第20話 念願叶ったり、されどいい方向には転ばず


「――さて、これで一旦、一段落着いたかしら?」


「あれ、もう?」


 予想以上に早く訪れた区切りに少し拍子抜け。

 論理的だった教えは片手で数えられるほどで、魔法というものがどれだけ未知の詰まったものか分かる。きっと、ハッキリしていることの方が少ないのだろう。


 すると、ティルザは懐から辞書ほどの厚さをした本を取り出した。


「私に教えられることはもうないわ……フィル、よく頑張ったわね」


「……その感じ出すには教師の時間短いわ」


 唐突にきたボケにツッコミを入れる。

 ボケをスルーしない優しさだったつもりが、ティルザへ心外といった風で。


「本当に教えられることないんだから仕方ないじゃない!私も思ったわよ、なんでも教えられるとか言っても全然教えることないなって!もう!フィルに何か教えられるせっかくの機会だったのに!」


「いや急にヒスるのやめて?」


 心の底からの咆哮もフィルには届かず。

 ティルザは傷心といった感じにわざとらしくシクシクと目を擦っていたが、飽きたのかケロッと調子を取り戻し、


「ふぅ……はい、じゃあこれ」


「なに、これ」


 持ってきた辞書のようなものをフィルに渡した。

 受け取った本をペラペラの捲ると中には、

 

「大体の魔法を書いた本、暇があるときにチラチラ見るだけでも全然違うからね」


「はぇー……」


 感嘆と共にページを捲る。一枚捲るたびに書かれている魔法陣は複雑さを増しており、おそらく難易度の低い順に書かれているのだろう。

 すると、


「――それ……お母さんが手書きして写したやつなの。だから少しでも見てくれると嬉しいわ……」


「へっ、かっ、書き写した……?」


 さりげなく放ったティルザの言葉に、信じられないといった顔をするフィル。


 なにしろ、渡された本の厚さは誇張なしで辞書程度であり、それ相応のページ数がある。そして、そのページ全てに書き写すのも億劫になるほど複雑な魔法陣が描かれているのだ。

 つまり、ティルザがこの本を作成するのに要した時間は並大抵のものではない。


「元々は自分用だったのよ?覚えるのも兼ねて一個一個書いてったんだけどね、もう必要ないからフィルにあげるわ」


 そう言ってヘラヘラとしているティルザ。

 『もう必要ない』という言葉に「まさか全て暗記してるんですか」と引っかかりを覚えるが、それでも、


「え、いや、いいの?そんな大事そうなもの……」


 この本がティルザにとって相当大事な物だというのは言うまでもない。それをいくら息子だからといって軽々と譲っていいのだろうか。フィルが魔法に勤勉とも限らないし、母の努力の塊を有意義に扱えるとも限らない。

 しかし、


「――いいの。もう必要ないのは本当だし、フィルってばずっと魔法について知りたいって言ってたじゃない?なら、譲って然るべきだと思うわ」


「せ……聖母……?」


 女神より女神な母へ、これ以上ない尊敬の念を送る。

 受け取った本を細心の注意を払って扱うことを心に誓い、パラパラとページを捲っていく。


 どんな魔法があって、魔法陣がどんなものなのかを確認していく。もちろん、中には「これ覚えるの無理だろ」ってぐらいごちゃごちゃとしたものもあるが、母のことを想えば頑張ろうと前向きにもなれた。


「それじゃ、お母さん洗い物してくるから色々試してみてね。庭とかなら自由に魔法使ってみてもいいから」


「んー、分かった」


 ――フィルは本を読みながら、さっそく庭へと出る。


 初歩以外の魔法はやはり複雑で、たとえ見ながらだとしても頭に浮かべるのに時間が掛かりそうであった。

 いくら暗記が必要ないと言っても、ある程度は頭に入れておかないと実用的ではなさそうだ。


「……おっ?」


 そんな中、本の最後の方に凄く単純な魔法陣があった。丸い円の中に何本かの線が通っているだけで、ぱっと見ただけでも使えそうなものだ。

 一体どんな魔法なのか、書かれている文字を追うと、


「"転送魔法"……?」


 読んで字の如く、物や人を転送できる魔法らしい。

 しかし、転送といってもどこへでも行ける魔法ではなく、魔法陣を描いた紙などをあらかじめ置いておくと、魔法を使った時にそこへ転送できるというもの。


 その溢れ出る便利さと、何より魔法陣の簡単さに釣られてフィルはさっそく挑戦する。


 取り敢えずお試し感覚ということで、庭の適当な地面に本を見ながら魔法陣を描き、


「……転送」

 

 手をかざして言葉を呟き、先程同様魔素を送ってみる。

 数秒して、身体から軽く力が抜ける。どうやら無事魔素は送れたようだ。


「ではでは……」


 フィルは少し離れた場所へ移動して本へ目を移す。

 そして、転送の魔法陣を頭に思い浮かべた。


「……」


 単純なのもあって、すぐに全体像を浮かべることができた。

 もちろん、目の前には浮かべた通りの魔法陣が写し出されている。

 

「……よし」

 

 フィルは目の前の魔法陣へ手をかざして、グッと力を入れた。

 先ほどと同じ詠唱では面白みがない。では、なんて詠唱しようかと逡巡し、そして


「ル◯ラ」


 と、オリジナリティゼロの言葉を面白半分に唱えると



 ――身体をとてつもない虚脱感が襲った。



「――!?!」


 全身から筋肉がなくなったと感じるほどの脱力感。頭も尋常じゃないくらいクラクラして、とうとう膝から崩れ落ちる。


 視界がグワングワンと揺れる中――次に来たのは身体が浮くような感覚。まるで、ふわっと身体が浮いたようで、胃の中身がひっくり返った気もする。


 絶え間なく襲ってくる気持ちの悪い感覚にフィルの身体は疲弊し、自然と楽な姿勢を求め両手を地面に着いて四つん這いになった。


「ハァ、ハァ……うっぷ」


 終いには喉元にまで吐き気が来て、しかし、寸でのところまで耐えた。

 

 ただ転送魔法を使おうとしただけでこの醜態。

 もしかして魔法の適性がないのではないか、なんて頭の片隅で嫌な想像がよぎりだす。


 すると、


「――フィルー!あっ、もう遅かった……」


 流れにそぐわない能天気なティルザの声が聞こえた。

 ティルザは倒れているフィルに小走りで駆け寄ると、背中をさすって心配そうに様子を伺った。

 物理的には意味のない行為でも、近くに母がいるという状況は気分をだいぶ楽にさせた。


 しばらく介抱されると調子も戻ってきて、その場に座り息を吐く。

 それを見たティルザも一安心したようで、そして、おずおずと口を開く。


「そのー、やっぱり……転送魔法使おうとしてた?」


「そ、そうだけど……魔法陣簡単だったし」


 そう答えると、ティルザは気まずそうにしながら苦笑した。もはや見慣れてきたといっても差し支えないこの顔。心の中でまたか、という声が漏れた気がした。


「あのね、その転送魔法なんだけど……普通の人は使えないの。要求魔素が多すぎてね、私たちだと"身体の中の魔素を吸われるだけ"になっちゃうのよ」


「そ、そうなんだ……。いや、これほんとちなみになんだけど、なんで言ってくれなかったん?」


 至極納得がいく理由に頭の片隅にあった嫌な想像は消えて、取り敢えず一安心。

 しかし、だからなんでそんな大事なことを放り出す前に教えてくれないんだという訳で。別に責めるつもりはなかったが、無意識に語気が強くなってしまう。


「いやー……覚えがなかったっていうか失念してたっていうか、忘失っていうか忘却っていうか……」


「なんで忘れてたって言わない?無理だから、誤魔化せないから」


 意味のない遠回りにフィルは苦笑い。

 結局いつも通り大袈裟に謝って、心底申し訳なさそうにし始めた。


 「別に気にしないでいい」と本心から何度も訴えるも、それは効果は成さず。いかんせん子煩悩だから気にして仕方ないのだろう。


 話を変えようと話の種を探して、そういえばと"ティルザの指輪"が目に付く。あれは、たしか転送魔法が使えるものだったはずだ。


「――ならさ、その指輪は人で転送魔法が使えるようになるから考えられないぐらい高いってこと?」


「え?あぁ、そうよ。世界中探しても転送魔法が使える人っていない――わけじゃないんだけど……そうね、少ないから、この指輪は考えられないぐらい高いのよ」

 

 『転送魔法を使える人』の所で、渋い顔をしながら言い淀んだティルザ。


 何か嫌なところを突いてしまった感覚。

 ティルザが妙に狼狽えているところも含めて、とてもとても話を変えて欲しそうにしている。


 いつもなら空気を読んですぐ他の話題に行っていたが、しかし、こと魔法においての探究心は止まらないフィルである。

 今だけはティルザの都合などカケラも考えずに、


「――いないわけじゃないんだ。数人とかならいるってこと?」


「うっ、うーん……」


 容赦なく詰めていった。

 使える人がいない、と断言しないのならば、条件を満たした誰かが使えるということで。万が一、億が一にでもその条件を満たせるかもしれないのならば知らない訳にはいかない。

 そんな薄い希望を夢見ながら、ティルザに圧を掛ける。


 ティルザはしばらく言葉を選んでいる素振りを見せ、そして気まずそうな顔を見せる。言うべきか言わざるべきか、心の底から迷っているらしい。


 もう一度訴えかけようとしたところ、ティルザが口を開く。


「あんまり言いたくないかったんだけど……フィルには結構、ショックなことかもしれないし……」


「えっ……いや、なんで?」


 言い放たれたのは予想にしてない気遣いだった。

 転送魔法を使える人の何にショックを受けるところがあるのか、皆目見当も付かない。

 しかし、ティルザの言葉からは思い違いなどではない絶対を感じる。


 そして、フィルが反射的に聞き返した問いにティルザは答える。


「――"髪"がね、黒い色をしている人、いるじゃない?」


「ッ!」


 それはフィリッツやティルザが嫌でも触れてこなかった話。

 フィルにとっては見慣れた髪色だが、この世界では差別の対象で、唯一であった友人の話。


 結局、何も教えてくれなかった髪色に関することをティルザは唐突に話し始める。


「……髪が黒い人達はね、生まれつき、何故だかとてつもない魔素を有しているの。その転送魔法だって使えたし、高位の魔法を際限なく唱えることができたらしいわ」


「"できた"?」


 口調に混じる過去形に引っかかる。

 まるで、今はもう存在しないかのような語りだ。


「うん。だいぶ昔にね……髪が黒い人達が一団となって、世界中と争ったことがあったらしいわ。なぜそんなことが起こったのか、今となっては理由は分からないけど、大勢の人が亡くなった記録と、髪が黒い人達への排他的な感情だけは残った。それから、その人たちに魔法を教えることもタブーになって、膨大な魔素容量も過去の話に、ね」


「……」


 雪崩れ込む情報に、頭は整理をし切れず沈黙する。


 節々に存在する理不尽さに感情論が湧き出ては、どこか達観した部分が世界はそんなもんだと否定する。

 思考はごちゃごちゃとして、今何を考えているかも分からない。


 ティルザの前言通り、フィルは自分でも気付かない内に相当なショックを受けていた。


 しかし、止まっていた頭が回り始めても尚、どうしても一つだけ分からないことがある。

 それは、


「……ならなんで、二人はユリを……」


 ――きっとこれらは世界的な常識なのだろう。


 お祭りというあらゆる人が集まる場所で、周りの目を気にせずに一人の少女を袋叩きにできて、そんな行為が何にも阻まれることなく許容される。


 庇う人などいなければ止める人もいない。

 あるのはその流れに逆らわない民衆の悪意だけだった。


 ――しかしならば、何故ティルザとフィリッツはユリを庇ったのか。


 自分の子供が世界から忌み嫌われている子と関わっていれば、誰かに噂される前に距離を取らせるのが普通。

 まして、温かく迎え入れるなんて異常極まりない。


「……」


 フィルの問いにティルザは滅多に見ない真面目な顔を見せる。このギャップだけで圧があるのだからこの母はズルいのだ。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「周りに言ったらお人好しとか、おかしいって言われるに決まってるけどね――やっぱり私たちは、こんな迫害は間違ってると思うの」


「え……え?」


「確かに、彼らの先祖は多くの恐怖と被害を与えたかもしれない。けど、過去の代償を今の子孫にまで背負わせるのは、いくらなんでも酷でしょ?だから私――」


「ちょ、ちょっと待って、ちょっと」


 突然すぎる思想的な告白にたじろぐフィル。


 この世界の常識とも言える価値観を知ったと思ったら、それに楯突くヒューマニストであるとカミングアウト。

 ていうか、この世界なら異端に片足突っ込んでいるかもしれない思想である。

 

 ――え、まじでどうなってんの?


「な、なんでそんな急に、なんの話を……いや、えーと」


「あら、確かに急すぎたかも、ごめんね。……ただフィルってば、ユリちゃんと会えなくなってから寂しそうにしてたから……伝えてもいいかなって」


「うん……いや、別に寂しそうにはしてないけど」


「まぁまぁ、隠さないでいいの。私達はその恋、応援するわよ?」


「だから恋なんかじゃないけどね?」


 シリアスな話をしてたかと思いきや、いきなり母親特有のうざ絡みをし始める。控えめに言って情緒がおかしくなる。


「認めたくないお年頃ってやつかしら。――けど、あれから随分と成長もしたし、もう伝えてもいいかなって思ったのは本当なのよ?ほら、今までは濁してたじゃない?仲良くしてる子の現状を知るには幼すぎたし、私達の立場を受け止められる年でもなかったかなってフィリッツと話し合った結果なのよ」


「結構考えてんだ……ちなみに、その話し合いで俺が恋してるって結論も出たの?」


「――出たわね」

 

 キリッと言い切ったティルザに余念はない。

 なんとも憎たらしいったらない。

 

 ただ、根っからの親バカな二人がユリに関して、こんなにも真摯に向き合っているとは微塵も思ってなかったのも事実であった。

 息子の友達だからと短絡的に交流を許していた訳でも、自分達の思想を押し付けようと強制する訳でもなかった。

 

 日頃の行いでつい抜け落ちそうになるが、そういえばこの親は人格が出来上がっているのである。


「さて、お話もこれくらいにして、転送魔法でフィルの魔素もすっからかんになっちゃったし家の中で休みましょ?魔素切れって気付きにくいけど結果身体に負担掛かってるのよ」


「そうなんだ。なら、家の中でゆっくりと誤解を解こうか――」


 と、立ち上がろうとしていたフィルの言動は、地面を見て止まった。まるで時間自体が静止したかのように、それはそれはぴたりと止まった。




 ――何故かといえば、立ち上がる際目に入った土に『先程書いた転送の魔法陣』があったのだ。




 ティルザの話では『発動はせず魔素を吸われるだけ』の転送魔法。


 しかし、地面のそれと見渡した周りの景色はその事実を真っ向から否定している。

 あえて明言するのならば、これらは"フィルが転送魔法を使えた"ことを表していた。


 フィルはその事実に震えながら、なるべく平静を装ってティルザに最後の確認をする。


「……ね、ねえ。転送魔法を使えるぐらい魔素容量が多い人って、本当に髪が黒い人以外にはいない?それ、絶対?」


「うん。そうね。どれだけ過去を見ても、唯の一人だっていないんじゃない?」


「そうなんだ……ま、まぁ取り敢えず、家の中戻ろうかな」


 あっさりと自らの異質さを証明されて、手が震えそうになりながら立ち上がる。


 なるべく自然に地面にある魔法陣を足でかき消し、家の方へと向かう。一刻も早く、この母親に何か勘付かれる前に距離を取りたかった。


 すると、


「あれ、フィル?」


「な、なに……?」


 いきなり呼び止められて肩が跳ねる。

 冷や汗が頬を伝う中、顔は平静を務めて振り返った。


「――魔素切れして、そんなに歩けるのね」


「えっ?」


 その一言に、全身の穴という穴から水が噴き出るのを感じる。きっと普通、魔素切れしてすぐは動くことが難しいのだ。

 

 誤魔化すには魔法に関する知識が足らず、どのような言い訳も墓穴を掘ることになるのは目に見えている。

 だからといってこれをカミングアウトしては、これから先の人生が面倒くさくなってしまうのが火を見るより明らか。しかし、隠し通すにはあまりにも越えるべき障壁が多い。

 

 八方塞がり、とフィルは弁解を諦めて次のティルザの言葉を待つしかなかった。

 残酷に開かれたティルザの口がスローモーションに見える。


「――フィルも魔素の回復が早い方なのかしら?」


「…………そうなのかも」


 ギリギリのところで肯定できた。心の底から、何も言わないで良かったとホッとしているフィル。

 しかし、そんな気も知らないでティルザは騒ぎ続けて、


「こう見えて私も早い方なのよ!きっと遺伝したのね!」


「う、うん……ありがと?」


 何故かハイテンションなティルザを置いて、フィルはトボトボと家の方へと歩いていく。


 自らの異常の原因に『前世』を勘案しつつ、悩みの種が増えたことにため息を吐いた。ただ気楽に魔法を学べると考えていたが、思わぬ足枷が着いてしまった。

 

 ――平穏とは、また距離が一歩空いた日だった。

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