第6話 曇り時々晴れ時々曇り

 順調に女装を終えたフィル達アデルベルト一家は、馬車を利用して王城へと向かっていた。

 前世で緊張という緊張はあらかた経験したからか中々強心臓のフィル。これから王城に行くというのにも関わらずあまり緊張はしていなかった。

 ただ、


「な、何度行っても王城って緊張するわよね……」


 と、フィルの隣ではティルザが足をガタガタと震わせていた。生まれたての子鹿、とはこのような人の為にある言葉なのだろかと錯覚してしまうほどだ。


「そう言ったって、ティルザはもう何回も来てるじゃないか。そろそろ慣れただろ?」


「昔から偉い人と顔を合わせるのは苦手なの!それに慣れないものは慣れないの!」


「お、おう。そうだよな……ごめん」


 あまりの気迫にフィリッツもたじろぐ。何故か謝罪の言葉まで吐いていた。

 何か悪いことをしたわけでもないのに、本当に苦労人である。


 その様子をボンヤリ見ていたフィルは、二人の服装に注目する。


 フィルを含めた三人は綺麗な正装を纏っており、元がいいティルザ達はとても美しかった。どこかで一度は聞いたことがあるだろう「天は二物を与えず」、この言葉の信憑性を著しく落としている存在達だ。


 ……まあ、内面まで考え足し引きしていけば、色々消え去り一物になるのかも知れないが。


 フィリッツは荒れているティルザを鎮めようとし、それが限りなく茶番に近い掛け合いであることを知っているフィルはボーッと窓の外を見る。


 ある意味では平和な時間が流れていた。

 だが、


「ねえ、なんで王城に近い家にしなかったの?こんなにも緊張に押しつぶされる時間が長いのよ……!」

 

 と、若干芝居がかったようなテンションでティルザが喚く。

 時間が長い、とは言ったものの馬車に乗ってまだ五分も経ってない。あとどのくらいで着くのかは不明だが、それにしても文句を付けるには早過ぎるだろう。


「なんでもなにも、ティルザがここが良いって決めたんだけどな……」

 

 フィルはガクッと肩を落とし、いつも通りだったティルザを呆れた目で見る。自分で決めた家に文句を言ったと言うならばお笑いが過ぎる。

 しかし、そんな普段通りのポンコツを見せたと思われたティルザはというと、

 

「もう、そういう冗談だったのに。なんで真面目に答えちゃうのよ」


「「えぇ……」」

 

 フィルとフィリッツは同時に声を漏らす。

 そう言ったティルザは至って真剣な眼差しで、私は不満です、と頬を膨らますことで表している。

 どうやら本当に冗談だったらしい。

 恐ろしいことに。


「ごめん、てっきり本当に忘れてるのかと……」

 

「いくら私でも流石に忘れないわよ!まったく失礼ね」 

 

「うん……ごめん」


 フィリッツは浮かんだであろう様々な言葉を全て飲み込み、またしても一言謝罪の言葉を吐き出す。

 側から見ていたフィルは心の底からフィリッツに同情した。なんの落ち度もない二度目の謝罪だ。

  

 普段冗談めいたことしか言わないティルザが何の前触れもなく冗談を言うのは、もはや意味が分からないことで。木を隠すなら森の中、を地で行っている。しかも、難易度的には森の中から木を探す方が簡単まである。


 そんなことを考えながら、フィルはふと馬車の外を見た。


「おぉ……」


 と、フィルは声を漏らす。

 馬車の中の異様な空間に気を取られ気付かなかったが、いつの間にか巨大で壮大な城が目前に存在していた。


「凄いでしょ、あれがこの国のお城よ?」


「うん、凄い……でかい」


 語彙という語彙を失った。今思い付く言葉は全て小学三年生レベルである。

 王城は綺麗な石造であり、これぞ城といった外観だ。つまりテンションが上がらない訳がなく、フィルは自分でも気付かぬ内に期待の詰まった顔をした。

 ティルザ達はその様子に満足したようで、ニコニコと馬車の準備を始める。


 ――しかし、ティルザはふとその手を止めた。


「そういえば、お母様とも顔を合わせるのよね……はぁ、憂鬱だわ」


 と、ティルザは柄にもなくそんなことを漏らした。

 見れば、いつもの朗らかな顔も沈んでいる。珍しいことだった。


 ――”お母様”。フィルの母の母。

 要するにお婆様だ。基本誰に対しても分け隔たりなく接しているティルザだが、意外なことに身内とは関係が良くないらしい。

 そんなティルザに、普段何の刺激もなく、ただ平穏に過ごしてきたフィルは目を輝かせる。

 こんな好奇心そそられるものはいつぶりだろう、と。


「憂鬱、なんで?仲が悪いの?」


「うーん、別に仲が悪いとかじゃないのよ?ただ、ちょっとね」

 

 ティルザの返答は要領の得ないものであった。

 しかし、こんなものでフィルの火のついた好奇心が収まるわけがない。

 依然興奮気味に、絶対に逃がさまいと追及を続ける。


「仲が悪いわけじゃないの?」


「ええ。たしかに厳しい人だけど、それも母なりの優しさだもの」

 

 そう言うティルザの顔は明らかに無理をしていて、

 少しも核心的なことを言ってくれないティルザに段々と業を煮やしてきて、

 だからか少々感情的になって言葉を吐き出してしまう。




「なら、なんでそんな暗い顔してたの?”俺”だったら――あっ」




 事態の深刻さに気付いたのは一瞬だった。

 憎き神から与えられた『人を殺さず殺されず』。この条件を守るために決めた、目立たず平穏に、という人生設計。

 

 ――そんな人生設計は現在進行形でピンチを迎えていた。


 少しでも異様で、奇妙で、普通じゃないところをこの両親に見せ、果たして目立たずに生きられるか。

 三秒ほど考えれば、無理に決まっているのが分かるだろう。

 フィリッツはまだしも、ティルザなんかは絶対にボロを出す。その光景はやけに鮮明に浮かぶだろう。

  

 けれど、まだ希望を捨てるのは早い。

 いつもポンコツを見せている二人だ。ほんのちょっと零した失言、聞かれていない可能性だって十分に――


「ん?今”俺”って言った?」


 ダメだった。


 しかし焦ることはない。

 考えてみればただの言い間違いなのだ。適切な返答をして、笑い話にでもしてしまえばいい。フィルは冷静務めて口を開き、


「い、いや……あはは、い、言った?言ってないと思うけどなぁ……」 


 うーん……ダメだった。


 そういえば、言い訳とか誤魔化しとか、そういうことをした経験が少なく別に得意でもなかった。

 言い訳難易度的にはイージー甚だしいが、それすらも厳しいのがフィルである。

 全ての挙動が不審で、言動も吃りまくっている。


「フィル……お前……」

 

 と、声の方を見ればフィリッツは顔を顰めていた。

 一体何を勘づかれたのか、ただの子供でないことがバレたのか。

 どちらにしろ、マズイことになっているのには変わらない。フィルは穴という穴から汗という汗が吹き出す。


 そして、


「まさか――パパの真似か……?」


「……ん?」


 ダメみたいです。

 

 親バカここに極まれり。フィル自身でもかなりやらかしたと自覚していた。

 しかし現実はどうだろう。

 珍しいだろう既に定着した一人称の言い間違い。

 不自然極まりないそんな失言を、フィリッツは自分の真似などとほざいている。

 もはやこの親子にはどんな失態を見せても大丈夫だと錯覚すらしてしまう。


「ほら、そんな分かりきってることに驚いてないで。元々、フィルが”私”って言ってたのは私の真似なんだから」

 

「いや母さんもかい……」


「ん、何か言った?」


「ううん、なんでもない」


 結局、杞憂するだけして無駄なストレスを溜めるだけに終わった。ほんとうに勘弁してほしい。

 終わってみればなんともくだらない茶番だが、死活問題なだけに気が抜けないのが煩わしいものである。


 どっと疲れが押し寄せてくる中、馬車は王城の近くで止まった。


「それじゃあ行くか。フィル、そんなに緊張はしなくてもいいけど、最低限は礼儀正しくな」

 

「う、うん」


「フィ、フィル!緊張しすぎちゃだめよ、こういう時に大事なのは平常心だからね!」


「……うん」


 そう言ったティルザは目に見えて緊張していた。

 こんな様子を見てしまうと、ほんの少し芽生えていた緊張感なんかすっかり消え去ってしまう。

 よくある、自分より怖がっている人を見ると怖くなくなる現象である。


「大事だよね……平常心」

 

 母から貰った平常心で、フィルは入城するのだった。




 フィリッツの先導で王城を進むと大きい扉の前に着いた。イメージ通りのいかにもな門である。


 ここにくる道中、洋風で豪華な王城は新鮮で、フィルは目を輝かせながらキョロキョロとしていた。

 そんな子供は王城では珍しいのか、気付かぬ内に好奇の視線を集めていたのだが、共に歩く二人を見て尊敬の眼差しへと変わっていった。

 

 だいたいすれ違う人の九割ぐらい。

 王城でこれなのだから、やはり二人の知名度は物凄い。


「この扉の先、もう王様いるからな。礼儀正しくな」


 そう聞くと、今まで身を潜めていた緊張が少し姿を現し始めた。

 それこそ前世では、こういう場面で悪名高い王なんかもよく登場していた。もしこの国の王がそうだったら、と一度思い付いたネガティヴな妄想は広がっていく。

 しかし、


「やっぱり帰りたい……ていうか、なんで私ここにいるの?おかしい、絶対おかしい。……そうよ。これは夢、夢なの。夢に決まってるわ。逆に夢じゃなかったら何なのよ。ねぇ!なんなのよ!!」

 

 ティルザが絶賛ヒスっていた。

 こんなにも緊張に耐性が無かったのは意外だが、だとしてもパニックになりすぎだろう。仮にも威厳ある立場なのに、どのように今までやってきたのか。

 そんなティルザをフィリッツは肩を叩いて宥める。


「ほらティルザ。いい加減現実に戻ってこい。別に緊張することなんかないぞ」

 

「いいえ、これは夢!夢なの!」


「そんなこと言ってないで。どうせもう目の前なんだから――「ティルザ?」


 そんな会話の途中、後ろから声が聞こえた。

 凛とした声で、後ろからでも威圧感のようなものが十分感じられる。


「――そこで一体何をしているのです?」


 声のした方を向けば”美しい”という感想と共に、どこか既視感のようなものを感じる女性が立っていた。年齢は二十後半から三十前半のように見える。

 その女性はティルザを冷めた目で見ると、感情の篭ってない声で淡々と喋りだした。


「……もしかして貴方。過剰な緊張で現実逃避する癖、まだ治っていないのですか?」


「そ、そんなことはありません。もう緊張なんてしませんよ――“お母様”」


 なるほど、既視感の正体はこれだったらしい。

 この女性は先程ティルザが言っていた祖母。だから似ていたのだ。


 はえー、納得納得。


 ――いや祖母?祖母なの?いやいや流石に若すぎるだろ。一見、姉妹を疑うほどの容姿だよ。姉妹って言われても疑わないよ。

 なんだ、悪魔と契約して永遠の美でも授かってんのか?……あれ、なんかあり得そうで怖いな。


「そう、それなら良かった。てっきり、今門の前にいるのは夢だ、悪夢だ、なんて叫んでいるのかと」


「ま、まさか!だいたい現実逃避なんてしたことないですし!どこから作り出した記憶ですか!」


「あら、子供の頃からずっとそうだったでしょう?貴方こそ忘れてしまったの?偉い人とか、王と会う時は特に酷かったわね」


「あ、あれは現実逃避ではなくて、瞑想的なやつです!決して現実逃避とかではないですから!」


 フィルが祖母の容姿に驚いている間、二人はずっと言い争っていた。

 しかし、そこに険悪な雰囲気は流れておらず、どこかからかい合っているような様子だ。

 ティルザが言っていた通り、本当に仲が悪い訳ではなさそうである。

 すると、なぜ憂鬱だったのかという疑問が出てくる。

出会ってしまった今現在も、会うのが憂鬱になるほどの事態は起こっていない。


「ティルザもお母様も一旦冷静に……すぐそこには王もいますし」


 二人の言い合いを見かねてか、フィリッツは仲裁に入る。この場において、とても至極真っ当な注意。

 だが、ティルザの母は不愉快そうに睨みつけると、不快感を隠そうともせずに口を開いた。


「貴方に言われなくとも分かっています。それと貴方にお母様と呼ばれることはまだ許していないのです。気安く呼ばないでください」

 

「は、はい……すいません」


 フィリッツが頭を下げると、ティルザの母は鼻を鳴らして背を向けた。

 きっと、今の光景こそティルザが憂鬱と思う一因なのだ。フィリッツが口を出した瞬間の顔は、まるで心の底から嫌悪しているようだった。

 

 しかし――

 この夫婦は誰からでも祝福されていると思っていた。仮によく思っていない人がいたとしても、ごく少数だと。

 だから、それが身内であったのはとても意外なことだった。


「分かればいいのです、それでは失礼します」


 ティルザの母はそう言い残すと、こちらに目を向けることなく廊下を進んで行った。

 ――かと思いきや、




「ところで貴方の子供。息子だと聞いていた気がするのですが、そこにいるのは女の子ですよね?」




 途中から流れに着いていけなかったフィルに、急に矛先が向いたのだった。

 何か言った方がいいのか、と迷っていると、先程まで意気消沈していたフィリッツが慌ててフォローを入れる。


「い、いやいや!生まれたのは女の子でして!どこかで間違って伝わったんじゃないでしょうか?!」


「そんなはずは……おかしいですね」


「おかしくなんかないですよ!ほら、見て下さいこの可愛い顔!細いまつ毛!小さい口!握ったら折れてしまいそうなほどか弱い体!どこから見たって女の子ですよ?!」


 何をどうしたらこんなに嘘が溢れてくるのか、フィリッツは目を血走らせながら訴える。

 すると、しばらく唸っていたティルザの母は渋々と頷いた。


「……そうですか。疑ってすいませんでした。ならいいのです。それでは、失礼します」


 と、今度こそ廊下を進んでいった。

 さほど疑ってなかったのか、そもそも興味が無かったのか。今回は騙し通せたが、やはりギリギリの作戦である。

 

 果たして、このまま今日を終えられるのだろうか。


「……無理だわ、これ。絶対無理」


 フィルは呟くと、二人を見る。

 たった一人目だというのに、二人の疲労は尋常ではなさそうだった。

 加えてここにくるまでの陽気さはどこへやら。三人を包む空気も沈んでいる。


 また、不仲の原因だって気になる。

 諸々問い詰めてみたいが、今の二人にそれをするのは酷というものだ。


「……大丈夫?」


 少々長かった沈黙に耐えきれず、フィルは二人に声を掛けた。

 すると、ティルザはフィルの頭を撫でる。


「うん、大丈夫よ。心配させてごめんね?」


 とても優しい声色でそう言った。

 そして、隣で見ていたフィリッツも、


「そうだな。王様にも会うんだし、いつまでも暗い雰囲気漂わせてちゃダメだよな。それに、俺達には一番似合わないか」


「ふふっ、そうね」


 と、空元気か、不安にしないようにか、二人は少し明るさを取り戻す。

 完全に切り替えられたわけではなさそうではあるが、ある意味でフィルのおかげなのだろう。

 

「さて、挨拶ぐらいパパッと済ませるか」


 そんな言葉と共に、フィリッツは前を向いた。

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