第16話

***

 

 その瞬間を、アストラエアは鋭角的に切り返しを続ける箒の上から見ていた。

 撃ち上げられた神格術式をすんでのところで回避し、牽制の一発を、地上のナナを巻き込まないように一点に集中した一発を、第八位に叩きこもうとし。

 そこで、ゆっくりと倒れるナナが視界に飛び込んできた。

 それなりに高度はあり、距離もあるはずなのにそれはやけにくっきりと見えて。

 ぎゅっと。全身の血流が締め付けられたような感覚に襲われる。

 意識したわけではない。けど、その光景が何か嫌な記憶に引っかかって、引き上げかけて。

 思考が停止したその瞬間に、下から撃ち上げられた術式がもろに直撃した。

 どの術式かは分からない

 けれど、いずれにしてもちょっとした山なら吹き消してしまうほどの、神格術式の直撃。

 殆ど条件反射で張った結界によって致命傷にはならなかったが、箒からは振り落とされる。

 魔女の手から離れた箒は、もはや塵を掃く以外の機能はない。

 重力に、「当たり前の法則」に引かれて硬い氷の地面に落ちてゆき。

 ろくに回らない頭でかろうじて運動量を抑える簡単な術式を組み立てて落下速度を殺す。

 同じように「当たり前の法則」に引かれたその体は箒より数秒遅れて氷の上に落下し。

 それでも、硬い氷面がアストラエアの肺から空気をすべて叩き出し、隙間なく散乱した鋭い氷の破片が上着越しにでもその背中を突き刺す。

 その痛みで、現実を取り戻す。

 I. P. REVISION

 好機を逃すまいと黒髪の魔女の放った幾重にも絡まった複雑な神格術式に、同じ神格術式で阻害・干渉を行い、受け流す。

 相手が次の術式を構築、発動するまでのわずかな間に、倒れたナナの方を向く。

 今勝つことだけを考えるのなら、見ない方が良いのは分かっていた。それでも、自然と首がそちらを向いてしまう。その視界が、少し離れたところで横たわる連絡員を捉え。

 今度こそ、引っかかっていた記憶が意識の表層に現れた。

 異様な青空の下、雪のようにも見える氷屑の中で、一滴の血すら流さずに横たわるナナ。

 美しい青空の下、降りたての軽く厚い新雪の中で、傷一つない体で横たわるアカシア。

 目の前の景色と、記憶の中の景色が、重なる。

 彼が、死んでしまう。

 契約を結んだ相方が、死んでしまう。私がここにつれてきたせいで。

 かれが、かのじょが、いなくなってまう。

 また、わたしは、――――を、うしなう。ひとりに、なる。

 たすけないと。わたしはまじょなんだから。ぎむがあるんだから。

――――を、たすけないと。しんで、しまう。しなせて、しまう。

 でも、なんで。じゅみょう?ちがう。

 そうだ、このたたかいのせいだ。よは。神かくじゅつ式の、よ波。

 じゃあ、なんで、そんな、物が。そうだ、わたしが、使ったせいだ。

 つまり、わたしのせい?いや、わたしだけじゃない。

 もう一人、いる。神かくじゅつ式を、使っているのが。六ぶんぎのま女。

 そもそも、あれが、手を出してこなければ。こんな事には。

 わたしだって、神かくじゅつ式を使う事には。

 そうだ。六ぶんぎのま女が悪いんだ。全部、六ぶんぎのま女のせいで。

 六分儀の魔女のせいで、――――は死にかけている。

 全ての元凶は、六分儀の魔女だ。あの第八位の魔女のせいで。

 この元凶を撃退すれば、撃破しないと。私は、この魔女を殺さないと。

 では、どうするべきか。時間はない。相手も腐っても魔女。生半可な術式は通じない。

 出し惜しみをする余裕は、無い。

 I. P. BLANK

 追い打ちとして津波のように押し寄せた術式を、しかし空間を歪めたような壁が受け止める。

 ただただ、力技で術式を遮断することに。阻害でも、干渉でもなく、その結果を受け止めた上で圧倒的な出力と「システム」へのアクセス権限でねじ伏せることに特化した、防御特化の神格術式。「システム」へのアクセス権限が、魔女としての序列が、相手より勝っているからこそできる力技。

 ただ、これだけでは意味はない。相手より優れた盾と、相手より優れた矛を持ってこそ、技術や戦略といった要素を踏み潰して、相手を一方的に蹂躙することが可能になる。

「Access to SYSTEM, Identification Code LETTER, Free Intervention」

 悲しみ、混乱、焦り。そう言った感情は、容易に怒りによって代替される。

 アストラエアに、躊躇は無かった。その双眸が、いつにも増して青く輝く。

「其処に在るは冒涜者たる魔女。此処に在るは衣を洗い清めし神の僕なる処女。命の書に記されしその名を以て、最初の者であり、最後の者である、神々に請はん。今、この手紙に記されし予言の言葉は、悪しき魔女の魔術にてその姿を変えた。依って、わが守護者たる神、主神、そして数多なる神々よ。己が証に従いて、彼の者に然るべき報いを!」

 霊装や詠唱とは、術式をより正確に扱うための道具。用いるのは、魔術を発動する人間の命や精神にあうような情報、即ち広く知られた伝承や記号性。構えて引き金を引く人間の身体に合うように作られた銃が、ただの筒状の銃より扱いやすいのと同じ。そしてその形や内容は、扱う術式の内容を如実に表す。詠唱では、特に顕著に。

 そして、今回アストラエアが用いた詠唱のモチーフは、これ。

 幾千年の太古より、細部を変えつつ最も多くの人間に読まれてきた本の一つ。その最後の書。

 即ち、黙示録。神々が地上にもたらす、最後の審判を綴ったもの。

 直後。直視すれば網膜が焼けるほどの閃光が、黒髪の魔女をこの氷の大地から消し去った。

 

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