第16話 身構えず突然に
フィルと出会って一年と半分。
少し遅い午後の道を、通い慣れた家への道を、私は緊張しながら歩いていた。
……もちろん、フィルがくれたフードを被って。
いつも通りな筈の景色も、今日に限っては見る余裕もない。
何故かと言えば、私は今日――フィルへ告白の返事をしようと思っている……からだ。
振り返って見れば、祭りの日に告白されてから今まで、そのことに関しては一回も触れたことはなかった。
フィルから催促されることはもちろん、どこか話を避けているようにも……見えた。
そう考えると、やっぱり掘り返さない方がいいかもしれない、と弱気にもなってしまう。
今のままフィルと過ごせる方がいいし、気まずい空気になるのも嫌だ。
……けど、ちょっとした希望をずっと留めておくのも心に毒だ。フィルとの関係がもっと親密なものになったら、なんて願望が今の私の原動力になっている。
最初は私なんかが――こんな髪と名前を持つ私なんかが想いを伝えるのは、罪深いことだって思ってた。
けど、フィルとフィルの両親は私の髪を見ても何も言わず、むしろ、優しく接してくれた。
そしてそんな優しさもすら、もしかしたら私を受け入れてくれるかもしれないっていう、心を蝕む希望へと成っていった。
――現実逃避のように今の決意を振り返っていたら、いつの間にか、もう少しでフィルの家に着くところだった。
ちょうどあの角を曲がった辺りでフィルの家だ。
……そう実感すると、やっぱり伝えるのは止めようと、臆病になってくる。
そうだ、明日でもいい気が……
「あのー。ユリさんでしょうか?」
「ッ!?」
考え込み、立ち止まっていると私は後ろから声を掛けられた。未だにフィルとフィル達の両親以外の人は苦手だ。
体が震えてしまうが、なんとか振り返る。
声の主を見れば、全身を鎧に包んだ王国の騎士だ。
特に悪いことはしていないが、やはり他人の目は怖い。騎士となれば尚更だ。
私は、目を合わせないようにしながら答える。
「は、はい……」
「そうですか、見つかって良かった」
凄く小さい声になってしまったが、騎士は聞き取ってくれたようで、声で分かるぐらいホッとしていた。
何の用事だろうとビクビクしていると、その騎士は肩に手を置き、ゆっくりと話し始める。
「落ち着いて聞いてください。実は――」
―――――――
今日も今日とてフィルは、日も落ちて冷え始めた家で唯一暖かい暖炉の前に陣取っていた。
最近のフィリッツは仕事に忙しくて家にいない。ユリもアスクも来ない。台所ではティルザが夕飯の下拵えをしていて忙しそうにいている。
……端的に言えば、暇をしていた。
あの二人とは頻繁に遊ぶようになり、なぜか遊ぶ場所となるのは決まってフィルの家で。まあ、広い庭は遊ぶのにちょうどいいのだろう。一人ではいささか広大だった庭も、三人では窮屈に感じるのだから不思議なものだ。
そして、雪合戦を教えたからか、一つの遊びに飽きると新しい遊びを知りたいとアスクがゴネるようになった。最初は連想ゲームやボードゲーム、尻尾取りなど、一応遊びと言えるものを教えていたが、半年ほどで元々貧しいフィルの教養が尽きた。
それでも欲求は留まることを知らないので、もう知らないことなら何でもいいかと、得意な体術を教えてみたり、モールス符号を教えたり、その他知っている問題などを解かせたりなどしていた。
しかし、逆に知識を必要とするものはアスクが簡単に解いてしまい、なんだったら暗記系は本当に数秒で覚えてしまうというなんとも異次元な子供。
フィルの知識をほぼほぼ吐き出して、それでやっとアスク達の知的欲求や好奇心を満たしている。
ただ、今日はその二人が来ないようであり、だからやることはないが特にしたいこともない。
強いて言えば魔法を学んでみることだが、まだ申請が通っていないとのことで叶っていない。しかし、結局それで一年半も待たされている。フィルは若干諦めの境地に入っていた。
「母さん、今日はご飯何にするの?」
「うーん。別にまだ考えてないのよねー。今適当に切ってるの」
「料理で、適当に具材切るとは……?」
相も変わらずのほほんと過ごしたいるティルザであった。しかし、適当と言っても怪我をしないよう努めているのか、幾分か集中はしていた。
そうして、気付く。
フィリッツは仕事、ティルザは料理。アスクとユリは珍しく家にいない。
つまり――ティルザの部屋にあるだろう魔法の書物を漁るには絶好の機会だ。
今までは、きちんと両親から学ぼうと大人しくしていたが、ここまで待たされれば話が変わる。
人の知的好奇心を舐めるなという意味で、フィルがこっそり二階に上がろうとしたその時――玄関が盛大に音を鳴らした。乱暴なノックだ。
「はーい!」
ティルザが玄関に向かいドアを開けると、そこにはいつかの新人騎士、ヴァイツが血相を変えて立っていた。
「た、大変です!フィリッツさんが、王城で――ひ、瀕死の重体で……!」
「え!?」
フィルは目を見開いて驚く。
どうやら尋常じゃないぐらい強いらしい、この王国で二番目に実力者なフィリッツが瀕死にまで追い込まれるとは、ハッキリ言って信じられなかった。
しかし、妻であるティルザは特に崩れ落ちることもなく、真剣な表情で聞いた。
「それで、助かるの?」
「今は王城にいたシスターが回復魔法を施していますが、上級職のシスターが軒並み出払っているのもあり新人が多く……」
「……分かった。じゃあ、助かるのね」
「は、はい……その、ティルザさんが手当てをすれば……」
いつものホワホワとした彼女はどこへやら。やり取りは上級職を思わせるそれであった。
ただ、ここから王城までは馬車を使っても短くない時間を要したはず。一刻を争うこの場面で、その移動時間は致命的ではないのだろうか。
「フィル。私はこれから王城に行くけどフィルはどうする?」
しかし、ティルザのその顔からは諦めというものを感じない。この絶望的な状況で、まだフィリッツの生存を信じていた。
ここで返答に一秒でも使っては、この意志に対してみっともないったらない。
「……俺も、行く」
「それじゃあ行くわね。酔ったらごめんね」
そう言ってティルザはフィルの手を掴んだ。
すると、ティルザの左手に嵌っていた指輪が光始める。と同時に、二人は少し浮き、体全体は体感したことのない感覚が包む。
ふと足元を見れば――青い魔法陣があった。いつかの錬金術式を彷彿とさせるほど、いや、それ以上複雑な魔法陣。その魔法陣は、淡い光を放っている。
「ティ、ティルザさん、それは……!」
「フフッ。私たちのとっておきよ。結構いい値段したんだから」
ヴァイツの顔は驚きで溢れている。まさかそんな、という言葉が相応しいか。そして、その隣にいるフィルも同じような顔をしていた。
――と、次の瞬間、目の前が真っ白になり、体全体を襲う不快な浮遊感。
それはすぐに収まったが、その感覚の余韻にクラクラしていると――目の前の光景が家ではなく、見たことのない場所だと気付く。
「えっ?え?え?」
周りには修道服を着たシスターのような人や兵士が複数人いて、その全員がフィルとティルザに驚愕の表情を向けている。
いまいち状況が飲み込めないでいるフィルだが、遅れて周りの惨状が目に入る。
明らかに豪華な客間と言える場所は、あらゆる所にペンキをぶち撒けたかのように真っ赤な血が飛び散っている。
そしてさらに目を回せば、人だかりの中心に――血まみれで傷だらけなフィリッツがいた。指が何本か欠損しており、切り傷も酷く出血が多い。
周りにいるシスターが魔法陣に手をかざし、切り傷が少しずつ塞がってはいるが、そのゆったりとした治癒速度では間に合いそうにない。別に人体にそれほど詳しいわけでもないし、いくら出血したら死に至るかも知らない。けれど、そんなフィルのような素人目でもそれは分かった。
ティルザはそんなフィリッツに近づき、座る。
「……大丈夫、これなら助かるわ」
「すまんな……油断、とかはしてなかったんだが……」
そんな弱気なフィリッツにティルザは優しく微笑むと、手をかざし、先ほどシスター達が使用していた魔法陣より随分と難解な魔法陣を展開する。
それは淡い光を発すると、見る見る内にフィリッツの傷やアザ、そして欠損していた部位までもが回復していく。先程まで瀕死だったフィリッツは、あっという間に傷一つない状態となった。
そして、その超常的な展開を目にしたフィルはというと、
(あれが、絶対魔法だよな。錬金術で薄々分かってたけど、やっぱり魔法陣も複雑……なのか。――いや覚えられる気しねぇええぇ。無理だろ、あれ何も見ずに頭の中で思い浮かべるの。もし勉強ってあれ書かれた紙渡されても絶対暗記できる気しねぇええ)
と、魔法を学ぶという道の長さを感じていたのだった。
初めは苦しそうに息をしていたフィリッツも、今は普段通りの呼吸をしており、もう問題がないことが分かる。
自分でも気付かぬ内に緊張をしていたようで、ホッと息を吐くフィル。
安心したからか周りの音がよく聞こえるようになり――すると、後ろから安らかな寝息が聞こえた。あまりにも場にそぐわないその寝息を不思議に思い、振り返る。
そこには、三人が全身を
その布に血が染みていることから、怪我人または犯人であることが察せられる。が、寝息を立てていることから、その三人に布を被せる必要性を感じない。
「フィル」
フィルはフィリッツに呼ばれ、未だ倒れている彼の元へと近寄る。その表情は暗く、傷が癒えたとはいえ本来の調子ではないのだろう。
「……ごめんな、フィル。ほんとうに……ごめん」
「……ううん、大丈夫」
何が、とは疑問に思うが、すぐに『心配を掛けて』という語末が思い付いて最大限の笑顔を見せる。
「それで……後ろで寝てる三人って……」
だれ、と続けようとした時、ティルザがその先を遮った。
「――フィル、あの三人はね……もう目覚めないの」
「ん……?三人とも、息はあったけど」
布を被せられているが、けれど確かに呼吸はしていた。ここからでは呼吸が見えないのだろうかと、いつものドジな勘違いだとそれを指摘する。
しかし、ティルザはその事実に驚くことはなかった。それすらも分かった上で言っているようだ。
「確かに、死んでないのかもしれない。……いや、厳密にはそれすら分かってないんだが。けど、目覚めないっていうのは本当なんだよ」
「な、なんで?」
最後の砦である父までもがティルザに肯定的な意見だった。特に間違ったことを言ったとは思えないフィルは疑問符が溢れ出る。
「フィル。あることをするとね、息をしてるのに目覚めない、ずっと寝ているようなだけの状態になることがあるの……。あの状態を”魂の抜け殻”。俗に、”抜け殻”って言ってね」
「魂の抜け殻……?」
なんだその厨二病チックな俗称は、とツッコミが出そうになるが抑え、後ろの三人の現状を大まかに察した。
フィリッツはそんなフィルへ説明を続ける。
「一度死んでしまった身体でも、魔法は無理やり治すことができる。――けどな、呼吸ができるほど身体を健常にしても、それはほぼ目覚めることがない」
「う、うん……」
「その様が、魂が天に昇って、まるで抜け殻のように見えることからそう呼ばれるようになったらしい。現代になっても原因が分からないもんだから、そのままそう呼ばれてるんだ」
「そ、そうなんだ……」
名前に負けていない、どちらかと言えばかなり適切な命名。つまり後ろの三人は、もう身体にあった魂が存在しないのだろう。
「……まあ、目覚めないって言っても絶対じゃなくて、一年に何人か目を覚ますんだけどな。だから本当に謎なんだよ」
目覚めるのかと、ある意味で予想を裏切られる。
きっとこの世界では、人が死んだらそれを魔法で蘇生し、息を吹き返すのを待つのだろう。
――1年に数人というその少ない枠の中に入るのを信じながら、ただひたすら待つのだろう。
「……ん?」
そして、フィルが布を被せられた三人を見ていると、どうしようもない既視感のようなものが頭を掠めた。
「……?」
一体何に見覚えがあったのか、目をクルクルと回して三人を見る。
よくよく考えれば、あそこで倒れている人たちの何かに見覚えがあっては良くない。なぜなら、あの三人はもう起きないのだ。知っている人であれば、それは考えたくないことだ。
しかし絶対に、一瞬目に入った何かに、見覚えがあった。
「――あっ」
一人、布から出ていた手。
そこに見える手首には、
一度見たら忘れない歪な模様をしているそれを、どこで見たのかなんて思い出す必要もなかった。
そのバンドは――
「お母さん!!」
後ろにある扉から、聞き覚えのある声が聞こえた。
振り向けば、やはり声の主はアスクであった。その顔は涙で濡れており、そして皺だらけだ。
「お母さんっ、お母さん!」
アスクは泣き叫びながら、特徴的なバンドを着けた人へと走り寄り布を捲る。そこから見えた顔は、何度か見たことがあったアスクの母だった。
傷一つない綺麗な顔で寝ているように呼吸をしているが、あの人はもう起きないのだ。
「お母さん、起きてよ……!お母、さん……」
亡骸、と言っていいのか分からないが、アスクは母の亡骸に縋り付き、泣き叫ぶ。近くの兵士がアスクの側へと寄ろうとするのをフィリッツが手で静止する。
すると、アスクは母にしがみついたまま、こちらを向き、
「……ねえ、フィル。お母さん、起きるよね。今は、ちょっと寝てるだけだよね。きっと、大丈夫だよね?」
と、フィルへ問いかけた。
アスクは既に”抜け殻”について知っているのか、震えた声には微かな願望しか含まれていない。
子供ながらに目の前の現実を理解しつつも、たとえ望んでいる返答がこないと知っていても、たった一言『大丈夫』と言って欲しいのだろう。
その後ろ姿は、とても小さく、そして震えている。
「……」
フィルは肯定することも否定することもできず、慰めや下らない嘘が浮かんでは消えた。
かける言葉が、見つからなかった。分からなかった。
座っていたティルザはゆっくりと立ち上がり、アスクへと歩いて行く。そして、すぐ側まで近寄ると、震えるアスクを優しく抱きしめる。
そうして、アスクの掠れた声涙のみがその部屋に木霊した。
――その後、ずっと縋り付いていたアスクを兵士が別室へ移動させると、フィル達アデルベルト一家も馬車へと乗って家へと向かった。
家族の無事を喜び、他愛のない会話が溢れているはずの車内は閑静としており、とても晴れやかな雰囲気とは言えない。
そして、悲しむアスクに慰めの一つすら言えなかったフィルは、おそらく自己嫌悪のようなネガティブな感情に襲われていた。
アスクと別れてからずっとそのような様子のフィルを見かねたのだろう。フィリッツは止まっていた会話を回し始める。
「フィル。アスクのこと、気にしてるか?」
「…………まあ、そうかも。何にも……言えなかったし」
抱えていた悩みはするりと口から出て、フィリッツはそんなフィルの頭を撫でる。今はその温かさすらにも痛みを感じる。
「そりゃ、何にも言えないのは仕方ない。だってフィルは優しいからな」
「……?」
「何不思議そうな顔してるんだよ。気遣って、気遣って、中途半端な慰めすら自分が許さなかったんだろ。だから何も言えずにいたんだよ、フィルは」
”優しい”と、自分とは程遠い評価は腑に落ちないものの、頭を撫でられながら掛けられた言葉で慰められているとは理解できた。
その純度百パーセントの愛情は、フィルの悩みを少し軽くする。
「まあ、仮にアドバイスをするとしたら、優しさの具現化であるティルザみたいに抱きしめてやることだな。言葉が出てこない時は、肉体言語が一番良いんだよ、ああいう、哀しい時はさ」
「……はは」
惚気とアドバイスを兼ね備えたおかしな言動に、軽く笑みがこぼれる。やっと明るさを見せたその様子に、ティルザとフィリッツの二人は少しホッとしたようだった。
――そして、心に余裕ができたからか、ずっと気になっていたことを思い出した。
「ていうか、母さんが城まで飛んだあれは何だったの?」
「ああ、あれ?あれは……なんて言うんだろう。簡単に言えばとても高い魔道具……よ。二つ一組で、片方の指輪から、もう片方の指輪へ転移できるのよ
「ま、魔道具……いいなぁ。……ちなみに、”とても高い”っていくらぐらい?」
魔道具とおおよそ分かっていたが、どのようなものかは分からない。その内容を聞いたというのに、わざわざ値段の話が出てくるのだ。それはそれは相当高いのだろう。
「……これぐらい、だったかしら?」
そう言って、指を七本立てた。
合っているはずのティルザの目はどこか遠いところを見ている。
「……違うぞ」
フィリッツは指を十本立てた。
フィルは予想する。十の後ろに付く単位として、一番あり得そうな金額と言えば、
「じゅ、十万ハウト……?」
つまり、十倍して約百万円。
まあまあ現実味がない、けれど妥当な値段だ。これでとても高いというのなら、魔道具というのは案外安価なものなのだろうか。
「……おくよ」
「え?」
ティルザが何か呟いた気がしたが、最初の辺りを聞き逃した。一体なんと言ったのだろうと、聞き返す。
「おくなの」
「……何が”おく”?」
「億、億ハウトってことだ、フィル」
びっくり、何も聞き逃していなかった。
ただ、無意識に十億を十倍し日本円換算をしてしまったことで、脳がその理解に苦しむこととなる。
……百億。円を付けたらもはや売り物の値段とは思えない。
「十億……まじか」
「違うぞ、十七億だな」
「あ、二人合わせてなんですね……」
百七十億円も払って指輪を買った事実に面食らい、少々金銭感覚が狂う。十億に七億足されても誤差だと思うのは、まさに狂っている前兆だ。
「まあいいのよ。実際、これのおかげで助けられた訳だしね」
「そうだな……俺の命は
――ん?今なんて?
「あれ? 十七億って指輪一つの値段……?」
「……言ってなかったっけ?」
「一言も言ってねーわ……」
何故、副団長と教会の上級職の二人が王城から中々離れた、少し僻地に住んでいるのかと考えていたが、この買い物で少し納得がいった気がしたフィルであった。
――そして、少し遅い夕飯を完食したフィルは部屋に戻る。
風呂にも入り、今日やることは既になくなっていたので、疲労の溜まった体をベットに埋めようとすると、自分の机の上に見覚えのない
便箋を手に取る。表にはしっかり『フィルへ』と宛先が書かれていて、自分当てに間違いなかった。
何故机の上にあるのか、母さんが受け取ってくれたのか、けれどそれならいつ置いた、など疑問は数多く出てきたが――
手紙の内容でそれらの疑問は吹っ飛んでしまう。
『 フィルへ
今日、ダンジョンで両親が亡くなりました。
私は里にいる親戚にお世話になります。
短い間でしたが、また会えると嬉しいです。
ユリより 』
その嫌に淡白な、質素な文章に思考は乱れる。一体何から処理すればいいか分からない。
フィルはすぐにリビングに戻り、椅子で話し合っていた二人に押しかける。
「か、母さん……これ」
「ん、なあに?」
フィルは手紙をティルザに渡す。見せたってどうにもならないとは知っていても、取り敢えず何か足掻きたかったのだ。
ティルザは手紙を読むと、少し表情を暗くする。
「そう……これは、残念ね。仲も良かったのに……」
「ざ、残念って……これ、なんで……」
言いたいことが言えないぐらい溢れる。
どこに行ったんだとか、なんでとか、どうすればとか。
けれど、そのどれか一つでも、たとえどんなに声を荒げたって無意味な質問になることは、自分のどこか冷静な部分が分かっていた。
「……そう、だね」
何か言おうと口を開けて、けれど言葉は出ないから口を閉じて。という葛藤を繰り返している内に、削られた言葉はなんの中身もない、本心なんて一ミリもない肯定だった。
「今日は色々あって疲れたから……もう寝る。おやすみ」
「うん……おやすみなさい、フィル」
ティルザの言葉を聞き流して、フィルは自分な部屋のベットに倒れる。
上手く働かない頭に辟易しつつ、明日になったら考える、と逃げるように意識を手放した。
――そして数日後、アスクは叔母のいる離れた所へ身を移すことが決まった。
フィルは、唯一無二の友人を二人、一日で失ってしまったのだった。
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