第19話 人を教え、善い方向へ
ヴァイツと死闘を繰り広げ、シャルロットに何よりも守りたかった秘密を看破された日から数週間が経った。
その間、後で話を聞きに来ると言っていた兵士も家に来ていた。
といっても、事情聴取という感じはなく、二、三回の「はい」と「いいえ」の返答であっさり帰っていった。それから何かがあるわけでもなく、上流階級お得意の握りつぶされたような”何か”を感じた。
この国にもそのような闇があるのかと辟易やらしたが、とぼとぼ帰る兵士を見て――何故だか得意げにしている父が目に入って色々と察した。
薄汚い闇張本人が目の前にいた。
悲しきかな、時間さえあれば王女を人質に取るという大事件さえ、これほどあっさり幕引きにすることができるのである。
まぁ、その恩恵をもろに受けたのでなんとも言えないのだが。
そして、ここ数週間ずっと頭の片隅に蔓延る悩みである
ちまちま外出して、前より増えた注目と噂話を独占するのだが、その中に「あいつ女装してたらしいよ」などは混じっていない。
しかしまぁ、だからといって安心できる訳もなく、あの人の目的の不透明さにストレスはジリジリと溜まっていっている。ついでに毛根も削れていってる気がする。将来が心配になってくるし、もし禿げたらこれが原因だ。
ついでに、こんなケツの青い子供が近衛と戦えてしまったという異様な事実は、昨今の井戸端会議を盗み聞く限り、”フィリッツ副団長の息子”だからと結論が出ていた。
父の威光など一ミリも知らない訳だが、十二歳の子供が大人の近衛と戦えるように鍛えたかもしれない、と舐めた理論が通るのだ。大概むちゃくちゃなものらしい。
意識が低かったというか忘れてたというか、俺に課せられた十字架はこの世界ではあまりに重いらしい。
殺す、殺されるが気になって仕方ないし、もう人と争うことなんてまっぴらだ。
そんなドタバタとしていた日常も、この数週間でやっと落ち着きを取り戻してきた。願わくば、これからはあんな事件に出会わないで過ごしたいと、改めて強く思う。
―――――――
広場での一件で荒れていたアデルベルト一家もある程度落ち着きを取り戻し、いつものようにリビングで堕落の限りを尽くしているフィル。
このような怠惰な時間も久しぶりな気がして仕方ない。
すると、
「――フィルー!実はね、とってもいい知らせがあるのよ!」
「んー?」
いつにも増して、ハイテンションなティルザがリビングへやってきた。その背に何かを隠しているのが分かるが、ご機嫌な理由と何か関係しているのだろうか。
「何?いい知らせって」
「ふふん!ジャジャーン!”魔術教化許可書”ー!」
「……ん?それ、まさか……」
そう言ってティルザが掲げたのは賞状のようなもの。
内容などパッと見で分からないが、しかし、耳に入った単語が待ちに待ったものだと脳を昂らせる。
フィルのそんな予想を肯定するようにティルザはニコっと笑うと、
「そのまさか!決して忘れていたわけではない魔法を教えていいという許可書が、今日届いたのよ!もう一度言うわね!決して、忘れていた訳ではないわ!」
「う、うん……わかってるってば……」
謎の圧掛けに苦笑をこぼす。しかしまあ、これほど念を押されてもフィルの中では忘れていたが八割、出せなかったが一割、本当に遅かったが一割という見込みで固まっており、今更どんな言葉でも動くものではなかった。
――ただ、
「てか……やっと魔法を……!」
念願で待ちに待った瞬間なのには変わりなく、じわじわと実感がフィルの中で大きくなり、久々に嬉しいという感情で一杯になった。
そんな様子にティルザは生暖かい視線を向ける。
「そうよ。これでも私、魔法に関しては凄いんだから、なんでも聞いていいからね?……まあ、あんまり論理的なことは教えてあげられないんだけど」
「いや知ってる」
「……えっ、知ってるってなに?ねえフィル?本当にお母さん凄いのよ?」
元からそれほど期待はしていないフィル。長年の経験の成果である。
しばらくイチャイチャと戯れあったあと、ティルザは紙を取り出した。五枚ほどの束で、それぞれ魔法陣っぽいものが透けて見える。
「――まあ、まずは日常的な魔法から。難易度的には初歩かしら?」
「う、うん」
フィルは知っていた。この世界においての術式の複雑さを。
初歩とはいえ、覚えるのに相当な時間が掛かることを察していた。いくら念願と言っても、途中で探究心が折れるぐらいの魔法陣を見てしまったのだ。
挫けぬよう強く意志を持ちながら、ティルザが渡してきた紙を見る。
「――あれ?」
――渡された紙に書かれていた魔法陣は、どれも覚えるに時間を使わなそうな、言うなればとても単純なものであった。
魔法陣を構成するのは、やはりいくつかの幾何学的な模様に見慣れない文字。
しかし、いつか見た錬金術式や母の魔法より何倍も大雑把で、覚えるのに吐き気を催すほどではない。どちらかといえば拍子抜けしていた。
「簡単ってほどじゃないけど……そんなに複雑でもないんだ」
「このへんの魔法は小さい火を起こしたり、少量の水を出したりと、何か小さなことに使える魔法ね。日常的にも使えるし、『魔法を覚えるならこれから』ってよく言われるかしら」
「へぇー……」
魔法の道の出鼻が挫折から始まることはなく、フィルは意気揚々とその紙を見つめる。
ティルザもそんな楽しそうなフィルを見つめて、一分。
「――ていうか、魔法ってどう使うの?」
「あら、知らないで見てたの」
もっとも根本的な所を知らないことに気づく。
何年か前のアスクとの会話から、魔術系は魔法陣を暗記するというイメージがあるが、それより詳しい所は全くの無知であった。
「とりあえず、魔法陣とかを暗記する必要があるのは知ってるけど」
「うーん……別に暗記する必要はないのよ?」
「あれ?そうなの?」
唯一知っていたところも否定されて、つまり自分が何も知らないことを知った。綺麗な無知の知である。
ていうか、情報源のアスクが化け物だっただけ説も浮上してくる。暗記する方が稀なのではないだろうか。
「まぁけど、扱い方にもよるのかしら?魔法の使い方の話になるんだけど、魔法陣って”魔法陣を思い浮かべる”とその魔法陣が写し出せるものなの。例えば……こんな感じに」
そう言って――ティルザは目の前に少々複雑な魔法陣を写し出して見せた。
何かを詠唱などしていないし、力んだりもしていない。本当に魔法陣を思い浮かべているだけのようだ。
「おぉ……ん?ていうことはこの魔法……今思い浮かべて出したってこと?」
「そうよ?これは暗記してるやつ」
「そ、そうなんだ…… 結構複雑だと思うんですけども……」
しれっと心が折れるようなことを言うティルザ。
せっかく湧いてきたモチベーション的なものがただの願望だと分かるのが早すぎた。
「暗記してると手間がないってだけよ。実際、浅く広く魔法陣を頭に入れておいて、魔法を使うときはメモを見る、なんて人もいるんだから」
そんな慰めにも聞こえるフォローを言いながら、ティルザは手に持った紙を指差し、
「それに、いくら複雑でもようは慣れみたいなものよ。とりあえずこの魔法を一回写し出してみて?見ながらで大丈夫だから」
「う、うん……分かった」
フィルは手に持った紙を見ながら、それを頭に浮かべる。
幾ばくか単純といってもそれは相対的な話であって、絶対的に言えば思い描きにくいのは変わらない。それがいくら見ながらといっても、難易度に変化はなかった。
見ながら頭に浮かべて、抜けているところを見て補完してを繰り返すこと約三分。
――とてもあっさりと、フィルの目の前に蒼色の魔法陣が写し出された。
「……お、おおおお?!」
初の魔法。
心の底から憧れていた、念願の魔法。
その分かりやすい一歩を踏み出せたことに、思わず声を上げて喜んだ。隣にいたティルザもパチパチと拍手、息子の成長を嬉しそうにしている。
――しかし、ティルザは突然ハッとして、
「あ、あと。言い忘れてたんだけど」
「ん?なに」
「あっ、ちょ、あっ……」
と、ティルザの方へ顔と意識を向けると、声を掛けた張本人はいかにもやらかしたといった声を発する。
何かあったかと考えつく前に、ティルザが物凄く気まずそうな顔をしているのが目に入った。
そして、ティルザはそんな気まずそうな顔を変えぬまま口を開く。
「そのー……写し出した魔法陣はね?魔力を送って魔法を発動し終えるか……魔力を送る前に意識をその魔法陣から外すと消えるの。だから、写し出した後は魔法陣を意識しといてね、って言おうとしたんだけど……」
「……」
――ゆっくりと魔法陣のあった方へ向けると、さっきまであったはずのめでたいめでたい魔法陣は、すっかり消え去っていた。
その事実を飲み込んだ後、ギギギ、とまたティルザの方へ顔を向けて、
「――言うのが遅いわ!!しかもなんで出した後に言うんだよ!そっちに意識いくに決まってんだろ?!」
「ごめんね……言い忘れてたからつい呼んじゃったの」
教え方の順番を責めようとも、ティルザの場合本当のうっかりなのであって、ミス以外の何物でもないのだろう。
しかも、教えてもらっている立場であり、感謝しているのも本心でこれ以上の文句の言葉は出てこなかった。
「はぁ……」
フィルは渋々、もう一度紙と睨めっこしながら魔法陣を頭に思い浮かべる。
若干慣れたのか、今度は一分程度で魔法陣を写し出せた。その魔法陣が消えないよう意識しながら、フィルはティルザへ聞く。
「……で、これからどうすれば?」
「あ……それも言ってなかったわ」
「ねえ、ちゃんと教えて?魔法得意なんじゃないんですか?」
「違うの!ほら、魔法ってほぼ感覚で扱うものだからそもそも教えるってことが難しいのよ!」
もしかしてティルザは天才型で実は自分のできることを教えるのに向いてないんじゃないかと、いつかのフィリッツとの稽古を思い出す。
フィリッツの稽古も大概感覚的だった。
ティルザは頭を捻りながらどう教えるか考えているらしく、柄にもなく小難しい顔をしている。一応彼女なりに、頑張って教えようとはしていた。
「取り敢えず、詠唱するのが一般的なんだけど、こう……」
「詠唱!なんかそれっぽいじゃん!」
ティルザが言い終わる前に声を上げて、とても魔法らしい手順に興奮を露わにする。
とてつもなく厨二な詠唱だった場合、流石に羞恥心が勝ってしまいそうだが、それでも一度は唱えてみたかった夢に見ていたものだ。自然と息は荒くなっていった。
「それでそれで、この魔法はどんな詠唱なの?」
「特に決まってないわね。こう……使う魔法に関連する単語は魔素の乗りがいいって言われてるから……あっ、魔素っていうのは魔法を使う時に必要な体力みたいなものね?……で、えーと……詠唱は……なんかそれっぽい単語を並べると、いいのかしら?」
「なんでそんなハッキリしない??」
伝えたい単語だけが脊髄から出たみたいな説明。こんなんで本当に凄い人なのか疑ってしまう。
ていうか、あまりにもさっくりざっくり重要そうな”魔素”なる物の解説も入っていた。
MP的なやつだと前世から魔法にイメージを持っているフィルだから伝わるものの、これが何も知らない一般人だったらどうするつもりだったのだろう。
「本当に説明するのが難しいのよ!こう、身体の中の魔素を言葉に乗せて魔法陣に届けるみたいなのが、詠唱する意味だから……」
「わかった、具体例を教えてよ。例えばどんなのがあるのよ」
説明が混迷を極め出したことを感じて、軽く誘導をする。
「例えば?うーん……単純に『火よ!』とか」
「うんうん」
「安定に『燃えさかれ紅蓮の炎、その小さな火種から伝説へと成れ』とか」
「うん、うん?ギャップ?」
これが同じ魔法で使う詠唱だとはとても思えない。単純と安定の差が天と地過ぎる。
ていうか後半の気合いの入り方が異常なのか。
「……てかそれ、長く詠唱する意味あるの?圧倒的に『火よ』の方が便利じゃない?」
長ったらしい詠唱する意味あるか問題。
使うんだったら短い方がいいに決まってるし、格好を付ける以外に長々と綴る意味がない。
するとティルザは得意げに鼻を鳴らした。
「ふふふ!やっと自信を持って教えられる質問が来たわね!それにはきちんとした訳があるのよ!」
「お、おぅ。そうなの?」
急な圧に思わず引く。
しかし、そんなフィルなど気にもせず、自分の初の仕事に意気揚々と胸を張る。教師らしい所を見せられるとどこか嬉しげだ。
「まず、魔法陣っていうのはね、流された魔素の量によってその威力や能力を上げていくの。初級の魔法陣でも大量の魔素を流せればとてつもないものになるし、上級の魔法陣でも少量の魔素だと初級程度しか出ないわ」
「そ、そうなんだ」
「ええ。そして、この一度に送れる量には詠唱でも個人差があって、完全な生まれつき。初級で一般的な上級ぐらいの威力を出せる人もいれば、そうでない人もいるわね。――で、ここで詠唱の長さに戻るんだけど、長ければ長いほど魔法陣に多く魔素が流せるのよ。だから、流せる魔素が少ない人でも長めの詠唱をすれば威力に差が無くなる訳!」
「……なるほど?」
――ここで察しのいい俺は気付いた。気付いてしまった。
魔法陣を多く覚えられるかは”記憶力”が左右する。
これは個人差で、アスクのように数十秒で暗記する化け物もいれば、俺のように初歩でひぃひぃ鳴く貧弱な奴もいる。
そして”魔素の量”。
これが全人類皆平等で一律……なわけなく、どうせ遺伝とかで個人差に決まってる。
では、最後に先ほどの母の言葉を思い出そう。
それによれば”魔法の威力”も生まれつきで、つまり才能らしい。
はてさて、MP、威力、魔法の数の必須技能達が軒並み才能で決まるじゃないか。
なんだこの天命待つしかないカス仕様は。少しも人事を尽くす隙間がない。
――ならばと、自分のMPやどれだけ魔法を覚えられるかは一度置いておいて、現在で出すことのできる威力を見てもらおうと魔法陣へ目を戻す。
すると、
「あれっ」
そこに展開していたはずの魔法陣は綺麗さっぱり無くなっていた。その事実に気づくと、隣からおずおずと声が聞こえてくる。
「それ……詠唱の説明始めたときぐらいにはもう……」
「……」
自らの集中力のなさに辟易しつつ、渋々と魔法の書かれた紙を見る。そして、本日二度目の作業を淡々とこなすのだった。
三度目の正直とフィルは魔法陣を写し出して、ティルザへ話しかけることをせずに魔法陣と向き合った。
今度こそ、展開した魔法陣を使ってやる、と心の底から誓って。
「えーと……これ、なんの魔法陣?」
「それはね、少しの水が出てくる魔法よ」
「なるほど?じゃあ……えーと……」
いざ詠唱しようとして、なんて唱えるか悩む。
残念ながら想像力や語彙力が足りないようで、パッといい言葉が思い付かない。
浮かんでくるのはショボいようなダサいような言葉や、どこかで聞いたことのあるような二番煎じ的な単語。
思考が紆余曲折右往左往して、結局フィルが選んだ言葉は、
「……水よ!」
――なんの面白みもない、単純が過ぎる一言であった。
しかし、言葉を発した瞬間――スッと身体から力が抜けるような感覚を覚える。
そして、
「ッ!?」
魔法陣から蛇口を捻ったような水が出る。
特に勢いもなく量も乏しい。用途といえば乾きを癒すほどしか思い付かないが、しかし確かに魔法が使えた。
その事実にフィルは、
「お……おおぉぉぉおお!出たぁああ!」
腹の底から声を出して叫んだ。
言葉や表情の隅々からも喜びが溢れ出る。
もちろん、隣のティルザも歓喜の声を上げて、
「凄いじゃない!さすがは私の息子ね!天才じゃない!」
そう言いながら頭をこれでもかと言うほど撫でるティルザ。フィルはうざったくもしつつも抵抗は控えめだ。きっと、満更でもないのだろう。
二人は戯れあい、しばらく喜びを共有していた。
しかし、フィルは本来の目的を思い出す。自分が魔素をどれだけ流せるのかだ。
贔屓目に見ても、魔法陣から出た水に勢いや量があったとは言い切れない。基準を知らないことから、初歩級らしいものだったか、あり得ないぐらいショボかったかも判断できない。
結局、魔法に詳しいとされるティルザに聞く他なかった。
「……ちなみに、俺の魔素流せる量みたいなのってどのくらいでした……?」
緊張からか変に強張って問いかけた。
しかし、魔法をやっていけるだけの才能があるかどうかが分かる一瞬で、フィルにとってはこれ以上ないほど重大な場面だ。
ただ、そんなフィルを見てティルザはクスッと笑う。それは、愛おしいものを見て零す笑みだった。
「フフッ、それね大体遺伝らしいの。私もフィリッツも平均だし、今のを見た感じも普通ぐらいはありそうよ?」
「あ、そう……いやだから、なんでそういうの教えてくれないの……?」
嬉しさというより、いらぬ心労を抱えたフィルは、相変わらずの説明不足に脱力しながら睨む。
しかし、その拙い批判は笑いながら受け流されたのだった。
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