第9話 蕾はいずれ開花する
エイラの泣き顔を見たフィルはしばらく固まった。泣かせたという現実を受け入れられなかったのだ。
しかし、瞬間を過ぎる度に彼女の頬を伝う涙の粒は大きくなっていく。
このままではいけないと理解したフィルは――取り敢えずシャルロットに泣きついた。
「シャ、シャルロットさん、あのっ、こういう時ってどうすればいいんですか?!」
「ま、まずは謝罪から……かな?それで許して貰えるのを祈るしかないですよ!」
「い、祈るしかないって……ってそりゃそうか……そうですよね……」
小声での会話を終え、ブツブツと現実逃避的なことを呟きながら、フィルはエイラに向き直る。
どうか、先ほどまでの暴虐無人な自分を許してくれ、と祈りながら。
「あ、あのっ、エイラさん?さっきのは少し言葉が悪かったというか、言っていいことと悪いことのラインを見間違えたと言いますか……その、ほんとうにすいませんでした」
当社比、よくできた謝罪文である。
生まれてから今まで、誠心誠意の謝罪なんてしたことが無かったことを踏まえて頑張った方である。
頭を下げたまま、その場を静寂を包む。
さながら、今の気持ちは判決を待つ死刑因予備軍。
なんなら、一思いに殺して欲しいまである。
――これでもかと永遠を感じて、エイラの鼻を啜る音が聞こえた。
「さない……」
「えっ?」
「――絶対に許しません!」
「……えっ」
醜い男から情けない声が漏れた。
しかし問答無用、エイラは続ける。
もう、止まらない。
「ぜっっっっったいに許しませんから!何がお兄様に追いつくのは諦めた方がいいですか!何が才能があるならもう相応の結果が出てるですか!うるせーんですよ、余計なお世話なんですよ!」
「そ、それはエイラさんが――」「なんですか?!」
「……はい、なんでもないです」
この場は既にエイラの独壇場。
フィルにはもう、反論も言い訳も許されない。
「そもそも、この世に才能があるなんて――お兄様に追いつけないことなんて分かっていたことなんですよ!それを、私の気にしてることをズケズケと好き勝手!フィルさんには礼儀というものがないんですか?!」
「……はい」
「初対面ですよ?悩んでいたんですよ?!それをフィルさんは――」
放っておけば、このまま数時間でも冷めなそうな怒りである。
フィルはフィルでいつの間にか正座で座り、小声で「はい」を呟くボットに成り果てている。
縮こまったその姿は、なんとも情けないものであった。
そんな沸騰したエイラを止めたのは――突然の豪風だった。
「「キャッ?!」」
座っていた三人の姿勢を崩すほどの豪風。
しかも、その豪風は一瞬のものでもなく、断続的に吹き続けている。
「な、なに……この風……?」
ブチギレていたエイラもその手を地面に突き、これ以上吹き飛ばれないよう踏ん張ることに必死だ。
シャルロットは近くにあった木の陰に入り、なんとか風を凌いでいる。
「お、おかしい……!ここ、滅多に風なんて吹かなのに……!」
なんてシャルロットの叫ぶ声も聞こえるが、しかし、いくら強風でもされど強風である。
天候も晴れ。すぐに収まるだろうとフィルは二人に比べ幾分か冷静であった。
――しかし、そんな現実論に反して、風は勢いを増していく。
唯一男のフィルですら、風を身体全体で受け、耐えることはギリギリ。
木の影に隠れているシャルロットはまだしも、エイラは地面に伏し、今にも吹き飛んでしまうのではないかと見える。
「なんだよ。こ、れ……?」
さすがに異常である事態。
フィルはふと風の吹いている方を見る。
あまりの強風に目はまともに開かないが――少し遠くに、誰かがいた。
体格してから女性。
しかも見覚えがあるのは服だけはない。その顔にも覚えがある。
「――あれは、ルリア……?」
と、声の方を向けば、シャルロットが木から少し顔を出し、目を細めながらフィルの視線の先を見ていた。
名前に聞き覚えはない、が、シャルロットの近くにいた人を覚えている。
シャルロットと部屋まで来ていたメイド。
シャルロットを迎えに来ると言っていたメイド。
そのメイドと、姿が酷似していた。
なぜメイドがこんなことを、なんて疑問が出てきたその時、
「――も、もう……無理っ……」
「あっ、エイラさん?!」
シャルロットの悲鳴で思考の海から飛び出れば、エイラが今にも吹き飛ばされそうになっているのか見えた。
どういう理由であれ、この風があのメイドによるものだとすれば、自然と収まることなんてあり得ない。
フィルは姿勢を崩さないように力を込めつつ、エイラへと近づいていく。
「エイラさん、もう少し耐えて!」
「無理……かも、です」
シャルロットは気力を維持させようと応援の言葉を掛けた。
本人は無理と弱音を吐いているが、ほんの数秒でも稼げれば儲けもの。
この間にも、フィルは着々と近づけているのだ。
「――エイラさん……こっちに手を伸ばして……!」
ほんの数秒後、フィルは手を伸ばせば届く距離まで来た。そして、なんとかエイラを引っ張ろうと手を伸ばす。
だが、
「どうした!!早く!」
「……」
――エイラはその手を掴まない。
何故か。
そも掴む気力すらもう無いのか、
心ない言葉を吐かれた相手だからか、
つい先ほどまで罵詈雑言を吐いた相手だからか、
理由はどうであれ、エイラは一瞬躊躇った。
躊躇ってしまった。
きっと、そんな絶好の機会を逃してしまったからだ。
風は――さらに勢いを増してしまう。
「キャッ!」
風が強くなったという事実と、その勢いに飛ばされかねないという思考が冷静だったエイラを焦らせる。
焦った人というものは概ね、非合理的な行動を取ってしまうものだ。
そうして類に漏れることもなく、エイラはこの豪風の中、姿勢を上げてフィルに近づこうとしてしまう。
「立ち上がるのはまずっ……!」
フィルが叫ぼうとするが、既に後の祭り。
次の瞬間には――エイラが宙に浮いた。
「エイラさん!!」
――シャルロットが叫ぶ声が聞こえた。
――エイラの恐怖に飲まれた顔が見えた。
――それは、死を目の前にした人の顔で。
――何も、考えられなかった
「……って、フィルさん?!」
吹き飛ばされたエイラに着いていくようにフィルは風に飛ばされる。
飛ばされる先は恐らく池だ。
最初見た時よりも深くなっている気がするが、今更何故なんて疑問は出てこない。
どうやら魔法というのはどこまでも夢のあるものらしい。
「こんな豪華な服を着て泳ぐとかしたことない、けど、きっとなんとかなるだろ」と、極めて楽観的に軽々しく、敬遠していた命の危機というものに首を突っ込んだ。
「なん、で……?」
困惑しているエイラをよそに、池の上ほどで彼女を捕まえる。
元々、この強風で池へと吹き飛ばすのが狙いだったのか、風は気持ち悪いぐらいぴたりと止まり、二人は池への自由落下を始めた。
ふと、エイラを見れば、目を瞑り怯えた表情。
変なコミュ症に連れられ、初対面に好き勝手言われ、しまいには謎の強風に吹き飛ばされる。
聞くだけで同情する一日。厄日でない訳がない。
数舜後には池の中だが、少しでも勇気づけようと、
「――心配するな、大丈夫」
そう呟いた後、息を吸い込み落下に備えた。
ここからはスピード勝負、どちらかが溺れ死ぬ前に水面に上がらなければいけない。
フィルは、覚悟を決める。
――池に、大きな水柱が立った。
結構な衝撃。豪華な服が水が吸い、体が重い。
フィルは片手にエイラを掴みながら、足や手を必死に動かす。
土壇場は限界以上の力が出るというのはどうやら本当らしく、フィルほぼ一人の力で水面へ浮上していく。
これらは誰かを殺すのが目的、などと最悪を考えていた訳だが、肝心の溺死は泳げないことが前提だったのだろうか。
だとしたらお粗末が過ぎるが、お粗末な分は構わない。
順調に、着実に、そして緩やかに、フィル達は水面へと上がっていく。
けれど――それが許されるのは、やはり途中までだった。
「――ッ!?」
一瞬、何が起こっているか分からなかった。
庭での強風や、池の深さの変動などは一見地味な魔法。派手さなんて一切なかった。
しかし、そんな認識を覆すと言わんばかりに――池の底から生えてきた
(次から次へとなんなんだよ!?マジで殺す気なのかよ、あのメイド!)
まだ力を振り絞れる内に最大限抵抗をしてみるが、土とは思えないほどの強度。水中なのも相まって脱出できる見込みは薄い。
そして問題はもう一つ。
飛び込むという意思の下、かなり空気を吸い込んだフィルですら若干の息苦しさを覚え始めた。
であれば、とエイラを見れば、やはり限界は近そうに見える。
(……マジで許さねーから、あのメイド。地獄の底から呪い殺してやる)
そんな呪詛と共にフィルは――エイラの口に、自分の口を合わせる。
「!?」
いきなりのことにエイラは驚き固まるが、合わさった口から流れ込む
あまりに自己犠牲的な行動に、せめて何かを訴えようとするが――それすらも叶わない。
――フィルが力一杯、エイラの背中を押したのだ。
土の手魔法がどういう原理か知らないが、フィルの足を掴んでから微動だにしない。
きっと、この魔法は誰かを掴んだ時点で役目を終えている。新たに何かをする様子は見えない。
――だから、これは自己犠牲じゃない。
そう、不運にも不覚にも、掴まれてしまった人が取れる最適解。
「……ッ!」
エイラは睨みつけるかのような目でフィルを見るが、それでも、上へ振り返り、水面目指して浮上していくのだった。
――さて、傷つけてしまった女の子を身を挺して助けることに成功し、今にもこの世を去ろうとしている一人の少年。
そんな英雄的行動をやり遂げた彼はというと、
(……ああ、これで地獄行きなの納得いかねぇー。こんな主人公みたいなムーブしたんだから、ちょっとは救いがあってもいいじゃんか。てか、また未練えげつないんだけど。まだ魔法も使ってないんですよ?心躍ること何も起こってないんですよ?2回目の人生も未練だらけってどうなのよ。納得いかねぇぇ。しかもなんだよあのメイド。なんて言ったっけ、ルリア?綺麗な名前に似合わないえげつない殺し方しやがって。溺死とかクソ苦しいじゃねえかよ。性格わりー。ほんと、舐めんなよ?地獄の底からでも届くとばかりの呪詛唱えてやるからな。ずっと、毎日。ほんと)
と、長々と今世の愚痴をこぼしていた。
果たして、終わりの言葉がこんな汚いものでいいものなのか、せめて「アイツを守れて、よかった」とか思えないのだろうか。
――それとも、フィルなりの、最期の強がりか。
最後の抵抗として土の手に蹴りなど加えるも、酸素の足りない体では十分な力は出せない。
万事休す。本格的に意識も遠くなってくる。
しかし、
(……は?なんか……もう一本土の手出てきたが?何、そんな殺したいの……俺のこと。もう決めた……マジ、決めた、あのメイドが、地獄に来たら……一生分の苦痛という苦痛を――)
性根が最底辺な決意をかましているフィルだが、そのもう一本の土の手は――フィルを掴んでいた土の手を粉砕する。
そして、すぐさまフィルを掴むと、結構なスピードで水面へと上がっていった。
「――ゲホッゲホッ!」
霞む視界で周りを見渡せば、必死の形相で魔法陣に手をかざすエイラと、涙目ながらに叫ぶシャルロット。
そんなシャルロットの心配する声と、この騒ぎを聞きつけたのだろう大人達の声が聴こえてきた。
一安心、なんとか全員生存である。
しかし、当のフィルはといえば、
「魔法……すげえぇぇ……」
と、能天気なことを言い残して、意識を手放したのだった。
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