第11話 実は複雑怪奇
あの散々だった日からおよそ数週間。
セベウに何かされ、体当たりしてしまった俺と父さん含め、あの場にいた四人はなんとも言えない空気になった。そのままふわふわとした流れで取り敢えず解散となり、俺たちは家へ帰ることに。
帰りの道中の気まずさは言うまでもなく、普段テンションが高いティルザは終始難しい顔をしていた。
そんな空気感の中、色々質問する根性なんて俺にあるはずなく、話すことが無いままポツポツと父さんが話を広げていた。
その重い雰囲気は数日続き、そして、両親共々の外出が増えた。そうしたこともあって、王城でのことを聞く機会は減りに減りまくり、気付けば掘り返すのも躊躇われる雰囲気となった。
ただまあ、母さんにはあれだが犯人らしき人は亡くなったらしいし、あの三人で狙われたとしたら百パー王女のシャルロットだし、これ以上聞くこともないだろう。
あとは魔法だ。もう少ししたら教えてもらえるとかだったが、未だにその素振りは感じられない。仕事でドタバタしているし、仕方ないったら仕方ないのだが。
この数週間で一番嬉しいことって言ったら、服が、俺の普段着が男の物になったことだ。動きやすいことこの上ないし、馴染む馴染む。やっぱり自分の性にあった服というのは大事である。
―――――――
いつもと違うベクトルで騒がしいアデルベルト一家。
今日も今日とてティルザとフィリッツは外出しており、ならばどうして騒がしいかといえば、数週間前から護衛の騎士が付いたからだ。
騎士と言っても新人らしく、プライドが高い面倒くさい騎士という感じではない。けれど煩わしいことには変わりなく、変にコミュニケーションを取ろうとしてくるところがウザったい。しかも――
「フィル君!今日は何を読んでいるのかな?あっ、もしかしてそれはあの高名な著者の本かい!面白いよねその著者の本、実は僕もそういうのは結構読んでてだね。僕が好きなのは"叛逆"シリーズで、あれは面白いよ!小さな一少年が大きな組織に反逆を試みる壮大な内容で、幼い僕はその夢のあるストーリーに心惹かれてしまってね。それが読み終わったらぜひ読んでみてほしいものだよ。もしかしてもう読んだかな?それだったらぜひ感想を言い合おう、それはそれは深い意見を言える自信が僕にはあるよ」
「……読んだことないです」
「いや、そうじゃなくてだね……!」
第一印象でその厄介さを感じ取ったフィルは、この新人騎士――ヴァイツが来る日は本などを読んで関わるなオーラを出している。
この通り、それで諦める性格では無いのだが。
「あっ、そうだ!今日は良いものを持ってきたんだよ!ちょっと取りに行ってくるね!」
と、ヴァイツはドタドタと家の外へ出て行く。どうせ下らないものだと簡単に予想はつき、これから巻き込まれる茶番に心は沈んだ。
すると、ヴァイツが出て行ったドアを見て、フィルはふと思う。
――いっそ、逃げてしまえばいいのではないか、と。
そもそも両親が忙しくなってからというもの、元々限りなくゼロに近かったフィルの外出は完璧にゼロと化した。
家でやることもなくなりつつあり、加えてヴァイツとの怠い絡み。穏やかに貯まるはずのフラストレーションは急激に貯まっていた。
思い立ってしまったが吉日、フィルはさっそく行動に出る。家の裏手から裏庭に行き、そこから外に出た。
ヴァイツに若干……本当に若干の罪悪感を覚えるが、もう戻るのも面倒で、無慈悲にも散歩を始める。
「はぁ、空気がうまい……気がする。気がするだけか」
軽い独り言を溢し、フィルは取り敢えず家を離れる。
少しして通りに出ると露天やら食事処やらが並んだ通りに出た。何年か前に、何度か訪れた記憶が微かにあるくらいで、フィルには馴染みのない場所だ。所々で楽しげな声が響いている。
「なんか買いたかったな……お金、持ってくれば良かった」
念願の外出にも関わらず、早々に肩を落とすフィル。
お金――この世界の通貨単位はハウトで、見た目は銅貨や銀貨、金貨と形容するのが一番適しているだろう。
一枚の銅貨が十ハウト、だいたい百円ぐらいの換算。そのまま、銅貨十枚で銀貨一枚百ハウト、銀貨十枚で金貨一枚千ハウトへの換金が可能だ。
分かりやすく言えば、銅貨は百円玉、銀貨は千円札、金貨は一万円札となる。
まあ、そんなお金もないのでブラブラと見ることしかできないフィルだが、それでも十分満足していた。おいしそうな匂いや見たことない珍しいモノ、後何時間居ても飽きないだろう。
道が分からなくならない程度に歩いていると、目の前に一人の男の子を見つけた。長くて白い髪に綺麗な顔、まるで女の子のような子どもだった。
しかし、よく見れば泣いている。親らしき人も見当たらないのではぐれてしまったのだろう。
「――そこの僕?何泣いてんの?」
変にテンションの高いフィルは特に何も考えずに話かけた。男の子は警戒心高めにフィルを見る。いきなり、声をかけられたら当たり前であるのだが。
「お母さんが、はぐれちゃったの」
「そうかそうか、お母さん"が"はぐれちゃったのか。多分"は"だと思うけどな。そこの接続詞」
「せつぞく、し……?」
「ううん、なんでもないや。俺がバカだった」
やはり親とはぐれてしまったようだ。フィルよりだいぶ幼いその子は絶えず涙を溢れ出させていた。
「僕の名前はなんて言うの?俺はフィルって言うんだけど」
「ぼ、ぼく?ぼくの名前はアスク……だよ」
「よしアスク。俺と一緒にそこら辺歩こう。もしかしたらお母さん見つかるかもしれないし」
「え……けど、知らない人についていっちゃいけないってお母さんが言ってたよ?お兄さんは知らない人だよね」
教育はきちんとしているらしく、警戒心は未だに高い。
だからといって「はいそうですか」とほっぽり出すわけにもいかない。なんとかしようと、フィルは慣れない説得を試みる。
「なら、俺が君の後ろに着いていく。それならどうよ?」
「分かんない……けど、どうなんだろう」
「だってさ、アスクが言われてるのはついていっちゃダメなんだろ?なら、アスクが先導したら大丈夫なんだよ。な?」
「うーん、そうなのかな……」
一休さんが笑って煽る程度のトンチで幼い子供を騙している訳だが、それでも快諾といかない程度の了承でアスクは歩き始める。この幼さでこの警戒心、ほんと素晴らしい教育である。
――しばらく通りを歩いていると、アスクの雰囲気は明るくなっていった。途中、何か買って欲しそうな目をしていたが、残念なことにフィルもお金を持っていない。アスクは分かりやすくテンションを下げたが、しかしどうしようもないのだ。
「お母さんいないねー、どこ行っちゃったんだろう」
「うーん……アスクのお母さんはどんな人?」
「ぼくのお母さんはね、凄い人なんだよ!なんでも作れて、えーと、こもん……さもん。えーと……さもんへんいん、しつじ?みたいな偉い人なの!」
「へ……へー。それは凄いね、本当に凄い。何ひとつ伝わらない辺り才能を感じざる得ない」
「でしょ!ぼくもいつかお母さんみたいになるんだ!」
皮肉なんか伝わらないはずがなく、アスクは曇りのない笑顔を見せる。その笑顔は、子ども相手に皮肉を言ってしまう自分が苦しむには十分だった。
その痛みに胸を抑えながら――ふと後ろの人混みを見た。本当に偶然でたまたまだ。
そのたまたまで、人混みの中の不穏な視線を感じとる。
「……」
前世柄、そういう視線には敏感だ。
ただ、流石に狙いまでは分からない。フィルなのか、はたまたアスクなのか。
フィルだった場合、このままアスクを連れて歩くのはリスクがある。こんな所で放るのはいささか可哀想だが、すぐに離れたほうがいいだろう。
ただ、万が一アスクが狙いだった場合。アスクから離れるのは最悪の選択だ。こんな無防備な子どもを一人にしてしまうのは人殺しとなんら変わらない。
その二つを天秤に掛けて逡巡。
そして、フィルは決断する。
「……よしアスク。ちょっと走ろう」
「ん?なんで?」
「えーと……そう、競争だよ競争。どっちが早いか勝負しよう」
「え!楽しそう!やろうやろう!」
アスクはなんとか乗り気になってくれたようだ。フィルはアスクと共に走ろうと自然に号令をかけようとするが、
「よし!それじゃあ、よーいスタートで始め――」
「ぼくは早いよ!お兄さんついてこれるかな!」
「あ!ちょ、フライング……待ってくださいアスクさん!」
先に走り出したアスクをフィルは慌てて追いかける。
人の隙間を器用に抜けていくアスク。フィルは精一杯見失わないようにしながら後ろを確認するが、やはり何人かがフィル達に合わせて走っているのが分かった。
これは確定だ、と思うと同時に、これ以上走っていても意味の薄いことを理解する。最善策は決して距離を詰められないようにしながら人の多くいる場所に留まることだ。
「――アスク!ちょっとストップ!」
次の対策の為、フィルは声を上げた。その声を聞いたアスクは振り返る。
「えー、なんでー?……あ、わかった!追いつけないんでしょ!じゃあ嫌だー!」
「違う違う!追いつけないんじゃないから!」
「なら追いついてみてよ!ほら!」
子どもを制御し切るのは人を殺すより難しい。そのフリーダムさに確実な疲労を感じる。
しかも、子どもと舐めていたが中々に早いのもやっかいだ。ぬるま湯に浸かりながら、ちゃんとした運動もせずに過ごしていたフィルの体力は限界を迎えそうになっていた。
「ちょ、ほんと待って……!お願い……って、そっちはダメ!」
「ぼくは早いよー!」
――フィルは叫ぶが、アスクは通りを曲がってしまう。
明らかに人通りの少ない、路地裏と呼ぶにふさわしい場所だ。今の状況でそんな所に踏み入るとは危険なんてもんじゃない。
仕方がないのでフィルも路地裏へと入る。
一瞬、嫌な記憶がフラッシュバックした気もするが、今はそんなものに気を取られている場合ではない。
アスクは薄暗い路地裏を何回か曲がり、フィルもそれについていく。
もちろん、後ろからも足音が聞こえてくる。
考えうる限り、一番まずい展開だ。
何度か角を曲がったとき、目の前に止まっているアスクが見えた。それを見て、一瞬だが安堵するフィル。
しかし、
「まじか……ツイてねえー」
――目の前は綺麗に行き止まりであった。
すぐ後ろからは三人ほどの足音が迫っている。今から戻っても、鉢合わせるのは不可避だろう。
(最後の希望は……追ってきていた人が不穏な視線を飛ばしてきただけの、実はめちゃくちゃ良い人だったとかか。いやどんな人だよそれ。ああ、せめて命だけは助かりますように……)
フィルは細い希望に縋すがりながら、じっくりと後ろを向く。
そこに現れたのは――がたいの良い、しかも顔がいかつい三人衆だった。第一印象はありきたりな悪役だろうか。
(……いやいやいや、まだ分からない。顔だけで人を判断しちゃいけないよな。君たち実は良い人なんだろ?子どもだけで歩いていた俺達を心配して追いかけてきてくれたんだろ?なあ??言えよ!こんな所に来たら危ないよって!心配した感じにさぁ!)
アスクはいかつい三人衆を見て怯えたのかフィルの後ろへと隠れる。三人はまるで逃がさないように通りを塞いでいて、この上ない不安に襲われた。
警戒心は高く、フィルはしっかりと三人を見据えながら身構えた。
そんなフィル達に一番悪そうな顔をしている男が喋り出す。
「おいおい、子どもがこんな人のいないところに来たら危ないよ?世界には危ない人が溢れてるんだぞ?」
お、本当に言ってくれた。
やっぱりな、良い人ってのは顔じゃ決まらないよな!ハハハッ!
「――そう、俺たちみたいな、悪い悪い大人がよ!こんな好都合なところにわざわざ自分達で入ってくれて感謝するぜ!」
男は顔を嫌らしく歪ませ、フィルたちに気持ちの悪い視線を向けた。残念ながら……というか残当に、善人ではなかったようだ。
フィルはため息を溢す。そこに焦りなどはない。心の底からの呆れから来るため息であった。
「はぁ……知ってた、知ってましたよ。死ねよお前ら、なんで悪いことすんだよ」
「大丈夫、暴れなきゃ……は?なんて言った?」
やさぐれたフィルに男は二度見をしてまで驚く。予想していたことと正反対の反応を取られたら当たり前だ。フィルはフフッと笑いながら、とぼけた風に答える。
「まさか、なんにも言ってないです。多分気のせいかなって」
「そ、そうか?……いやそうか。こんな子どもが俺達に、どんなに間違っても死ねよとか言わねえよな」
「いや当たり前ですよ。それじゃ、俺達用事があるんで失礼しますね〜」
「おう、疑ったりしてすまねぇな」
そんなことを言いながら、フィルはアスクの手を掴み男達の横を通ろうとする。
「――て、おいおい。そんなんで逃げられると思ったのか?」
「チッ」
「おい、いま舌打ちしたよな?なんだこいつ、なんでこんな度胸あんだよ」
フィルは男達に道を塞がれ、やはり行き詰まりになってしまう。若干行けそうだっただけに余計な悔しさを感じる。
そんなフィルを見て、男は不敵に笑いながら上機嫌に喋り出した。
「お前に恨みはねえ。大丈夫、大人しくしてれば怪我一つなく帰れる。安心して、黙って拐われな。ついでに後ろのガキもな」
「……」
――フィルは知っている。こんな口上、一生に一度の願いぐらい薄っぺらいものだなんてこと。
しかもアスクは無関係なような口ぶり。こんなところではアスクだけ逃すというのも難しい。完全に裏目だったようだ。
とりあえず、本当にとりあえず時間だけでも稼いで延命を試みる。今は戦うという選択が安易に取れないのがもどかしい。
「……何が目的なんだよ。こんな一般人拐ったってなんの得もないぞ?」
「お前マジでそれ言ってんのか?お前の親父を忘れてやんなって、なぁ?あんな奴が親なら狙われたって仕方ないんだよ、恨むなら親父を恨むんだな!ガハハハッ!ハハハッ!」
ああ、こんなに雑魚オーラ丸出しのチンピラ、目瞑ってだって殺せるのに……それをすると俺が死ぬ。
なんだこのクソみたいな世界。
殺さずに戦闘不能に追い込むなんて神業、今の自分にできるか検討も付かない。つい先日フィリッツを吹き飛ばしたときのように、ほんのちょっと力加減を間違えてしまったがために殺してしまうなんて想像するに容易い。
――見事な八方塞がりを体感していると、未だ腹を抱えて笑っている男の後ろに、スッと人影が現れた。
「――俺がなんだって?なぁ、おい。楽しそうじゃんかよ」
「……えっ?」
喋っていた男の後ろにいた二人は唐突に倒れる。そして、そこにいたのは――とてつもなく大きい、しかし静かな怒りを灯したフィリッツだ。
「いや……なんでここが……ていうか、今日はいないはずじゃ……」
「そんなことはどうでもいいよな?な?まずどうするべきだと思う?行動で示した方がいいんじゃないか?」
また家では見ない一面であった。
高圧的で威圧的。
ただの視線に隠しきれない殺意を感じる。
その視線をまともに見た男は一歩下がった後に膝をついた。そのまま、震えながら頭を地につける。
「すい、すいません、でした……大人しく自首します……」
謝罪をするその声も尋常じゃないぐらいに震えている。おそらく、この男の人生で一番恐怖した経験は一生ここになるだろう。
そんな男にフィリッツはニコッと笑顔を向けた。男はそれを見て許されたと思ったのか、少しホッとして息を吐く。
そしてフィリッツは笑顔を保ちながら喋り出した。
「謝れてえらいぞ――まあ、なんにしろ一発は殴るんだけどな」
「そん……グ"ェ"ッ"!」
頭を地に付けた男の頭に、容赦なく重い一撃を喰らわせるフィリッツ。無抵抗の人を、いくら悪人とはいえあの威力で殴る様はまさに鬼であった。さすがのフィルでも少し躊躇う行為である。
そのまま、いかつい三人組の意識が完全になくなっていることを確認したフィリッツは、先ほどまでの恐ろしいオーラをどこかへ隠して振り返る。
「――さてフィル?なんで家の外にいるんだ。今日はヴァイツと一緒に留守番のはずだろ?」
「あっ、えーと……」
怒涛の展開で完全に忘れていたが、今は無断で家を出ている状態だ。『やべ、怒られる』とフィリッツの顔を伺う。
――伺って、あることに気づく。生まれてから一度も真面目に説教された記憶がないのだ。
それもそのはず、精神年齢が成長していたフィルが怒られるようなことをするはずないのである。つまり、これが人生初の説教であり、父の記念すべき初仕事になるのだ。
そうしてフィルが怒られる覚悟をし、反省した風の顔に切り替えようとした時だった。
――フィリッツはフィルを抱きしめる。
「えっ?」
「そうだよなぁー!最近ずっと構ってやれてなかったもんな、ごめんなフィル!今日ちょうど仕事もひと段落ついたし、これからは沢山構ってやれるからな!」
「あれっ?」
予想していた百八十度反対の言葉と反応で困惑するフィル。後ろで静かに見ていたアスクも、何が起こっているのかよく分かっていないようだ。
しかし、そんな様子は目に入らないフィリッツはフィルをよしよしと可愛がる。その腕の中でフィルはまた悟りを開いた。
(そうか……俺が怒られないんじゃない。
「――あれ?そっちにいるのは……」
フィリッツはフィルの後ろに隠れていたアスクにようやっと気づく。アスクはいきなり現れ、悪人をボコボコにしたおじさんに警戒心はマックスだ。
しかし、そんな警戒など意に介さずにフィリッツはアスクへと近寄る。
「やっぱり、君は……」
フィリッツが何か言おうとした瞬間――アスカはポケットから何かを取り出した。
そして
「こないで!」
一切躊躇いもせず、フィリッツの顔面めがけ突き刺した。取り出したものを見れば、先が尖った鉄の塊のようなもの。もし顔に刺さったりすればひとたまりもない。可愛い顔して随分エグいことをする。
「えっ、ちょっ!」
しかし、流石は近衛騎士団副団長。驚きつつもだいぶ余裕を持って避けていた。
フィルはまだ幼いアスクがこんな行動に出るとは思わず、隣でアホ顔を晒している。
ひとまず攻撃を避けて安心するアデルベルト家。そしてすぐさま、フィリッツはアスクを落ち着かせようとする。
「ま、待て待て!落ち着け!俺は悪い大人じゃなッ!」
だが、フィリッツの話を遮るようにアスクの手が淡く光った。
「えっ、もう使えんの?!」
光ったところに注目すると、アスクが持っていた鉄の塊がその形状を変化させていた。
棒状だった鉄は何本かに枝分かれし、先を鋭くさせ、真横にあるフィリッツの顔面を目掛け突き刺しにいく。
驚きの声も出ないまま、あと数秒もない内にその鉄の針はフィリッツの顔を穴だらけにしようとしていた。
フィルはとっさに腕をアスクに伸ばし、その攻撃を止めようとする。
――ただ、そんな心配は無用で、
「とりゃ」
「あっ!」
フィリッツは気の抜けた声と共に、アスク手から鉄の針を叩き落とす。すると、鉄の針はまるで枯れ枝のような形をしたままその場へと転がった。
「うぅ……助けてフィル!」
為す術がなくなったアスクはフィルの後ろへと隠れる。何故これほどフィリッツを恐れているのかと考えれば、第一印象があの激怒の姿だったからだろう。
まあまあ妥当な反応である。
「と、父さん。この子知ってるの?」
「ああ、ええと。この子は顧問錬金術師……えーと、国で偉い錬金術師やってる人の子供だ。フィルの二歳下ぐらいだったか?錬金術っていうのは、まあ魔法みたいなもんだ」
「あー、"さもんへんきんしつじ"ってそういう……母音は大体合ってるのなんなん?」
「さ、さもんへんきんしつじってなんだ……?ま、まあ、それは置いといてだな」
フィリッツはフィルの後ろに隠れているアスクを見やる。見られたアスクはビクッと体を震わせた。その様子にショックを受けながら、フィルへと話を振る。
「その様子じゃ、俺がいたら怖がらせちゃいそうだな。ならフィルはアスクを連れて家に帰っててくれ。パパはこの三人を騎士団に引き渡してくるから」
「うん。分かった」
「よし、それじゃアスクを頼んだぞ」
フィリッツは男を三人器用に掴むと、雑に引きずりながら路地を進んでいく。そして、フィルもアスクを連れて家にと向かうのだった。
家に帰ると、ヴァイツが大袈裟に抱きついてきては『心配した』と泣いていたが、そういえば勝手に出て行ったんだなと、そこで初めて思い出した。
そうして、しばらく家でアスクと戯れていると、ティルザとフィリッツが帰ってきた。一緒に
帰るといってもすぐではなく、親達は色々と談笑していた訳だが、『将来有望な娘さん』みたいな言葉が耳に止まった。まだその設定残ってるのかよ、と呆れながら会話を聞いていると、上手く内容が噛み合わない。
それもそのはず。なぜなら、"将来有望な娘さん"はフィリッツが発した言葉であり、つまり、アスクの母親へ向けた言葉な訳で。
ていうことは、アスクが将来有望な娘さんということになる。
脳が理解を拒みつつも取り敢えず、「けど第一人称が『僕』だったよな、何、世にも珍しい僕っ子?」と、震え声ながら事実を確かめようと口数手数を踏んだ。
そうして分かったことは、『フィルに"僕"って言われたから、僕っていうことにした』っていう話。
"珍しい僕っ子"ではなく、"今日から僕っ子"であった。実はとても罪深いことをしてしまったのではないだろうか。女の子の一人称を変えてしまうなどとは。
そんな咎人な俺はアスクを見送りながら、まあいいか、なんて適当に思っていたわけだが――まさかこの日からアスクと頻繁に遊ぶことになるとは、当然だがカケラも予想していなかった。
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