第5話 偽るのは自分の性
あれから三年が経過し、現在は八歳だ。
何か変わったことがあるかと言えば、一年ぐらい前から父の部屋へ忍び込まなくなったことだろう。なぜ?と聞かれれば、目新しいものが無さ過ぎた、ただこれに尽きる。
父の部屋への侵入は、情報収集と共に暇つぶしに大きく貢献していたものだ。
それをしなくなったということは、当然暇な時間が増えたことになる。ゲームや漫画などの娯楽がないこの世界ではその暇な時間を消化することは難しい。寝ることしかやることない、ある意味で退屈な日々になるかと思った。
しかし、そんな心配をよそに意外と退屈にはならなかった。
ちょうど忍び込むのをやめた辺りで、母による字の勉強や礼儀作法などの教育が始まったからだ。この世界の知らない一般常識を知れて、ついでにあり余る時間を消化できてとても良いものなのだが、一つだけ不安な点があった。
――そう、講師があの
変わったことは侵入しなくなったぐらい、ということはそれ以外変化がないということで。つまり、俺はまだ女装をしている。
今日日八歳になる子供に未だ女装をさせ、何かとポンコツであるティルザが講師なのだ。
……と、最初こそ不安だったのだが、物を教えることは意外と得意なのか授業自体は分かりやすいものであった。
ただ、いくら分かりやすいといっても礼儀作法は苦戦を強いられる。食べ方とかお辞儀の仕方とか、覚える気が無くなるぐらい複雑で面倒くさい。何があってあんな文化が生まれるのだろう。
まあ、礼儀作法とは真逆の生活だったので仕方ないと思えば仕方ないのだが。
それから、あの惨劇以降、少しずつ両親とのコミュニケーションを増やすよう心掛け、その甲斐あってか、両親についてはある程度のことが分かってきた。
まずティルザ。
教会でシスターとして働いている、と言っていたが、どうやらそれが中々上の役職らしい。それを知ったときはますます母のことが分からなくなった。果たして、何がどう転んだらあの母が昇進できるというのだろう。
次にフィリッツ。
騎士団で二番目に偉い、と大雑把なことしか分かっていなかったが、さらに詳しく聞いていくと副団長を務めているようだ。そうと分かれば、たしかに母の言った通り二番目である。
そして、騎士団にはフィーレンス王国が管理する『王国騎士団』があり、『王国騎士団』の中でも精鋭が集う『近衛騎士団』の二つの団体があるらしい。父は『近衛騎士団』所属の副団長だ。
――つまり、凄い方の騎士団で凄い上の役職にいるということになる。
これらがなぜ凄いか。それはこの国の特色にある。
この国は全体的に実力至上主義な面があり、上の役職とはそのまま能力の高さを表している。若くても優秀であれば昇進するし、親が偉い立場だからといっても忖度による昇進もない。
そうと分かれば、俺の両親は七光りなどではなくしっかり実力と実績がある人なわけで。
そういえば両親に連れられ外に出た時の好奇の視線はえげつなかった。どこを向いても誰かと目が合い、その度に噂される。好機の視線など抑えられえるものでもないが、少なくとも幼い子供に向ける注目であったのは確かだ。
人の視線というものより、そもそも人に慣れていない俺は途中から下ばかりを見ることになった。
あの視線の中、道は唯一の救いだった。
だって、こちらを見つめ返してこないから。
――――――
ティルザの授業が始まってから随分と経ったある日。
フィルも礼儀作法のコツを掴み始め、この世界の知識もだいたい付いてきた時だ。
今日も今日とてティルザから学びを受けようと、フィルは自分の部屋から一階に降りようと階段を下る。すると、いつもは仕事でいないはずのフィリッツが見えた。
なんでいるんだ、と疑問に思い一瞬足を止めたが、特に気にせずそのまま声を掛けようとする。
――が、不穏な会話が聞こえ、またもや足を止めた。
「……おい。どうするんだよ、今日のやつ」
「あの、ね。本当に覚えてはいたのよ?けど、行動までに至らなかったというかね?」
「行動に至らなかったじゃ済まないだろ!?今日は流石にマズイって!」
フィリッツは今まで見たこともないぐらいもの凄い剣幕でティルザを責め立てていた。
普段、ティルザが何をしても決して怒ることはないフィリッツがここまで表情を変えている。一体何をやらかしたんだと、フィルは冷めた目で見つめていた。
「なあ、言ったはずだろ?今日は顔合わせの日だって。何回も何回も……結構何回も」
「はい……昨日の朝も言われました……」
ティルザは申し訳なさそうにしながら頷く。
顔合わせと聞き覚えのない単語が聞こえたが、フィリッツの言動を見る限りとても大事なことだということは分かる。
「それなりの人が色々来るんだし正装が必要だって言ったよな。流石に
「それについては三週間に言われてました……」
――その言葉を聞いてフィルは固まる。
話の内容がよく理解できない。いや、したくない。
「だから、そろそろ男服を買おうって言ったよな。フィルも自分の服装に違和感を感じてきてるし、いい頃合いだって話もしたよな」
「男服の話はもっと前からしてた気がします……」
「なら、なんで買っておかないんだ……。もう買う時間はないんだぞ?」
話の途中からずっと俯いていたティルザだが、何故か話を聞いていただけのフィルも下を向いてしまった。
今現在目の前で進んでいる事態は、偉い人が沢山来るであろう場所に着ていく服がないという絶望的状況。
少し解決策を模索してみるも何も思い付かない。万策尽きている。
――なんて他人事のように達観していたが、
「――ねえ……フィリッツ。フィルって、可愛い顔してると思わない?声も、まだ声変わり前で男の子にしては可愛い声よね?髪だってちょうどいい感じに長いと思うし」
「何がちょうどいいか分からないけど……まあ、どっちかっていうとフィルはティルザ似だな。それがなんだって――……おい、まさか……」
「今日を乗り切ったら、王様とかと会うことってしばらくないと思うの。だから今日だけは女装で通して、今度会う場面では男の子です、って言い張るのはどう?」
「いや、どうって言われてもな……」
――やはりまともじゃなかった。
さすがのフィリッツもその提案には頭を捻る。ティルザに激甘であるフィリッツも快諾とはいかなかったようだ。
フィルは手に汗握り悩むフィリッツを応援する。流されるな、どう考えても異常で常軌を逸してるぞ、と。
時々、ティルザの度胸のようなものが吹っ切れる時があるが今日はその日のようだ。女の子としてゴリ押すとか、意味が分からない。
そして、答えは却下が当然で、逆にそれ以外ないような思索を随分長くしていたフィリッツは何かを決心したように口を開く。
「――けどたしかに、仕方ないしな。フィルもちょうどよく女の子っぽくもあるし。それしか方法がないわけなんだし……仕方ないな」
「何が仕方ないんだよ……」
フィルは思わずそうボヤく。
この両親、もう手遅れなのだろうか。
「ね、そうでしょ?!よし、じゃあ早速フィル呼んでくるわね!ああ、あの可愛いフィルをみんなに見せられると思うとワクワクするわ!」
フィリッツから了承を得たティルザは嬉々として立ち上がる。
このまま何もしなくていいのか、とフィルは逡巡するが、この家の大黒柱であるフィリッツがゴーサインを出し、ティルザがやる気になった時点でもうどうしようもない。それはこの八年で痛いほど分かった。
もうどれだけ足掻いても結局は女装で外出することになるのだ。
諦めが良いのが自分の長所、とフィルは一度部屋に戻る。
「……まあ、まじで死ぬほど嫌だけど。風邪ひいたことにでもしようかなぁ。ああ、本当に嫌だ。ほんと嫌だな。……あれ、結構未練あるな」
諦めの良さはどこへやら、部屋の中で悶え苦しむフィル。
自分が女装をするという現実と、これからそれを大勢――しかも偉い人達に見せるという現実で狂いそうなのだ。
そして、扉の奥から悪魔の呼び声が聞こえてくる。
「フィルー!ちょっといいー?」
「なにー!?!?」
「あれ、なんか怒ってる? ちょ、ちょっと下まで降りてきてくれるー?」
いけない、抑えきれない怒りが漏れていたようだ。
フィルは一度深呼吸をすると、とてつもなく重い腰を上げ一階へ向かう。
重いのは腰だけではなく足もで、一歩踏み出すとともに鬱憤が募る。
「あ、やべ、泣きそう」
一階に降りるとティルザが嫌な笑みを浮かべながら椅子に座っていた。
果たしてなぜ笑っているのだろうこの親は。子供に女装をさせていることを自覚していないのだろうか。
フィルはまた心が荒れる。この数年でストレス耐性は十分に育った。
すると、フィリッツは後ろめたさのカケラも感じさせることもなく話し始める。
「フィル、今日は王様とかとの顔合わせ、っていうか謁見?があってな、フィルも連れてかなきゃいけないんだ」
「へえー、そうなんだ、緊張するね。……それでどこに行くの?遠いの、ねえねえ。なぁ?」
「ど、どしたフィル……?落ち着け?まあ、場所だがな。聞いて驚け、あの王様が住んでるあの王城だ。遠いし、馬車を使うことになるぞ」
「お、王城!?王城に行くの!?ていうか、王城なんて所に行くのにッ……いや、なんでもない……」
「?」
「王城なんて所に行くのに女装させるのかよ」という言葉を必死に飲み込んだフィル。まさか、王城に女装で行くことになるとは誰が思っただろう。
同時に、そんな由緒正しき場所に女装の息子で乗り切ろうとしている両親の度胸に再度驚かされる。客観的に考えて、尋常じゃない。
「それで、わ、”私”はなんかするの……?」
――“私“と。ずっと一人称は“俺“だったはずのフィルも今は“私“だ。
経緯を語れば長くなるが、簡単に要約すれば女装をして過ごしている内に変な思考に陥ってしまった結果である。不自然なく自然に、という思想が拗らせてしまった。
少しやり過ぎたと後悔したが、何しろ扱いが若干女の子なのだから頭がバグったのだ。一度口走った一人称で両親――主にティルザが可愛いと狂喜乱舞し、気付いたときにはもう引き返せないとこまで来ていた。
仕方なく、極力一人称を使わないようにしながら普段会話をしている。
いつか、絶対に、この言い表せない感情をそのまま返してやると、フィルの決意は固い。
この決意は過去最大の硬さを誇っている。
「いや、特にフィルがすることはないな。今日の顔合わせは、皆子供を連れて参加するんだけど子供達は最初の挨拶が済んだら俺達大人の話し合いが終わるまで別室で自由。だからそう緊張することはないぞ」
「そ、そうなんだ」
フィリッツはスラスラと顔合わせの概要を説明した。
最初は、顔合わせという名のパーティー的なものかと思ったが、本当に挨拶だけのようだ。なんなら、その後のフィリッツ達の話し合いが重要なまであるだろう。
「これ子供連れてく必要ある?」なんて面倒くさくも感じるが、こういうのは大人の事情というやつなのだろう。
「ほら!見て、フィル!いつもより可愛い服でしょ?今日はこれを着て行くのよ!」
「えっ?う、うん。嬉しいよ……?」
ティルザはどこから取り出したのか、ドレスのような服を持っていた。
あれが今日着ていく服なのだ。いつもより随分豪華な服で、同時に一目見て動きにくい服だと分かる。ぶっちゃけ着たくない、と思ってしまうのも仕方ないだろう。
しかし、それを言うわけにはいかない。顔を引き攣らせながら思ってもない可愛い服なんて言葉を吐く。
――だが最近、女服を見る度に自分の着る服だとあっさり認めてしまう自分が居た。
だいぶ重症だ。このままでは新たな扉を開いてしまうのではないか、と最近気が気じゃない。
しかし、そんなフィルの気持ちもいざ知らず、ティルザは楽しそうに服を準備している。
「ほんと、この女装させるのと親バカを除けばいい家庭なんだせどなぁ……なんで、こんな。……はぁ」
と、フィルは今日何度目か分からないため息と愚痴を溢すのであった。
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