第10話 解放感と罪

 沢山酷いことを言ってきた彼女に 

 散々酷いことを言ってしまった彼女に


 ――私は助けられた。


「……はあっ、ゲホッ!」


 地面に手をつくと、先程まで襲っていた強風は止んでいて、まず聴こえたのはシャルロットの声。

 泣いて喜ぶ、と言っても差し支えない声。

 

 けれど、そんなことはどうでもよかった。


 おそらく喜んでくれているその声を無視して、私は頭の中に魔法陣を浮かべる。

 焦っては逆効果。

 冷静に、落ち着いて、何度も反復した魔法陣を思い出す。


「……ああっ、違う!」


 自分の愚鈍さに腹が立つ。

 今は一秒を争うのにこんなことで躓いて、間に合わなかったことを考えると、息が苦しく――


 駄目だ。

 彼女は今、もっと苦しい思いをしているんだ。

 こんなくだらないことを考えている暇はない。


 ――およそ二十秒。

 不安定な記憶をつぎはぎに、やっと魔法陣が姿を現した。

 後はいつもやっている通りに、魔力を込めるだけだ。


「土よ……」

 

 言葉に乗せられて、道が作られる。

 おぼつかない流れにもはや悔やむことはせず、無事に動き出した土の手を池の中へと向かわせる。


 つたない集中力だが、一瞬だって切らすことは許されない。彼女を掴んでいる魔法を粉砕し、その後地上まで引き攣り出す。

 まだやることは一杯あるのだ。

 私にも。そして彼女にも。


「――ッ!」


 そんな一刻を争うという場面の中、憎らしい土の手が――彼女を掴んでいるものとは別の手が池の側から忽然と生えた。


 バッと後ろを振り向けば、あのメイドが意地汚い笑みを浮かべながら魔方陣を展開していた。

 冷静に考えれは、私たちを殺そうとした人がそんな人命救助を見逃すはずがなかったのだ。

 

 まだ魔法の扱いなんて慣れてないのに。

 ちょっとでも邪魔されたら、また最初からやり直しだ。

 それでは絶対に間に合わなくなる。


 けど、どうすればいい?

 大人しく、あの手に捕まってしまうのか?

 駄目だ。それで無事でいられるという保証はない。

 ただでさえ頭は一杯なのに、こんなことじゃ……


 ああもうっ――


「――邪魔だぁぁあ!」


 どうしようもなく、叫ぶ。

 頭の中で何かが切れる音がするとともに、既にキャパオーバー気味だった思考はやけにスッキリする。


 そのまま――ひとつ目にはあれだけ時間を掛けたというのに――私は別の魔法陣を展開したのだった。


「氷よ!」


 もはや無我夢中。

 土の魔法で彼女を助けながら、氷の魔法で土の手を所々凍らせる。それが原因か、あるいは術者の魔法の扱いが苦手なのか、理由は分からないが陸上の土魔法は動きを止める。


 動かないのならば、構っている暇はない。

 急いで土の魔法の操作に戻る。池が綺麗で良かった。デカい異物がよく見える。

 そのまま、私の土の魔法で彼女を掴んでいる土の手を破壊する。もう魔力を流していないのかとても脆く、それはいとも簡単に瓦解する。

 

 気を張りながら、池に沈む彼女を掴んで、そのままこちらへと引っ張った――。


―――――――


「どこ、ここ……」


 目を覚ましたフィルは、どこか知らない部屋でやけに寝心地がいいベットにいた。そのベットの寝心地の良さといったら格別で、このまま二度寝でもしようかと悩むレベルだ。

 しかし、


「――フィル、フィル?!起きたのね!良かった……。フィリッツ、起きたわよ!」


「フィル、大丈夫か?!俺が見えてるか?耳は聞こえるか?体の感覚はあるか?!」


 周りの騒音はそれを許すものではなかった。

 ティルザとフィリッツは、まるで世界が救われたかと思われる歓声を上げていた。嬉しいようなウザいような、よく分からない感情でフィルはそれを受け止める。


 このまま無視でもしてみようかと思うが、絶対に面倒くさいことになるので返事をすることにした。


「お、おはよう。多分大丈夫」


「そうか?いや、それでも万が一がある。ティルザ、もう一度治癒魔法をかけよう!」


「そうね!使い切る勢いでやっちゃうわ!」


「ほんとに大丈夫だよ……?」


 無視しなくても面倒くさくなるのだから、もうどうしようもない。ティルザなんかはおそらくMP的なものを使い切ろうとしているし。

 パッと周りを見渡すが、居るのはおそらく医者だろう白衣を着た強面な人だけ。ここは医務室なのだとしたら、それならば足りないものがある。


「……エイラとシャルロットは?無事だった?ていうか、あの後どうなったの?」


「心配せずとも、あの二人はそれぞれ別の部屋で休んでるんじゃないか?二人とも特に怪我とかもなかったし、なんなら意識なかったフィルが一番重症だったぞ」


「そ、そうなんだ。それじゃあ、あの魔法で俺……じゃなくて私たちを殺そうとしてた人は?捕まった?」


 フィルがそう問いかけると、二人の表情に曇りが見えた。何か不味いことを言ったのか、それとも捕まっていないのか。

 ティルザは「それなんだけどね……」と呟くと、似合わない真面目な顔で聞いてきた。


「シャルロット様は、メイドのルリアが犯人だったって、言うのよね。……フィルは、誰がやったか、見なかった?」


 そう話すティルザはまるで、フィルに言って欲しい言葉があるような、そんな感じだった。

 けれど、その全てをフィルが読み取れるはずがなく、望まれた答えは分からない。だから、


「う、うん。私も多分、そのメイドがやってるのを見た、かな?たしか、魔法陣も見えたし」


「そうなの……」


 正直に見たものを話す。


 ――しかし、それは求めていた言葉ではなかったのだろう。ティルザは落胆を隠そうともせずにため息を吐いた。釣られて、この場には少々暗い雰囲気が漂う。


「まぁ、あれだ。ティルザ?まだそうだとは決まった訳じゃなし……な?」


 フィリッツが空気を濁そうとティルザを宥めるが、依然雰囲気は変わらない。朝の馬車の中といい、ティルザが続けてこうなるとは一体どうしたというのだろう。


「て、ていうか、なんでシャルロットに様付け?偉い人なの?」


「え”?”」


「え?」


 フィルも空気を変えようと、適当に話を繋げる。だが、予想と反してフィリッツからガチな疑問符が返ってくる。


「え、偉い人も何も――、だな」


「王女様……へー。王女、様?……いやいや王女様?!王様の娘!?やばいめっちゃ失礼な言動した気がするんだけど!!?」


「まあ、そんなに焦らなくても大丈夫だろ。シャルロット様も勝手に庭に行って怒られてたしな」


「え、怒られてたんだ……」


 ――なんてひと茶番が起きても、ティルザの雰囲気は変わらない。いつもなら楽しそうに笑っているような光景のはずだ。

 何をもってしても、このティルザを和ますことはできないのだろう。


「なあ、フィリッツ」


「ん?なんだよ、ルドガー」


 ルドガーと呼ばれた医者と思われる強面な人は、不愉快そうに話しかける。呼ばれたフィリッツも、あまり見たことがない柄の悪さが垣間見えた。


「いやよ、俺は他人の家の事情、ってか、方針?にはあんまり興味ないから基本何も言わないけどよ、これはどうなんだ、って感じでだな……」


「なんだよ、お前にしちゃ歯切れが悪いな。ハッキリ言えよ」

 

「まあ、そうだよな。なら言うが、自分の息子に女装させるのはどうなんだよ。あんまりマトモじゃねーよな?」


「――な、ななななななに言ってんだよ。女装とかさせるわけないだろ?フィルは正真正銘女の子だぞ。なあ、ティルザ?!」


「そ、そうよ?まさかそんな、ねえ?」


 結局、これで今日会う人の八割に女装だと疑われたわけだ。何が上手くいく予定だったのだろうか。


 フィリッツは汗を垂らしながら、挙動不審で言い訳をし、ティルザも流石に空元気を取り出し同調する。

 しかし、ルドガーはため息を吐きながら呆れた風だった。


「バカ野郎が。誰がお前の息子の服着替えさせたと思ってんだ。俺だよ俺。クソ下らない嘘を今すぐやめろ」


 そう言われてアデルベルト一家はフィルの着ている服へバッと目をやった。

 たしかに、朝に着てきた豪華なドレスではなく地味な動きやすい服へと変わっている。


 つまり、女の子には無いはずのそれと、女の子にはあるはずのアレがなかったのを見られていた訳だ。


「……ああ、ええっと……はぁ、それは詰みだ、白状しよう。たしかにフィルは男だ。けどな、これには深い深い訳が……」


 そうしてフィリッツが投了し、ツラツラと本当のことを言った瞬間――フィルの目が光った。


 ずっとずっとずっとずっっと、この瞬間を待っていたんだ。


「――男……?私……いや、俺は、男なの?これまでずっと女の格好をしてきたってこと?父さん、母さん?」


「あ……えーと、フィル?これについては後で――」


「おう、そうだぞ。お前はちゃんとしたお・と・こだ。このちょっと頭がおかしい二人のせいで苦労したな」


「おい、バカが!ちゃんと説明する順序ってものが……!」


 フィリッツはルドガーにキレていたが、フィルはそれ以上の怒りを溜めていたのだ。問答無用に突っ込んでいく。


「そんな……じゃあ、やっぱり……いつも着てた服より、他の、いつも父さんが着ていた服みたいなのがいいなって思ってたのも変なことじゃないんですね……ルドガーさん!」


「ほら、めちゃくちゃ悩み抱えてんじゃねえか。いいか、お前は男だ。だからその考えもおかしくない。これからは疑問に思ったことは全部言っちまった方がいいぞ?」


「そうなんですか……ありがとうございます!ずっとモヤモヤしてたことがやっと晴れた気がします!」


 フィルは大袈裟に、けれど切実にお礼を言う。

 これでもう女装をする日々は終わることだろう。どこかで勇気を出してみれば呆気なく終わったことなのかもしれないが、結果的に解決したので満足である。


 フィリッツとティルザは、フィルが結構な悩み――まあ実際は、フィルのそれっぽい嘘なのだか――を抱えていたと思ったらしく、ただただ申し訳なさそうにしていた。


「フィル……そんなに悩んでいたとも知らずに、着たくもない服着させてごめんな。きっと、言い出しにくかったんだろ?本当は俺たちが気付いてやらなくちゃいけなかったのに、本当にごめんな……」


「悪いのは全部私よ……。服なんて、変えようと思えばいつでも変えられたもの。フィルが可愛いから、ついついもっと可愛い服を……ってなってた私が悪いの。ほんとにごめんね」


 二人は頭を下げながら謝罪の言葉を述べていく。どうやら、きちんと反省したようだ。

 ここまで謝られてしまうとフィルの怒りもどこかへ散ってしまう。大概、フィルは人に甘いのだ。


 フィルは頭を下げている両親に頭を上げるよう言おうとした。すると、


「母さん、父さん、顔を――」


「おいおいフィリッツ。そんなんで子どものストレスが無くなるかっての。なぁ、ボウズ?」


「え、いや別に……」


 フィル的には女装が終わるというだけで十分満足できるのだが、ルドガーはニヤニヤとしながらフィルを見ていた。


「溜まりに溜まったフラストレーションは、何かを思いっきり殴ってこそ発散されるものだ。つまりフィリッツ――サンドバックになってやれ。それも親の務めだ」


「は、はぁ!?何言ってんだよ?!」


「いいか?お前の子どもは、お前の想像を遥かに超えるストレスを抱えてんだ。しかも、お前達のせいでな。それを、お前が発散させてやらなくてどうすんだよ、なぁ、フィリッツ?」


「ぐ、ぐぅ」


 ぐうの音も出ない正論。いや、ぐうの音は出ていた。

 フィリッツはしばらく悩むそぶりをした後、何かを決意した顔をする。


「よしフィル!お前が望むなら叶えてやるのが親だ!全部受け止めてやる、全力で来い!」


「えぇ……」


 フィルの関係ないところで殴ることが決定した。フィルは戸惑うが、散っていた怒りは徐々に戻ってきていたようで。

 仕方なく、流れが殴る流れなので仕方なく、とフィルは拳を握りしめる。


「い、いくよ」


「よしこい!」


「うらぁぁぁあ!」


 ――フィルは今出せる全力、いや、全力を超えた力を込めて殴った。

 所詮は子ども、程度は知れていた。


 しかし、


「ググァッ!」


 ゴキゴキゴキ、と人が出してはいけない音を出しながら、フィリッツは反対側の壁へと突き刺さった。


 ――そう、突き刺さった、壁に。別段、柔らかくない壁に。


「あれ?」


 そう、ここは異世界。そんな当たり前のことを忘れてはいけない。子どもが大人を本気で殴ったらどうなるか、決して前世の基準で測ってはいけないのだ。


 提案者のルドガーは壁に突き刺さったフィリッツを見ながら、心の底から満足そうな顔をしていた。


「おぉー、ボウズ、よくやったな。アイツもこれで懲りただろ。これからも何かあったら、肉体言語で語ってけ」


「そ、そんなこと言ってないで……俺を助けろや、ルドガー」


「うるせー、しばらくそこに刺さってろ」


 ――自分の力に驚くフィルと、壁に突き刺さるフィリッツ。それをどうするべきか迷うティルザに、我関せずと書類を片付けるルドガー。


 この部屋はこの瞬間、この世界で一番混沌を極めていたことだろう。




 そうして、フィリッツが壁から取り出されてしばらく経ち、


「それじゃあ、俺たちは用事があるから少し行ってくるな。フィル、安静にしてるんだぞ」


「う、うん。行ってらっしゃい」


 肩に着いた壁の破片を落としながら、ティルザとフィリッツは部屋を出て行く。犯人と思われるメイドが捕まればいいのだが。

 そして、医務室にはルドガーとフィル、二人だけになった。


 ……正直気まずい。


「それにしても、いいパンチだったな。あんなのまともに喰らったフィリッツ、久しぶりに見たわ」


「そ、そうですか。それは良かった?です」

 

 ルドガーは患者に積極的に話しかけるタイプのようで、次々と話題を展開する。どれだけ苦労したか、今までどんな生活をしていたのか、あの親はきちんと親をできているのか、等。


 どれもただの世間話かと思ったが、ある意味カウンセリングの一環だったのかもしれない。強面の癖して、やることはきちんと医者である。


「――てことは、ボウズはあんまり外に出たこと無かったのか。そりゃ、王女様を知らなくても仕方ねーな。全く、どんな教育なんだか」


「まあ、家でダラダラとするのも好きですし、そこに不満は無いですよ」


「なんだ、意外と適応してんだな。やっぱ、もっと周りに疑問を持った方がいいぞ」


 二人が出て行ってからおよそ二十分ほど。雑談に花が咲き、実が実ろうとした辺りだ。

 扉が開き、無骨な鎧を着た兵士が入ってきた。


「失礼します!ルドガーさん、急ぎこちらへ来ていただけますか?」


「おう、分かった。ボウズ、お前はそこで安静にしてろよ」


「は、はい」


 そう言い残すと、ルドガーは兵士に連れられ部屋を出て行く。残されたフィルはすることもなく、眠くも無いのに目を瞑って時間を潰そうとした。


 だが、それも長くは続かなかった。人間が抗うことのできない生理現象の一つ、尿意が襲ってきたのである。


 部屋を見渡してもトイレは見つからない。仕方なく廊下へと出る。廊下はパッと見る限りでも入り組んでおり、右や左を見ても枝分かれしているのが見える。


 トイレらしい標識も見えず、取り敢えず無計画に進むことにした。右や左へ、適当で赴くままに歩を進め、人に会ったら道を聞こうと、雑に考えていたのだ。

 そうしてしばらく歩き、そして、


「――まずい」

 

 しばらく適当に進んで、取り返しが付きそうにないことに気づき始める。この迷路と言っても差し支えがなさそうな場所で、


「迷った……」


 戻れない、人がいない、トイレもない。

 何一つ考えた様にはいかなかった。


 このまま進むのは不毛、と判断してフィルは一旦引き返す。すると、人影が見えた。

 フィルはその人影に向かって全力で走る。後ろ姿からも分かるぐらい豪華な服を着ている為、おそらく貴族の類だが仕方ない。


 慎重にコミュニケーションをとることを心がけ、フィルは話しかけた。


「あ、あの!少し道を聞きたいのですが」


「ん?」


 そうして振り返った男。フィルはその顔を見た瞬間――果てしないほどの不快感を抱いた。


 理由はわからない。

 ヒゲを蓄えた紳士的な顔、若干ふくよかな体に高い身長。ぱっと見の外見には何の問題も感じられない。しかし、心のどこかに底知れぬ不快感は確かに存在していた。


「どうしたのだね?私もあまり詳しくはないが、道案内ぐらいはできるぞ」


「……あ、ありがとうございます。け、けど、実はどこに行けばいいのかも分からなくて……。迷惑をかけてしまうので来た道を帰ります」


 自分の感情に整理がつかず、どうすればいいかも分からないフィルは一旦この男と距離を取ろうとした。

 だが、男はハハハと笑いをこぼしフィルの肩を叩くと、


「なに、子どもがそう遠慮するものではないぞ!取り敢えず大人がたくさんいる場所でも行こうではないか、それなら安心であろう?」


「……は、はい。ありがとう、ございます……」


 と、半ば強引に合意を得る。男は『こっちだ』と指を指し、廊下を進んで行く。フィルはその後ろを少しの距離を取りながら歩いた。


「そういえば、名前を言っていなかったな。私の名前はセベウ。セベウ・デージルだ。気軽にセベウでよいぞ」


「……フィル・アデルベルトです」


「アデルベルト……?もしかして、フィリッツの子か?」


「……はい」


 セベウはフィリッツを知っているらしく、嘘をつく余裕もなく肯定する。すると、それを聞いたセベウは目を光らせた。


「そうかそうか、フィリッツの子か!フィリッツの子と思えないほど礼儀正しいではないか!しかし、こんなところで会えるとは、私も中々運が良いな!」


「……」


 フィルは相槌すらできなかったが、セベウはどこか嬉しそうに話を進める。


「フィリッツはな、私に礼儀の”れ”の字も見せなくてな。どこか溝のようなものを感じていたのだよ。フィルよ、フィリッツに好き嫌いはいけないと怒ってやってくれ。ま、それでも変わらないと思うがな。ハハハ!」


「は、はぁ……」


 ――そこからもセベウはよくわからないテンションのまま話を始めた。フィルは自分から話すようなことをせず聞きに徹していたが、それでもセベウは一人独善的に喋り続けた。


 数分ほど歩くと大きな扉の前に着いていた。ハッとして周りを見れば、いつの間にか兵士やメイドなどが慌ただしく働いている。

 どうやら、気づかぬ内に人通りの多い場所に来ていたようだ。


「さて、フィル。フィリッツならおそらくここにいるだろう。私は他の場所に用があるのでもう行くが、大丈夫か?」


「はい、あ、ありがとうございました」


「やはり礼儀正しいな!あのフィリッツにもそれを教えてやるのだ。それでは失礼する」


 そのままセベウは来た道を歩いていった。

 セベウが角を曲がり姿が見えなくなった瞬間、フィルはその場にへたれ込む。セベウと歩いている間、謎の緊張がずっと襲っていたのだ。


 ほんの数秒そうしていると扉の向こうから微かに聞き覚えのある声が聞こえた。気になったフィルは扉を少し開ける。

 すると、フィリッツとティルザ、ルドルフやアルベールなど、ザッと数十人が大きな卓を囲んで話し合いをしていた。


「ですから、これは明らかな陰謀です!なんであの子が人殺しなんてすると思えるんですか!?みんな知っているでしょ、ルリアはそんなことをする子じゃ……!」


 ――そして、次の瞬間目に入ったのは滅多に見ることのない悲痛な顔で叫ぶティルザだった。よく見れば、その他の人も暗い様子をしている。


「ティルザ、落ち着くのだ。今はお前に免じて犯人を探させているが、とても見つかるとは思えん。それに、我らとてルリアの全てを知っている訳ではない。あやつが何をして、何を考えているかなんて誰にも分からんだろう?」


「けど、けど、ルリアはそんなことをする子じゃ……!」


 叫ぶティルザにルドルフは淡々と反論する。これほど感情的なティルザも珍しい。

 反面、いつもバカをやっているフィリッツは至って冷静だ。


「――ルドルフ王。ここはフィル達の命を狙った犯人が本当にルリアかどうかより、もし実行犯が別にいた時の為にフィル、エイラ、シャルロット様の周辺に警備をつけるということでいいのでは?」


「うむ、それが今の落とし所だろうな。ルフラもそれでよいか?しばらくエイラの周りに警護がつくことになるが」


「他でもない我が娘の安全の為ですもの。もちろん構いませんよ」


 ルフラと呼ばれた女性、フィルには見覚えがあった。

 この国の唯一神であるヴァイズを信仰しているラグノク教団。世界各地に教会があり、もちろんこの国にも多く存在しているそんな教団。


 ここでティルザは司教を務めており、そして、この”ルフラ・クラウディア”もその司教の一人なのだ。

 エイラはそんなルフラの娘だったのか、と多少の驚きはあれど、自分達を狙った犯人が既に捕まっているらしい事実に気を取られる。


 これで夜な夜な背中に気をつける必要のないというのに、そんな喜ばしい報告に似合わず雰囲気は暗い。


「うむ、それでは会議はこれにて終了とする。しばらくは忙しくなるとは思うが心しておけ」


 ルドルフの号令で数十人が立ち上がり、フィルの方へと歩き出した。フィルは思わず近くにあった柱の裏に隠れる。 


 すぐに扉が開き、出てくる人たちは別々の方向へと廊下を進んでいくが、どこにもフィリッツやティルザは見当たらない。

 人の流れが止まったのを確認し、もう一度部屋を覗く。すると、フィリッツとティルザ、ルドルフの三人はまだ言い争っていた。


「絶対別に犯人がいるはずです。真犯人の捜索はこれからも継続するべきです」


「だからそれは無理があるのだ。あの時間、あの庭の辺りを巡回している兵士から不審者の報告は上がっておらん。しかし、ルリアを見たという報告はちらほら出てきている。ルリアが実行犯というのは、残念だが、中々辻褄が合うのだ」


「だからそれは……!」


 このままずっと不毛な言い合いをする感じたフィルは一旦、部屋に帰ろうと決めた。

 ここに居てもできることはない。


 すると、


「――それはルリアが自殺した理由にはならない!あの子はどんなに間違いをしても必ず謝る優しい子だった!遺書だってルリアを殺した犯人が書いたものに決まってる!ルリアは絶対死なんかに逃げない、逃げるような子じゃない!」


 ティルザの悲痛な叫びが聞こえた。

 その叫びは、この事件を大方推しはかることができるものだ。


 ――そして、ティルザとルリアの親密な友好関係も。


 けれど、フィルにできることがないのは変わらない。振り返らず、廊下を進もうと足を踏み出すと――


「?」


 足元が嫌に冷たかった。踏み出した足にも違和感がある。

 不思議に思い、下を見ると――足が氷に包まれていた。


「なんで?え、なんで?」


 理由が分からない。整理の付かない頭を上げれば、目の前にセベウがいた。

 セベウは無表情でフィリッツ達を見ながら、


「あんな雰囲気、あの夫婦には似合わないよな?」


「……は?」


 そう言い放つと、フィルを思いっきり会議室への方へと押し出した。氷の靴を履いていたフィルは抵抗も虚しく滑り出し始める。


 そう、あのクソ真面目な会議室へ。

 世界一邪魔をしてはいけない会議室へ。  

 それもそれなりのスピードで。


「――うぎゃゃぁぁぁああ!」


「「「え?」」」


 ズッドーン、と盛大な衝突音が響いた。

 ティルザとルドルフが立ち上がり周りを見ると、フィリッツにかぶさるフィルを見つける。


「フィ、フィル!?大丈夫!?」


「げ、元気がいいのは良いことだな……?」


 ルドルフはそう呟いたが、今なにが起こったのかは全く分かっていない。

 もちろん、ティルザとフィリッツ、フィルだって、誰一人理解できていなかった。

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