第12話 確認、確信

 アスクとの件から数日後。あれから頻繁に家に来るようになったが、今日は遊びに来ない日である。


 そんな静かな一日に、フィルは珍しくも庭に出ていた。

 何故かと聞かれれば、自らの父を壁に突き刺した一撃のことを話すだろう。あれはこの世界での全力を前世での基準で測ってはいけないという良い教訓だった。


 フィルはぬるま湯に浸かりきっていた体に鞭打ち、まずはと庭で軽く走り込む。まずはウォーミングアップだ。腑抜けた筋肉を起こしていく。


 そして、数十秒ほどして、


「――ゼェ……ゼェ……」

 

 四つ足を着いて、息を切らしていた。思うように動けていた前世の感覚で体を動かすと、ありとあらゆる部位が悲鳴をあげる。たった数十秒走っただけの足は、考えられないほど震えている。


 これは今まで怠惰に過ごしてきた代償だ。体力はどうせ一日やそこらでどうにかなるものではない。少しずつ運動をしていこうと決意して、今日わざわざ庭に出てきた理由を思い出す。そう、今回は自分の身体能力を確かめにきたのだ。


「まずは……なんだろ、ジャンプとかかな」


 フィルは未だに若干震えている足を曲げ、思いっきり宙目掛けて力を入れた。


「おりゃああぁ――あ"あ"あ"あ"あ"!」


 一度に二種類の叫び声が響いた。

 それもそのはず、フィルの体はニ、三メートルほどの高さに達していたのだ。

 そこそこの高さに、落下でそれなりの痛みを覚悟するが、


「うぎゃぁああ!いっっった……くない」


 不恰好に落下したフィルは何事もなく立ち上がる。

 どうやらこの世界の体は以前よりもずっと丈夫で、強力らしい。




 そのまま二時間ほど体を動かして、そこそこ体の扱いに慣れてきた頃。

 ツチノコより珍しい運動するフィルを見て、フィリッツが庭に出てきていた。引きこもりが外に出て嬉しいのか、ニコニコとしている。


「なんだなんだ、運動とか珍しいな」


「いやー、前までは服がヒラヒラしてて動きにくかったから……。けど今着てる服は来てて安心するんだよー、父さんありがとね!」


「グフッ!」


 余計な言葉に少し苛ついたフィルは、取り敢えず皮肉でボディブロー。この服装に関する皮肉は、場所問わず胸を押さえ苦しむので最強の攻撃魔法だ。

 フィリッツは一通り苦しんだ後、気を取り直すと、


「ま、まあそれは置いといて……。どうだ、剣の扱い方でも覚えてみないか?こう見えても、父さんこの国で二番目に剣使うの上手くてだな」


 若干得意げにフィルを誘う。だが、


「うーん、あんまり興味ないなぁ……」


 フィルはあまり乗り気ではなかった。フィリッツは「えっ」と漏らす。


「そ、そんなこと言うなって、一回触れてみるってのもいいと思うぞ?」


「んー……」


 積極的な勧誘に対してやはり消極的なフィル。しかし、これには怠惰以外の理由があった。

 そも、思い出してもみて欲しい。現状、フィルは人を殺すと自分も死んでしまい、そのまま地獄へ直通するチケットを押しつけられている。それに、必要かもしれない自衛は教えられなくとも備わっているわけで。


 結論、この世界では戦闘に類するものにはあまり関わりたくないのである。


 だが、そこまで考えて――捨てられた子犬のような目をしているフィリッツと目が合ってしまった。フィルはこの目に弱い。


「……なら、一回触ってみようかな」


「おぉ、やろうやろう!結構奥深いからさ!」


 その威圧に負けて、フィルの決意は折れる。

 そしてフィリッツはウキウキとしながら、大きさの異なる木刀を取り出した。その小さい方をフィルへ手渡し、


「まずは構えだな。俺が教えるから俺流になるけど……こんな感じ」


「こ、こう?」


 フィルが前世で扱ってきたのはナイフなど刀身のないもので、流石に剣を持つのは初めてだった。不慣れな武器を手に、少しアバウト気味なフィリッツの構えを真似する。

 『そうじゃなくて、こう』、『こうやって、こうやる』などと、指導にしては感覚的な擬音が多すぎるが、フィルも大概感覚派のようでサクサクと指導は進む。



 そうして、指導を始めて三十分ほどが経った。

 木刀と言っても重量は中々の物であり、三十分も振り回していると腕がプルプルと震えて始めた。言わずもがな、慢性的な運動不足が原因である。

 そんな様子を見てか、フィリッツは素振りを止める。


「まあ、基礎はこんなもんか。いやー、それにしてもフィルは覚えが早いな〜。ウチの子が天才過ぎてパパ泣きそうだよ」


「と、父さんの教え方が上手いんだよ」


 冷や汗を垂らしながら、目を逸らして答える。口が裂けても「前世で似たような物を振り回していたからだよ」なんて真実は言えない。


 腕を休めながら、少し剣術に魅入られ始めたフィルは次は何を教えてくれるのだろうと期待の眼差しを向ける。だが、フィリッツは困ったような顔をして、


「やる気があるのは良いことなんだがな、もうだいぶいい時間なんだ。今から新しいことをやっても中途半端になっちゃいそうだしなぁ……」


 周りを見てみれば、確かに日は落ち始めていた。また、家からいい匂いもする。ティルザが晩御飯を作っているのだろう。

 時間というのはどうして都合の悪い方へ進んでしまうのだろう、とフィルは肩を落とす。


 そうやって残念そうに下を向くフィルを見て、フィリッツはポンっと手を叩いた。


「よし、なら最後に一回俺と打ち合ってみるか!もし勝てたらなんでも欲しいもの買ってやるぞ。……勝つだけにな!」


「面白くない、やらなくていいかな……」


「待って待って、嘘嘘。勝てなくてもなんでも買ってやるから、一回だけやろう、な?」


「……まあ、それなら」


 フィルは体がぶるりと震える。武者震いか、もしくは、冷え切った体に追い討ちのような冷気が襲ったためか。おそらく後者だろう。

 

 冗談はさておいて、フィルは息を整え、軽い気持ちで木刀を構える。まさか本気で戦うわけがない。何かあったら面倒この上ない。

 二、三回攻防を繰り返して、適当に終わる。それだけで買ってもらえる権利を頂けるのだから楽な仕事だ。


 ……特別、欲しいものはないのだが。ていうか、そんな権利がなくたって、この両親なら買ってもらえそうであるのだが。


「やる気だな?俺は強いぞー?」


「そんなに油断してるとまた壁に埋めるから」


「……あれは油断じゃない、罰だ」


 フィリッツが嘆くと同時――フィルはおもむろに木刀を振る。

 しかし、中々意外性のあった一撃は「うおっ」という気の抜けた声と共に防がれる。


「い、いきなりは卑怯だろ……?」


「タイミングの、問題じゃね?」


 しかし、その軽い舌戦の後はフィルの防戦一方。

 多少自信があったはずのフィルも、慣れていない武器なのも相まって攻撃に転じる余裕はない。


 予定通りに進むことは珍しいとよく言うが、攻防を繰り返す、ぐらいは滞りなく進行して欲しかった。


「ッ危ね!」


 とうとう剣で防ぐことも限界が来て、体を捻って避け始める。

 適当と言っていたフィルもいつの間にか必死。

 "適当に終わる"という簡単な目的すら忘れかけていた。


「結構っ……しぶといなっ!」


 フィリッツも熱が入ってきたのか、段々と攻勢は勢いを増してくる。

 剣で防いで、体を捻って。両者は気付かぬ内に全力であった。


「なら……」


 フィリッツは不穏な掛け声を発すると、今までとは少し違う剣戟を繰り出す。

 避けるか防ぐかの思考の中、フィルは剣で合わせて弾くことを選択する。


 初の反撃であり、ここが起点と奮い立ったフィルだが――次の瞬間には、目の前にフィリッツの木刀が迫っていた。


「――ッ!!」


 頭は真っ白になり、思考は停止する。


 この数秒後には、頭頂部に木刀が当たることなんて、誰が見ても想像に容易い。



 ――そう。普通なら容易いはずだった。



 フィルは振られた剣よりも速く斜め下方へ体を急低下させ、その攻撃を避けたのだ。

 避けられたフィリッツは驚くが、同時に避けた本人も驚いている。

 これは、本能で避けたのだ。

 

 よって、身体は無意識的に攻撃へ移行する。

 フィルは流れるように上体を起こして、驚き固まって無防備な腹へ痛恨の一撃を――


「へぶっ!」

 


 ――と、情けない声を漏らしたのは、腹に木刀を喰らったフィリッツ……ではなく地面に情けなく転がるフィルだった。



 残念なことに、運動不足の彼が取れた行動は回避まで。

 回避後、フィルのか弱い足は上体を上げることのできないまま、バランスを崩して転倒。その後の動作は、彼の体が"したかった"行動であり、"できる"かどうかは別である。


「フィル、大丈夫か?」

 

 無様に転がるフィルに、フィリッツは手を伸ばしながら少し微笑んでいる。普段見ないような優しい表情だ。


「足が……もう一週間は、動けない」


 その手を掴みながら、フィルは疲労で震える足を見せつける。

 フィリッツはその様子を笑みを零し、


「そんなの、上手い夕飯を食えば治るさ。おぶってやるから、ほら」


 背中を向けて乗るように促した。この歳でそれは流石に照れ臭く躊躇うが、今も尚震える足で食卓まで歩く労力を考えて大人しく背負われた。


「……それにしてもあれだな、フィルはあんまり運動は得意じゃないのか」


「え"っ"」

 

「ん?」


 ――フィリッツから賞賛以外の言葉を言われる、それもこと争いについて言われるなんてフィルにとっては意外を超えてありえないことだった。


 けれど、不得意と言われたのは事実であり、まさか「いやめちゃくちゃ得意」と言い返すわけにもいかない。

 フィルはカケラ程度あるプライドに否定を阻まれ、色々ごにゃごちゃ唸ったあと、


「……そうカモ」


 と、小さく呟くのだった。

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