世界屈指の人殺し、お人好しで人恋し

@mono258

第1話 最期に見るのは月並みな夢

 ぼんやりとする意識の外はうるさい。


 爆竹のような爆音が鳴り響いている。


 音が一つ鳴るごとに身体を貫くような激痛も走る。



 ――そうだ。もう死ぬんだった。



 それらが"銃"によるものだと、自分は撃たれていたのだと。

 一瞬だって忘れるはずのないことを思い出す。


 既に真っ赤な視界に映るは数十の光の点滅。

 その全てが命を奪いゆるものだ。

 

 徐々に意識は薄れていき視界が暗くなる頃、幼いときの記憶が蘇る。 

 続け様に中学、高校、大学時代とあまりにも内容の薄い人生が流れた。


 これらは所謂、走馬灯と呼ばれるものなのだろう。

 命の灯が残り少ないことを告げているのだ。



 ――ああ、良いことなんてなかったし、してこなかった一生だった。


 けど、贅沢なことは言わないから、


 せめてちょっとぐらいは、普通の幸せが――


――――――


 ありきたりな大学の閑散とした休憩室。対照的な二人の学生が駄弁っていた。


 片方はこの世の終わりを見たかのような腐りきった目をしていて、もう片方の学生は人生を謳歌しているのが見て分かるぐらい明朗快活。

 今も目どころか心根まで腐っていそうな学生に明るく話題を提供していた。


「そういえばあのゲームやった?ていうか買った?」


「……そんな期待してる目向けてるとこ悪いけど、やってないし買ってもない」


「ええ!あれ絶対面白いって言ってたじゃん!無駄なゲーム買わせたわけ!?」


「いや俺、一ミリも買うって言ってないから。早とちりしたのそっちなんですけど」


「なんだよその言い草!めちゃくちゃ買う目してたじゃん!つまりそれは嘘ってことになるよ?!」


「なんだお前」


 心底どうでもいい雑談は際限なく広がっていく。

 この光景は毎日のように繰り広げられており、どちらかに用事がないときは止めどなく続く。もし用事があっても、それに間に合うギリギリまで談笑は終わらなかった。


「――それ何読んでるの?また新しいラノベ?」


「そうだけど」


「いいよねぇ、異世界モノ!魔法とか夢あるよね!一回でいいから使ってみたいなあ」


「……けどさぁ、異世界行くのに八割は死んでるんだよな。魔法の為だけに死ぬなんて嫌じゃね」


「おいおい、君はそれでもラノベを読んでいる健全な男子学生かい?一度は異世界を夢見るのが男子学生読者の義務じゃないのかい?!」


 そう叫ぶと席を立ち机に足を乗せる。まるで何かの演説であった。

 なんとも破天荒な行為だが周りに人がいないからこそ許される振る舞いである。テンションがぶっ壊れているというか、まあまあ騒がしい。

 そんな様子をもう一人の学生は呆れたように見ていた。


「してみたいじゃん異世界転生!憧れてるんじゃ無双人生!――あぁ周りからチヤホヤされてみたいなぁ!」


「うん、結局それですね。汚れ切った欲望が透けて見えてる見えてる」


「うるせい!健全な承認欲求だい!」


 シクシクと泣き真似をし始めた学生を見て、興味の無さそうにしていた学生は本で口元を隠す。その姿は可愛げなんかより隠しきれない芸人魂が溢れている。

 

 そして明るい学生は泣くフリにシフトしたせいで気付けなかったが、


 ――今まで無愛想に見えた学生の口元は、心底楽しげに綻んでいた。




 くだらなくも飽きない時間を過ごしていると、本を読んでいた学生は後ろを向き窓の外を確認する。

 時間が流れるのは早いもので、ついさっきまで青かった空はいつの間にか赤く染まり、とても綺麗な夕日が堂々と輝いていた。


 それを見た学生は――もう一人にバレない位置で顔を歪ませる。苦虫を嚙み潰したような顔、という表現では足りない。

 もっと苦々しい、この世の悪という悪をすりつぶしたものを嚙み砕いたといっても過言ではない。

 

 しかし、瞬きの内に元の暗い表情に戻ると、まるで何もなかったかのように学生に向き直り席を立った。


「……ごめん、今日用事あったの忘れてた。先帰るわ」


「そう……その、大丈夫……?なんか顔色悪いけど」


「あぁ……心配すんな、大丈夫だ」


「そう?気をつけなよ?」


「言われなくても気をつけるよ。また明日」


 そう言いながら手を振り、休憩所を出て行く。

 まさか顔色を指摘されるとは思っていなかった学生の鼓動は早い。吃らず焦らず、平静を保って誤魔化せたのはそこそこの奇跡であった。



 階段を降りて大学を出た頃、貼り付けた表情が崩れる。

 そして家とは反対の方は体を向けた。帰宅ではない。

 まるで移動を拒むように重くなった足を無理矢理持ち上げ、しかし、一歩進むごとに肩に重苦しい何かがのしかかった。

 

 憂鬱とは今まさにこのような心境を言うのだろう、と学生は何度目か分からないため息を吐いた。




 いくつか角を曲がると、人通りの少ない閑散とした通りへと辿り着く。

 周りを見ても散歩中とも見える高齢者が数人だけ。およそ人が住んでいるとは思えない場所で、人がいること自体が不自然な場所。

 そんな場所を少年は淀みなく進んでいった。


 通りをしばらく進み、少年はある路地裏へと入り込む。

 えらく暗い、細い道。少なくとも人が通ることは想定されていない。

 しかしそんな通路を慣れた様子で進むと、やけに広い空間へと出る。


 そこには――世間一般では近寄ってはいけない人と形容できる男達がたむろしていた。

 不良学生やそこらのチンピラなんかとレベルが違う。ヤの付く人か、きっとそれ以上である。

 そして、その全員が少年へと目を向けた。


「おいお前――」


 口を開いたのは一人覆面を被った大男だ。野太い声をかけると共に近寄り、距離を詰めていく。

 客観的に見れば、形容し難い残虐なことが起こってしまうのが容易に察せられた。


 しかし、


「――その時間ギリギリに来るのやめよーぜ?」


「嫌だわ、間に合ってんだからいいだろ」

 

 覆面は腕を組みため息を吐くと、やれやれといった様子で少年の肩を叩く。その関係はまるで親と子、ただし絶賛反抗期中。

 そんな二人の関係性は不明だが長い付き合いであるのが察せられるほどラフなやり取りを交わしていた。


「いいか?社会は五分前行動が当たり前なんだぞ?」


「うるさい、お前が社会を語るな。この社会のカスがよ」


「はぁー、いつからこんな反抗的になったのやら」


「一度だって従順だった記憶がないわ」


 そんな軽口を言い合いながら、少年は着ていた服を脱ぎ、奥に置いてある黒の割合が多い服を着ていく。あらゆるところに収納できる所があり、しかし動きやすそうな服だ。


 パッと着替えは終わり、次は隣に置いてあったなんとも物騒なを色々なところへ収納していった。

 この国では持っているだけで犯罪になる、他人の命を奪いゆるモノ達。それらを随分と慣れた手つきで様々な場所にしまっていく。


「――それでだな、今回のは大物だぞ。聞いて驚け、誰もが知ってるあの大企業の社長だ」


 覆面の男が挙げた会社は誰もが一度は聞いたことのある名前だった。

 その社長が”標的”と呼ばれているのはあまりよろしくないだろう。人がなるのは誰かの目標であって標的などではない。


 そんな覆面の恐ろし気な話を少年はつまらなそうに聞いていた。


「あ、だからいつもより難関ってわけではないからな。ガバガバの警備を抜けて、部屋にいる標的を消して終わり。全く、平和なこの国に感謝だな」


「感謝するとこ最悪すぎだろ。一回死んどけって」


 少年は辛辣な言葉と共に親指を下に向ける。

 覆面はそれを見てガヤガヤと騒ぎ出す片鱗を見せるが、全て言わせる前に少年は、


「雑談飽きたわ、じゃあな」


 と、背を向けるのだ。

 先ほどまで騒がしかった覆面はスッと興奮を収める。


「ったく……かわいかねえな」


「うるせえ、死ね」


「お前なぁ……」


 そんな最後の小言も聞かぬ内に、少年はそそくさと細い道を通り抜けていくのだった。




 足取りが重いどころか、今の少年は全身が鉛のように重い。

 しかし、なんとも非情なことに時間と足は止まってくれず、気づけば目的地へと辿り着いてしまう。


 そして、その高いビルを見て少年はまたもため息をこぼす。


 よくため息は幸せを逃す、とか言うが、果たして少年に逃がせるだけの幸せがあるのかは不明である。それほど息を吸ってはすべてため息に変換して吐き出しているのだ。


 逃す幸せがなければ、ため息は何を逃すのだろう。

 酸素か、鬱憤か。はたまた生気か。

 なんにせよ、ため息が不遇の象徴なのは間違いないか。


「まじでガバガバな警備……ウェアイズ危機感」


 ブツブツと独り言を呟きながら、至って順調にビルの中を進む。

 決して無駄な犠牲を出さぬようにと、慎重に進む。


「――ここか」


 呟きながら、ほぼ最上階の一室、目的の場所へと辿り着く。


 少年はできるだけ頭を空っぽにして深呼吸をする。

 深く吸って浅く吐き、今から起こる――いや、起こす惨事に備える。

 

「よし……」


 心も体も落ち着き

 いざドアを蹴り破ろうとしたその瞬間――


「――しねぇぇえええ!!」


 背後から物騒な大声と共にが振るわれる。


「ッ!?」

 

 驚きながらも間一髪、その大雑把な不意打ちを避ける。


 そして、スムーズな動きでナイフを取り出し、物騒な輩に目を向けた。

 すると、目を覆いたくなる現実が視界に入るのだ。


「ちょっと多くない……?」


 今攻撃をしてきた男の後ろには、数えるのが億劫になるほど人が立っていた。

 しかも、その全ては明らかに警備員ではない。おそらく、少年と同業者といえる人達だろう。


「――よそ見してんじゃねえ!」

 

「ッ!!」


 そんな驚愕の事実に一瞬怯んでしまったのが命取り。少年はすぐ近くにいた男の足払いをもろに食らった。


 完全に体が宙に浮き、襲撃者は止めを刺そうと既にナイフを振り下げている。


 その光景に、ここにいた誰もが呆気ない終幕を確信する。

 もはや少年に挽回の余地はなく、これで終わりであると、

 数舜後には少年の身体をナイフが貫いているだろうと、



 ――しかし、少年は空中で体を捻ると、自らに向かってくるナイフにナイフを当てた。



「いっ!?」


 男は予想外の衝撃に武器を手から離す。

 そして生まれる大き過ぎる隙。

 少年は着地と共にナイフを男の首に当てて、


 ――そのまま振るうのだ。


「ぐっ……あ……はっ」


 男は首から大量の血を吹き出し、そして数秒の内に絶命する。


 しばらくの間、廊下を沈黙が包んだ。

 誰もが呆然と血を吹いて倒れた男を見ていた。

 その男のあっけない終わりを理解できないでいた。


 ただ、その沈黙を破るのは少年だ。


「……なに今の、もう二度とできる気しないんだけど」


 そんな気の抜けた……いや、ふざけた言葉で目が覚めたのか、後ろで突っ立っていただけの群衆は一斉に銃を構えた。


 少年はそれを目つきの悪い目で眺めている。

 自らの死を覚悟したようにも見え、抵抗をする気概も感じられない。

 襲撃者達は余裕を取り戻しながら、今は今かと発砲の合図を待っている。

 

 しかし、


「……よっこらせ」


 少年は近くに転がっている死体を掴むと、盾のように構えた。

 何かと思えば、銃弾を死体で受け止め集団との距離を詰めるらしい。


 もちろん、この死体だけで耐え切れるかは分からないし、そんなことは少年も感じている。


「――まあ、どうせ絶望的だし。これぐらい楽観的にな」


 そんな呟きと共に少年は走り出した。

 続け様に、耳に刺さる銃声が鳴る。

 少年の腕に貫通しなかった銃弾達の衝撃がのしかかる。


 けれどそんなことは全て些細なことだ。

 そんなことで立ち止まっては、怯んではいけない。


「うてええぇぇえ!!」


 いくら弾幕を張ろうとも、少年という脅威は一向に止まらない。

 そんな恐怖を駆り立てる状況は、圧倒的に数で勝っている男達を焦らせるには十分で。

 引き金に掛かる力は徐々に強くなり、それほど小さくない的なのにも関わらず外す奴も出てくる。


「――ヒェ」


 誰かが悲痛な声を上げると共に、少年は集団の中に体を投げ込む。

 そこからは一方的な展開だった。



 仲間に当たるからと撃つのを躊躇いと死ぬ。



 躊躇ってる場合じゃないと、引き金を引いても死ぬ。



 遠くから弾を当てようと慎重に狙っていると死に、

 大勢で囲って接近しても死ぬ。



 特に何か起こるわけでもなく、銃声や叫び声でうるさかった廊下はいつしか静かになっていた。


「――……」


 血と硝煙の匂いが充満している廊下にポツンと一人、少年は立ち尽くしていた。

 何も考えずボケーっと、ただ自分が生き残ったという事実を認識していた。


「なんで、生き残れたんだ、あれ……」


 おそらく、人生で最大の危機を乗り越えた瞬間であろう。

 濁った空気をゆっくりと吸い、自らを落ち着かせようとする。肺の中の空気が入れ替わっても、冷静になれる自信はなかったが。


 ただ、そんな平穏も長くは持たない。ドタドタと大勢の足音が近づいてくるのが聞こえる。今度こそは本物の警備員だろうか。


「流石に騒ぎすぎた……」


 少年は足音のする方と反対へ走り出す。あれほどの死体があれば時間は十分に稼げることだろうし、逃げる時間も確保できることだろうと出口の方へ急ぐのだ。




 ――などと楽観的に見ていたが、予想に反して足音は迷うことなく追って来ていた。


 あの数の死体に怯みもせずに走れるなんて不自然極まりない。

 が、だからといって止まるわけにもいかず、少年は廊下を進むしかない。


「……は?なんで?」


 だが、数秒もしない内に足を止める。目の前を見れば行き止まり、止まらざるを得ない。

 仕方ない、と少年が取り出すのは拳銃。

 少し脅かしてその隙に逃げよう、短絡的にそう考えたのだ。


 できるだけ足に当たるように、致命傷にならぬように引き金を引く。

 銃特有の爆音が辺りに響いた。


「――いやだからなんで?」

 

 しかし、何かがおかしい。

 こちらに走ってくる足音が止まることはなく、鳴らした銃声もどこか軽く聞こえる。

 これでもかと、少年はデタラメに引き金を引くも、


「えぇ……」

 

 痛みに悶える絶叫や、銃に怯えるどよめきすら聞こえない。

 ただ空虚に銃声が鳴り響くだけだ。


 そして、そうこうしている内に足音を鳴らしていた集団は目の前まで迫っていたのだった。


「……!」


 集団の先頭を見て少年は目を見開く。

 何しろ――そいつは先ほどまで計画は説明していただったのだ。

 よく見れば、周りの取り巻きも顔見知りが多い。かつては一緒に仕事をした奴らも散見される。


「……なんだよ、どうしてここに……」


「んー、まあ、有り体に言えば……裏切り?罠?まあ、そんなところだ」


 少年の素朴な疑問に覆面男は淡々と答えた。

 けれど、こんな返答は分かりきっていたことで、少年には何の驚きもない。

 自分がロクな死に方をしないことなんか、初めて人を殺した時から知っていた。


「ああ、ちなみにその銃は空砲、もうどんなことも無駄な足掻きだ。長い付き合いだったろ?苦労かけさせないでくれよ、大人しく死んでくれや」


「……なんで、いきなり」


「ああ、理由か?そんなん……お前が異常だからに決まってんだろ。さっきの襲撃はな、生き残っちゃいけなかったんだよ」


「……」


 覆面のせいで表情は分からない。ただ、その声には一切の感情を感じられなかった。

 とても長年共に仕事をしてきたとは思えない。心の底から冷え切っていて冷酷だ。


 そんな感情のない声で男は続ける。


「いやそりゃ、最初はいい拾い物をしたと思ったさ。ちょっと教えたらあっという間に殺し方覚えて、少し鍛えたら呆気なくウチ一番の殺し屋をボコボコにして。……ありゃ一生忘れねえな。めちゃくちゃ愉快だったわ。アイツ好きじゃなかったし」


「なら、そのまま生かしとけよ。俺は働き者だっただろ」


「出る杭は打たれるって言うだろ。あんま働き者でもな、上でふんぞり返ってる奴らは恐怖感じちまうんだよ。いつかお前に首切られるのは自分なんじゃねーのかって。こればっかりはしゃーねえな、悪人の性だよ」


 声を少し崩して呆れた風に呟くが、肝心の少年は何か生き残る道はないかと周りを見ていて全く聞いていない。

 相手との距離、自分の持っている武器。ほんの微かな可能性でも検討する。


 元々、こんな掛け合いに時間稼ぎ以上の意味なんてないのだ。

 少年が覆面にどんな感情を持っていようが、覆面が少年にどんな感情を持っていようが、この場において一切の意味がない。


「……はぁ」

 

 ――ため息を吐いた少年はガラクタである銃を投げ捨てその場に座り込んだ。

 その姿には完璧な降参が見て取れる。


 それもそのはず。


 周りは完全に囲まれていて相手は完全武装。

 対して自分が持っているのは空砲とナイフ。

 十分過ぎるほどの距離もあり近づくことすらできそうにない。

 

 ――つまり詰んでいて、もう生き残ることはできそうになかった。


「まあ、なんだ……最後に言っておきたいことはあるか?特別に聞いてやるよ」


「……なら、一つだけ」


 少年は俯きながら遺言となりうる言葉を紡ぐ。

 

「最後だから言うけどさ、お前との日々は――結構楽しかった」


「……は?」


「たまにする言い合いは何故か心が落ち着いたし、まだ周りが俺を敬遠してた時覚えてるか?一番に突っかかって来たときはさ……本当は嬉しかった。色々面倒見てくれるのがお前で、本当に良かったと思う」


 少年は声を震わせながら覆面との思い出を語っていく。

 初めは覆面越しでも分かるぐらい困惑していた男も、途中からは銃を構える手が尋常じゃないぐらい震え出した。


 そして、馴れ初めから今現在に至るまで、つらつらと覆面との思い出を語り終えると少年は唐突に立ち上がる。

 

「――まあ、なんだかんだ後悔のない人生だったのは、お前のおかげってことだよ」


「なっ、なんだよ、最期の最期に情に訴えるって作戦か?悪いがそんなの効かないぜ、俺はお前に……なんの情も無かったからな」


 そう言う覆面は涙声で、見えている目からは止めどなく水を溢れさせている。

 もしこれが情に訴える作戦ならばこれ以上ない大成功以外のなんでもない。たとえ結果が変わらずとも成果は出ている。


「違うよ、本心だ。本当にありがとな」


「……クソが。ああ、最期、最期だからな、俺も隠さねえ!いいか、俺は――」


 少年に引っ張られ、覆面が思い出話でも始めようとしたその時――少年はあまりにもスムーズに”何か”を投げつける。



 その鋭い"何か"は綺麗な軌道を描いて覆面へと直進する。

 誰にとっても予想外な行動。

 当然、覆面が避けられるはずもなく、できることと言えばそれをただ見ることだけ。


 

「――は?」



 次の瞬間には――今夜多くの血を浴びたナイフが、覆面の頭に深く深く突き刺さっていたのだった。


 

「ッ……な、んで……ぐはッ」

 

 状況を上手く飲み込めないまま、覆面はその場に倒れる。

 周りに控えていた人間も、呆然とその信じられない光景を見ていた。


 次に自然と注目を集めるのは実行犯である少年だ。数秒もすれば、何も言わない少年に全ての視線が集まる。

 そして、


「……みろ」


 そんな、とても小さい声が少年から漏れた。

 かと思うと――


「ざまぁみろバーカ!誰がお前なんかに感謝すんだよ!そもそも面倒なんか見られてねえし、毎日毎日ダル絡みしてきてめっちゃウザかったから!お前との良い思い出なんか一ミリもねえわ!何泣きそうになってんだこのアホが!!」


 堰を切ったように罵詈雑言が溢れる。

 もう生き残る道がない少年の最初で最後の抵抗は見事成功。心底スッキリした顔をして叫び続ける。


「なにが後悔のない人生だ!お前らに拾われてから後悔しかねえわ!!それでなんだよ!死にたくないから仕方なく従ってやってたのに結局これかよ!ほんといい加減にしろよ?!誰もお前らの首なんか興味ないんだわ!この自意識過剰共が!!」


 しかし、何が起こったか理解できていなかった周りの奴らは次々と銃を構えだし、発砲の合図を待っていた。



 ――ここまであからさまに"死"が目前にあると逆に非現実的で。

 残された一瞬、少年はたった一人の友人のことを想う。


 明日から自分がいないで大丈夫か。

 新作のゲームを一緒にやりたかった。

 本の感想を伝えたかった。

 まだ、話したいことは数えられないぐらいある。


「……はぁ、死にたくないなあ」


 そんなことをぽつりと零す。初めて言葉にした願望。


 しかし現実というものは残酷で、

 集団から発砲の合図が聞こえた。


 死ぬならどうか天国に、なんて祈っても血に汚れた手を見てそれは無理だと笑いが零れる。

 もしあの世があるならば、考慮の余地なく地獄に決まっていた。



 そうして、聴き慣れた爆音を聞きながら少年は命を手放した――

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