第106話 狂気の支配者

 金魚への餌付けは数時間に及んだ。

 刃を口の中に正確に突っ込むのだけでもかなり大変だというのに、これでもかと執拗に噛みついてきたため、かなり精神的な疲労が溜まっていた。

 だが、ようやく全ての個体を懐かせることに成功した。そのお陰で、牙を剥き出しにして噛みつかれることは無くなった。


「でもドレスを食べるのはやめないのね……」

 私の周りを漂うのは良いんだけど、ちょっとずつ布を食べていくのは止めてくれないかな。自動で直っていくとはいえ。


「それで、狂気の支配者様? これでご満足頂けました?」

「はぁ……。妾が『無事で終わったら』と言った手前、五体満足で終わったんじゃから否とは言えんわ」


 『闇の海』から狂気の支配者が出てくる。


「ところでこれどうにかして頂けませんか?」

「なんじゃ。折角懐いたのに引き離すというのか」

「これ懐いてるんですか?」

「見て分からんか。明らかに好かれておるじゃろ、ずっと餌を生み出せる相手として」

「そんな所だとは思いました……。ところでこれの餌って何なんでしょうか?」

「気付いとらんかったのか。こやつらの主食なら『人間性』じゃぞ?」


 人間性、即ち人間としての本性、人間らしさのこと。それが餌とは、支配者の出した生物に相応しい異常さだと思わずため息が出た。


「人間性ですか……。それって人間とは何が違うんでしょうか」

「普通人間以外のものが人間性なんて持たんから、主食が人間と言っても間違いではないの。で、ただの武器と服が十分な人間性を持っておるとは思えんが……。一体何なんじゃそれは」


 そういえばドレスには私と共に成長する、双剣には魂に染まるなんて効果があったね。それで私の人間性がこれにも含まれてる……ってことかな?


「私の魂が入ってるからだと思いますが、詳しくは分からないんですよね」

「ふむ……なら近くで見せてくれんかの」

「はい、構いませんよ」


 狂気の支配者に近付いてドレスを見せ、双剣を手渡す。しばらく黙って双剣を見ていた後、今度はこちらをじっと見ていたかと思えば、突然口を開いた。


「なんじゃ、脱がんのか」

「……何を言っているんですか。こんな所で脱ぐ訳無いでしょう」

「こんな所とは、ここの支配者である妾に向かって酷い言い草じゃの」

「そんな言い草をさせたのは狂気の支配者様でしょう」

「というかさっきから呼び名が長いわ。ふむ……何が良いかの……」


 少し考え込んだ末、自身の呼び名を思い付いたらしい。


「『トゥレラ』でよかろう。今後はそう呼ぶがよい」

「トゥレラですか、何か意味のある言葉なのでしょうか?」

「なんじゃったか、ギリシャ語で狂気という意味だったか。中二病の汝なら知っておるかと思っておったが」

「誰が中二病ですか! 違いますからね」


 狂気の支配者……トゥレラも私を中二病扱いしてくるとは。って、今は眼帯してないんだから別にそんなこと無いんじゃない?


「ふぅむ、汝は中二病じゃと掲示板で見たのじゃがな。やはり何でも鵜呑みにするのも良くないの」

「はい? 今掲示板と言いました?」

「そうじゃな。見るだけ以外にも書き込みもしておるぞ」


 一切の予兆も無く衝撃的な事実が明かされた。

 恐らくNPCの彼女がゲームシステムにも関係する掲示板を見るのは大丈夫なのだろうか、色々と。


「書き込むのは良いんじゃが、皆して妾のことを爺呼ばわりするのはどうにかならんかのう。このプロポーション、正にピチピチの17歳JKじゃとは思わんか?」

「トゥレラ様って17歳なんですか?」

「違うがそういうテンプレの台詞があるんじゃろう?」


 これは色々と駄目じゃないのかと突っ込みたくなるけど、今は黙っておくのが得策だろう。


「支配者様なのにそんなことにうつつを抜かしても良いんですか?」

「これでも役割は果たせておるからよかろう」

「あぁ、なるほど。六天などを使った元の世界の観察のことですか」


 そう言うと、トゥレラは呆れたような目をしてこちらを見る。


「それは深淵の中でもかなり重要な禁則事項なんじゃがの」

「そうなんですか? 色々手掛かりやヒントがありましたから、辿り着くのは結構容易でしたよ?」

「はぁ……。面倒じゃから詳しくは端折るが、それは深淵共鳴度がかなり上がってから知るものじゃ。そして、深淵に来ること自体もな。それなのに汝は何もかもすっ飛ばしてやりおった」

「それに何か問題が?」

「汝の元の共鳴度は2だったはずじゃが、人間の限界の10では表せん程じゃな。人間なのにもはや深淵生物じゃの。いや、空を飛び霧のように消え、その狂気性を持っておるとは……汝、もしかして元から深淵生物だったりするかの?」

「違いますが」


 そう返事をすると、トゥレラは何も言わずに考え込み始める。


 またしばらく待つと、いきなり近付いて来て手足のヒレを絡めてきた。《無形の瘴霧》で離れようとするもスキルが使えなくなっており逃げられない。


「逃げんでもよかろう。妾が何をすると思っておる」

「碌なことでは無いとは思いますが」

「汝も喜ぶことじゃぞ。人間と深淵生物が混じっておる今の状態から、安定した深淵生物にしてやろうと思ってな。強くなることに否定的では無かろう?」


 確かに強くなれるのなら拒む理由は無いけど……


「脳が吹っ飛ぶくらいの地獄になるとは思うが、汝なら大丈夫じゃろう」

「随分と軽いですね。本当に大丈夫なんですか?」

「それは受け入れるということじゃな? それと、あの双剣は妾にもよく分からんかった。他の支配者の奴もちょっかいを出しておったのかもしれんな」


 突然人の話を聞かなくなった。無事に終われるか心配になってくる。というか……


「トゥレラ様もちょっかい出してたんですね。《沸騰する狂気》から何となく気付いてましたが」

「な、何じゃ。別に良かろう。それ以上何か言うと優しくしてやらんからの」


 言い方が若干意味深だけど、一応信用してみることにしよう。一体何をしようというんだろう……。

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