第8話 まだ蕾
二人はシャルロットに引き摺られながら王城を右往左往して、城の裏手にある広い庭のような場所に着く。
所々に色鮮やかな花が咲いており、視界の半分を写す大きな池と、その円周上に一本巨大な木がそびえ立っている。それは確かに目を奪われるほどの絶景だが、フィルたちに魅了されるほどの余裕はない。それよりもまず、
「あ、あの……な、なんで私たちをここへ?」
あと数刻遅ければフィルがしていたであろう疑問をエイラが投げかける。エイラを見れば、ここまで全力疾走、しかもノンストップだったため肩で息をしていた。
よく見ると、部屋で読んでいた本を胸に抱いている。いきなり過ぎたために持ってきてしまったのだろうか。
シャルロットに目線を戻す。
すぐに返ってくると思った返答は、その予想に反してシャルロットの元に留まった。後ろ姿しか見えないが、聞こえていないというわけでもなさそうだ。
「……そ、その。ここへ連れてきたのは、二人になら打ち明けられる、と思ったからです」
と、先程までの活気はどこへ行ったのか、シャルロットは依然こちらへ背を向け、とても似合わないしおらしい声で答える。
「「はい?」」
声をハモらせた二人は気まずそうに顔を逸らす。
とても悩むことなど無いように見える彼女が、出会って数分の二人にそれを打ち明けるという、なんとも不可思議な事態である。
しかし、シャルロットが緊張しているのは声から分かり、少なくとも現実らしいことは確か。
するとシャルロットは振り返り、自分の足元に視線をやりながら口を開いた。
「はい、実は私――け、結構人見知りというか、コミュ症というか……その、人と話をするのが苦手で……その……」
「「……は?」」
またもや声はハモってしまうが、気まずくなるほどのキャパなんて残っていない。
今はシャルロットの言った、よく理解できない文章を噛み砕くことで一杯だ
「いやいや。冗談、ですよね」
廊下での出会いから部屋での出来事、その他諸々を思い返しながらフィルは尋ねる。未だに受け入れられていないし、信じてもいない。
あれらの言動を満面の笑顔でする人が、人見知りでコミュ症な訳がない。あってたまるものか。
「冗談とかじゃなくて!こう、形式的な会話とかは教えられてきたからできるんだけど、ふ、普通の会話をしようとすると、その、頭がいっぱいになっちゃって……」
「は、はあ……?」
「ほ、本当なんだよっ!?会話が終わって、なんであんなことを言ってしまったのかと後悔したり、特に重要じゃない手紙を何度も書き直したり。こんな気持ち、分かりませんか?!」
――と、出てきた嫌に解像度の高い話と、その分かりすぎる気持ちに、
「あぁ……まぁ……」
心の底から共感の音を洩らした。
理解した。これは本物だ。
「け、けど、それをなんで
思わず、"俺"と言いそうになってしまうが、ギリギリのところで踏み止まる。
危うくこんな面倒くさい場面を、さらにややこしくしてしまうところだった。
「そ、それは……その、こう言ったら失礼だと思うんだけど、二人も他人と関わるのが苦手そうだと感じて……。同じ悩みを持つ者同士、こう、共有?したいな、みたいな」
「「……」」
シャルロットの言う言葉はつまり「お前らもコミュ症だろ?だから打ち明けられた」ということである。大変失礼極まりない認識だ。
当然、そんな不名誉な決めつけはすぐにでも否定するべきである。
だが、フィルから積極的な否定の言葉は聞こえてこない。悲しいことに、認めざるを得ない。
しばらくの間、辺りを埋めるのは沈黙だけ。
そして沈黙は雄弁。フィルが喋らずして、その全てを伝えている。
――だがしかし、その沈黙を破ったのは、少々気まずそうにしているエイラだった。
「あのー、私はそれほど人見知りとは違うっていいますか……たしかにコミュ力はあるとも言えませんが、人並み程度には……」
「え、え!?」
読みの外れた告白にシャルロットは目を見開く。
そんな彼女の反応は失礼極まりないが、フィルもおおよそ同じことを思ったので同罪である。
「け、けど、角っこで本読んでたよね!?あれって人と話すのが苦手だからじゃないの?!」
丁寧だった言葉遣いは崩れ尽くし、少々ラインを超えた質問を繰り返すシャルロット。
人によってはキレられてもおかしくないが、エイラは顔を曇らす程度で収まる。とても器が大きいようで。
「それは、本当に本を読んでいたかっただけです。お母様から貰った"魔法書"が難しくて、一分一秒でも読んでいたくて――」「魔法書!?」
聞き逃せない言葉に、今度はフィルが大声で叫んだ。
エイラには非常に申し訳ないが、これはある意味で仕方のないことだった。
なにせこの数年、念願の魔法というものに心を躍らせ、躍らせ、躍らせて、今のところ何も触れられていないのだ。
そんな中魔法に関する話題が出てしまえば、飛び込まないわけがなかった。
「そ、それ!ちょっと見せてもらうことってできませんか?!魔法にとても興味があって!」
「いや、えっと……」
エイラにとって今日という日は厄日なのか。いや間違いなく厄日か。
初対面の二人にこれほど詰められることなど、おそらく今後一生ないだろう。客観的に見て、物凄くかわいそうである。
そんな困惑するエイラなど目にも入らず、グイグイと距離を縮めるフィルだが、
「あ、あの、一旦落ち着いてください!」
と、エイラに似合わない大声で我に帰る。
そしてすぐ、何をしているんだ自分はと後悔が襲った。
「私が魔法を勉強できるのは特別らしくて、普通はあと何年か魔法の勉強はしちゃダメらしいんです。だからこれは貸せません」
「そ、そうだったんですね。すいません、取り乱しました……」
つい先程とは対照的に、目に見えてしょぼくれるフィル。
ただ、落胆するばかりではない。ポジティブに捉えれば、あと何年かすれば合法的に学べるということだ。
終点すら見えなかった今までに比べれば、時期が分かったのは大発展と言えるだろう。
「あの、立ち話もあれだし、あの木の影にでも……」
そのシャルロットの提案に二人が意義を唱えることはなかった。理由か気力か、はたまたどちらもが著しく不足していたのだ。
シャルロットに着いていき、池の近くにある大木の元へと腰を下ろす二人。
大木が程よく日光を遮り、穏やかな風が吹く。
ただの木陰だというのに、そこはとても心地の良い場所であった。
その心地よさと言ったら、現状に納得できていない二名をリラックスさせてしまうほど。
不満や不安がことごとく頭から消えていく。
すると、「あっ」という声が隣から聞こえた。
「――そ、そうだった。まだ名前も聞いてなかったよね」
「え、あ。お、私?」
と、フィルは自分に指を差して確認する。
名前も知らずに連れてきたのかよ、と一瞬浮かぶが、そんなこと言えるはずもない。
フィルは逡巡すると、
「フィ、
言い放ったのは全くの偽名。
あまりにも安直な偽名だが、女装姿でとても本名を言う気にはなれなかった。
「フィル、ザさん……ねえ、フィルザさんは、会話が苦手、だよね?」
名前を知ってまず聞くことがこれである。一体どれほど同族を求めているのだろう。
こんな質問、見栄でも張っていくらでも否定できる。しかし、シャルロットの今にも消えそうな瞳を見ているとそんな逃げ道は塞がれる。
見えない圧力が、そこにはあった。
「……まあ、あんまり人と関わってきませんでしたし。その節はちょっとだけ……ほんとに、ちょっとだけ」
渋々認めるフィルであった。
なぜこんな屈辱的なことを言わねばならんのだ、と唇を噛み締める。
――ただ対照的に、
「だよね!そう思ったんだよ!やっぱり私の目は間違ってなかったんだ!フィルザさん、これから悩みは相談し合いましょうね!」
「そ、そうっすね……」
そうガッツポーズをするシャルロットを横目に、フィルはため息を吐く。
なぜ俺はコミュ症をカミングアウトして、しかも喜ばれているのだろう、と。
「――て、ていうか、なんでエイラさんは魔法を学べてるんですか?特別とか言ってましたけど」
話を逸らすついでに、フィルはエイラへふとした疑問を投げかける。
しかし、いきなり話を振られた彼女は少し顔を強張らせた。先程、フィルが見せてしまった情緒の不安定さが緊張を与えているのかもしれない。
「ああ、えっと。親が魔法に関連する仕事なので。その……魔法はずっと教えられてるんです」
「はぁ、英才教育みたいなものですか」
「え、英才教育?」
と、聞き馴染みがないのか、エイラはハテナを浮かべた。
たしかに、子どもが滅多に使わない言葉ではある。むしろ、この世界に英才教育という言葉すらあるのかも微妙か。言ってしまった手前、濁すことも微妙で分かりやすいように説明する。
「えーと……子どもをその道で優れた人にするために、幼い内から勉強をさせる、みたいな意味です」
「……」
――言い終わると、エイラは不愉快そうに顔を歪めた。
何か不味いことを言ったのだとすぐに理解するが、何をどう言い繕えばいいのかが分からない。何がいけなかったのかが分からない。
気まずい沈黙が辺りを包む、かと思えたその時、
「――そ、そういえばエイラさんのお兄様も凄い天才って話を聞いたことあるなぁ!その英才教育ってやつ?きっとすごい効果あるんだよ!」
と、コミュ症を豪語していたシャルロットが雰囲気を和らげようと頑張っていた。
とても健気な努力だが――肝心のエイラはさらに機嫌悪くしていた。
「あ、あれっ?」
シャルロットはやらかした、それは揺るぎようのない事実。
挙動不審気味にフィルを見ては「どうしよう」みたいなことを訴えている。
もちろん、それはフィルが一番聞きたいことだ。
そのどうしようもない二人の様子を見たエイラは、一度大きく息を吐くと表情に影を落としながら口を開いた。
「……ごめんなさい。ただ、英才教育というには、私はあまり、上手にならないので……」
「そ、それは……」
「――兄は、あんなに凄いのに……」
――心の奥底にしまっていたであろう言葉が、劣等感とか焦燥感とか、その他諸々気持ちの良くない感情が詰まっている言葉が出た。
どうやら、フィルとシャルロットは見事に地雷を踏み抜いたらしい。
しかし、それはつい言葉に出てしまった様で、エイラは分かりやすく動揺していた。
「……すいません、今のは忘れて下さい」
こんな言葉で忘れられる人はいない。
意地汚い好奇心が増長されるだけだが、言及するにはエイラの沈んだ表情が立ちはだかる。
しばらく、そんな表情のままエイラは固まった。
あまり突っ込まれたくないのだろう、今にも帰ってしまいそうな雰囲気も感じる。
すると、
「――あの、何か悩みがあるなら、"私達"が相談に乗るよ……?」
「「えっ」」
空気が読めているのかいないのか、シャルロットはまたもや切り込む。
しかも、しれっとフィルも相談に乗ることになっている。
フィルが同族と分かって、彼女の遠慮のなさがひと回り大きくなった気がする。
「……けど」
当たり前だがエイラは前向きではない。どうやって拒否しようか考えている頃だろう。
しかし、ここで追い打ちをかけるのがシャルロットだった。
「私達、どうせその悩みを話す人もいないし、秘密は確約されてるみたいなものだし、悩みを話すならぴったりだし……」
エイラが懸念しているのは絶対にそこではない。
そして、なぜ彼女はここまでグイグイいけるのか、なぜ話す人がいないと決めつけられるのか、フィルは不思議でしょうがない。
(いや……全然親に話す。話す人いないとかないから。いやほんと)
「まあ、そこまで言うのなら」
と、まさかの了承。
折れたというより折られた。彼女の言動の拒絶にはとてつもない体力を使うことを察したのだろう。
地味に賢い選択だ。
「悩みといっても、解決できるようなものじゃないんですが、本当に良いんですか?」
「悩みなんて一人で抱えてたら全部そんなものだよ。ほらほら、話してください。大事なのは相談ですよ」
どんとこいとでも言うように胸を張るシャルロット。
自信満々のようだが、コミュ症と豪語したのを忘れてはいけない。
「――先程言った通り、魔法を勉強しているのですが……その、ずっと勉強しているのにあまり上手にならなくて……」
エイラは顔にチラチラ不安を見せながら、ポツポツと話し始める。この相談会にそれほど口を挟む気はなかったが、仮にあったとしても挟めるほどの言葉は浮かんでこない。残念ながら相談役の適性はない。
ただシャルロットは、
「けどけど、そんなこと言っても全くしていない訳でもないんだよね。勉強って何事も積み重ねだと思うし、頑張ってるならそれで十分ではないですか?」
びっくりするほど真面目な顔で、本当に同一残物かと疑ってしまうほど実にそれっぽい事を言っている。
とてもフィルを無自覚にディスり続けていたコミュ症とは思えない。
悩み相談は得意なのか。それとも、得意としてる形式的な会話なのか。
どちらにせよ、フィルの出る幕はなさそうだった。
ただ、エイラの顔は依然曇ったままだ。
「……たしかに上達してないわけではないんです。けど、全く足りないんです。兄は、もっともっと上達が早かったんです」
先程もチラッと見せた劣等感のカケラを再度露にする。彼女の目は今まで貯めてきたモヤモヤとしたもので一杯だ。
「別に、兄に嫉妬しているとかではないんです。尊敬していて、目標にしています。けど、いくら頑張っても兄のようにはいかなくて……」
幼いながら、なんとも健気な悩みを抱えているものだ。七歳やそこらの子供は何も考えずに、それこそフィルのように自堕落を貪って生きているのが一般的だろう。
「私が、ようやく一つ覚える頃に、兄はもっと先へ進んでいました。お母様は、覚えが早いと褒めてくれますが、その言葉を聞くたびに胸が苦しくなります――きっと、才能がないんです」
そう言いながら、あははと空笑う。
エイラが初めて見せた笑顔は、なんともか細い笑顔だった。
悲痛、という言葉が嫌なくらい適している。
少々重い展開に、本当に励ますことができるのかとシャルロットを見る。
すると、
「――才能なんてなあああぁぁぁい!」
「「!?」」
突然の大声に二人は肩が跳ね上がる。
叫んだ彼女の顔は真剣そのもので、目の奥に惹かれる
「ええ、ないですとも!あるのは努力とそれに着いてくる結果だけ!頑張った時間は裏切らない!」
なんとも熱血的で無責任な言葉だが、こういう言葉が一番の慰めになる場合もある。実際、エイラを見れば、少しは楽になったのか表情も柔らかくなっていた。
俺は何もしなくて良さそうだ、とどこか傍観
「――そうですよね、フィルザさん!」
「えっ、えっ?」
シャルロットは手をバッと向け、フィルに質問する。
しかし、質問とはいっても「はい」か「いいえ」で済むもの。実質的な答えは限られている。
ただ一言、「はい」と答えれば、エイラはある程度の自尊心が手に入り、お悩み相談は無事成功。
混沌としていたこの場は、とても丸く収まりつつあった。
――ただそれは、フィルがこの質問の意味をこの通り汲み取ることができたら……である。
「いや、まあ、才能はあると思……」
と、ここまで言ってやっと真意に気づいた。
遅すぎることにも、気づいた。
「――いませんね。っぱ、人間、九十九パーセントの努力ですよね」
「「……」」
無理があった。
やらかした。
言い直したのが余計に傷を深くした。
せめて、もう少し上手く言い繕えれば何か違ったかもしれないが、いかんせん白々し過ぎた。
シャルロットは驚愕に少々の軽蔑をまぶした目でフィルを睨む。先ほどまでのカリスマ性のようなものは消え去っていた。
「……どうして、そう思うんですか?」
「えっ、え?」
少し掠れた声の方を向けば、俯いてしまったエイラが目に入る。
「どうして、才能があると思うんですか?」
「ど、どうしても何も……」
誤魔化す、茶化す、逃走など選択肢が浮かぶが、これらを選べるほどフィルの根性は強くない。
そもそも、その前の二択を間違えてた時点で詰んでいるのだ。
どうしようもないフィルは、言葉に気を付けながら慎重に話し始める。
「……才能というものが無かったら、十分努力しているエイラさんは相応の結果が出ているはずっていうか……」
「それは……私の至らないせいだって考えられます。魔法が、不得意なんです」
「その得意不得意なんて言葉自体、つまり、才能のあるなしってことだと、思う」
「フィ、フィルザさん、ちょっとストッ――」
「けどっ、努力が、努力が全部無駄な訳じゃないですよね?」
どんどんか細くなる声で、シャルロットの静止を遮って、エイラは
それほどシャルロットの言葉は胸に響いていたのだろう。
そんな真言にヒビを入れたフィルは、永久戦犯である。
「そりゃもちろん、努力は無駄じゃないでしょうけど……それは才能に敵うものじゃないっていうか。もし、才能あるものに追いつきたいっていうのなら――それは諦めたほうが……」
「……」
そこまで喋ったところで、庭に静寂が訪れる。
エイラは俯き、シャルロットはあわあわと焦っている。
元凶であるフィルは、反応を示さなくなったエイラに注目する。
どうしたんだろう、とその心臓を暴れさせていた。
すると、
「……ぐすっ」
「えっ、あれ?エイラさん?」
――エイラは泣いていた。
疑う余地もなく、フィルのせいで。
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