第14話 百合の花

 フィリッツと自らはぐれにいったフィル。元の場所に戻っても入れ違いになることは目に見え、しかしこれ以上歩いていても現状は変わらない。

 仕方なしに、妥協案として元の場所辺りをウロウロすることにした。


 しばらく「たまたま出会えたりしないか」と楽観的にウロついていると――前の人混みが急にザワザワとし始める。


 偉い人でもいるのか、それとも誰かが倒れたのか。

 理由はいくらでも考えられるが、どうもその騒ぎはポジティブな雰囲気ではない。何か気分の悪いものを感じる。

 

 野次馬根性で人を掻き分け進むと――どこか懐かしさを感じる"同い年くらいの少女"が中心に見えた。


 何故懐かしさを感じたのか、数秒観察していて気付く。

 髪が――この世界に来てから色鮮やかで、金やら白やら目に優しくなかった髪色が――綺麗なを纏っていたのだ。


「……」



 ――そして、余計なことにも気付く。もしかしたら、気付かなければ良かったかもしれないことに。



 けれども、"それ"は聴こえてしまった。


「なんで"イミシュ"なんかが祭りに来てるのよ。しかもよりによってベフ祭に」


「ほんとよねぇ?恥ずかしくないのかしら?」


「大人しく自分の里に閉じこもってればいいのにー」


 ヒソヒソと、しかし少女に聞こえる声で少女を囲う周りの人たちは好き勝手噂していた。それは明らかな差別の目で、気持ちの悪い侮蔑を含んだ声だった。


 少女はその悪意の視線と声に怯え、俯いている。か細く小さい体でその悪意に耐えれるはずもなく、今にも泣いてしまいそうだ。


 という、そんな思いがフィルの頭を満たしていく。けれど具体的な案は何もなく、愚直に叫んでもなんの解決にもならないことは明らか。


 フィリッツのような人望が無ければ、権力もない。

 今ここで糾弾したとして、一体なんの意味があるというのだろう。


 ――そうやってフィルが思考の海に沈んでいると、少女は通りを外れて細い路地裏へと駆けて行ってしまった。


 追いかけたい。けれど追いかけて何をする。

 無意味に思考が反復する。


「あら、自分から消えてくれたわよ?」


「この場所にいるべきじゃないって気付けたのよ。そもそもなんで来てるのよって話だけどね」


 そう聞こえたのが皮切りに、少女に悪意を向けていた人達はバラバラと散り始める。もう少女のことはどうでもいいと、興味が失せたと人の移動が告げている。


 その群衆を見てフィルは考えるのを止めた。

 そして、すぐに少女が消えた路地裏へと歩を進めるのだ。




 昼だというのに薄暗い路地裏は複雑に枝分かれしていて、最初は少女を見つけるのは骨が折れるかと思われた。

 迷ってしまった数秒のロスが致命的かもしれないと決断を鈍った自分に憤りを感じる。


 ――ただ、地面を見ればそんなことはないようで。


 路地裏の地面には、水で濡れた跡が雨上がりのように続いていたのだ。

 まさか雨なんか降っている訳もなく、何の跡かなんて考えなくても分かる。


 それを辿ってしばらく進むと啜り泣くような音が聞こえた。音を便りに角から頭を覗かせれば、やはり先ほどの少女だ。


「もう……嫌。なんで、何も、何もしてないのに……ただお祭り、見たかっただけなのに……なんで……」


 そうして、彼女は体を縮め泣いていた。

 ――その姿を見て、自分の決意がいかに生ぬるいものだったかを自覚して、軽率に近づこうとしていた足が止まる。


 今までどれほど苦しんだか一欠片すらも知らない他人が、慰めの一つや二つ言ったところで彼女の支えになるものはない。それどころか、王城の庭でのように怒らせてしまう場合だって考えられる。


 『そんなに中途半端なら、いっそ見て見ぬふりをした方が……』と弱気が勝り、足が来た道を戻ろうとし出した瞬間――どんな神様のイタズラか、腰に括り付けていた重い銭袋がその自重によって落下し、ジャランと誤魔化しきれない音を上げる。


「だ、誰……?」


 少女は震えた声で呼びかける。

 誤魔化すという選択肢は浮かばず、フィルはその声に引っ張られゆっくりと体を出した。そして、


「こ、こんにちは……」


 穏やか努めて挨拶をしたが、少女の顔は恐怖で引き攣っている。可愛らしい顔には細い涙の跡が着いており、目は赤く腫れていた。



 ――そして、そんな少女の目はただ赤いだけではない。

 それは"死んでいる"と錯覚させるほどに、その綺麗な黒髪よりもどす黒く濁り切っていた。



 いくら鈍感な人でも分かるだろう、まぎれもなく"自殺願望者"の目だ。

 放っておけば軽率に"死"を選んでしまうのが、否でも伝わってくる。


 ただ慰めるだけも難しいというのに、つまり言葉を間違えたらその背中を押してしまうことになりかねない事態。発する言葉は慎重に選ばなければいけなくなった。

 

「えーと……」


「……」


「……」


「……」


 ――まずい、気まずい。

 とにかく気まずい。

 祭りの騒音も耳に入らないほど気まずい沈黙。

 お互いに言うべき言葉が見つからず、片や頭の中は真っ白であった。


 そして、こんな状況だというのにフィルの頭はどこか|としていた。


 もちろんそれは摂取したアルコールがいい具合に回ってきた証拠なのだが、酒を飲んだ自覚のないフィルはそれに気付かない。


 だからといえばおかしいが、何かを喋らなければと思うフィルが焦って安易な言葉を発してしまうのは不可避のことで。


「――……そのー、髪、キレイですよ……ね?」


「えっ……?」


 フィルの言葉を聞いた瞬間、少女は目を見開き、驚きで顔を染める。

 とても信じられないといった様子。


 しかし、すぐに目を濁らせると少女はゆっくりと口を開く。


「私は、この髪が嫌い……この髪のせいで、みんなに、嫌われてるから……あなたも、そう思ってるんでしょ……?ほんとは馬鹿に、してるの……?」


「いやっ……そんなことっ」


 その一言で、フィルは少女への迫害が"髪色"によるものだと察する。けれど、少し考えれば気付けたことでもあった。


 思い返してみても、黒髪の人は一度も見たことがない。

 それはただの偶然ではなく、この世界では黒髪を"差別の対象"としていたのだ。王国のど真ん中で見かけるはずがない。


 それを酔った頭は慎重という言葉を忘れ、とても軽率に口を滑らせてしまった。


(これはいきなり地雷中の地雷を踏み抜いたってことで。……なんで俺は危険牌からいった?もっと考えて喋れよ……)


「……ね、ねぇ。もう、いい?私、帰るから……」


「えっ、あ――」



 帰ろうとした少女は――あまりにも"死"を望んでいる顔だ。


 ここで帰してはいけない、あらゆる何かがビリビリと告げていた。



 何か、何かないかと思案している内に、少女はフィルの横をビクビクと脅えながら通り抜ける。

 そして、このまま何もしなかった時の"最悪"がフィルの脳裏をよぎり――それは少女の手を掴ませる動機となった。


「?!……な、なに?」


「……」


 酒に酔った頭で少女を繋ぎ止める方法を考える。

 けれど、いい案なんか思い付かない。思い付くはずがない。

 命を救うなんてという経験はゼロで、どうすれば生きたくなるかなんて検討も付かない。

 

 そんな中できることといえば、数少ない記憶から思い出すことぐらいなもので。


 ――だからこそ。


 『自殺する前に告白なんてされたらその衝撃で死のうとした決意はまず吹っ飛ぶと思うんだよね』なんて、くだらない雑談の中で出た、くだらない言葉を思い出してしまったのだ。




「一目惚れしたんです。良かったら一緒にお祭りを回ってください」




「……えっ?え……え?」


 口に出して、フィルは後悔し少女は困惑する。

 フィルはまるでプロポーズをするように、おじぎをしながら手を伸ばしているのだが、その顔には色々な汗が滴り落ちている。


 いきなりのことで相当戸惑っているのだろう少女の返事は沈黙で、その間『なんでこんなことを言ってしまったんだ』、『慎重はどこいった俺は』、『てかそもそもあんなこと言ったアイツのせいだ』と自己嫌悪と逆恨みが頭の中をグルグル回っていた。


 フィルには永遠とも取れる数分の後、少女は顔を逸らして手で前髪を弄り、


「嫌、です」

 

「グッ……!」


 人生初の告白は明確な拒否から始まった。

 しかし、ここで引く訳にいかないのが彼女の精神状態。

 押してダメでも無理やり押すべきだ。


「それは周りのせい?そ、それとも俺が生理的にダメか?」


「……」 


 少女は答えない。

 なら、都合の良いように前者であることを盲信するしかない。


 ……ていうか、後者だったら何をどうすればいいというのだろう。


「よし、ならちょっと待ってて……いや本当にちょっとだから、絶対にここにいて?!」


「っ!?……は、はぃ」


 念押すフィルは少女の了承を聞き、走って路地裏を出た。

 唐突に告白されて事態が飲み込めなていない少女は一人移動することもできず、言われた通りにポツンと立ち尽くすことしかできないでいた。




 ――そして一分辺りが過ぎた頃だろう。全力で戻って来たフィルは、手にグレーの布のような何かを持っていた。


「はぁはぁ……これ、プレゼント」


「な、なに?それ……」


 フィルはその布を差し出すが、少女は警戒して受け取らない。心なしか物理的な距離も遠い。

 当然だ。今の少女にとってフィルは変態以上、不審者未満でしかない。


「フードみたいな、やつ。それ被ればもう周りの目なんか気にしなくていいだろ?だから、それなら一緒に回れるかなって」


「……」


 フィルはそう言ってフードを広げた。それは、少女にはデカ過ぎるほどの大きさで、被れば髪を見られることはないだろう。髪の毛が問題ならば、見せなければいいという短絡的な思考から見つけた答えである。


 少女はしばらくそれをじっと見ていたが、しかし、数秒してハッとすると小声で呟く。


「でも……私、お祭りを回るお金、持ってきてない……」


「大丈夫、今結構お金持ってるから。しかもこれ、どうせ使い道ないから今日中に使い切りたいお金なんだよ」


「え、え……?」


 少女の細い拒絶を、金で膨れた袋を取り出し否定する。少女は驚きや困惑、そして少しの期待が混じった表情で顔をしかめた。

 彼女の心が揺れているのが見える。


「……一緒に回っても……退屈、させちゃうかも……」


「大丈夫、祭りは退屈できるような場所じゃない」


 フィルのその一声で少女は目を回す。

 それを見たフィルは、ここが好機が畳み掛けた。


「楽しいぞ、お祭り。美味しい物とかいっぱいで。それを体験せずにいっちゃうなんて勿体ないったらない」


「……」


 魅力的な言葉の嵐に、少女はぷるぷると震えた。

 そんな状態が数秒。フィルの持っている物をチラチラと見出したのが数十秒。そして俯き出して数秒。


 少女は、最初とは違った震え方の声を出した。


「――なら少しだけ……」


 それを聞いたフィルはホッとしながら、手に持っていたフードを渡した。少女は今度こそフードを受け取ると、おずおずと見に纏う。

 少々大きいようで、全身を覆い、裾の方が地面に着いてしまうぐらい。しかしこれなら周りから白い目で見られることはないだろう。


「それじゃあ、行こうか」


「……う、うん」


 そうして路地裏を抜けて通りに出ると、少女は見て分かるぐらい震え出す。フードを力強く握っており、ビクビクと周りの人を気にしているようだ。


「大丈夫、全然見えてない」


 フィルは少女にだけ聞こえる声で囁いた。少女はビクッと肩を揺らしたが、少し安心したらしく震えは収まっている。


「……あ、あのっ、なんで、こんな、親切なの……?」


 落ち着きを取り戻した少女は、口籠もりながら聞いてきた。その目には不安が見て取れる。

 おそらく、これまでの人生で他人に優しくされた経験が少ないのだ。だから、人の善意が恐ろしく、信じられない。


 その不安を払拭するように、優しく淀みなく、少しでも心の底から言っていると思えるようにハッキリと答えた。


「そりゃ一目惚れしちゃったからな。恋は盲目、なんでもしてしまうものなんだよ」


「……!」


 フィルは親指を立ててドヤ顔。

 傍から見ればもはや笑うしかないその言動、聞いているだけで痒くなる。素面であれば悶絶すること間違いない。


 しかし、少女は顔を逸らしフードを深く被る。

 誰にも見えないその顔は――紅く燃えていた。


「じゃあ、どこに行こうか。まあ、どこに何があるかなんて全然把握してないんだけど」

 

 そして、フィルの顔も少し赤みがかっていた。

 これはくさいセリフの羞恥によるもの……ではなく、回り切ったアルコールのせいだと明言しておこう。特段、酒に強い体ではないらしい。


 大きくなった態度と気で、後々後悔するだろう言動を繰り返すのだろう。願わくば、酔っている時の記憶が鮮明に残らないタイプであることを。




 しばらく通りを歩く二人。

 少女はまだこの人だかりに慣れていないようで、軽くぶつかった程度で必要以上に怯えていた。しかし、やはり侮蔑は髪色が原因だったらしく、ぶつかった人たちは皆陽気に謝り、そして通り過ぎる。


 ――先ほどとの差異で吐き気がしてくる。


 それはともかく、少女は字が読めないようで気になる出店がある度になんて書いてあるか聞いてきた。それに答え、ただ看板の文字を読んであげるだけで少女は「へえー」と少し目を輝かせ、心の底から楽しそうにする。


 ここまでの過程はどうあれ、結果は上手くいっていた。


「ねえねえ、あれはなんて書いてあるの?」


「あれは……"シュネータラ"。多分甘くて冷たい食べ物?だと思う」


「へぇー。甘いんだぁ、あれ」


 相変わらず知らない単語。しかし既視感はあり、おそらく『かき氷』だと思われる。夏の風物詩、氷の粒にシロップをかけたものだ。


 しかし、少女はここまで売っている物の名前を聞くだけで、欲しがる素振りは一切見せていない。十中八九、ていうか絶対遠慮している。

 たしかに見ているだけでも面白いが、祭りの本分は買うことといっても過言ではない。なので、


「気になるなら食べてみるか?今ならすぐ買えそうだし」

 

「えっ、けど……」


 少女は想像通りの戸惑いを見せる。買わせるのは申し訳ないといった様子であり、これの解決策は心得ていた。このように遠慮する人に言葉巧みな誘導は時間の無駄で、力任せの行動が有効なのだ。


 つまるところ、ゴリ押しである。


「ちょうど俺もなんか食べたかったんだよ。ついでだから、ついで」


「でも……あっ」


 少女は粘りを見せようとするが、その言葉を聞くより先にフィルは店へ歩を進めた。テキパキと二人分のかき氷らしき物を買い、未だ納得していない少女へ押し付ける。


「大丈夫だって、後でお金返せとか言わないから」


「うぅ……」


「んぐっ。結構甘いな、これ」


 猫みたく唸るが、観念したようで氷を掬い口へ運ぶ。すると、その味に顔を咲かせた。うぅー、とその甘味を堪能している。

 そして、かき氷がひどく気にいったのかパクパクと勢いよく食べ始めた。


「あっ、あんま急いで食べない方が――」


「あぐぅ……頭が、痛い」


「あぁ、遅かった」


 アイス系特有の痛みに頭を抑える少女。フィルはその光景がどこか微笑ましく、軽く笑った。ただそれが聞こえたのか、少女には細い目を向けられる。


「なに、笑ってるの」


「ごめんって。言うの忘れてたんだよ」


「ほんと?」


「本当だよ、まさかそんな勢いで食べるとも思ってなかったしな」


「それは、うぅ」


 なんて愉快な会話をしながら、色々な屋台を見て、食べて、飲んで、遊んで。すべての屋台をコンプする勢いで楽しんだ。


 財布の中身が自分のものではないことからフィルは財布の紐が緩く、豪勢に貢いでいる。

 しかも、かき氷を半強制的に与えたことで遠慮が意味の薄いことだと知ったのか、それから少女がゴネることは少なくなり大人しく貢がれていき、財布の中身は急速に減っていった。


 ――そして歩き始めて随分と時間が経った頃。フィル達は公園のベンチに座りゆったりと休憩を取っていた。


 長時間人混みの中で揉まれる経験は少なく、気付かぬ内に疲労していたらしい。少しだけのはずが、一度落ち着けた二人の腰はとても重いものとなっていた。


 気付けば、お尻に根が張り会話に花が咲き、もう一度歩き出すハードルはすっかりと上がり切ってしまった。


「――そういえば……まだ自己紹介、してなかったね」


「たしかに。まだ名前すら知らなかったな」


 散々遊んで、今更そんなことに気付く二人。そして、フィルは名前を言うついでにそういえばと思い出すことがあった。


「俺はフィルっていって、今は父さんとはぐれてたりする」


「そ、そうなの?私も、実はお母さんとはぐれちゃったんだ」


「まじか。なんか奇遇だな」


「ふふっ、そうだね」


 思わぬ出会い。思わず「はぐれもの同士だ」なんて冗談が口から出そうになったが、色々と意味が悪すぎたので済んでのところで引っ込めた。


 偉い。


「……私の名前……リ」


「ん? リ?」


「……――ユリ、っていうの」


 黒髪の少女――ユリは地面に目線をやり、前髪を弄りながらそう名乗った。


 どこか懐かしくて耳によく馴染むその音の羅列にフィルは、


「いい名前だな、ユリ。なんか……こう、綺麗だと思う」


 と、零す。正直な感想だ。

 しかし、ただ名前を誉めただけだというのに、ユリはこれ以上ないほど目を丸くする。まるで、フィルの言った言葉が異常だと言っているようだ。


 その反応から察するに、きっと名前にも"何か"があったのだろう。

 どうやら、今度は地雷を踏まなかったらしい。結果論だが、少し安堵する。



 ――そこからは何故か、お互いに無言で座っていた。



 照れ臭いといったら短絡的だが、すぐ近くの祭りの喧騒が聞こえないぐらいボンヤリと時間を過ごし、何かを考えることもしないまったりとした空間。 

 沈黙ではあったがそれは気まずい沈黙ではなく、どこか心地の良い静けさ。


「……ねえ、フィル」


「……どした」


 祭りの喧騒を眺めながら、ユリは口を開く。

 声に抑揚はなく、その感情は計れない。

 


「……私達、いつになったら――"許される"と思う?」



 儚げな表情で、そう囁いた。

 "許される"にどんな意味や思いが込もっているかなんて、もはや推しはかれるものではない。どんな返答が適切で求められているかも定かではない。


 ただ、寂しそうな顔でこちらを向くユリを見て――腹の底から不快感が溢れる。

 

 さっきまで見せていたような楽しげな顔を見たかった。

 もう悲しませたくなかった、悲しんでほしくなかった。

 

 "許される"なんて、迫害している方が被害者みたいな言い分が気に入らなかった。


 だから――


「……俺が大人になったら、だな。しかも、ユリたちが謝るんじゃなくてアイツらに泣いて詫びさせてやるよ。俺はそういうのが得意なんだ」


「っ……な、なんでそんなことが言えるの……?私……フィルになにも返せないよ……?」


「いいや、これは俺からのお返しだ。今日、祭りを回ってくれたお礼。今までさ、全然楽しいことなんてなかったけど、今日はめっちゃ楽しかった。だからそのお礼……約束する」


「……そっか、なら……楽しみにしてるね」


 その返事を機に、ザワッとした祭りの音が聞こえ始める。


 二人を包んでいた神妙な雰囲気はその雑多音に流されて、先ほどの出来事が泡のように弾けた。けれど、二人の頬の熱がついさっきの出来事を確かに思い出させる。


 ユリの紅さは言わずもがな。

 しかし、ずっとアルコールで赤かったフィルは、どこか別の紅みが混じって見えたのは気のせいだったろうか。




 それからしばらく他愛のない話をして、そろそろ祭りにでも戻ろうかという時、遠くから一人の人影が一直線に走って来るのが見えた。

 見ればその人もユリと同様、丈の長いフードを纏い、パッと見不審者の相貌である。


 その不審者はユリの前まで来るといきなり彼女の顔を覗き、そしてホッとしたように息を吐いた。


「――やっと見つけた。ユリ、今までどこいたの?」


「フ、フィルと一緒に……お祭り回ってた」


「フィル?」


 そう言って、不審者は隣のフィルへと目を向ける。

 そしてフィルは気付いた。フードから覗かせた髪の毛が――ユリと同じくことに。


「は、初めまして……フィル、です」


「……」


 単純に考えても、きっとユリの母なのだろう。

 吃りながらの挨拶は虚しく、その人は警戒心を隠そうともせず敵意剝き出しで睨んでいる。フィルはその目を受けても怯むというより、まあ当然ですよね、と半ば受け入れていた。


 大事な娘が――街に一人でいるだけであれほど迫害される彼女が、見ず知らずの子供と一緒にいるのに何も思わないはずがないだろう。


 今にも噛みついてきそうな人の警戒をどうやって解こうかと考えている時――突然、後ろから肩を掴まれる。


「みーつけた」

「――!?」


 バッと振り返れば――はぐれてしまったフィリッツがニコニコとしながら立っていたのだった。


「フィルー、どこ行ってたんだよー。ちょっとトイレって行くって言っただろー?」


「ええと……」


 フィリッツはぽんぽんと肩を叩きながら問い詰めてくる。

 けれどそんなフィリッツに付き合っている暇はない。すぐ目の前には、ユリの母が先程よりずっと警戒した目で見ているのだ。


 面倒くさいのが増えてしまったと、フィルは回らない頭を働かせどうするか考える。

 しかし、事態というのは悪化が早いもので、何か考えつく前にフィリッツは目の前のユリ達に気づいてしまった。


「お、なんだ。誰かと一緒だったのか?いやー、どうもはじめまして。フィルが迷惑をお掛けしませんでしたか?」


 そして、一触即発な空気を一ミリも読まずに、フィリッツはヘラヘラと間に入っていく。

 ユリの母はそんなフィリッツを攻撃的な視線で貫いた。


 ややこしい状況がさらに絡まった瞬間で、もはやほどけるのかも分からない。猫が遊んだ毛玉のように、この誤解を解くのにどれほどの手数が必要かカケラも想像がつかない。


 もうどうにでもなれ、と半ば諦めが入ってきた頃。

 ――ユリがフードを取り、その黒髪をあらわにした。


「「!?」」


「おお……?」


 フィルとユリの母がその行動に驚く中、フィリッツは声を漏らしながら、じっとその髪を見ていた。


 そして、


「――可愛い娘さんですね。やっぱり息子娘が可愛いっていうのはどこの家族でも、いやきっと全国共通なんですかね」


 優しい声でそう言いながら、フィリッツはユリのフードを頭にかけ直した。


 フィル含め、この場にいる三人は驚きで固まる。

 この世界の差別がどれほど根深いものかなんて知らないが、祭りでの人だかりを思い出せば、あの行為が正当化されるほどの文化なのだ。

 

 それを、今来たばかりだというのに、どうしてこんな行動が取れるというのだろう。天は二物を与え過ぎである。

 いや、差し引けばゼロに収束するのか。デジャブだ。


「――はい、子供は可愛いですよね」

 

 ユリの母はその行動を見てか、睨むしかしてなかった目を緩める。また、先程まで溢れ出ていた敵意はすっかりその鳴りを潜めていた。

 

「そうですよね。どうやら、俺達がはぐれてしまっている間に随分と仲良くなってるようですし、どうぞこれからも仲良くさせてあげてください」


「いえいえ……それはこちらの言葉です。ぜひ、仲良くしてあげてください」


 二人はそんな社交辞令を、しかしどこか本音とも聞こえる会話を繰り広げた。

 フィリッツが「これからも」と言ったことにどれほどの意味があるのか、ただの一社交辞令にどれほどの意味が含まれているのか。それはまだ分かることではない。


 そして、フィリッツはユリに目をやり、


「それにしても、本当に可愛い娘さんですね。お名前は?」


「ユリと言います。こちらの方々にはあまり馴染みのない名前でしょうが……」


「そんなことはありません。ピッタリですよ」


「……ありがとうございます。そちらの子は、フィルくんで合ってますか?」


「はい。俺に似て、イケメンなんです」


「そ、そうですね……?」


 フィリッツのボケにしては拾いにくいボールにユリの母は狼狽える。この人の場合、本当にボケかも分からないのが際どい所。

 すると、


「――あ、すいません。私達、実はもう帰らなければいけなくて」


「そうですか。では俺達も帰るとします。今日はありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」


 ユリの母は深く頭を下げる。

 しかし、隣ではユリが言い残したことがあるような表情でフィルを見ていた。その顔は誰が見ても分かるぐらい寂しさが見て取れ、フィルは手を振りながら、


「また明日にでも、遊ぼう」


「!……う、うん」


 ユリはほんのりと笑顔を見せる。

 フィルはついでに家の場所を教えようと軽く会話を始めたが、しかしそれは予想以上に盛り上がりを見せ、あれが面白かった、あれが美味しかった。実はあれを食べてみたかった。毎日やってくれたらいいのに、と話は繋がれていく。


 もう帰ると言われていたはずなのに、そのちょっとした会話は容易に雑談へと昇華した。

 前もそうだった。他愛のない話は、無限と続くのだ。


 親二人は仕方ないといった様子で、けれど微笑ましそうに眺めていた。


「……良かったです。昨日まではもうこんな場所嫌だって、ずっと言っていたので。本当にいいお子さんだと思います」


「ええ。でもまだまだ子供ですから。せめて成人するまでは親の役目を務めてやりますよ」


「……そうですよね。まだ産まれてから、ほんの数年しか経ってないんですよね」


「そうです。だから、今日みたいに子供を一人にするのは、絶対ダメなことなんでしょう。反省しなくてはいけませんね」


「はい。もうはぐれたりなんて……しませんよ」


 二人の大人が、親としての役目を再確認する。

 そして、ユリの母はふうっと息を吐くと、ユリの手を掴んだ。


「ほらユリ。今日はもう帰らなきゃ」


「あ、うん……フィル、またね」


「おう、また今度」


 二人は手を振り、ユリ達は祭りから去っていく。

 ただ、角を曲がるその時まで、ユリは名残惜しそうにこちらを見ていたのだった。


 そうして、二人が完全に見えなくなると、フィリッツはフィルの肩をぐいっと掴んだ。


「フィル。その年で彼女か?早いぜ、流石俺の子だな」


「そ、そんなこと……いやあったわ……」


 ユリを引き留めた言葉告白を思い出し、頭を押さえる。やっと祭りの熱が冷めて、ようやくアルコールが抜けてきたのか会話の一つ一つや行動が頭の中を駆けていた。


「まあ、一旦今日は帰ろうか。後で色々聞かせろよー?」


「……気が向いたらね」


―――――――


「――ところで、さっき渡したお金……半分返してくれないか?父さん、あれ今月のお小遣いのほぼ全てだったこと思い出して。ほら、少しずつ渡していくから……」


「あー……。ごめん、もう全部使っちゃった」


「ぜっ、全部?!あれ全部!?……いやそうか、全部……全部、か。……今月、あと何日あるんだっけ……」

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