第4話 もう遅いと思った時が一番早い

 慣れない生活は時間が過ぎるのはあっという間で、いつの間にか五年が経過していた。


 こと“フィル・アデルベルト“の両親はどうやら善人に分類されるようで、この五年間は一応不自由なく過ごしている。

 

 ただ、五年という月日でフィルが意思を持って行動できたのは四歳半あたりからだ。それまで自意識はないのに行動の記憶だけは残る、というなんとも中途半端な状態で。乳児期はおよそ普通の赤ん坊として過ごしていた。

 お腹が空いたら泣いて、気分が悪くなったら泣いて、思い出すだけでも恥ずかしい記憶ばかりだ。


 しかし人は成長する生き物で、歩けるだけの筋肉がついた今現在は未熟ながらも歩くことができるようになり家の中を自由に探索している。歩けることの素晴らしさに気付かされてしまった。


 そして、両親と言葉を交わせる頃合いになって拙い会話を始めたフィルだが――今更、公用語が日本語であることに気が付いた。

 耳に入ってくる言葉や、本などに書かれているものは全て日本語だ。


 これは「この世界の言語が日本語だった」というものと「散々嫌がらせをしてきた神によって日本語に翻訳されている」というおおよそ二つの可能性があるわけで。後者は感情論的にあり得ないと否定したいところだが前者も大概あり得ない。認めたくない事だが、これは神のお節介なのだろう。

 

 まあ、仮にそうだとしても感謝の気持ちは一ミリもないのだが。


 ――さて話は変わるが、このフィルにとっての第二の人生、極論好き勝手できるこの人生を実際どう生きるか色々と考えながら過ごしていた。


 そうして行き着いた答え――”人を殺さず、殺されない生き方”をするには、”平穏で目立たない”をやはり徹底せざるを得ないという結論に達した。


 前世のノウハウを生かして異世界無双だとか、信頼しあえる仲間たちと魔法を使って冒険だとか、そういう夢のある異世界転生は避けることになるのだろう。

 どちらかといえばどこか辺境の地でスローライフ、なんてものを視野に入れるべきか。


 ……無論、心の中では夢のある冒険をしたいという願望が永遠と暴れているが。


 そしてフィルは少しだがこの世界のことを勉強していた。

 するとどうだろう、この世界は二つの大陸しかないらしい。

 フィルがいる『ヴァール大陸』と“魔族“の住まう『フーヴァール大陸』の二つである。


 そう、魔族と。


 吸血鬼だったり淫魔だったり魔王だったり、どうやらこの世界にはあの魔族が存在するらしいのだ。

 それこそ最初は魔族なんてものが存在することに興奮を覚えた。魔物自体はヴァール大陸にも存在するらしいが、異世界と言ったら魔族だろう。


 だが――


 フーヴァール大陸には”瘴気”とかいう有害なものが存在するせいで近づくことすらできず、そもそも魔族もはるか昔から姿を見せていないらしい。期待が先行していた分、それを聞いたときは結構がっかりしたのを覚えている。


 しかしまあ、居ても居なくても出会ってはいけない存在には変わりない。魔族なんて危険の具現化でしかないのだ。


 話を戻そう。

 このヴァール大陸には四つの国があるらしい。しかし国についての資料が乏しく、今のところ生まれた国が『フィーレンス王国』という名前であることしか分かっていない。


 両親の会話を盗み聞きする限り、治安は良さそうで出生は中々当たりの方だろう。少なくともいきなり襲われるなんてことは少ないはずだ。

 しかも、それに加えて色々な種族も存在しているようで。

 エルフに獣人族、竜族や精霊など、聞くだけでテンションの上がる名前達がときどき聞こえてくる。


 フィル・アデルベルトの現在知りうるこの世界の情報はこれぐらいである。

 しかし、これではまだまだ無知に等しい。そして無知とは最大の弱みである。


 ――だから今日も今日とてフィルは父の部屋に忍び入る。

 フィルの父である”フィリッツ・アデルベルト”は、あんな風でもこの国でそこそこの階級にいるらしく、よく会議の資料を持ち帰ってくるのだ。


 一時期はどうせ読めないと放置していたが、ふと日本語で書かれていることに気が付き、それからは母――ティルザ・アデルベルトの目を盗み、部屋に忍び込んで読み漁りはじめた。

 

 漁るついでに魔法のことについても調べたいとも考えていたのだが、魔法関連の本は全てティルザの部屋に保管されているらしいのだ。そしてその部屋には鍵が掛かっているという悲劇。

 鍵などやろうと思えばピッキングでどうにでもなるが、問題はそれがバレずに可能か、ということだ。


 ティルザかフィリッツ、どちらかは必ず家にいて、数分でもフィルの姿が見えないと特段豪邸でもない家の中の捜索を始める。見つかってしまえば一体どんな面倒事に発展するのか、考えることも億劫だ。

 仕方がないので正攻法で頼み込んだこともあるが、


『えっ、ま、魔法?魔法を教えて欲しいの?けど……そうね、魔法は国の決まりでもっと大人になるまで教えちゃいけないものなのよ。だからね、フィル。それまで我慢ね?』

 

 と、ティルザにしては似合わない真剣な眼差しで叶わぬものとなった。まあ、それを律儀に守っているフィルもフィルなのだが。

 念願の魔法が目の前にあるのに一度も触れられていない、なんとも生き地獄なのであった。


 ――フィルはふと、昨日フィリッツが大量に資料を持ち帰ってきていたのを思い出した。

 視線をフィリッツの机の上に目を移せば、いつも通り整理のされていない机に見たことのない資料の束が置かれている。


 さっそく手を伸ばしてウキウキと目を通すが、残念なことに、その大半が国の国防費だとか警備隊の巡回報告書だとか読む気の起きないものだった。

 今回はハズレか、と若干気落ちしながら紙束を捲る。すると、『魔族に関する臨時報告書』というなんとも興味の惹かれる文字列が目に入った。


 前述した通り、フィルの住む大陸には“魔物“などは存在するが、“魔族“は全てフーヴァール大陸にいる。よって魔族の情報そのものがとてもレアなのだ。なんならこの世界に来て初めての具体的な情報だったりする。 

 フィルは顔を少し緊張して顔をこわばらせながらその文字に目を通す。


 【魔族に関する臨時報告書】

 五年前に大規模な魔法を使用したとされる魔族に更なる動きあり。先日、五年前と同規模の魔法を確認。魔法の種類、効果、影響などは不明。四国間で情報の共有も特に新たな知見はなし。

 これまで動きのなかった魔族だが、これらの行動は無視できないものである。念のため、フーヴァール大陸の警戒を強化することを推奨する。




 ――なんか普通に重い内容だった件について。




 聞いてた話と違う。

 動きがないとは、出会う術がないとは。

 バリバリ活動を再開してそうな文で、しかも五年前と言ったら自分が生まれた年である。単なる偶然か、それとも仕組まれた何かなのか。

 どちらにせよ、とてつもなく不穏なことには変わりない。

 

 気を取り直し、フィルは残りの資料をめくる。

 しかし、自らの平穏に響きそうな報告書は存外フィルにダメージを与えたらしい。目は滑りに滑り、しっかりと読めているかは微妙なところ。


 ――『騎士訓練の新案』、『黒帽子の不審者について「第六十」』、『巡回コースの分担案』。

 どれも興味は惹かれなかった。

 黒帽子の不審者なんかは半年前からずっと存在して、今回で記念すべき六十個目の報告書。色々な人の顔を触って見てくるだけで無害らしいが、いい加減捕まえて欲しいものである。


 ペラペラとめくって最後の資料。

 珍しく本の媒体をしており、その表紙には『憧れのあの子』と書かれている。

 

 明らかに何かの報告書のようには見えず、好奇心が顔を覗かせる。

 その好奇心を抑えられる訳もなく、さも当然かのようにフィルは本を読み始めた。


「――んー、なるほど……」

 

 その本の内容はありがちなものであった。

 底辺の生活をしていた男が高貴な姫に恋をして、自分を磨き、念願叶ってその姫と結ばれ、


 ――そしてヤる。


 そう。それは官能小説であったのだ。 

 やけにその描写は生々しく、ハッキリ言って気色の悪いものであった。

 

「いや、誰が父の性癖を知りたいと言った。この情報誰得だよ。見たくなかったわ」


 フィルは耐え切れず呟く。

 自らの父であるフィリッツのいらぬ一面を知ってしまったことに後悔した。

 すると、

 

「――フィルー?またパパの部屋入ってるのー?」


 と、階段を登る足音と共にティルザの呼ぶ声が聞こえた。どうやら長居しすぎてしまったらしい。

 すぐにドゴンとドアが開き、優しい顔に少しの怒りを含ませたティルザが現れた。


「あ、やっぱりここにいた!もう、パパの部屋は入っちゃダメって言ってるでしょ?」


「ごめんなさい……」


 もはや何度目か覚えていない説教に、全く心の入ってない謝罪を繰り出す。

 その側から見ればしょぼくれているようにも見える姿にティルザはあっさりと折れる。この母は大概子供に甘いのだ。


「まったくもう、仕方ないんだから。ほら、こんなに服も着崩して」

 

「……ごめんなさい」


 フィルが発した言葉はつい先程と全く同じだったが、今度は謝罪の気持ち以外が含まれていた。

 その理由は明白――自らを装っているものがであるからだ。着ても数か月ぐらいだと舐めていた女装は、まさか五年経ってもそのままだった。


 もちろん、フィルも最初は反抗の意思を見せていた。

 あからさまに拒絶しないように、なるべく自然に不自然なことを指摘したり、別の服を着てみたいと言ってみたり。


 ――けれどダメだった。

 過度な言動はするべきではないという考えの元、仕方なく女装を受け入れている現状だ。


 フィルは服を直し、いかにも反省していますという風に部屋を出ようとする。しかし、そんなフィルを何か強烈な悪寒が襲った。


 今何かをしなければ少し後悔するような、とてもまずいような。

 ただ、具体的なことは分からない。フィルは後ろ髪引かれる思いで部屋を出る。


 ティルザもそれを見て部屋を出ようとするが、


「……あら、何かしらこれ」


 と、ティルザが手に取ったのは――フィルが隠すのを忘れていたフィリッツの官能小説だった。表紙が目立つもので、不運なことにティルザの目に止まってしまったのだ。


「あっ、それっ……」


 フィルが起こってしまった事態に気づいたとき、既に物事は止められる段階になかった。

 もう何をするにも手遅れである。フィリッツの一番バレたくなかったであろう趣味は、一番バレたくない人に見られてしまうのだ。


「……!!」


 小説を読み出したティルザはしばらくして顔を赤く染める。そして、本を手放し顔を手で覆った。

 こんなありがちで乙女な反応も、実際に美人がやると絵になるものなんだな、とフィルは半ば現実逃避めいたことを考える。


「あの人、なんてものを……」


 絶句という言葉がこれ以上ないほど似合う顔で、ティルザはトボトボと部屋を出る。

 こんな面倒くさそうな事件で唯一の救いなのはフィルが“まだ字を読めない“と思われていることだろう。

 「ふぅ、子供でよかった」と思うと共に、これから起こる何かしらに少々罪悪感を覚える。


 が、謝ることもできないし、そもそもとして今の自分の姿女装を顧みたところで罪悪感は消え去った。そう、自業自得である。




 ――そしてその夜。

 案の定、フィリッツが何か言い訳しているような声が聞こえてきたのであった。


 聞こえてきたティルザ達の叫び声は『これ私達じゃない』『なんでこんなものがあるの』『どうして作ったの』や、『愛故にだったんだ』『筆が乗ってたんだ』『売ろうとは考えてなかった』などなど。

 

 フィルは聞いているうちに考えたくもない結論に行き着いてしまい考えるのをやめた。もしそれ以上思考してしまうと、これから自分の父と会話できないような気がしたのだ。

 

―――――――


 フィルの起こした惨劇の次の日。

 ティルザに秘密がバレたフィリッツがどう取り繕ったのかは分からないが、どうにか仲直りできたらしい。

 証拠にティルザは台所でニコニコと夕飯を作っている。


 そして、いい加減本を読むことに飽きてきたフィルは世間話でもしようと近づくが、肝心の話題が少ないことに気が付いた。

 これは単にコミュ力がないわけではない。いや、それも少なからずあるだろうが、根本的な理由はそこじゃない。

 話題が思い浮かばない理由は”相手のことを知らない”からに他ならない。自らの親なのにも関わらず知っていることといえば、名前と父の仕事は騎士っぽいということだけである。それ以外は本当に一年半も過ごしてきたのかを疑うほど何も知らない。


 興味がなかったわけではなかった。

 ただ、それ以上に興味があることが多かっただけで。


 思い立ったが吉日。

 フィルは台所でいそいそと料理をしているティルザに情報収集という名の話を振った。


「――お母さん、お父さんってなにをしにに行ってるの?」


「んー?パパの仕事?そうねー」


 前世では見たこともない色の野菜を刻みながらティルザは会話を続けた。

 あの青色の野菜は生でも十分な味があり美味しい。


「うーん、騎士団って言っても分からないわよね。……なんて言うのかしら、みんなを守るお仕事?かしら」


 騎士団――たしかに幼い子供には伝わらないだろうが、フィルにはしっかりと伝わる言葉である。

 ただ、騎士団とはどちらかと言えば見たまんまで、特に驚く要素はない。


「みんなを守ってるんだ。お父さんって凄いんだなー」


 と、いかにもな子供っぽい返答をする。

 するとティルザは、

 

「そう、パパは凄いのよ?なんたって上から二番目に偉いんだから」


「ニ、二番目?すごい偉いんだね」


 ティルザはまたしても見たことない野菜を千切りながら、驚くべきことをあっけらかんと言い放った。

 果たしてどのような解釈で二番目に偉いのかは不明だが、フィリッツは中々上の役職のようだ。


 ――ちなみにあの野菜、見た目は普通だがあり得ないぐらい辛いやつだ。今日の夕飯には水が大量に必要らしい。


 そういえば、とフィルはティルザも修道服を着て出掛けることを思い出した。この家は共働きでフィリッツが休みのときはティルザがそれを着て仕事に行くのだ。


「そうだ、お母さんは?お母さんもたまにお仕事に行くよね」


「私? シスター……って言ってもダメよね……そうね、神様に仕えるお仕事よ。教会で働いているの」


 予想していた通り、教会で働いているようだ。

 しかし、両親に連れられ何度か外に出掛けたことのあるフィルだが、近くに教会なんて無かったような気がする。ここは街の中心地から少し離れているようで、主要な施設は離れたところにあるらしいのだ。


「教会?家の周りに教会なんてあったっけ?」


「いいえ、ないの……結構遠くて、お仕事がある日はうんざりしちゃうわ」


 項垂れるティルザはその鬱憤を紫色をした肉をザックザックと切って晴らしていた。

 完全な八つ当たりである上、危なっかしいったらない。


「た、大変だね……」


「ほんとうよ――痛っい!もう、指切っちゃった!」


「き、気をつけてね……」


 やはりというか当然というか、ティルザは乱暴に振るっていた包丁で指を切った。そのまな板の上には食べ物とは思えない色をした食材達が転がっている。

 青やら紫やら、この世界の食欲が無くなる色はどうにかして欲しいものだ。お腹は空いているはずなのに、出来上がりつつある料理に食欲はカケラも湧かない。


 そして、ザッとではあるが両親のことを知り、話の切り目でもあったことからフィルは台所を離れる。いくら親とはいえ、人と関わると疲れてしまうのはもうそういう性格なのだろう。

 疲れた身体をリビングの柔らかい床に寝かせれば、甘やかされているフィルは存分に惰眠を貪るのだった。





「……ル……ィル。……フィル。起きて、ご飯よ」


「……ん?」


 自分を呼ぶ声と、体を優しく揺らされたことによりフィル目を覚ます。

 眠い目を擦り周りを見ると、寝る前はいなかったフィリッツが食卓についていた。どうやらフィルが寝ている間に帰ってきていたようだ。


「う、うん。お腹空いたや」


 そう言いながら、もう定位置になった椅子に座る。テーブルの上には、やはり色鮮やかな料理が並んでいた。

 そして、フィルが席に着くとティルザはニコニコとして手を合わせる。

 ただそれとは対極的に、隣では微妙な表情をしたフィリッツが座っていた。


「それじゃ、いただきます」


「い、いただきます」


 愉しげな感情が声から感じ取れないフィリッツ。

 いつもなら、うるさ過ぎるほど大声で叫んでいるのだから不思議だ。


 ――だが、フィリッツに盛られている料理を見て、


「あぁ……」


 と、フィルは納得の声を漏らす。


 フィリッツの前にだけある一種類多い料理。

 それはあの激辛の野菜が存分に使われた炒め物で、贅沢にも皿一杯に盛り付けられていた。


「さあ食べましょう!今日も美味しくできたの!」


「う、嬉しいなぁ……」 


 フィリッツはそう言いながら、その野菜炒めに手をつける。

 そして、恐る恐る咀嚼すると――瞬間、顔を真っ赤に染め上げた。声にならない悲鳴をあげている。


 どうやら、まだ完全には許されていなかったようだ。或いはこれが禊なのだろうか。


「……自業自得だよなぁ」


 フィルはそう呟くと色鮮やかで美味しい料理を、目の前で繰り広げられる戯れ合いを見ながら食べ始めたのだった。

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