第17話 自然と渦の中へ

 あれから四年。

 ユリとの再会も、ましてやアスクとの再会もない。特筆すべきことが何もない、素晴らしい四年であった。

 

 今は十二歳。体も成長を見せて、身長も伸びてきた。

 庭での運動はしっかりと続けていて、前世では考えられないほどの身体能力に慣れるよう頑張っている。


 そしてついでに。本当についでのことなのだが……魔法はまだ教えてもらっていない。

 『まだ許可でないの?』と聞けば、NPCのように『申請がまだ通らないのよ』と躱され続けること四年間。今のところ魔法の”ま”の字すら触れられていない。


 四年も申請が通らないなんて絶対嘘だが、母さんやアスクから見せてもらった魔法陣の複雑さを思い出すと、どっちにしろな感じがして糾弾しようとも思えない。


 家が大好きなインドアな俺が無駄な外出をするわけがなく、そんな数少ない外出でも新たな出会いがあるわけでもなく、結局、なあなあなまま、気ままに平和に四年を消費してしまった。


 別に後悔はしていない。

 けれど、無為に過ごした四年間、何かした方がいいのではないかという謎の焦燥感がずっと頭を掠めていた。




 ――いつも通りの平凡な日。

 対して面白くも無い物語の書かれた本をダラダラと読んでいるフィルは、書類仕事の終えたらしいフィリッツに話し掛けられた。


「フィルー。今日、仕事で城下町の方のベフ祭に行くんだけど、フィルも一緒に来るか?城下町の祭りなだけあって、こっちでやってるのより少し豪華だぞ」


「うーん……まあ、暇だし、行こうかな」


「お、そうか。なら準備するから待っててくれ」


 と、なにやら珍しく鎧を身につけていく。仕事とは、騎士団に関係する仕事なのだろう。せっかくの祭りなのに仕事とは大変だな、と思う。

 そして、少しの荷物と所々に重そうな鎧を纏ったフィリッツは玄関に立つ。

 

「よし、じゃあ行くか」


 ――フィリッツと共に久方ぶりの外へ出ると、ここからでも分かるぐらい祭りの賑わう声や音が聞こえた。


 フィルは毎年、祭りにだけは絶対に行ってはフードを纏った少女を探すなんて意味の無いことをしていた。

 未練がましく、心底無駄な行為だが、目が勝手にフードを纏った人を追ってしまうのだから仕方なかった。それだけ、唐突だった別れに心残りがあったのだ。


 フィルは馬車に乗りながら、やはり祭りで集まった人だかりを目で追う。

 祭りは相も変わらず人でごった返しているが、今年も彼女は来ていないようだった。

 

―――――――


「――もうそろ着くぞ」


「……ああ、もう?」


 祭りの熱気が遠のき身体が冷えて、しばらくして似たような活気を感じ始めた頃、フィリッツが馬車を降りる準備を始めた。

 フィルもノソノソと少ない荷物を手に持ち、馬車が止まった所でフィリッツと共に降りる。外は地元の祭りよりも幾分か大きい賑わいを見せていた。流石は城下町の祭り、なのだろう。


「フィル。人多いからはぐれるなよ?はぐれたら合流するのめちゃくちゃ難しいからな?」


「大丈夫だよ」


 軽く小馬鹿にしたような態度に笑いながら返すと、フィリッツは人混みを抜けてどこかへと向かう。

 進むたびに騒音は大きさを増し、この祭りの中心部へと向かっているのを感じさせる。


 フィリッツを見失わないよう、懸命に歩き続けること約五分。ある程度開けた場所に出た。

 見れば、広場のようであり、どデカイ城もいつの間にか目の前に存在していた。


 ここが目的地だったのか、フィリッツは一息吐くと口を開く。


「それじゃあ、俺は仕事があるから後は祭りを楽しんでていいからな」


「ん、一人で?」


「いやいや、まさか。懐かしのアイツと一緒に回ってくれ」


 アイツ?と、顔にハテナを浮かべれば、すぐ後ろから祭りの騒音に負けず劣らずの騒がしい声が聞こえた。

 それは、聞き覚えのある、うんざりするような声だ。嫌な予感と共に振り返れば、やはりフィルは顔を顰める。


「――おーい!こっちでーす!」


 そんな呑気な声で叫ぶのは、いつかの護衛を担当していた新人騎士のヴァイツだった。

 あれと一緒に回るとか冗談じゃない、とフィリッツを睨む。が、アハハと笑いながら、その抗議は適当に却下される。ヴァイツは、バタバタという効果音が聞こえるような動きで走り寄って来ると、


「いやー、もっと早く来て下さいって。俺待ちくたびれてましたよ」

 

「道が混んでたんだよ。しょうがないだろ」


 以前よりも二人の仲が良くなっているのか、軽い掛け合いでもそれが感じられる。そしてついでに、その乗りのウザさも再確認させられる。


「フィル君、久しぶり……って、覚えてるかな?かれこれ四、五年ぐらい会ってないし」


「……覚えてます」


「あっ、そう?!それは良かった。またはじめましてからは大変だから緊張したよ。今日はよろしくね!」


「……よろしくお願いします」


 以前よりも絡み易い気はしないでもないが、幼少期の印象が邪魔をして引き気味になってしまう。

 そんなフィルの様子を見て、フィリッツは、


「まあまあ。こいつもあれから成長して、近衛騎士になってんだ。フィルの持ってる苦手意識も祭りで消し去ってくれるさ」


「……え?俺、フィル君に苦手意識持たれてるの?」


 さりげないカミングアウトで困惑するヴァイツ、だがフィルはヴァイツが近衛騎士団の所属になっていることに驚き、思考が追い付いてない。

 

 ――知っての通り、この国の騎士の精鋭しか入団できないのが近衛騎士団だ。そして、当たり前だが入団のハードルはとても高い。

 そのハードルをこのヴァイツが超えるなんて、一ミリだって想像できない。


「……フィル君?ほんと?本当に苦手意識あったの?」


 ウザったい絡みが襲う中、フィルはフィリッツに『まじで?こいつが?』という顔を向ける。

 その顔の意図を察したフィリッツは何故か自慢げに、


「ああ、本当だよ」


「「え”え”、ほんとう??」」


 それを自分への返答と勘違いしたヴァイツと、それでも尚信じられないフィルは全く同じ反応を取った。フィルの苦手意識とは裏腹に、奇しくも謎の気の合いを見せるのだった。


 


「――とまあ、取り敢えず俺は別の場所行かないといけないか、あとはよろしくな」


「え、あ、了解です!」


 しばらくわちゃわちゃと問答が続き、ごちゃごちゃと揉めた後、フィリッツは会話をぶった斬って一人人混みの中に消えていった。


 残された二人は、若干気まずい空気を纏わせながら数秒沈黙する。しかし先にその重い沈黙を破るのは、やはりヴァイツだ。


「と、取り敢えず祭りでも回ろうか。お小遣いは副団長……フィル君のお父さんから貰ってるからね。使い切っちゃおうか」

    

「そ、そうっすね……」


「ああ……うん」


 この気まずさの原因は、バラさなくてもよかった苦手意識をカミングアウトされたせいなのだが、その張本人は既にいない。

 行き場のない感情は仕方なく眠らせておき、先導するヴァイツにトボトボと付いていくフィル。


「あ、これ美味しいんだよ。フィル君はもう食べたことある?」


「い、いや。まだ食べたことないです」


「なら絶対食べた方がいいよ!買ってくるから!」


 と、ヴァイツは謎の甘そうなものを買って来る。

 このグイグイくる感じが苦手なのだが、それを言うわけにもいかないフィルは、今日の日の長さを察して辟易とする。


 ――その後も「あれ凄いおもしろいんだよ」、「これは癖のある味でね」、「絶対食べた方がいい」等々。

 ずっとヴァイツのペースで祭りは進み、多くないコミュニケーションのスタミナはゴリゴリと減っていく。


 既に一時間は経ったんじゃないかと時間を見るが、時計の針は三十分しか経っていないことを残酷に示していた。


 そして、時間の経過を気にしていたのはフィルだけではないようで、ヴァイツも時計を見るとボソッと小声で呟いた。

 

「……うーん、そろそろかな」


「ん、何が、っすか?」


 未だに距離感が掴めていないフィル。なんとも中途半端な敬語である。


「なに。もうすぐ王女様がさっきの広場で挨拶するんだよ。ついでだから、見ていかないかい?」


「はぁ。まあ、いい……ですけど」


「お、そりゃよかった」


 王女と聞いて、強風と池で殺されかけた事件を思い出す。

 薄青色の髪をしたコミュ強を装うコミュ障の彼女に連れ去られ、そして無理矢理巻き込まれたあの事件。

 あの日は色々散々で、思い出したくない黒歴史が多く誕生した。


 あまりいい思い出のない王女様だが、挨拶を見る分には特に拒否する理由もなく、フィルはヴァイツの後ろを着いて歩く。


 しばらく歩いて、三十分前に見たような広場に辿り着く。

 先程と違うことと言えば、重苦しい鎧を着た兵士が広場の周りをバリケードのように塞いでおり、そこから先へは入れなくなっていることだ。

 

 そして、広場の中心にはバリケードをしている兵士とは少々違う鎧を着た、おそらくヴァイツやフィリッツと同じ近衛騎士であると思われる騎士が二人立っている。ヴァイツは非番らしく、きっとこの二人が王女の護衛を務めるのだろう。


 また、既に人は随分と集まっており、これからさらに集まることは想像に難くない。証拠に、今も次々と人の波が押し寄せてきている。

 それほど興味もないものを、こんな混雑の中見なければいけないのかとフィルは安請け合いした数分前の自分を恨んだ。


 しかし、ヴァイツは周りを囲っている兵士に何か話しかけると、


「ほら、フィル君。僕らは少し特等席で見てようか」

 

「え」


 と、バリケードの内側の隅の方へと、人の圧を感じない場所へと引っ張られる。椅子も何もなく、立ったまま聞くことになるのだろうが、それでも周りの民衆よりはいくらか高待遇だ。


 フィルは出会ってから今までで、最初で最後の尊敬の眼差しを向けた。だが、当の本人はそんな視線には気づかず、中央の近衛騎士の方を見ながらスッと話し始める。


「――毎年、このお祭りで王女様は軽い挨拶をするんだけどね。それが凄い好評なんだよ」


「は、はぁ……」


「形式的な言葉やただの決まり文句が多い、特に変わったことのない話のはずなのに……なぜか引き込まれるんだよ。あれがカリスマってやつなのかな」


 と、感心した風に呟く。

 もはや返事などに関心はないようで、独善的に話すそれは会話なのか独り言なのか判別が付かない。

 

「きっとあの王女様が演説でもすれば、どれほど王国が傾くことがあっても民衆が離れることはない、なんてことも言われてるんだ。……ほんと、尊敬しちゃうよね」


 何か憂いを感じる表情と声。

 どういう感情なのか気になり、問おうとしたところで――周りの雑音が歓声へと変わる。


 自然と王城の方を見れば、いつかの面影を残した少女が、綺麗なドレスを着て広場へと歩いて来ていた。

 そんなシャルロットは広場に着くと、近衛騎士と話し始める。まだ準備が済んでいないのだろう談笑のようであり、今は兵士越しに手を振る民衆へ手を振り返している。


 ……信じられるだろうか。あれが、コミュ障を自称しているのだ。あれでコミュ障というのなら、即刻、全国のコミュ障へ土下座をした方がいい。


 いそいそと周りの兵士達が準備を始める中、隣にいたヴァイツがフィルへと話しかける。


「なんかまだ時間ありそうだし、近衛の特権で挨拶でもしてこようかな。フィル君も来るかい?」


「え。……いや、俺は遠慮しておきます」


 絶対行きたくないと渋い顔をするフィルに、ヴァイツは苦笑いを浮かべると、


「そうかい?なら、俺は行ってくるよ」


 と、あっさりシャルロットの方へと歩を進めた。

 

「……」



 ――フィルはボーッと、その歩き方を眺める。


 特に、何か、気になることがあるわけでもないのに。


 一見、違和感のない歩き姿に、何か隠してあるものを幻視してしまう。


 ずっと、距離を取っていたものを、視てしまう。



 ――ああ。そうだ。確かあれは、



「……ぁぁ」


 瞬間、自分が気付いてしまったことを自覚する。

 それは、あり得ないようなことだった。

 いくらウザったい男だとしても、流石にそれは非現実的な事実だった。


 そんな、まさか――ヴァイツがシャルロットをとしているなんて。


「はあ……ふぅ」


 一度軽く息を吐き、努めて冷静を取り戻す。

 しかし、ゆっくりとしている時間もそれほどない。

 ヴァイツは一歩一歩シャルロットへ近づいており、で彼女を刺そうともしれないのだ。


 だが同時に、自分の中のヴァイツのイメージがそんなことをしないと訴えている。

 確証も証拠もなく、ただ、腕にナイフを隠しているだけかも知れない。隠していることがどれほど異常なことだと分かっていても、王女を殺すよりは些細である。


 けれど、万が一でもヴァイツがシャルロットを殺そうとしているのならば、それを見逃してしまうのはあまりにも――


「……よし」


 フィルは、ゆっくりと歩き出し、あるラインを定めた。


 『もし一瞬でも、ヴァイツが腕のナイフへと手を伸ばす仕草を見せたら、なりふり構わず、手段を選ばずに止める』と。

 

 歩きながら、ヴァイツの挙動を注視する。


 一見、何もないヴァイツに、シャルロットの近くにいる近衛は無警戒に接近を許す。  


 ヴァイツは片手を振りながら、笑い声を響かす。


 近衛は素直にそれに応えて、振り返し、


 そして、ヴァイツの下げられた手はナイフのある方の手へと向かって――


「――それアウトぉぉぉぁぉおおおお!!」


 フィルは、大声を出しながら――飛び蹴りをかました。

 もちろん、この場にある誰だって予想していないその行動をヴァイツが避けられるはずもなく、綺麗に頭に喰らい、


「ゔぁげぇら!」

 

 という汚い声と共に吹き飛んだ。

 何回か地面にバウンドしながら滑り、離れた所でグッタリとする。異世界の体パワーにより相当な威力なことはもはや説明するまでもない。


「はぁはぁ……」

 

「「……」」


 緊張からか息が切れるフィル。

 確実に絶対に、面倒なことに足を突っ込んだことも理解してため息も漏れる。

 人生目標の命大事にとはなんだったのか。今現在、安全とは一番程遠い場所にいる。


 そして、目の前を見れば何が起こったか理解できない近衛の二人。


 三人はどういうわけか数秒見つめ合うが――近衛からしたらフィルは攻撃を加えてきた危険人物に映るわけで。

 すぐに近衛達は腰に携えた剣に手を伸ばし、臨戦体制を取った。


 フィル的にはさっきの飛び蹴りで真の危険人物の意識でも飛ばせたら万々歳であり、別に捕まってもいいのだが――


「……うぅん、フィ、フィル君……?一体、なにをしてるんだい?」


 背後から聞こえた声に、目的が遂行できていないことを理解する。


 ここで、近衛達に『ヴァイツが危ない』と訴えて通るほどフィルの言葉は強くなく、自分自身それは分かっている。きっと、頭のおかしい人として問答無用に捕まってしまう。

 だったら、ここで無抵抗のままに捕まるか?――否、そのゴタゴタはヴァイツの行動をより容易くしてしまうだろう。


 ――では、どうするか。

 迷わないよう答えは先に出しており、なりふり構わず、手段を選ばない、だ。

 

 フィルはシャルロットの前を陣取る近衛にすばやく接近。

 そして、

 

「――ガハッ!」


 片方の近衛にアッパーを決めた。

 それはすんなりと顎を打ち抜き、近衛は綺麗なバク転と共に白目を剥く。


「このっ……!」


 もう一人の近衛はすぐに剣を抜き、フィルに対して振り下ろした。


 しかし、子供だからか加減が見え、どうにか致命傷は避けたいという意志が感じられる。

 伊達に前世で似たようなことはしていない、こんな攻撃が避けられない訳がない。


 その攻撃をしっかりと躱すと――フィルは近衛の横を駆け抜けて、すっかりノビている近衛から剣を引き抜く。


「なっ?!」


 油断したと近衛は後悔するが、フィルは止まらない。

 剣を持ったまま、呆然としていたへ近寄り、




「――お前らぁ!絶対動くなよ!一歩でも動いたら、こいつの首が吹っ飛ぶからな?!」




 ――と、首に剣を寄せ、周りに叫び散らかした。

 これが、フィルが考えられる限り最善の方法。ヴァイツを近づけない、どころか周りが近づけない、そしてシャルロットを手元に置いておける最善の方法。

 強引の極みだが、それ故に確実だろう。


 近くの近衛は諦めず、剣を構えたままジリジリと近寄るが、


「おい、今のが聞こえなかったのかよ。今すぐ剣を置いて、後ろに下がれ。脅しじゃない。お前が、こいつを殺すことになる」


 フィルはすぐに牽制。

 言葉と共に、剣をシャルロットの首筋に当てて見せる。


 流石、悪どいことはやりなれていた。


「……クッ」

 

 近衛は心の底から無念といったような顔をすると、剣を地面に置き、ゆっくりと後ろへと下がっていく。

 周りの兵士も近づいてくる様子はなく、一応の危険は去ったようだった。客観的な危険人物はばりばりフィルだが、そこは気にしてはいけない。


 そして、問題という問題といえば――ここから先の展開を何も考えていないことぐらいである。

 一体どうするか、息を整えながら思考を巡らす。しかし、都合よく名案が浮かんでくるわけもなく万策尽きたところで、


「……ねぇ、あなた。名前は、フィルっていうの?」

 

「へ?」


 人質状態のシャルロットが話し掛けてくる。

 脅したのは近寄らせない為であり、その必要があるのは周りの兵士達やヴァイツだけだ。つまり、シャルロットは脅す必要がない。

 

 よってフィルは怖がらせないよう、優しく努めて答える。


「あ、ああ……そうだけど」


「……そう。じゃあフィル。なんでこんなことをしてるの?」


「……」


 ――フィルは本当のことを言うべきか言わざるべきか、少しの思索に走る。


 真実が信じて貰えるかは別として、ここで嘘を言う必要性をあまり感じない。強いて言えば、これ以上巻き込まないだが、この現状は絶対王女様が渦の中心である。

 なんなら、巻き込まれたのはこっち側といっても過言ではない。では、本当の事を言うべきなのかと言えば――。


 と長々考え、大雑把に天秤を傾けた結果フィルはというと、


「……信じてもらえるか分からないけど、最初に飛び蹴りしたやつ、アイツが君を殺そうとしているように見えて……」


「えぇ……?」


 と、本当のことを話す決意をしたのに、話の途中でもうダメそうだった。

 食い気味に返された、たった二文字にこれでもかと不信感が詰まっている。


「ごめん、それは見間違いだと思う。ほら、あの人、近衛騎士じゃん?近衛って、裏切り者とかが絶対出ないような集団、なはずなんだよね」


「はぁ、絶対」


「そう、絶対。ただ腕前だけじゃなくて、身辺調査や学力。王国への愛国心なんかをしっかり審査して、やっとなれるんだよ。だから、その近衛騎士が私を殺そうっていうのはとても――」


 近衛騎士への絶対的な信頼。

 これは説得が厳しそうだとげんなりするが、


「――フィル君!こんなことは今すぐにやめるんだ。大丈夫、今なら、まだやり直せる」


 突然、ヴァイツが少しふらつきながら訴えてきた。

 その真摯的な姿は、本当に殺そうとしているか自信が無くなるには十分であり、フィルの意志を揺らがせる。


 ただ――安全という確証も無しに、こんなトチ狂ったことをしてまで奪った王女を返すほどフィルも甘くはない。


「……なら、その腕に隠してあるナイフは、何に使おうとしてたんだよ。なあ」


「……」


 ――ヴァイツはだった。

 一見、何もおかしくないこの反応は、フィルからしてみれば怪しく見えて仕方ない。この場合は、焦るか、驚くか、困惑するか、とにかく何かしらのの方が潔白だ。


 なぜなら、無反応というものは――それはプロの反応。ボロを出さないように意識している証拠だ。


「はぁ……フィル君、なんのことを言ってるんだ。話を逸らすのはやめて、早く王女様を解放しろ。本当に、これが最後の機会かもしれないんだぞ」


「……話が通じないやつと交渉とか無駄だな。――おい!誰かフィリッツ副団長を連れてこい!フィリッツとなら話をしてやる!」


 まだ幼さが見える青年が出す恐喝とは思えないほど、その怒鳴り声には圧があった。

 兵士の何人かがすぐに走り出し、周りを囲んでいた人達の中にもフィリッツを探しに行く人が現れる。これだけの人数が動けば、この国でが数分で来ることだろう。


 息子のこんな姿を見れば殺到しかねないが、それは懇切丁寧なんとかしよう、とフィルは適当に考える。


 ――しかし、だとすれば、それを良しとしない悪人がボロを出すのも仕方のないことかもしれない。


「待て!!」


 と、一人叫ぶのは――やはりヴァイツだ。

 汗が垂れており、その顔には焦りと苛立ちが見える。

 ヴァイツは叫んだ後、すぐにハッとして、


「……か、彼を刺激しないように、皆静かに移動するんだ。彼は、何をしでかすか分からない」


 すぐに叫びを納得させるような言い訳を吐いた。

 だが、フィルから見ればこの言動は圧倒的に黒。王女を殺したい彼視点、この場にフィリッツが来ることは好ましくないから、衝動的に叫んでしまったようにしか見えない。


 次はここからはどう時間を稼ぐか、ということになる。

 実は、万が一にでも強硬策に出られると案外不味い。

 相手は腐っても近衛騎士であり、それはそれはお強いに決まっている。

 もし戦うなんてことになったら、慣れない武器と前世のアドバンテージだけでヴァイツに対抗できるのか怪しい。しかも、武器を振るうのなんて、いつかのフィリッツとの稽古以来だ。


 爪を噛みながらこちらを親の仇のように睨むヴァイツを睨み返しながら、いい時間の稼ぎ方を考えていると今度はシャルロットが、


「――ねえねえ、さっきの発言は撤回。絶対とか、無いみたい」


「え?」


 急に一転、理解を示すような事を言った。一体どんな心境の変化が、と不思議に思う。


「だって、今の言動とか見てたらめちゃくちゃ怪しすぎでしょ!なんであんなにイライラしてるのよあの人。いやまあ、分かるよ?分かる、副団長が来てほしくないからなんだよね」


 と、いつの間にか不審者を見るような目でヴァイツを見ていた。先ほどの言動だけでここまで言うとは、素晴らしい慧眼があるのか、はたまた流されやすいのか。

 まあ、どちらにしても、


「分かってくれたなら……まあ良かった」


「それで、こっからどうするつもりなの?」


「……いやまあ?臨機応変に柔軟に、相手の行動をしっかり見極めて行こうかなって、思ってる」


 そう言って顔を背ける。

 中身がすっからかんの『行き当たりばったりです』といった行間を読まれたらしい。頬に呆れたような視線を感じる中、せめて無計画ではなかったと伝えたいフィルは言い訳のように、


「いや、本当は飛び蹴りで意識でも持ってくつもりだったんですよ。けど当たりどころが良くて無理で。だから、取り敢えずこうして、アイツから距離を取ろうかなってなったわけよ。今のとこほ全然問題ないし、作戦は順調よ?安心してくれ?」


「……うーん」


 苦し紛れの言い繕いにシャルロットは一応の納得を見せると、頭の中で整理しているのか唸っているような音が聞こえ始めた。

 そして、長考が終えたのか「分かった」と漏らすと、


「――フィル……もしかして、バカ?」


「……はい。その通りです」


 急に正論右ストレートが飛んでくる。全くもってその通りで、反論する余地もない。できることは潔く認めることだけだろう。

 ――しかし、シャルロットは「いや」と続けると、


「違う違う!助けてくれたってことは、一応、あの人の反応からして私を殺そうとしてそうだし……信じるよ?けど、まだ近衛がじゃん。ナイフ出した所とかで止めないと。このままじゃ10:0でフィルが悪者だよ?」


「それは、まぁ、間に合うか分からんくて」


「……そっか。そりゃ、そうだよね。……ごめん」


 確かに、シャルロットの言う通り飛び込むのが早過ぎたのは否めない。けれど、それで助けられなければ本末転倒であるのも事実だ。

 自分の要領の悪さにうんざりしつつも、フィルは会話を繋げる。


「副団長が来たら、すぐ引き渡そうと思ってる。その前にアイツが強引な手段に出られるのが一番不味いんだけど……」


「強引な手段……ぶっちゃけ、あり得なくはなさそう……」


「は、なんで?」


 予想外な肯定に戸惑う。しかも、シャルロットの口ぶりからはしっかりとした理由が含まれているのを感じた。  

 シャルロットは「だって」と続けると、


「真偽はどうあれ、フィルがこういうことをしでかしたからだよ」


「はぁ……?」


「たぶん、この後しばらくの間は、私を含めた王族の警備が厳重になる。それって誰かを殺そうとする人からしたら都合が悪くない?」


「まあ、うん」


「だから、もし本当にあの人が私を殺そうとするなら、障害が武器を持ってない近衛一人の今が絶好のタイミングだと思うん……あれ、冷静に言ってみたけど、実はこれ結構不味い?」


「……」


 ――おそらく、シャルロットは王女の器に相応しい慧眼を持っている。

 聡明で、賢明で、理解力がある。だからこそ彼女は、凝り固まっているはずの固定概念を覆してヴァイツが怪しいとすぐに看破した。


 そんなシャルロットが言う、妙に説得力のある仮説はフィルにこれ以上ない嫌な予感を与える。


 二人の今後にそんな暗雲が立ち込めた頃――件のヴァイツが動きを見せた。


「……フィル君。これが本当に最後だ。今王女を渡せば、君だけは助けてやる。まだ、その年で一生を終えたくないだろ?」


 なにやら恐ろしいことを言いながら、一歩一歩と距離を詰めてくる。その度にフィル達は後ずさるが、すぐ背後に人の壁が見え、あまり後ろがないことを察する。


「フィル……これ、ヤバそうじゃない?ていうかヤバいよね??どうしよフィル!ねえ!?」


「落ち着け落ち着け」


 ヴァイツがじわじわと迫る中、シャルロットも嫌な雰囲気を感じ取ったらしい。焦って心配そうに問いかけ、少し震えている。

 シャルロットに返答はしないが、フィルも展開が良くない方向に進んでる気がして仕方ない。


「……おいお前!ヴァイツを止めろ!こいつを殺すぞ!?」


 ヴァイツの目は完全に据わっていて、何を言っても無駄だと考えたフィルはもう一人の近衛へと叫ぶ。

 その近衛も、人質をお構いなしに距離を詰めるヴァイツを不審に思ったのか、ガッと肩に手を置き、


「ヴァイツ。一旦、ここは落ち着――」


 と、制止しようとしたその時。


 ヴァイツは腰に携えた剣を、さも当然かのように抜き――


「……は?」


 ――近衛の伸ばした腕を切り落とす。

 腕を無くした彼は、しばらく現実を受け止められずにいたが、次の瞬間襲う痛みによりそれを理解した。


「があああああ!」


 叫び、血が止まらない肩を押さえてしゃがみ込む。

 周りを囲む人達の中にも恐怖で逃げ惑う人が出てくる中、それを無機質な目で見ていたヴァイツは、


「……うるせえな」


 ――小さく呟いたかと思うと、持っている剣で近衛の胸を貫いた。 


 「ウ"ッ」と小さな悲鳴を漏らし、何が起こったのかほとんど理解することもできないまま名も知らぬ近衛はその生涯を終えた。

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