第13話


 ***

 

 辺境伯。連合王国の国王から生存圏を治める者として任命された貴族に与えられる爵位。

 生存圏の中で最も上に位置するだけあり、その屋敷はもはや宮殿と言っても良いものだった。直轄領で見た王城とも通ずるところのある装飾が至る所に施され、廊下一つとっても下手な住宅がまるごと一つは入りそうな幅がある。

 その中を、恐らくは辺境伯の私兵だろう、数え切れない程の衛兵に囲まれながら歩くのは、銀髪の魔女アストラエアと、その契約者であるナナ。

 確かに、魔女というものは厳重に警護されるだけの身分ではあるが、今回に限ってはそうではない。兵の視線はその中心に囲われた魔女の一挙手一投足を見逃すまいとし、その槍の穂先は心なしか内側に傾いている。

 その真ん中を堂々と歩くアストラエアの手に、縄などはかかっていない。その隣のナナも同じく。それでも、周囲の兵の様子と、そしてそれを遠巻きに見守る使用人たちの視線が、二人がこの場においては「囚われ」る側であることを如実に表している。

 一行が廊下の突き当りに至ると、先頭を行く隊長格の兵士がそこにある扉を開き、他の兵士たちも脇に避けてその部屋の中へと通ずる道を開ける。

 後ろにいる兵たちの気迫に押されるような形で、その中へと入る。気迫ではなく、恐れなのかもしれないが。

 恐らくは、この城を訪れた貴族がこの生存圏の長である辺境伯に謁見するための部屋。天井の高い広い空間に滑らかな絨毯が引かれ、天井から下がるのは巨大なシャンデリア。今までの廊下とは明らかに施された装飾の数も質も異なる。

 後ろで音もなく扉が閉められ、空間を沈黙が占拠する。

「ようこそおいで下さいました、封書の魔女殿」

 その沈黙を破ったのは、聞き覚えのある男の声だった。

 その声の主は広い空間の奥、周囲より一段、いや、二段ほど上がったところで、ひじ掛けのある立派な椅子に腰かけている。

「何事もなくお越しいただけたようで、ありがたい限りです」

「執拗なまでに転移魔術用の罠を仕掛けておいてよく言うよ。あそこで転移魔術を使ったらどこに飛ばされてたのか、気になって仕方がないんだけど教えてくれる気はないかい」

 エーベルト辺境伯。城の主に、訪れたものが謁見をする。確かに本来のこの空間のあるべき使い方なのだろうが、明らかにおかしい。連合王国をはじめとする四大派閥と同等の影響力を持つとされ、連合王国で言うならば国王と対等とされる魔女。それが下座におり、国王の臣下に過ぎない辺境伯が上座にいる。

「やはり、魔女相手に多少の小細工を弄したところで、まる分かりですか」

 それが意味することは何か。即ち、ここにいるエーベルト辺境伯、もといクラウス・エーベルトは、連合王国国王の臣下たる辺境伯として、ここにはいない。

「私が優秀というよりは、そちらの立ち回りの失敗だと思うけどね、エーベルト辺境伯。いや、自由連盟のクラウス・エーベルト殿」

「あいにく、まだそう名乗れる状態ではないのですよ。私が名乗れるのは、せいぜいが内通者というところでしょうか」

 例えば、戦に勝った将軍と、敗戦国の王。その王が何かの拍子に虜囚となったときに、上座に座るのは本来なら下座にいるべき将軍である。つまりは、そういう事。

「どこでお気付きになられましたか」

 自虐的に笑いながら、辺境伯は言う。それを聞いたアストラエアは小さく笑うと。

「内通者を名乗るなら、もうちょっと警戒心を持ってうまく立ち回るべきだね。辺境伯がフロストレインの事を知るはずが無いんだよ。異なる派閥間では、情報は連絡員より早くは伝わらない。派閥内だけの魔術的なネットワークでも使わないとね。それに第一、連合王国が私の行動に感謝するわけがない。連合王国の指示じゃないんだからね」

「なるほど。では我々の茶番もさぞ滑稽だったでしょう」

「ナナは気が付いてなかったみたいだし、よくできた演劇だったと思うよ」

「それは光栄な話で」

 魔女の皮肉には反応することなく、相も変わらず自虐的な笑みを浮かべる辺境伯。

 それにアストラエアは愛想笑いのような表情を変えることなく。

「で、本題はなんなのかい。夜道で背中を刺されるでもなくこうやって謁見させて貰えてるってことは、何か用があるんだろう?」

「夜道で背中を刺した程度でなんとかなるようなら、こうやってお呼びする必要もないんですけどね」

 そう言った辺境伯は心底困ったような力無い笑みを浮かべて。

「祖国を裏切るような者は、寝返った先でも信用されません。ですがそこに、自由連盟第二の都市を制圧した魔女がやって来たんです。自由連盟が今も追跡を続けている、いわば賞金首がです。となれば、することは決まっているでしょう」

「本気で言ってるのかい」

「我々もできる事ならこうしたくはありませんよ。リスクにリターンが合いません。気付かない振りをして、ここでどうやって自由連盟からいい条件を引き出すか、延々と頭を捻っている方が何倍もましです。ただ、そうもいかなくなってしまいましたので」

 ふぅん、とアストラエアが他人事のような相槌を打つ。

「しょっぱなから下手な芝居を打たなければその必要もなかったのにね」

「ごもっともで。ですが、我々からすれば陛下の命を受けた魔女がこの生存圏を潰しに来た、と言う風にしか見えないのですよ。まさか、連絡員の業務の手伝いなんて思いもしません」

「投げた覚えもない釣り針で、要りもしない魚が釣れた、か」

 上座に座る辺境伯に構わず、部屋の隅に置いてあった座面だけの椅子を取ってきて、そこに腰掛けたアストラエアは面倒くさそうな様子で続ける。

「別に私は連合王国の人間でもないしどうこう言うつもりは無いけど、君たち貴族の忠誠ってのはそんなものなのかい。一応、天文重爆撃前からの歴史ある王国で十世紀以上前からその王に忠誠を誓ってきた、由緒ある血筋なんだろう?」

「ええ、歴史だけはありますからね。代を重ねるごとに貴族の血を引く者は増え続け。対する領地は当然それに追いつくだけの速度で増える訳も無く。忠誠を誓うだけで飯が食えるのが貴族とはよく言われますが、言い換えれば下の者の忠誠に応えるだけの飯を食わせなければいけないのが貴族です。そして生存圏の長となる辺境伯には、忠誠を誓うだけで臣下を満足させられるだけの飯を出してくれる存在はいないのですよ。私が忠誠を誓う国王陛下は、我々に十分な物を与えてはくれない。腐っても貴族です、これで陛下を責める気はありませんよ。この世界故の、仕方のない事です。けれど、それを嘆いても仕方がないですからね。私は陛下への忠誠もですが、臣下への忠誠も尽くす必要があるのです」

 為政者が悩みを打ち明け、魔女がそれに耳を傾ける。

 絵面だけ見れば、至極平和な、魔女が為政者にその知恵を授ける構図である。しかし、今回為政者が魔女に求めたものは知恵ではない。

「自由連盟につけば、臣下への忠誠は尽くせると?」

 では、知恵を求めるという道は無かったのか。

「ええ。少なくとも連合王国よりは経済的に豊かですし、行動の自由も効きますから。それに、ひとまずの一時的な援助の約束もとりつけました」

 そこで一旦辺境伯は言葉を切り。

「なんなら、魔女殿の意思でここに留まって頂けるのでしたら、自由連盟には引き渡さないという事でも構いません。我々の最優先事項は、この生存圏を生き長らえさせること。魔女を見逃す程度のリスク、そのためならば安い物です」

 結論から言えば、無かったのだろう。血筋で決まる貴族爵位とはいえ、その血筋である以上は相応の教育を受け、人脈や財力などの道具もある。それでも、導き出した結論がこれなのだから。何より、このような反乱沙汰に対して領内で反発が起こっていないことが、この辺境伯がただの暗君ではないことを示している。

 落ち着いた様子で。しかし、頑とした口調でそう言った辺境伯に、アストラエアは緊張感を毛ほども感じさせない笑みを浮かべながら。

「どれくらい?」

「半年ほど」

「断ると言ったら?」

「このことが陛下の耳に入れば、どのみち我が領は干上がります。そうなったとき、自由連盟の援助がもらえる保証もありません。身元がばれたスパイは使い物になりませんからね」

「なるほど。ご愁傷様、とだけ言っておくよ」

 返事は無かった。辺境伯が椅子から立ち上がると同時、ナナ達の入ってきた後ろの扉が開いて兵士が押し寄せるように入って来る。先程二人を護送していた、槍と剣で武装した儀式用の色合いが強い兵ではない。銃を携えた歩兵に、霊装を携えた魔術師。最近では見ることも少ない、天文重爆撃以前は戦争にも用いられたような、闘うための兵士。

「魔女を相手に喧嘩を挑むってのがどういうことか、辺境伯ともあろう方が分からないってことは無いと思うんだけど」

 ゆっくりと、アストラエアが椅子から立ち上がる。パチン、と指が鳴り、服装が町娘のようなそれからいつか見た、紫色の、魔術的意匠の織り込まれたドレスへと変化する。

「申し訳ありませんが、これが最善の方法なんですよ。魔女を弑する事は出来ないかもしれませんが、お仲間の方の命までは保障しかねます。手加減はしていられませんので」

「…………。じゃあ、私も手加減はできないかな」

 エーベルト辺境伯が、背後の壁に掛けてあった立派な剣を手に取り、抜き放つ。

 貴族は、基本的に教養として最低限の魔術や武術の知識を身に着ける。恐らくは、その剣も何かしらの名のある霊装なのだろう。一人で、一個大隊程度を相手どれるくらいには。

 ざっ、と音を立てて背後の兵士が銃を構え、魔術師が詠唱を開始するのが聞こえる。

 数段高くなっているところから降りた辺境伯が慣れた様子でその剣を構え。

「「写本」を取り上げられてしまったから、これしかないんだよ。悪く思わないでね」

 その手の中に見慣れた、赤い蝋で封のされた黄ばんだ封筒を掲げたアストラエアの双眸が、ナナが契約を結んだ時と同じように、暗く青い光を湛える。

 後ろで発砲音が連続するが、不自然に捻じ曲がったその赤い光の弾はただ床や壁を抉り。

「……ちょっと予定とは違うんだけど。まあ、この際構わない」

 そう言ったアストラエアは掲げたのとは逆の手でナナを抱き寄せると、剣を構えて高速で接近するエーベルト辺境伯を真っ直ぐ見つめたまま。

「神格術式って知ってるかい。世界の「システム」にアクセス・干渉する、魔女だけが使える術式。逆に言えばこれが使えるのが魔女なんだけどね。こういうのをいうんだよ」

 その辺境伯の目は、晴れやかに笑っているように見えて。

 双眸を輝かせた銀髪の魔女は、にやり、と笑い。

「Access to SYSTEM, Identification Code LETTER, Intervention Pattern ULTIMATUM」

 その詠唱と同時に、生まれてこの方感じた事のないような本能的な恐怖が、ナナを含めたその場の人間すべてを襲い。

 戦いですらなかった。

 蹂躙ですらなかった。

 その舞台に立っていたのは、封書の魔女ただ一人。

 それ以外の者は、舞台に上がることすら許されない。

 この日。

 連合王国エーベルト辺境伯領は、第4位の封書の魔女の手によりその機能を完全に喪失した。

 

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