第2話 目は口ほどに物を言い、口は災いの元

 いつからか耳に刺さる爆音が聞こえなくなり少年は自らの死を自覚した。

 そのことにどこか安堵を覚えるが、置いてきた未練を思い出してしまい憂鬱な気分へ逆戻り。情緒は忙しかった。


 しかし、ふと少年は自分の置かれている状況に気が付く。


 体の感覚はあやふやで、果たしてあるかどうかも定かではない。

 目を開けているのさえ分からないが、しかし目の前は真っ白。体験したことのない、不思議な感覚であった。


 "死"というものを知らないわけだから、今この状態が"死"なのかもしれないが、ならば由々しき事態である。


 永遠に意識だけが存在し、特に終わりは見えない。

 視界に変化はなく、身体を動かせるわけでもない。

 できることといえば後悔ぐらいで、それにも飽きた日にはどこぞの最強生物よろしく考えるのをやめなければいけないのか、とこれ以上ない不安に駆られていた。


 すると、


「――ッ!!」


 突然と忽然と、目の前に金髪の女性が現れたのだった。

 しかも、その人はただの女性ではない。


 この世の美という美を詰め込み、そして煮詰めたような美貌。彼女が外を歩けば、性別にかかわらず目を奪っていたことだろう。


 当然、驚きは凄まじく何か声でも出るかと思ったが、どうやら声帯もないらしく声は出ない。

 一体この人は誰なんだと逡巡するも、この状況に適した人物は一人しか思い浮かばなかった。


 そう――


「ちゃー、美の神様でーす」


 ――とても軽いノリで名乗ったその人物を、少年は神であると認めなくはなかった。予想は合っていたが、人物像は擦りもしていない。


 こんなチャラい神に自分の行く末を決められるなんてたまったもんじゃない。

 声帯があったら文句の一つでも言ってやるところだ。


「あ、忘れてた忘れてた、コホン。――おお、暗殺者よ!死んでしまうとは情けない!」


 今度は威厳たっぷりの声で、どこかで聞いたことがあるようなセリフを高らかに言い放ったのだった。


 あり得ないこと続きで一周回って得ていた冷静さも、この予想外な発言の前には無力。冷静でいられるわけがなかった。

 加えて、前世の知識のせいで変な方向へテンションが上がっているのも感じる。

 しかし、


「数多くの人を殺め、数えきれないほどの罪を犯した君の罪は重い!地獄へと行き、相応の苦しみを味わうべきである!」


 そんなことを聞けば、上がりかけていたテンションも下がり切りすっかり冷静になる。

 たしかにそうなるだろうと思ってはいたが、実際に自分が地獄行きであると告げられると中々くるものがある。心のどこかでお情けを期待していた証拠だ。


「――しかし!君には情状酌量の余地がある!一つの条件を破らずにいられたら地獄行きは取り止めだ!」


「えっ?……てか声出たし」


 気付けば出せるようになっていた声で少年は驚きを表す。


 ただ、今は声が出たことなんかより情状酌量の方に興味津々。

 条件があるとはいえ、頑張らない理由がないだろう。


 一体どんな条件が出るのか気になって仕方がない少年だが、当の神はというと、


「……ふー。この威厳を保つ為のしきたり、いい加減無くした方かいいよー。こう、時代に合ってないんだよね」


 先程までの凛々しい女性はどこへやら。いつからあったのか分からない椅子に足を崩して座り込む自称神。しきたりによって得た威厳はさっそく崩れ去った。


 カケラも興味のない愚痴をこぼしているが、それを咎める勇気は少年にない。

 どうやって話を戻そうか考えるが、それは必要のないことだった。

 

「あー、ごめんごめん。関係ない話しちゃったね。心配しないでも話は戻すよ」


「は、はぁ……」


「それでねー、肝心の条件だけど――」


 神がそう言うと少年は息を呑む。とても大事な瞬間だ。

 苦労するものでも苦痛なものでも無理難題でも、やらなければ文字通り地獄を見ることになる。それだけはなんとしても避けたかった。

 少年は自然と神の言葉に全神経を向ける。

 

「――君のいた世界とは違う世界、いわゆる異世界に生まれなおし、"不殺生"で寿命を迎えること。それだけだよ」


「……え?……ん?」


 ――聞こえた神の言葉には夢が一杯に詰まっていて、とても厳しい条件とは思えないものだった。


 このどこかで読んだことのありそうな状況。

 少し憧れていた夢のある設定。

 それらを実感し、またしても少年の感情が高ぶりかけた。


「ふふ、随分と嬉しそうだけどまだ喜ぶのは早いよ。知らなかったって言われない為に釘打っておくけど、この殺さないっていうのは言葉通りで本当に誰も殺しちゃいけないからね」


「……えーと?」


「つまり、よく言う正当防衛とか、大事な人が人質に取られて守る為に仕方のない殺生とか。君がする殺しがどれほど正当化されようとも条件は破られたものとなる。つまり今度こそ、君に情状酌量はなしってこと」


「あぁ……そういう」


 深い納得と共に、まあそりゃそうかと心の底では若干の落胆。

 しかしそれでも、きっと大いに譲歩してくれたことだろうと少年は尊敬の念を送った。


 今まで一度だって神など信仰してこなかった少年だが流石に本家本元。たった数分で信者が出来上がっている。


「まあまあ、そんなに感謝することでもないよ。何百年かに一度はこういうこともあるんだし」


「いやいや……ん?口出てた?」


何考えてるかなんて分かるよー。私、この通り神だからさ」


 そう言って神はドヤッ、と自慢げな顔を見せる。

 神の威圧感なんてそうそう崩れるものでもないが、こうもおちゃらけた様子を見せられるとそうもいかない。いつの間にか少年はすっかり緊張感を無くしていた。

 だからか、いつの間にか軽くなった口が神とコミュニケーションを取ろうとして。



「やっぱ長年神様やってると――」「いや長年なんかやってないから」



 ――色々経験あるんですね、なんて続けようとした少年の言葉は神によって遮られた。

 それも痛く食い気味に。


 困惑している少年を置いて神は続ける。


「全然長年やってないからね?まだまだ新人だし、十分若いから」

 

「……あっ」


 神なのに歳気にしてるんだ、と少年が気付いたのはすぐだった。

 そういえば、自分を"美の神様"などと名乗っていたか。


 別に誰がどんなコンプレックスを持っていようが特段気にしないが、"偉大である神様"が年齢を気にしているというのは少年にとってはなかなか衝撃的なことで。


 だからか、後ろめたさを感じながらもどのくらいの歳なんだろうと。

 こう見えて実はとてつもない"オバさん"なのではないかと。それこそ、神界隈では一番年上なんじゃないかと、なんとも意地の悪い邪推もしてしまう。



 ――つい先程、神が言っていたことをすっかり忘れて。



「ねぇねえ、今何考えてたの?随分楽しそうじゃん。"お姉さん"にも教えてよ」



「ひぇっ」

 

 まるで女の子のような悲鳴を上げ、ひどく冷め切った声で視線を戻せば、先程まで優しさで溢れていた顔はすっかり無表情で染まっていた。

 少年には目を見て相手の考えを見るなんて芸当できない。しかし、今の無表情の女神の目を見れば、激怒していることなんて考えるまでもなく分かってしまう。


 少年は知っている、普段優しい人が怒ればどれほど恐ろしいかを。

 一度友人を激怒させたことは思い出したくもない記憶となっている。


 きっとこの神も例外ではない。それどころか、友人以上である可能性だって考えられる。


 謝罪はいつだって先手必勝。

 すぐ謝れば許してくれるかもしれない、と少年は口を開こうとするが、


「――まあいいよ、冗談冗談」


「は……はい……」


 謝ろうとした時には既にニコニコと笑顔を浮かべていて、少年の中途半端な相打ちでその場は収まってしまう。気持ちは不完全に燃焼していて、鎮火したとは思えない。

 ただ、掘り返すことも躊躇われて気づけば何も言えなくなっていた。


 しばらくの間、気まずい空気がその場を包むが、「そういえば」と神は前置きし、


「話が途切れちゃったけど、異世界っていうのは魔族とか魔物とか魔法とか、概ね君が想像している世界ってことで間違いないよ。……全く、誰が君の世界でこれ広めたんだろうね?」


「ま、まじですか?……ていうか広めたって?」


「あ、つい口が。忘れて忘れて。もう君には関係のないことだよ」


 ――魔法。

 何か意味深な一文も聞こえたが、そんなことよりも魔法である。

 少年にとっては文字通り魔法の言葉で、テンションは再度順調に壊れ始めた。

 

「――あ、じゃあ君の世界で流行ってる転生特典みたいなやつ、私もやってあげようじゃん!」


「え、ほんとうですか?!」


 これほど幸せなことがあっていいのか。少年はあるか分からない首を全力で縦に振り答える。

 神は少年の返答をとびきりの笑顔で聞き入れると、るんるんと少年へ近づき自らの手を向けた。


「じゃあいくよ?痛くも痒くもないからねー」


 神がそう言うと、向けられた手の前に忽然と幾何学模様で一杯の魔法陣が浮かぶ。

 そして魔法陣が淡く優しい光で輝くと、少年を心地のいい空気で包みこんだ。


 祝福なんて概念で感じとれるものではないと思っていたが、今体験しているこれは祝福以外の何物でもない。時々静電気のようなピリピリとした感触もあったが、それすらもこの心地良さを前にすればいい刺激であった。


 時間にして三十秒ほど。

 少年にとってはその極楽な時間は、神が手を下げることにより終わりを告げる。

 神は手を下ろすと、へたり込むように座った。


「ふー。疲れたー」


「そ、それで……どんな能力を……?」


 少年は溢れ出る高揚感や期待感を必死に抑えながら、一見冷静な雰囲気で問う。

 しかし、ないはずの手は力一杯握りしめているし、固唾はこれでもかというほど呑んでいる。側から見れば期待しているのが丸わかりであった。


 神は横目で少年を見やると、これまた一杯の笑顔で口を開く。


「いやー、なんか気分があれだったからさ、二個も授けちゃったよー。サービスし過ぎで後で怒られちゃうね」


「え、もしかして神様?いや神様でしたね、さすがです神様」


「今更褒めたってなにも出ないよー?」


 なんては言っているが、案外褒められることには耐性がないのかデレデレと照れている。やはり神様らしくはない。


「全くもう調子いいんだから……一つ目は強化系の魔法だよ。短い間一騎当千の力を得ることができる。けど、使用中はどんどん体に負荷が掛かってあまり長時間使用していると死んじゃうことと、段々と自我を失ってっちゃう一長一短な魔法かな」


「捨て身の魔法……なんだその夢の塊……!」


 説明だけ聞いてすっかり感慨に浸り切る少年。

 案外ロマンな物は好きなのか、一見デメリットが目立つ魔法なのにも関わらず好感触らしい。



 ――しかし、「あっ」と。

 いかにもうっかりとしてた、というような音が神から漏れた。


「ごめんごめん。その魔法、普通は自分の意思で解呪できるんだけど……ちょっとミスって――使用中にと解呪できないようにしちゃったんだよね」


「……ん?」


 神はてへっ、とまるで煽るように手を頭に当てる。


 ――いや、これは煽りである。明らかに絶対に。

 証拠に神の目は悪戯をする童子のようで、だれが見ても分かるぐらい今の状況を愉しんでいる。


 何故そんなことを、なんて疑問は数分前のやらかしを思い出し納得してしまう。

 それほどまでに年齢は地雷だったというのか、それともおばさまと口にしたのがよくなかったのか。あるいはその両方か。


 あからさますぎる報復にガタッと崩れる少年。

 狭すぎる神の器を恨む。きっと、コップ一杯の水だって溢れるほど狭い。

 

 しかし、それでも諦め切れない少年は声を震わせながら、


「ほ、他に解除する手段はないんですか……死にそうになったら勝手にとか……」


 と、土下座の姿勢で懇願する。が、


「ないよ。気を失ったら解呪されるけど、この魔法使ってる時に気を失うことなんてそうそうないしね」


「グハッ……!」


 と、ばっさり切り捨てられるのだった。

 見事少年を意気消沈させたところで、神はニコニコと笑顔を向けた。なんと意地の悪い笑顔なのだろうか。

 

「ま、まあ、一個目は自業自得というこで……その、二個目は?」


「あれ、結構切り替えが早いんだ。まったく、仕方ないなー」


 神は少年のあっさりとした態度が面白くなかったのか若干不貞腐れる。

 そしてこの瞬間、少年にほんの僅かな希望が灯った。


 たしかに、一つ目は自業自得の仕方のない事故だった。しかし二つ目はどうか。

 いくらやり返したと言っても、情状酌量をくれた優しく慈悲深い神であるのは変わりないのだ。


 そう、一つ目は神の茶目っ気なのだ。いくらなんでも二つ目はまともな――



「二つ目は君が人を殺した瞬間、君自身も死ぬ呪いだよ。ちなみに死ぬときは結構……いやかなり苦しい」



「……いやなんでだよ!てか呪いって言っちゃってるし!そんな年気にしてんの?!せめて安楽死にしてくれ、ってなんで安楽死要求してんだよ俺は?!」


 純度百パーセントの嫌がらせに少年は声を張り上げる。

 しかし当の神はというと、先ほどより何倍も意地の悪い笑顔をしていた。

 これは神がしていい顔か。邪神と言われれば納得してしまうレベルである。


「まあなに、人を殺しちゃったらそのまま地獄まで行けるようにしてあげたんだよ。ほらよかったね、すぐ地獄にいけるよ」


「あ?!ふざけんじゃねえよ!てか人殺さねえし!意地でも殺さねえから!」


「そうそう、その意気で頑張ってよ」


 神は少年をあっさりあしらうと、その苛立ちを増長させるかのように笑っている。その余裕の笑みに少年の堪忍袋的なものが切れた。


 しかし、いざ怒号を上げると思えたその時――少年をとてつもない睡魔が襲う。

 それは抗いようのないもので、存在するか分からない瞼が急激に重くなった。


「お、もう時間なんだ。殺さないように、殺されないように頑張ってねー」


「こっちはまだ……言いたいことが……」


「――あ、そういえば天国は考えれる限り最高の場所なんだよねー。無事来れるといいねー」

 

「いまそれ言う……?ほんと、最後まで……」


 結局、終始手玉に取られ続け遊ばれただけ。

 少々失言――いや言葉は発していなかった。少し悪いことを考えただけだ。


 たったそれだけの業で自分を煽り散らかした神を心の底から睨んでいると、


「あぁ、これ忘れるところだった――」


 神はうっかりといった様に頭を叩く。

 そして、胸の前で手を合わせて目を瞑った。


「――君に少しの奇跡と、幸福を」


 神は神らしいよく分からない祈りを呟いた。

 これほど散々な仕打ちで幸福を願われたって、間違っても信仰など生まれない。生まれるわけがない。


 最後にありったけの罵詈雑言を吐いてやろうかと思ったが、しかし意識は持たず、少年は意識を手放した。

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