第15話 粉雪

 祭りから数週間程度経った。祭りの時の快晴はどこへ行ったのか、外は雪が積もるほどの降雪。

 少しでも外に出れば、いつの間にか下がり切っていた気温が全身を襲ってくる。


 あの後、フィルは両親から質問攻めに遭い、そのしつこさはウザ絡みを超えたといっても過言ではないほど。しかも、質問をされるだけで、こちらが聞きたい”サイシ”や黒髪差別などについては何一つ教えてくれない。その夜はただのおもちゃだった。


 結局、この一週間で手に入った情報は雀の涙にも満たないぐらいで、その頑固たる態度からは”教えたくない”という方針がボヤけて見て取れる。

 どんな理由があるかは知らないが、自分が助けた人の悩みの種ぐらい教えて欲しかった、と嘆くフィルであった。


 ちなみに、告白の件については何一つ進展していない。なにしろ、ユリが触れてこないのだ。だったら、こちらも触れないのが吉、と逃げ腰の姿勢である。


 ――それはそれとして、今日はアスクが遊びに来る日である。

 偶然人攫いに襲われた二人だが、それがすぐ消える関係性だと思っていたのはフィルだけであったようで。

 実際はアスクの母が忙しい時、遊び相手兼面倒を見る係に選ばれることになり、時々遊びに来る。


 ”錬金術師”とのことだが、実際にそれを見たのはアスクがフィリッツを攻撃したときだけだ。基本的に外では使ってはいけないと言われているのだろう、一度もそれらしいことはしてないなかった。

 教えて欲しいとは思うが、それが原因で会えなくなるのもなんだかなあ、という感じだ。


 フィルは暖炉で温まりながら、窓から見える雪景色に思考まで白になる。勉強も運動もこんな日は休み、ていうかやる気が起きない。

 ダラダラと寝そべり、アスクが来るのを待つ。


 その様に堕落の限りを尽くすフィルだが、ドアを叩く音が聞こえた。

 

「フィルー?アスクちゃん来たんじゃなーい?」


 と、ティルザの呼ぶ声。ノロノロと立ち上がり、この家唯一の温暖な場所から離れる。

 そして冷気の漏れるドアに近寄り、開けた時に襲う寒気を想像してその玄関を開けた。

 

「あれ?」


「あそぼ、フィル」


 と、素っ頓狂な声を上げたフィルの先にいたのは、来るはずのアスクではなく、祭りで買ったフードを纏ったユリだった。いつかの濁った目はすっかり晴れて、随分と明るくなったように見える。


 あれ以降、ユリとも遊ぶことはちらほらあるが、しかし今日はその予定がなかったはずだ。


「あー、けど今日は……」


 そうして先約があることを伝えようとしたところで、


「――あっフィル!あそびにきたよー!」


 と、少し遠くからアスクが走ってきていた。

 『げっ』とユリの方へ視線をやれば、やはり顔には少しの恐怖が見える。まだフィルとその両親以外の人は怖いと感じてしまうらしく、アスクほどの幼い子にもそれは例外ではないようだ。


「ん?あれ、その人はフィルのお友達?」 


「……うん。そうだよ。けど、もうすぐ帰るんじゃなかったか?」


「あっ、えっと……」


 フィルはユリを気遣い、雑にだがこの場から離れられる口実を作るが、ユリは残念ながら上手く乗れない。それほど戸惑っているユリにアスクが気付くはずもなく、無邪気で悪意のない行為は止まらない。


「えー!ならもう少し遊ぼうよ!少しだけだから!ねえ?」


「えっ、えっ?ちょっ、と」


 と言うが早いか、アスクはフィルを含めた二人をグイグイと押して行き、無理矢理家の中へと押し入れる。帰る口実と大義名分、度胸などを失ったユリは成されるがまま、抵抗虚しくリビングの暖炉の前まで引っ張られた。 


「でさフィル、今日は何して遊ぶ?」


「う、うーん、何がいいかな……」


 悩む素振りをしながら、ユリの方を見やる。ユリは小さく座り込み、俯き黙っている。様子が分からなく、心配で仕方ない。

 そして、そんなフィルに追い打ちをかけるようなことが。


「珍しいわね、今日は三人で遊ぶの?あ、はい、これお菓子」


「あー、ありがと」


「あと、少し買い物してくるわね。それまで留守番よろしくね」


「え”っ”?」


 待ってくれと鈍い声を漏らすが、そんな望みは叶わず届かず、ティルザはいそいそと家を出ていった。

 これでこの家にはいるのは噛み合わせの悪い三人だけとなる。フィルの胃がキリキリと痛み始めるのは避けられないことだった。


「あー、なんかする前に……自己紹介とか、するか?」


 友達の友達の仲介なんてしたこともなく、しかも片や人間不信気味である。唯一の救いは、二人が女の子同士であることだろうか。同性どういうのは、親しみやすい一つのポイントではないのだろうか。


 ……人間不信に親しみやすいとかあるのかは置いておいて。


「あ、そうだね。僕はアスク。アスク・カーティス。よろしくね!」


「……」


 元気のよい挨拶をするアスクに対して、ユリは黙ったまま俯いている。やはり、まだフィル以外の他人と関わるのは関わるのは早かったのかもしれない。


 無言のユリを不思議そうに見るアスクに、このままでは気まずい展開へと発展しかねないと思ったフィルは慌てて間に入る。


「えーと、アスクは凄い錬金術師の娘なんだよな?」


「ん?うん、お母さんはすごいよ?それにね、お母さんだけじゃなくて、僕も凄いんだ」


 言いながら胸を張るアスク。しかし、チラリと見たユリに反応はない。フィルは無計画に話を繋げる。


「いや、だからさ、アスクが知ってる錬金術、ちょっとでいいから俺にも教えてって言ってるのに、アスクってば教えてくれないんだよ。ひどいよな」


「それはそうだよ、何回も言ってるじゃん。もう、フィルは甘いんだ」


「何が甘いじゃ、何が」


 と、二人は軽い小話。

 ユリを見ると、やはり俯いている。反応らしい反応はない。アスクは会話よりティルザが持ってきた菓子であるケーキのような物に気が取られ、バクバクと食べ始める。


「ん!これおいしー!」


 相当気に入ったのか、あっという間に平らげる。

 と思えば、ケプッと可愛らしい音を零して、


「フィルー、なんか飲み物持ってきてー。喉乾いた」


「え、いや、んー」


 とてもフリーダムなアスクだが、あまりこの場を離れたくない。このリビングに二人を残していくのは好ましくない。


「ねえー!おーねーがーいー!」


 だが、そんなことなど梅雨知らず――たとえ知っていても考慮してくれるとも思えないが――アスクは身体を押し付けフィジカルを用いて要求し出した。


「わ、わかったから押すな!」


 これ以上拒否してもアスクが折れることがないことを察したフィルは、超高速でリビングを去る。そのままドタドタと廊下の壁にぶつかりながらキッチンまで向かった。

 一瞬で飲み物を用意して、すぐリビングまで戻るという選択をしたのだ。


 十秒もしない内にキッチンへはたどり着いた。

 息をつく暇もなく、何か飲み物が入った容器をバタバタと取り出して、すぐにそれを注ぐコップ――が見つからない。

 ここだと思っていた戸棚に入っていたのは皿などの食器のみ。一目見て、細長いコップがないことが分かる。


 予想外のことに思考がビタっと止まり、回路がシャットダウンする。


 辛うじて、すぐにコップのありそうな候補を思い浮かべようとするが、いままで甘やかされて生きてきたフィルが、後は運ぶだけのご飯を運ぶことしかしてこなかったフィルが、そんな場所を思い浮かべられる訳がなかった。


 ただ判断は早く、無理ならと総当たりに切り替える。戸棚という棚を全て開けコップを探し始めた。

 刻一刻を争うこの場面。なんとも不運なことにコップが見つかったのは残り二つの戸棚の中で、時間にして約四十秒のロスだ。

 

 ドタバタとキッチンから出て、まずいことになっていないのを祈りながらリビングへと戻り、その扉を開けると――


「――で、これが”けいじょうへんか”の術式。僕が一番最初に覚えたやつなんだ」


「こ、こんなに複雑なんだ……」


 親密とは言えないが、しかし険悪でもなく、ただ普通に会話をしている二人が目に入った。

 あのユリが自分以外の人と話せているということも十分驚くべきことだが、それ以上に興味を引き摺られる言葉が聞こえた。


 なんだ。”けいじょうへんかの術式”って。


「アスク?飲み物持ってきたよ」


「あ。ありがとフィル」


「いやいや……それで、二人は何を話してたんだい?」


 極めて平静を装って、さりげなく会話に混ざろうとしたフィルだが、隠し切れていない感情が全て眼に出ていた。その眼に気づくと、アスクはユリに見せていた紙をパッと背へ隠す。


「な、なんでもないよ?ねっ」


 アスクはユリへと、こちらもバレバレなとぼけ方をする。が、ユリは困ったような表情をしながら口を開き、


「え、えーと……アスクから錬金術について教えてもらってて……」


「あっ、ダメだよ!フィルに教えちゃ!これはユリにだけ教えたんだから!」


 慌てながら口を塞ぎにいくアスク。

 やはりというか、今まで一ミリも教える素振りを見せなかった錬金術をユリには教えていたのだ。一体どうやって、とフィルはユリに小声でコソコソと話し掛けた。


「ユ、ユリ?どうやって錬金術を教えてもらった?俺なんか、何回頼んでも教えてくんなかったのに」


「アスクが、私のお菓子を食べたそうに見てたから……錬金術と交換って言ったら教えてくれた」


「まさかの物々交換……!そうか、俺に足りなかったのは対価だったのか……。ていうか、その……大丈夫だったか?他の人と会話するのは……」


「う、うん。少し怖かったけど、フィルが錬金術知りたそうにしてたから……教えて貰えないかなって思いついて」


「ユ、ユリ……!」


 自分を想った健気なユリの行動に心打たれ、一度も緩むことのなかった涙腺が初めて緩む。とても怖かったろうに、勇気を出して申し出たのだ。


 だが、アスクは細かい性格のようで、ユリの健闘は虚しくあの錬金術のことについて書かれた紙はユリしか見てはいけないらしい。

 チラリとアスクを見れば、今も警戒心をビリビリさせながら紙を背中に隠している。


 ならば、とフィルは、


「なあ、アスク?俺の菓子もあげるからさ……錬金術、俺にも教えてくれない?」


「えー、もうお腹いっぱいだからいらなーい」


「えぇ……?」


 頓挫した。

 ユリの方法をパクるという安易な考えは子供ながらの理由で却下される。けれど、何か対価を与えれば良いというのは希望が伺える発見だ。


 フィルは別の何か、今の自分が今すぐ渡すことのできるモノを考える。ポクポクと思索し、見渡す。

 そして、


「――二人とも、って知ってるか?」


「ゆき、がっせん?」


 二人は首を傾げ、その言葉に不思議そうにしていた。

 ここまで生きてきて、前世であった遊びがいくつか存在しないことは分かっていた。つまり、これらの情報は全く新しい新感覚な遊戯なのだ。

 幼い子供には好奇心そそられるものに違いない。


「フィル、雪合戦ってなに?」


 思惑通り、アスクは聞き覚えのない単語に目を光らせている。フィルは意地汚い笑みを浮かべると、


「今の時期にできる遊び、だな」


「遊び?聞いたことない。ねえ、おしえてよ!」


「なら――錬金術の紙、俺にも見せてくれない?交換しよう、な?」


 と、大人げない交換条件を持ち出したのだった。

 「うーん」と悩む素振りを見せたアスクだったが、気になって仕方なかったのか、好奇心に負け案外すんなりと紙を差し出した。フィルは興奮で震える手でそれを受け取る。


「もう、しょうがないなあ。はい」


「やった……! やっと、念願の、ま、ほう……」


 山なりに上がっていったトーンは、紙を見た途端に下がっていった。

 その理由は、


「なに、これ」


「錬金術の初歩、形状変化の術式だよ。僕が最初に覚えたやつ!」


 そんな初歩らしい術式は、十五センチ四方の紙に空白の方が少ないと錯覚させるほどびっしり、円と円の間に幾何学的な模様がこれでもかと描かれていた。


 それがどれくらい難解か、言葉で説明するのは難しい。少なくとも、これを覚えろと言われれば発狂できてしまえるほどだろうか。


「お、覚えたって……もしかしてこれ、暗記して使えるようになるの、か?」


「うん!頭の中でこれを思い浮かべるんだよ!」


「ギャッ……」


 人が絶命する音が聞こえた。

 こんなにも目の前に、喉から手が出るほど求めていたモノがあるのに、それを使ってみるまでの道のりが遠すぎる。


 ……無理だ。これを暗記とか、絶対無理だ。


「……アスクも大変だったろ?これ覚えんの」


「あんまりかなぁ。十分ぐらい見てたら覚えたし」


「は?」


 殺意が漏れた言葉が出る。

 ”覚えるの大変だったなぁ”談義に花を咲かせようとしたのに、返ってきたのは”大変じゃなかった”という余裕綽々な発言。

 しかも時間にして十分、これほど膨大な情報量をたった十分で脳に焼き付けたというのだ。異常というほかない。

 

「ふふん。すごいでしょ?お母さんが言うには僕、記憶力が良いんだって!」


「……なにそれ、すごいな」


 意味が噛み砕けないままに呟いて、自分にない才能を羨む。魔法がバリバリの暗記だとか、誰が予想しただろうか。

 そうやって、一人絶望しているフィルだが、


「ねえねえ!教えてあげたんだからさ、早く雪合戦教えてよ!どんな遊びなの?」


「――あぁ、庭でやる遊びなんだよ。教えてあげるから、外でやってき……」


 と、ここまで発して気付いた。雪を見てとっさに思い付いた前世の遊戯だが、雪合戦は一人でできるものではない。

 大前提として、フィルはこの極寒の外に出るのは避けたい。しかし、最低二人のこの遊びをアスクとユリだけでさせるのも不安だ。


 八方塞がりを感じて、おそらく最悪手な提案をしたのだと悟った。


「どうしたの?」


「いやっ、ちょっと……なあ、寒そうだし、やっぱ他のやつ教えてもいいか?」


「えー!」


 フィルは数ある選択肢から逃げるを選んだ。アスクはムスッとするが、フィルにも引けない訳がある。

 暖炉の前から動きたくないという、大きな理由があるのだ。

 

 アスクにどんなことを言われても他の何かを教える、と固い意志を持ったところで、意識外の方から裾を引っ張られる。


「おっ、おう、なんだ?」


「……ねぇフィル。私、雪合戦やってみたいな。フィルと一緒に」


「”え”っ”!」


 まさかの方向からの攻撃。意志を見せることなど全くないユリが、今は力強い目で訴えかけている。

 アスクからの非難は根性で無視しようとも考えていたが、今のユリとなると話は別だ。このユリと根比べをしても、勝てるビジョンが全く思い浮かばない。


 自らの敗北を認めつつ、しかし駄目元で、


「……それ、俺に拒否権ない?」


「ない。やろ?」


「はい……」




 元気なアスクは一人庭は飛び出した。開いたドアから流れてくる寒気に、数ある遊びの中から”雪合戦”をチョイスしたことを後悔しつつ、紙をポケットの中へ入れて立ち上がる。

 

 そして、雪の積もる寒い外へと出た。


「うぅ、さむっ!」


「それで!どんな遊びなの?!」


「そうだなぁ……。まずは、その柵の辺りの雪を集めて壁を作るところからやるか」


「壁?それなら任せて、僕の得意分野だよ!」


「ん?」

 

 そう張り切ったアスクは、雪を手でかき集めて軽い山を作ると、そこへ手を当てた。

 すると、アスクの触れているところが光りだし――見る見るうちに山が壁へと姿を変えた。


「ふふん、これがさっき教えた”形状変化”の錬金術だよ!物の形を変えられるんだ。フィルは一回見たことあるよね」


「……あー、父さんを串刺しにしかけたやつか」


 誘拐未遂犯に襲われフィリッツに助けられた際、助けにきたフィリッツが怖すぎてアスクが鉄の棒を棘のある形へと変え攻撃した。

 その時、使った錬金術がこれなのだ。


「で!こういう壁何個立てればいいの?」


「あと……四つぐらい?」


 適当に壁を立てる場所を言い、そこへ雪を集めてアスクが錬金術で壁にする。そんな単純な作業を終わらせて、アスクはフィルへと意気揚々と詰め寄った。


「これからこれから?」


「で、あとは雪を丸めて投げ合う」


「ま、丸めて……?」


「そう、丸める」


 やけにあっさりしたルールだったからか、アスクは困惑したように見つめてくる。丸めるという概念がないのか、雪に対してそれほど知識がないのか、どちらにしてもピンとは来ていなそうだ。

 見本を見せようと雪を掴み、丸めようとするフィルだが、


「……あれ、丸まんねえ……」


「だよね、雪って結構サラサラしてるもんね」


 手で集めてもパラパラとして丸まらない雪。前世で降っていた雪に比べ、何倍もサラサラしていた。

 これはこれで新鮮で気持ちいいが、このままでは雪玉を作れそうにない。

 

「でも壁は建てれたよな……?」


「それは……錬金術を使ったからじゃない?」


「あー……」


 ユリの指摘に納得して、壁を触って理解する。

 錬金術を使って立たられた雪の壁は、サラサラとした雪で出来たとは思えないほど硬く、びくともしなかった。


 手で丸められないとなると、投げる雪玉をどうやって作るかということになり、フィルは、

 

「よしアスク。雪を手のひらサイズぐらいの球体にして、それを三十個ぐらい作ってくれ。できれば柔らかめに」


 力技のゴリ押しに決めた。

 頼まれたアスクは一瞬面倒そうにするが、仕方なしと手に雪を集めては丸めて、集めては丸めてを繰り返した。


 ピカピカと光る手のひらを見飽き始めた頃、アスクは三十個の雪玉を作り終える。


「ねえ、流石に疲れたよ……それで、この雪の玉を使ってどう遊ぶの?」

 

「この雪玉を投げ合って、当てたり、当てられたりするんだよ。至ってシンプルな遊びだ」


「へえー。これを投げ合うんだ……えぃっ」


「って、あぶなっ!」


 理解したらしいアスクは、さっそく手に持っていた雪玉をフィルへと投げた。

 流石に危なげなく避けたが、その焦ったような、おっかないといったような顔がアスクの中で何かに火を付けたらしい。一つに収まらず、次々と投げ始める。


「んふふふ、たのしいかも」


 続けて投げてくるアスクに、フィルは避け続けながら叫んだ。


「待て待て!わかった、ルールを追加しよう?!」


「んー?なにー?」


「一人雪玉十個にして!個人戦にしよう!その方が面白そうだろ?!」


「うーん、それなら僕とユリ対フィルにしようよ!」


「わかった!から!一回投げるのをやめろ!」


 ――結局、作った雪玉を全て投げ終えるまでアスクは止まらず、回収するのに少々の時間を要した。

 しかし、流石は錬金術で丸めた雪玉だけありその硬さは硬質というわけではないが、形が崩れているものはなく、その異常性を体感する。


 だいたい三分のニの雪玉をユリとアスクに手渡して、今更チーム分けに不安を覚えながら大人しく庭の反対側へと移動した。

 

「それじゃあ始まるよ?よーい!スタート!」


 明るく元気な掛け声が聞こえる。そしてすぐに雪を蹴る音が一つ聞こえた。どうやら、二体一というよりは、この無邪気な少女の相手をすることになりそうである。

 

 取り敢えず、アスクを満足させるため遊んでやろうと壁から顔を出し、アスクがいるであろう壁を睨む。

 そして、まさか自分の場所がバレていると思っていない天真爛漫な少女が大胆不敵に体を出したところに――


「うぎゃあ!」


 軽めに雪玉を投げた。

 どうやら投擲の才があるらしいフィルの投げた雪玉は、歪みなくアスクの腹部へ当たり、アスクを軽く仰け反らせる。


「やったなー?」


 しかし、そんなことで挫けるアスクであるはずがなく、元気に雪玉を投げ返してくる。

 当然当たれば冷たいので当たる気はなく、ギリギリで避け続ける。


「もう!全然当たらない!避けないでよ!」


 と怒り出したが、フィルはそれでも大人げなく避け続けて、壁へ壁へと体を移していく。

 

 ところで、ユリはどこへ行ったのか。

 始めてから今まで、足音の一つも聞こえない。どこかで小さくなっているのか。だが、それにしてはフィルは結構動いている。姿をカケラも見かけていないのはおかしいだろう。


 自然と、アスクをあしらいながらユリの姿を探し始めた。少し広大な庭を動きながら、首を回して探していると、


「――冷た!」


 背中に小さな衝撃と共に、素肌に突き刺さるような冷たさを感じた。振り返れば、ニコニコとした顔がチラリと見える、フードに雪を積もらせたユリが立っていた。


「ふふふ、当たった」


 嬉しそうに呟く。

 いつの間に自分の後ろに、と唖然としてしまえば、先ほどからずっとフィルを狙っていた少女のことが頭から漏れ出す。


「とりゃ!」


 そんな可愛い効果音が聞こえると、また背中に衝撃。

 しかし、今回は跳ね返らず――服の隙間から雪玉が侵入してきた。


「うぎゃああああああ!冷たい冷たい冷たい!」


 背中の異物を取り除こうと暴れるフィル。飛んだり跳ねたり服を捲ったり。

 ただ、そんな滑稽な姿をアスクが見ているだけで済ます訳がなく、


「とりゃ!とりゃ!とりゃ!」


「ちょ!やめろ!やめて!やめてください!」


 無様に謝る様はアスクのツボに激刺さりらしく、今は腹を押さえて爆笑している。

 楽しんでもらえてよかったです、と皮肉を思いながら、服をパタパタとしてまだいる雪玉を出そうと試みる。


「手伝うよ?」


「あぁ……ありがとな」


 ユリが後ろから服を捲り、手を入れて雪玉を掴んだ。雪玉が背中に触れるたびにヒヤッとする。


「はい、取れた」


「まじでありがとう……」


 ユリから背中に入っていた雪玉を受け取り、それを握る。

 そして、


「アスク、アスク」


「はーっ、はーっ……なに?」


 抱腹絶倒なアスクを呼び止め、その背中を掴む。


「雪はな、冷たいんだ」


「ちょっ、フィル?」


 そう言って、背中に雪を入れた。

 ……とても大人げないのは、言うまでもない。


「冷た!冷たい!取ってフィル!これ取って!」


「そうだろ?冷たいんだ、雪は」


 バタバタと暴れるアスクを見ながら優雅に頷く。先ほどのお返しとでも言うような態度だが、精神年齢差を考えても大人げがない。どちらが子供か分かったもんじゃない。


 ただ、アスクがしばらく藻掻いていると、雪玉がポロっと服から出てくる。

 ふう、と息を吐き、その雪玉を掴んだアスクはまたしてもフィルへと攻撃を始めた。


「よくもやったな……もう怒った!絶対雪に埋めてやる!」


「ふふふ、もう当たらんぞ。逆に埋めてやるからな」


「こっちにはユリがいるんだ、覚悟しろよ!ねっ、ユリ!!」


「う、うん……」


 やはり押しには弱いのか消極的だが、しかし頑張ってコミュニケーションを取っていた。怖いはずなのにこの度胸、とても目覚ましい進歩であった。




 ――そうして、フィル対ユリ、アスクの雪合戦は日が落ちて暗くなるまで続き、いつの間にか寒かったはずの身体は汗をかくほど熱くなっていた。


 無鉄砲に飛んでくるアスクの雪玉を避けながら、ちょうど頭の片隅からユリのことが抜けた頃合いでタイミングよく投げ込まれるユリの投げる雪玉に身体の体温を持っていかれる。

 時折投げ返し、二人を程よく白に染めながら、けれど最終的に一番白かったのはフィルだった。


 気付かぬ内に帰ってきていてティルザにその姿を見られ、微笑ましそうに笑われたのが何とも言えない羞恥心を感じた。


 フィルはこの不甲斐ない結果は納得していない。何なら降っている雪以外は浴びない心意気だったのだ。

 なぜにこんな被弾しているのか。それは、百パーセントユリのせいだ。

 少女だからと言って舐めていた。


 ――そんなこんなで時間は随分遅くなり、アスクが帰る頃となっていた。


「それじゃあ二人とも、バイバイ!また遊ぼうね」


「う、うん……また、ね」


 少しは打ち解けられたようで、二人は挨拶を交わしてさよならをしていた。別に親とかではないフィルだが、どこか感慨深い。


「気をつけて帰るんだぞ」

 

「うん、じゃーね!」

 

 子供の体力は無尽蔵なのか、結局最後まで元気が良かった。

 アスクが家を出て姿が見えなくなるまで見送り、ユリを家の中へと入れる。


「ユリ。その……大丈夫だったか?」


「うん。ていうか、楽しかった」


「そうか……それなら良かった」


 本人がこう言っているのに加え、フードの影から見える顔にも笑顔が見える。きっと、本当に楽しかったのだろう。

 安心したフィルは安堵のため息を漏らした。


「特に……ふふっ、フィルが雪玉当てられる度に悲鳴を上げるのが……ふふっ、面白かった」


「そうですか……それは良かったです……」


 体のどこだか分からないが、おそらくプライドのようなところが痛みを訴えてくた。心が必死に「あれは本気を出してなかっただけ」とか「怪我させたら悪いし」とか応急処置を始める。


 そして、一通りクスクスと笑い終えたユリは、

 

「はー、面白かった。それじゃあ、私も帰るね。……その、いきなり来てごめんね」


「謝らなくていいって、俺も楽しかったし。なんなら、これからも好きな時にいつでも来ていいからな」


「……うん、わかった。フィル、じゃあね」


 そう言って、ユリも家を出る。

 数分前まで騒がしかった家の中は、ティルザのご飯を作る音だけとなった。


 そして、ふとポケットの中の紙を思い出す。

 そこには、雪の水分が染みて解読不能となった錬金術の書かれた紙があった。


 ただ、もう一度アスクに書いてもらう気は起きない。そもそもあれを暗記するのは絶望的な時間を感じたからである。

 気が向いたら書いてもらおう、とやる気の感じない先延ばしをして、フィルはせっかくの魔術から自ら距離を置いたのだった。

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