第3話 敷かれたレールの行き先は不明

 あの憎らしき神から見送られてから数秒。

 少年が意識を手放したと感じたのはその程度だった。


 目を覚ました少年がすぐに知覚したのは体の感覚。やけに小ぶりな体格で、おそらく赤ん坊ぐらいだと分かる。

 瞼を上げた先に広がる視界には、死後の世界とは段違いの情報量。


 木製の家具に木製の家、ひどく中世的な装飾。

 それらは、既にここが前いた世界ではないことを知覚させる。


「――あら、おはよう"フィル"。お腹でも空いた?」


 その優しい声に釣られ目を向ければ、とても美人な女性が少年を見つめていた。と聞きなれない単語だったが、その慈愛に満ち溢れた表情から我が子を可愛がる母性を感じる。

 きっと、目の前の女性は母親なのだろう、と少年は察した。

 そして呼ばれた前世とは全く違う名前に、別世界で新たな人生というのを実感してくる。


「今日はお父さんが早く帰ってくる日よ。楽しみね」


「ばぁ」


 何か声を発そうと挑戦するが、いまいち上手くいかず出たのは幼く可愛らしい音。

 赤ちゃんらしい、今の体に一番適した言葉だ。


 ――しかし、よくよく考えてみればここで言語を喋ってしまうのはあまりに良くなかったといえる。


 たしかに、やろうと思えば赤ん坊にして言葉を喋れる天才児として生きることも可能だろう。

 だが考えても見てほしい。今回転生した赤ん坊は人を殺したら駄目、寿命以外で死んでは駄目の縛り付き。つまり、健康健全安全に寿命まで生き抜かなければならないのだ。

 そんな人生目標の奴が、果たして目立ってどうするのだろう。


 余計なごたごたに巻き込まれないためにも、至って普通の一般異世界人でいるのが最適解なのだ。少し憧れであった異世界らしいハプニングなんて、この人生で一番敬遠しなければいけない。

 それこそ血涙を流しながら。


「ただいまー!いま帰ったぞー!」


 あまりにも冴えない人生計画に若干萎えていると、扉の先から騒音レベルの大声が聞こえてきた。

 次にドタドタとこちらに向かってくる足音。

 ものすごい勢いで近づいてきており、もうすぐその扉が開く。地味に緊張の一瞬だ。


「フィルー!元気かー!」


 ドゴンと、扉が鳴らしてはいけない音を立てるとともに、新しい人生の父親が姿を表す。

 所々に装備した鎧に小綺麗な服。そしてひときわ目立つのは腰に携えた剣。

 その姿形はよく想像した騎士であり、なによりも――イケメンだった。

 

「フィル!相変わらずお前は可愛いなぁ!なんだ、その可愛さは誰を殺すんだ? 俺か?俺だな!」


「……ばぶぅ」


 ――うざい。うざすぎる。あとハグが苦しい。


 甘い声でフィルに肌を擦りながら、父はこれでもかというほどの力で抱きつく。

 そのダルすぎる絡みはフィルをうんざりさせるには十分で――そしてとても力が強い。

 

「……グフッ」


 ――あ、待って待ってこれ死ぬ。あ、死ぬ。


 その力の強さは、赤ん坊が出してはいけない声を漏らさせ、あと少しで息の根が止まるほど。

 しかし、父は未だフィルを愛でることに必死であり気付く様子はない。


 悲しきかな、少年の憧れた異世界転生はいともあっさり終わりを迎えようとしていた。


 ところが、


「そんな力強く抱いたらフィルが苦しいでしょー!」


 響く美声な怒声。


 そして――次の瞬間にはフィルの体が宙に浮いていた。

 嫌な浮遊感を味わうが、母によってキャッチされると心地よい安心感へと変わる。

 

「まったく……苦しかったわよね?」


 そう優しく問いかける母。全身を温かな体温が包み、形容しがたい満足感があった。


 だが、ふと父のことが気にかかる。

 つい先程まで、自分の息子を絞殺しかけていた父だ。彼は一体どこへ消えたのか、ゆっくりと周りを見渡すと、


「……?」


 家の壁に――父がいた。

 いや、父の下半身があった。壁に埋まっていた。


「その壁はあなたが直してよ?フィルを優しく扱わなかった罰

。もうっ、何回も言ってたのに」


 平然と告げる母。

 そんなことを言っている場合じゃないだろ、とフィルは心中穏やかでない。

 しかし、フィルの心配をよそに、父はのっそりと壁から抜け出す。


「いてて……悪かったって、初めて触れたもんだから……次からはもっと優しくするよ。けど、いきなり殴ることなくない?結構強かったんだが」


「あなたは体に学ばせないとね。口で言ったってまたやるわよ」


「そ、そうか?」


 いてて、と。

 壁に突き刺さるぐらい強く殴られて、それをモロに受けて、果たして「いてて」で済むものなのか。

 伊達に異世界じゃない。前世の常識なんかなんの役にも立たないのか。

 

「――けどほら、見ろよこの可愛い顔を。こんな子を前に冷静でいろっていうのも酷な話だろ?」


「それは一理あるわね……」


「だろ?自分の子供っていうのはこんなにも可愛く見えるものなんだな。フィルの将来は誰似だー?」


 そう言って、ほっぺたや耳たぶをぷにぷにと弄り始める。

 控えめに言ってうざい。が、こうやって可愛がられるのも子供の務めなのだろう、とフィルは既に達観していた。

 

「私似に決まってるでしょ?ていうか、あなたに似ちゃったらこの子が可愛そうよ」


「可愛そうってお前……別にそんな悪い見た目じゃないと思うけど。ていうか、お前に似たら可愛い女みたいになっちゃうじゃないか。フィルは男らしくさせないと」


「なんで男らしくさせるのよ。フィルは”女の子”なのよ?」


 ――それを聞いてフィルは驚愕する。

 どうして異世界でTSされなきゃならんのだ、と空を睨み神を恨む。

 果たしていつまで嫌がらせすれば気が済むのだろうか。怒りの感情を通り越して、呆れの感情が混じってきたところで、




「――何言ってるんだ。フィルは”男の子”だろ」




 事態はさらによく分からない展開へと発展した。

 親というものは育児の方針などに違いはあれど、性別だけは一致しなければいけないものだ。

 なのにどうして、この二人は絶賛子供の性別で意見が割れていた。

 

「えぇうそぉ!だって私『元気なですよ』ってハッキリ聞いたわよ!」


「全然ハッキリ聞いてなくないそれ。まあ、その目で見れば解決だ。ほれ」


「!?」


 父は何の躊躇いもなくフィルのズボンを剥ぎ取った。

 出会って数分しかない両親が見守る中、フィルの小さくて可愛いモノが露わになる。

 これでも中身は絶賛思春期なわけで、この行為はなかなかに効いた。恥ずかしすぎてつい死ねてしまえるほどに、


 ――ちなみに冗談抜きで。ガチで。

 

「あらほんと。私、勘違いしてたみたい」


「それは勘違いなのか……?――ていうかお前、フィルが産まれてすぐに、服大量に買ったとか言ってなかっけ?!」

 

「あっ」


 「あっ」と、なんとも情けない言葉が聞こえた。

 フィルはその意味を考えるのを否定する。産まれてすぐ、が買った服が一体どんな服なのかは、一ミリだって考えたくない。


「……す、少しだけよ?ほんとに少しだけ……いくつかのタンスを埋めるぐらいしか頼んでないっていうか……」


「“いくつか“??待って、一つじゃないのか……?」


「うん、いくつか……全部明日届くわ……」


 もはや耳に入れたくない言葉の羅列。全てが全てよろしくない方向へ進んでいる。

 母のあり得ないミスに父は腕を組んで唸っていた。今後どうするか考えているのだろう。できれば聡明な答えをお願いします、と半ば祈りながらそんな父を眺めていた。


 ただ、気になることに母も目を瞑って真剣そうに考えていた。

 なんなんだろうこの人は。どうしたら馬鹿真面目な顔ができるのだろう。


 ――そして長考すること三十秒。先に案を思いついたのは母だった。

 手をポンっと叩き、思い付いたことをアピールする。


「そうよ!別に少しぐらい女装でもいいじゃない!誰かに会わせるなんて予定はないんだし!」


 ことの発端で元凶は救いようのない発言をする。

 控えめに言って、そしてオブラートに包んで、頭がおかしい。

 フィルは先ほどから黙っている父の否定を待つ。どう考えても却下だ。却下以外あり得ない。


「――まあ、それでもいいか。勿体ないしな」


ばぶぁばバカが!!」


「あら元気ね、フィル」


 フィルは危うく言葉を発しそうになるが、すんでのところでバ行に収まる。

 もはや為す術はなかった。この家の最高議会で決定が下されたのだ。今後何ヶ月かは分からないが、フィル女装は過ごすことは確定事項となった。

 

 ――そして、このあまりにも短い時間でフィルは全てを悟った。

 少しネジが外れている母と、少々親バカで愛妻家な父。残念美人に残念男。

 決して揃ってはいけない四拍子だ。


 きっと、世間一般で言う“普通の家庭“とは程遠い。


 悲しい事実だが、それはこの数分間で嫌でも分かる。

 その目を覆いたくなる現実に、異世界でも普通の暮らしは難しいのかとフィルは泣きそうになった。


 きっと泣いたら、悔しいことに赤ちゃんらしいことではあるのだろうが。


 悲しみに暮れるフィルを、急激な睡魔が襲う。

 おそらく、体の年齢など体力は赤ん坊なのだろう。


「見て、フィルったら眠そうにしてる。きっとあなたに振り回されて疲れちゃったのよ」


「何言ってんだ。俺らの馬鹿みたいな会話に疲れたんだよ。おまえは時々とてつもないこと言い出すからね」


「ふふふ、あなたこそ何言ってるのよ。私たち、至って普通の会話してたわよ?」


 なんて冗談めいたように笑う母だが、二人の会話は冗談じゃないレベルである。

 頼むから自覚してくれ、とつい先ほど出会ったばかりの神に祈りを捧げる。

 今まで一度だって神に頼ったことはなかったフィルだが、まさかこんなことで祈ることになるとは誰が思っただろう。

 

 依然楽しそうに会話する声を子守唄に、フィルは意識を手放す。




 ――どうか、晴れやかな未来が待っていることを願って。

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