第18話 死に物狂いの報酬

 フィル達は驚きで目を見開きながらヴァイツの方へ視線がいく。

 そいつは、たった今同胞を殺したというのに、「はぁぁあ」と深いため息を吐きながら、見たことないぐらい不機嫌な顔で二人を睨んでいる。


 人質という体裁すら忘れたフィルは、いつの間にかシャルロットを背中に隠し、重い剣を両手で握っていた。


 最も恐れていた強硬策。

 今更、逃げられる訳がない。やるしかない。

 

「せっかくここまで上り詰めたのに、無駄になっちまったよ……」


 ヴァイツは、何やらグチグチと小言を呟いたかと思うと――問答無用でフィルの方へと距離を詰め、その剣を振るった。


「――!?」


 唐突な攻撃。

 悪役らしい文言も講釈もない、純粋な殺意。

 それをすんでのところで受け止める。


「……」


 攻撃がたった一撃で終わる訳がなく、次々と剣は振るわれる。

 フィルは、いつかやったフィリッツとの打ち合いを脳裏に浮かべながらそれらを防いでいく。


 しかし、できていることは所詮防御だけであり、しがない現状維持だ。

 攻勢に移れるほどの余裕はなく、戦況は押され気味。

 いつか限界が来ることは目に見えていた。


 ――そんな中、ヴァイツが口を開く。


「こんなことになるなら、やっぱりあそこで殺しておくべきだったよな。……てかまあ、アイツらがミスったのも原因なんだけどさ」

 

「……!」

 

 意味ありげなその発言にアスクとの出会いの時――

 いかつい三人組に襲われた時を無意識に連想する。


 あれはお前の仕業か、と意識が戦闘から逸れたその一瞬。


 張り詰めていた糸が僅かに緩んだその一瞬――ヴァイツはフィルの剣を弾いた。


「――!!」


 フィルは大きく体勢を崩し、ヴァイツは不敵に笑う。

 とても不味い状況だが頭はどこか冷静で、次の一撃が自分のどこかを傷つける、または致命傷になることを頭の片隅で理解した。


 ゆっくりと感じる時間の中、しかし、ヴァイツの剣に注視していると振るわれたその剣がことに気付く。


 では誰に――なんて疑問が浮かぶ前にフィルの身体は動いた。


「――がぁ!」


 無理矢理動かした身体は不完全で不恰好。

 しかしなんとかヴァイツの振り下げる剣とシャルロットの間に剣を滑り込ませ、なんとか軌道を逸らせた。


 これは想定外だったのかヴァイツも動きを止め、フィルは間髪入れずにヴァイツの胴体へ蹴りを放つ。


「ガハッ……!」


 それなりの威力があった蹴りを喰らい、腹を抑えながら後ずさるヴァイツ。

 互いの距離は空き、シャルロットは無傷。

 流動的だった状況は一旦の落ち着きを見せる。

 

 ――しかし、静かになった戦場にカランカランと、金属片が地面にぶつかる音が響き渡る。




 見れば、持っていた剣の半分があった。




 不完全に当たったことにより力の入り方が良くなかったのだろう、フィルの剣の刀身はほどまで折れてしまっていた。


 それを認識すると同時に、ヴァイツから意地汚い笑い声が漏れた。

 

「ハハハッ!フィリッツってほんとイカれてるんだな、なんで自分の子供こんな鍛えてんだよ。まぁまぁ防がれてビビったんだけど。……まぁ、これでもう終わりだよ。なぁ、お馬鹿なフィル、余計なことしなきゃもう少し長生きできたぜ?」


「……」


「てかまあ、お前剣の使い方雑すぎな?ちゃんとフィリッツの言うこと聞いてたか? はぁ……勿体ないねえ、あれか。父親はあんなに秀才なのに息子はそんなじゃなかったってやつか。それともやる気がなかったか?」


「……」


「残念だなぁ。もっと真面目に父親の言うこと聞いときゃここで俺を止めれたかもしれないのによ。けどまあ、そんなこと後悔しても遅いんだけどな。ハハッ!」



 ――ぺらぺらぺらぺらぺらぺらと、いつまで経っても閉じないヴァイツの口はフィルの胸の内を存分にザワつかせる。

 その煽るような口ぶりと挑発的な態度は高くない沸点を優に越える苛立ちを覚えさせ、頭に血が上るを感じる。


 慣れない身体で、慣れない武器を使って、守る者がある。

 それに呪いのせいで万が一にでも殺してはいけない。

 ただの反撃ですら気を使うのだ。




 そうだよ。

 こんだけハンデがあって未だに殺せていないのに、こいつは何を勝ち誇ってんだ。

 ああ、なんか――イライラしてきた。




「――で?何?話長くて途中から聞いてなかったわ。てか、馬鹿はお前の方に決まってるだろ。こんなガキに殺そうとしてるのバレた上に阻止されて、恥ずかしくねえの?俺だったら即刻自死するわ。恥ずかしくて」


「あ?」


「なんなら手伝ってやろうか、死ぬの。それ以上恥の上塗りする前にさっさとこの世を去った方がいいと思うし。選べよ、何死がいい?俺的には野垂れ死にとかおすすめだけど。ちょうどここでもできるし、めっちゃお似合いだわ」


「おいこらガキ。あんま舐めたこと言ってんなよ。それともなんだ、剣が折れて頭もイカれたか?」


 煽り返され不快な顔をするヴァイツなんか気にもせず、フィルは両手で持っていた剣を片手に持ち替える。


 それはとても良く馴染み、刀身の長さもちょうど良かった。だから――


「勝手に言ってろ――俺はこっちのが得意なんだ」


 言うが早いか、フィルは速攻で距離を詰める。


 隙あらば片手でも切り落としてやろうと思っていたが、相手は腐っても近衛騎士。しっかりと剣を返され、防がれる。


 しかし、今度は俺の番とでも言うようにフィルは腕を振り、続け様に攻撃を繰り出す。


 フィルの刀身は短く、先程より間合いのない打ち合い。

 そのどれもが防がれるか躱されるが、しかし戦闘のペースは掴んでいた。


「――!」


 フィルの攻撃の合間、ほんの僅かな瞬間を狙ってヴァイツは剣を振るう。

 予想外の攻撃に防ぐことは間に合わなく、避けれるタイミングも逃している。


 遅れ気味にフィルは身体を逸らすと、


「――ッ!!」

 

 胴体に剣が擦り、切り傷が出来る。

 久しぶりの"痛み"に身体は驚き、フィルは歯を食いしばる。


 ただ、


「――お"ら"!」


 攻撃が当たりニヤついているヴァイツに向けて蹴りを入れる。

 フィルの足はヴァイツの身体にめり込むと、鈍い音を立てて吹き飛ばした。


 肉を切らせて骨を断つ、を綺麗に決めた形であった。


「痛ってえ――」


 のそりと起き上がるヴァイツに、フィルは距離を詰めていく。

 剣を振る、とも考えたが、致命傷を恐れて拳を握る。

 そしてそのまま、


「――グハッ!」


 顔面目掛けてフルスイング。

 顎を打ち抜かれると、ヴァイツはまたしても地面にバウンドした。

 

 痛みに悶えるヴァイツだが、間髪入れずに近づいてくるフィルを見て剣を振る。

 二回目は流石にダメか、とフィルはその攻撃を躱すと、そこからはお互いの競い合いとなった。


 躱して攻撃。攻撃して躱す。

 時には防ぎ、防ぎ切れない攻撃は身体に切り傷を作る。

 

 しかし、ほぼ互角に見えたその戦闘で絶対的に上回っていたのは――フィルの殴りや蹴りというシンプルな肉弾戦であった。

 たったそれだけで、戦況はフィルに傾いている。

 

 剣戟の合間に入る打撃はヴァイツに馴染みのない戦法らしく、切り傷を受けるより多く意識を失いかねない一撃を喰らわせていた。


「――……」


 気付かぬ内にダメージは蓄積し、段々と動きが鈍くなっていく中――遂に、ヴァイツは大きな隙を見せる。


 フィルの目はそれを見逃さず、大きく腰を入れ、


「――死ねやぁああああ」

 

 絶叫。


 そして拳はヴァイツの顔面を見事に打ち抜き、人体が出してはいけない音が辺りに鳴り響く。


 ヴァイツは受け身を取ることなく頭が地面に激しくぶち当たり、そして完全に沈黙した。


「……はぁ、はぁ……勝て、た……?いやなんで……?」


 息も絶え絶え、フィルはヴァイツが動かないのを見て安堵する。

 それはそれは実力があると噂の近衛騎士。その勝利の余韻を味合う――かと思いきやサーッと血の気が引いていった。

 

 ――今の一撃で、殺してしまっていないだろうかと。


「……お、おい?大丈夫……か?死んでない、よな?俺、殺してないよな?」


 警戒しながら駆け寄り、ヴァイツを確認する。


 しかし、その顔は無様なもので、綺麗に伸びていた。息もしているし、どうやらただ気絶しただけのようだ。

 

 フィルは今度こそ安堵の息を吐くと、少し遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。


「――フィル。だ、大丈夫だった?」


 顔を向ければ、シャルロットが心配そうにこちらを伺っている。 

 もう大丈夫だということを伝えると、彼女はトコトコと寄って来た。その顔には少しの憂いが見える。


「……フィル、本当にありがと……あと、ごめんなさい。こんな方法を取らせてしまって……」


 そう言って、シャルロットは頭を下げる。

 『こんな方法』を取ったのはフィルの意志であり、取らされたわけではない。

 そんなこと気にしないでくれと、心配しないでいいと伝えたいが、拙い語彙力ではいい言葉が見つからない。


「たまたま気付けただけだしな、そんなかしこまんないでいいんだけど……」


「いいや、フィルは絶対に命の恩人!だから、あなたが私を人質に取った悪人だと思われるのは私が許せない!」


「……取り敢えず、その辺のことはこいつをどうにかした後に――」


 と、ヴァイツを見れば――白眼を剥いていたはずの眼は瞼に塞がれて、だらんと空いていた口は完全に閉じ切っている。


 とても些細な変化。

 しかし、これは確実に、


「それもそうだね。じゃあ周りの兵士を呼んで――」


 と、シャルロットが発した瞬間――ヴァイツの目がぱっちりと開く。


 ヴァイツのすぐ近くにはシャルロットがいる。

 手加減などしている場合ではなく、殺すつもりでその顔を蹴飛ばそうとするが――


「――!!」


 突然、目の前にが現れる。

 驚いて体勢は崩れ、その隙に起き上がったヴァイツは胸糞の悪い顔でフィルを嗤った。


 次の瞬間には魔法陣が消え去り、それがただの脅しであったと気付く時には事態が深刻なまでに悪化していた。


「死ねぇぇえぇええ!」


 そう叫びながら、ヴァイツは腕に隠したナイフを取り出し、シャルロットへ向けて振り上げる。


 振り返ったシャルロットの顔は何が起こっているか理解できているものではなく、避けることは期待できない。

 加えてフィルの位置は少し遠く、今更その攻撃を止めることはできない。


「……ッ!」


 シャルロットは反射的に目を瞑り、目の前の現状から目を逸らす。

 次の瞬間に来るであろう痛みに備えて、無意識に身体は力んだ。


 ――しかし、シャルロットを襲ったのは、だった。


「キャッ!」


 その衝撃は吹き飛ぶほどの強さであり、身体が地面から離れる。

 何をされたのか、頭が理解するより先に目は開き、先程まで自分の居た場所を見る。


 そこには――腕を伸ばし、シャルロットを突き飛ばしたフィルがいた。


 そして、


「――がぁあああああ」


 フィルは、庇うために突き出した腕を切り落とされる。

 その壮絶な痛みに脳はバチバチと音を鳴らし、視界にはチカチカと光が走る。

 

 しかし、痛みに悶えている場合でもなかった。この間、ヴァイツが何もしない訳がなく、またシャルロットを狙って動いているかもしれない。


 そうやって、フィルはヴァイツの姿を視界に捉える。

 

「――……」


 そこには、フィルに向けてナイフを振り上げるヴァイツがいた。もはや避けられる距離ではなく、自らの最期を悟るには十分な状況だ。


 フィルはヴァイツを睨む。

 これが今できる最大限の反抗で、お前なんかに屈していないという証明だ。


「……」


 ――振り下ろされる腕を眺める。


 あまりに呆気ない終わりと、考えてみれば当然な結末。

 そもそも首を突っ込むべきではなかったし、やるにしても他にやりようはあったはず。


 後悔は津波のように押し寄せるが、ヴァイツの腕はもう半分のところまで来ている。


 このまま死ぬのだと、振り下ろされた腕の行く末を睨んでいると――


「は?」


 ヴァイツが声を漏らした刹那、腕の無くなった肩から血が溢れ出す。


「あ、あぁぁぁぁああ!」


 遅れて腕の欠損の痛みに叫び、しゃがみ込む。これでこの広場に転がる腕は三番目。なんとも腕が落ちる日だ。

 そして、ヴァイツの背後に目をやれば――いつの間にか馴染みのある後ろ姿があった。




 そう。フィルは時間を稼げたのだ。

 自分が、生き残れるだけの、値千金の時間を。




 しかしその人は滅多に見せないほどの怒りで顔を歪めており、放っておけばヴァイツを殺してしまいかねない危うさがあった。

 フィルは何かが彼の背中を押してしまう前に呼び止める。


「――父さん。だ、大丈夫……?」


「大丈夫かはこっちのセリフだ、全く。父さんはこいつを何枚に下ろすか考えてるんだ、母さんが来るまでは応急処置で我慢するんだぞ」


「お、下ろす……?」


 おそらく人間に対して使うべきでない表現が出てきたが、それにツッコミを入れる前にフィリッツはフィルに向かって手を伸ばす。

 すると青い魔法陣が現れ、穏やかな風を感じると共に腕を襲っていた痛みと出血が止まっていく。


 あっという間に傷が塞がり、感謝を伝えようかと思うが、「あー……」という思考の音がフィリッツから漏れると、


「てかもう呼んじまうか。その為の三十四億だしな」


 と呟いたかと思えば、指輪を光らせ、地面に魔法陣を出現させる。

 その魔法陣は光の柱を浮かばせると、段々と人の形を取っていき、


「――何よもう!夕飯作ってる途中だったのに!下らないことだったら許さ、な……い」

 

 包丁を持ったティルザが召喚される。

 途中までは怒っていた様子だったが、片腕のない傷だらけの我が子を見て語尾が萎んでいった。

 状況も分からずしばらく唖然としていたが、

 

「な、何があったの?!大丈夫!?痛くない?!痛くない訳ないわよね!大丈夫、今すぐ治してあげるから!!」


 と叫びながら、フィリッツの出した魔法陣より幾分か複雑でデカい魔法陣をフィルの周りを覆うように何枚も展開させていく。


「はぁ……?」


「――大いなる治癒よ!」


 その数に圧倒されるが、次の瞬間にはその全てが淡く光だし、見る見る内に傷という傷が塞がっていく。この心地よさと言ったら筆舌に尽くし難いものであり、立っているのに眠ってしまいそうだった。


 そして、全ての傷が塞がった頃、一皮大きな魔法陣が遅れて光を発した。

 群を抜いてごちゃごちゃとしているその魔法陣が光り出すと――欠損していた腕が、肩から生えてくるのだ。


「はぇえ……魔法すっご」


 馬鹿っぽい感嘆の声。ただ、それも納得の体験だった。

 魔法陣が消える時には何もかもが元通りで、とても一度死にかけたとは思えない。まさに魔法の力であった。


 「そういえば」と塞ぎ込んでいたヴァイツへ目をやる。

 衝撃ばかりの流れで存在感がすっかりと薄れたヴァイツ。見れば、まだうめき声を漏らしている。

 しかし突然、

 

「――あがぁぁあああ!」


 と叫びながら、一心不乱に暴れようとする。

 誰かを狙うなど考えていないようで、とにかく爪痕を残そうとしている。


 ただ、それを呆れた目で見ていたフィリッツは、


「……馬鹿が」


 そう呟き、踏み込んだかと思えば――ヴァイツのことを殴り飛ばしていた。


「――ガ、ハッ」


 この短時間に何度目か分からない顔面への強打。

 しかし、フィリッツの一撃は威力が違った。


 ヴァイツは悲鳴とも違う声を零し、身体を回転させながらぐしゃりと地面へ着地する。

 おそらく骨らしい物が何本かイッた音が聞こえ、完全に消沈。息をしていると確認できる距離でなければ、一見死んでしまったようにも見える。


 一仕事終えたように「ふぅ」とフィリッツは息を吐くと、


「ティルザ、軽く手当てをしてやってくれ。腕は止血するだけでいい」

 

「うん、分かったわ」


 ティルザはヴァイツの方へ歩いて治療を開始し、フィリッツはフィルとシャルロットの元へと寄ってくる。

 そして目の前まで迫ると、

 

「シャルロット様、今回は近衛からこのような者を出してしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 頭を下げて、深く謝罪する。

 その姿はいつもの不真面目な父ではなく、まさに真面目で真剣な副団長であった。


「……あなたが謝ることではないと思います。どうか、頭を上げて下さい。それに今日は二人に助けられたんですし、結果良ければなんちゃらってやつですよ」


「そうは言っても……」


 器がデカいシャルロットと、それでも尚納得し切れていないフィリッツ。どちらも譲る気は無さそうである。

 ここからは相手を尊重した長い問答が始まりそうだと感じたところで、


「――フィリッツ副団長、お話中すいません。少し、そこにいる子にお話を伺いたく思い」


 遠くで様子を見ていた兵士が話に割って入ってくる。

 そう言えばと周りを見渡せば、兵士が慌ただしく動き周って、民衆も口が止まらないと言った様子。目の前で起きた事件について話したくて仕方ないらしい。


「あぁ、フィルに?」


「お知り合いでしたか。実は――」

 

 そうして兵士は広場での出来事を大雑把に説明し始めた。


 フィルがいきなり飛び蹴りをして、近衛をダウンさせてシャルロットを人質に取り、そしてヴァイツと戦ったこと。

 事の経緯をなんともあっさり説明した。

 

 ――それを聞いたフィリッツは綺麗にフィルを三度見。

 先ほどの威厳のある顔はどこへやら、なんとも間抜けな顔を晒していた。


「いやいや、ちょっと待って。確かにそういえばだけど、俺は王女が頭のおかしい子供の人質にされたと言われて来てたわ……けど、その頭のおかしい子がフィルなのか?何かの間違いだよな、フィル。だってお前、ヴァイツに殺されそうになってたもんな」


「……まあ、かくかくしかじか。説明するのが面倒なほど複雑な事情がありまして……」

 

「まっ、う、嘘だろ?!フィルお前、なんてことを……!?」


 疲れからか説明が面倒臭く、かくかくしかじかなんて適当な返答。一ミリも弁解しない様子を見れば、フィリッツは面白いぐらい慌てふためく。

 我が子が王女を人質になんて予想もしていなかったのだろう。

 すると、


「――違います!フィルは私を助けてくれたんです!」

 

「「……え?」」


 シャルロットは叫び、フィリッツの勘違いを止めさせる。

 彼女は少々怒りながら『なんで説明しないのか』という目でフィルを見ている。


「いいですか、まずはフィルがあの近衛の腕を見て――」

 


 

 そこからとても熱の入った弁明を十分間に渡って行ったシャルロット。

 事細かになんて言葉が生易しいほど順を追って、起承転結何かが欠けることなくありのままを話した。


 その勢いから来る説得力は言わずもがなであり、フィルを連行しようとしていた兵士もいつの間にか渋い顔をしている。


「うぅん……シャルロット様がそう言うことも分かりましたが、しかし……。やはりシャルロット様を人質に取ったというのも一つの事実ではありますし、このまま何もなしというのも……」


 兵士は心底申し訳なそうにしながら、その仕事を全うしようとする。

 何かを判断する権限のないただのしがない兵士が、この場で見逃すという決断を下すのは少々難しいのだ。


 ――そこで口を挟むのが、ずっと腕を組み寡黙であったフィリッツだ。


「まあ待て待て。お前の事情も分かるが、今連れて行くのはやめてやってくれないか?」


「フィリッツ副団長までそんなことを……たとえお知り合いだからといって庇うのはマズいでしょう」


「庇うとは違うんだが……それにコイツ、知り合いっていうか――俺の息子なんだよ」


「はあ、息子……――ええ息子!?この子が?!?フィリッツ副団長の?!」


 兵士は大袈裟に驚き、とても大声でその事実を吐き出した。

 どうやらずっとザワザワとしていた野次馬にもその声は届いたらしく、好奇心引き寄せられる話を聞き流しまいと音はスッと消え去る。


 この場にいる誰もがフィリッツへ目と耳を向けていた。


「む、息子だというなら、尚更庇っているではありませんか!いけませんよ!仕事に私情を持ち込んでは!」


 真面目な兵士は息子に忖度する副団長を戒めた。

 痛い所を突かれたのか、フィリッツは苦笑いを浮かべ、反論の言葉を失っている。


 庇うにしたって不利になるのが目に見えていたカミングアウト。ただ民衆の目を惹いただけの無計画な告白に、フィルは冷めた視線を自らの父へ送る。


「とにかく!一度王城にて話を聞くことになります!たとえ副団長の御子息だとしてもそこに例外なんかありません!」


 様々な救いの手が伸びたが、どうやら結果は変わらないようで、兵士はその手をフィルへと伸ばす。

 しかし、間違ってもこの兵士を頑なだと恨んではいけない。事の真実が分からない今、多くの人の前でシャルロットを人質に取った容疑者を見逃すというのは決断し難いものなのだ。

 

 ただ、救いの手はまだ残っていたようで、兵士の少し後ろ、治療を終えたらしいティルザがこちらへと歩いて来ているのが見えた。

 

 次は母さんが何か言ってくれるのか、と予想したところで――シャルロットが兵士の伸ばした手を掴む。

 そして、


「いいですか、もう一度言います!彼はあの近衛が私を殺そうとしているのを見抜いた上で、ああいった行動に出たんです!そして私を守る為に戦い、重傷を負い、私を庇って……フィリッツ副団長の到着がほんの一秒でも遅ければ死んでたかもしれなかった!!」


 シャルロットは大きな声で、ありったけを叫ぶ。


 そんな兵士一人に聞かせるには勿体無いほど感情の篭った語りは、まるで――こちらに意識を向けている民衆への演説のようでもあった。


「それほど尽力してくれた彼を、死を覚悟してまで私を守ってくれた彼を、これ以上私達の都合で振り回したくないんです。……何も、話を聞くなら今すぐじゃなくても良いでしょう?今日ぐらい、ゆっくり休ませてあげてはいけないんですか?」


「そ、それは……」


 シャルロットの圧倒的な雰囲気に押され、流石の兵士もたじろぐ。

 それもそのはず。そもそも返答に困るのもそうだが、現状が――

 

「命を張った人にすることがまず事情聴取か?おかしいよな」

「腕を切られて、死にかけて。あの歳に経験することじゃねえよ」

「ていうか、流石に薄情よね。少しぐらい時間が必要じゃない?」


 周りの人達は、兵士に対して批判的なことを囁く。

 完全に結果論だが、注目を集めたフィリッツの告白は良い方向へ転んでいるようで、兵士はいつの間にかこの広場でアウェイな状態だった。


 そんな光景を見て思い出すのは、ヴァイツが言っていた"シャルロットのカリスマ性"だ。


 きっと本当に、彼女は言葉で人を動かす天性の才がある。コミュ障と自称していたが、それを補えるほど聡明で。

 それはそれは、ヴァイツのような刺客が一人や二人来てもおかしくはないだろう。


「うぅ……」


 石でも投げられそうな空気感の中、兵士は唸るような声を漏らした。

 そして、


「分かり、ました。たしかに今回は……例外、でしょう。また日を空けて、お話を伺うことにします」


 そう言って、彼にとっては凄く苦渋だっただろう決断をした。または周りの圧に屈したと言ってもいいか。


 兵士はフィリッツに敬礼をすると、トボトボと王城の方へと歩き出す。その後ろ姿は完全に意気消沈しており、少しの同情をしてしまえる。


「……ふぅ、良かった。シャルロット様、本当に助かりました」


「……私が、フィルの悪評が回るのが嫌なだけです。少しぐらいは恩返しさせてくれないと」


 当然のことをしたまでとでもいうようで、どうしようもなく王女が天職な人だと思ってしまう。


「それじゃあフィル。一旦母さんと家に――」


 フィリッツから一段落ついた言葉が出て、いざ帰るかと思った時――周りの民衆の様子が変わった。


「……ねえねえ、というかフィリッツさんの子供って女の子って話じゃなかった?」

「あ、たしかに。私も女の子って聞いてたし、小さい頃チラッと見た時も可愛い服着てたような……」


 と、とても小さな火種。

 しかし、それが口切りにありとあらゆる噂話の交換会が開催される。


 双子説、元々男説、女装説、性別が変わった説、別の子説。

 一見どれもあり得なそうな噂話に過ぎないが、正解が混じっているのが正直笑えない所。


 そんな好奇の巣窟みたいな集団にフィリッツは、


「全く……。お前らにはこんなに勇敢で、俺に似てかっこいい息子が女の子に見えるっていうのか!!別に噂話をするのは自由だが、この子を傷つけるような事を言うのはやめてくれ!」


 ――どこかで聞いたことのあるような主張。

 相違点といえば、今回は本当のことを言っているという点だろう。


 フィリッツの勇ましい宣言にザワザワとしていた大衆は口を閉ざす。らしからぬ威厳はとてつもない真剣さを醸し出していた。

 そして、そんな流れに乗って、


「――そうなの!フィルは「待て待て」」


 ティルザも何か言おうとしたらしいが、口を開いた瞬間にフィリッツが誰の目にも止まらない速度で動き出し、その口を塞いだ。

 きっと何かやらかす未来しか見えなかったのだろう。ただ、過去の言動を思い出せば英断でしかないのだが。

 

 塞がれた口をモゴモゴと動かすティルザをそのまま引き攣り、フィリッツは王城の方へと歩いて行く。


「フィル!俺は母さんとやることがあるのを思い出した!少ししたら迎えに来るから、それまで待っててくれー!」


 と、言い残して。


 周りの兵士達は慌ただしく動き回る中、広場の中心でポツンと立ち尽くすシャルロットとフィル。

 近くには近衛らしい警備も付いていて、このまま待つしかなさそうであった。


 フィルはコミュ障の二人でどう間を繋げればいいんだと、シャルロットの方へ目を向ければ、


「……」



 ――何やら思索に耽っていた。


 

 果たして、何か考えることがあっただろうかと様子を伺っていると、


「……フィル。何度でも言いますが、今日は本当にありがとうございました」


「はぁ……どうしたしまして……?」


 唐突な感謝の言葉で素直に飲み込めず、中途半端な返答になってしまう。

 しかし、シャルロットはそんな様子を気にもせずに、なんでもないような顔で会話を続けた。


「――そういえば、フィルに助けられるのは今回で二回目、だよね?なんか、助けられてばかりだね」 


「……ん?」


 なんでもないような笑顔で、聞き捨てならないセリフが飛び出した。

 その意味の咀嚼と適切な返答の為に、フィルの頭は音速で回転し始める。


 ――落ち着け、まずシャルロットはなんて言った?『助けられるのは今回で二回目』って言ったよな?……一回目はどこだ。俺は王城での一件以来シャルロットと出会って、かつ助けたことはあるか?――いや、ない。あれ以来出会った人間は片手で数え切れる。つまり一回目は王城のことを指しているってことか?……ということは?女装してた俺の過去がバレてるってことなのか?!……待て待て、落ち着け。だとしたら俺のやることはなんだ。こういう時、どういう行動が事を有利に運ぶんだ?


 ――そうだ。やることは決まってる。俺の弱みが握られているのなら、こちらも握っているのだと示してみせるべきだ。弱気になるな。バラしたら、こっちだってバラすぞと脅し返すんだ。



 この間、わずか一秒。

 


 超高速で導き出した結論に基づき、フィルは拳を握りながら口を開く。


「そ、そうだったっけ?あんま覚えてないけど……あ、あれかな、人と話すのが苦手みたいな。コミュ障みたいなこと言い合ったっけ?あんま覚えてないけど、そう言ってた気するわ」


 もっと高圧的に脅す予定が、相手が相手からか逃げ気味な威嚇になってしまった。

 しかし、聡明なシャルロットなら言っていることの意味を汲み取ってくれることだろうと、フィルは彼女の様子に注視する。


 だが、何故かシャルロットはポカンとしたような顔をしばらく見せ、そして



「――あぁ、ごめん!そういえば、確かに人違いだったかも」



「……へ?」


 何食わぬ顔で、意味不明なことを言い出す。 

 残念ながら聡明でないフィルの頭が、シャルロットの言っていることを理解できないでいると、


「――けど、それにしてはおかしいなあ。たしかに、人と話すのにはまだ苦手意識があるんだけど、それを教えたことある"二人"にフィルは含まれてないんだよねえ。――ねえねえ、それ、どこで知ったの?」


 シャルロットは、やってやったと言わんばかりの顔でニヤニヤと詰めてくる。

 その目は確信を得た色をしていて、考えるまでもなく、自分は間違えた選択をしたのだと分かってしまう。


 自分は――嵌められたのだ。彼女のいやらしいカマ掛けに。


「……あー、いや、どこだったかな。……覚えてないな」


「そう?それは残念」


 そんなことを言いながら、カケラも残念そうではない。苦しい崖っぷちの言い訳をただ楽しそうに聞いているだけだ。


「私さ、その秘密を知ってる人を探してるんだよね。昔助けてくれて、そのまま会えないままでさ。フィルが覚えててくれたら、再会のキッカケにもなるかなって思ったんだけどなあ」


「……いや、そうっすか……まあ会えるといいっすね……」


 既にシャルロットの中では何かが決めつけられていて、それを覆すことは無理そうであった。

 フィルは遠くを見つめ、墓まで持っていくつもりだった恥辱を知る人が一人増えたことに目を濁らす。


 くすくすと笑うシャルロット。果たして、何がそんなに面白いのだろう。


(……いや、女装している奴がいたら面白いに決まってますね。そうですね)


 自虐ネタにツッコミを入れてさらに目が濁ったところで、


「――おーいフィル!終わったから一旦帰るぞー!」


 遠くからフィリッツの呼ぶ声が聞こえた。

 タイミングの良し悪しはもはや分からないが、この場を去る口実ができたのは良いことだった。もう一秒足りとも顔を合わせたくないのが本音だ。


「あー……シャルロット様?取り敢えず、今日は帰るんで……ほんと、ありがとうございました……」


「あっ、ちょっと……!」


 テンションが最低なお別れをする。そして、返事も聞かずにトボトボとフィリッツの方へと歩き出した。

 具合の悪い視線を最後まで背に受けながら、フィルはフィリッツ達と合流する。


「どした、そんな浮かない顔して。やっぱ疲れたか?」


「……いやなんか、うん、急に疲れた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る