流れで何かをくっちゃべそうだったシャルロットの言葉を吃った大声で遮り、血走った目で「言・う・な」と圧を送る。
しかし、シャルロットは軽く苦笑いしながら手を横に振り、
「違う違う、ここでそれについて言及するんじゃないですよ。ただ……」
「……ただ?」
何かを言い出しずらそうにしているシャルロットに極限の不安を感じながら、頭の中でいくつか予想が浮かぶ。そのどれもが碌なものじゃなかった。
どうか予想を下回った下らないものであれ、と縋るように祈りを捧げながら、フィルは続きを促す。
「いやぁ、そのー……ほんと大したことではないんですけど、実はぁ……」
なんとも決まりが悪そうに言葉を濁しながらシャルロットは視線を明後日の方へ向ける。目が合わなくなったのは初めてだった。
「ほんと、悪気はなかったんですよ?ただ、どーしても止むに止まれずというか……えーと……」
「……」
「――”あのこと”、一人にだけ教えちゃいました」
「は?」
てへっと、語末に聴こえてきそうなぐらいの雰囲気で、彼女は信じたくないことをあっさりと言い放った。
――誰かにバラされないか心配しつつも、心のどこかで女装の件はシャルロットの娯楽になるだけできっと誰にも言わないものだと思っていた。
一応助けた恩もある訳で、それを仇で返すような不義理なことはしないだろうと、ある意味で信頼していた。
ただ、そんな楽観的な信頼はいとも簡単に崩れ去る。
目の前の彼女は、ただでさえ誰にも知られたくなかったことをまず一人に伝播したのだ。到底許される行為ではない。
そして、そんな受け止めたく事実に思考停止していたフィルだが、シャルロットがあまりにもさりげなく馬車に乗り込もうとしているのを見て目が覚める。
「お、おい待て!それいつ……てか誰に教えた!?」
相手が王女という圧倒的目上なんてことは頭の中から抜け切って、敬語と外聞を微塵も気にせずに問いただす。
こちらに振り返ったシャルロットの目は気まずそうに明後日の方を向いていて目は合わなかった。
「あ、あはは、ごめんね、次の予定があるからもう行かなきゃなんだ……それについてはまた後ほど教えるってことで……」
「はっ?ふざけ――「ほんとごめん!じゃあね!」」
シャルロットはフィルの苛立ちを遮って馬車に乗り込む。
そして、フィルの言葉を待つことなく馬車は走り去っていった。
まさか走って追いかける訳にもいかず、段々と小さくなっていく馬車を茫然自失気味に眺める。
胸の内にあらゆる鬱憤が溜まって、抑えが効かなくなったフィルは、
「……だから待てって言ってんだろーがぁ!」
と、一人叫ぶのだった。
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