第4章 代償と責任

第12話


 石造りの城壁に、不釣り合いに小さな門。ナナの見慣れた、連合王国の生存圏の入り口。

 前や後ろにはナナと同じ制服を着た連絡員や、ここではまだ普段通りの装いの運送員が並び、検問の順番を待っている。銀髪に、新品にも見える防寒具といった装いのアストラエアを連れていると目立って仕方がないが、ナナの知る顔がいないのが救いか。

 自由連盟のフロストレインを発ってから数時間。歩けば恐らく数日はかかるので、魔女の操る箒がいかに早かったのかがよく分かる。周囲はもうすっかり暗くなっているが、門の周りは城壁につけられた明かりで夕暮れ程度の明るさを保っていた。

 居心地の悪さからナナは一言も発することなく、少しずつ進む列で自分たちの順番が回ってくるのを待つ。

 一人、また一人と検問を通過し城壁の中へ消えてゆき。

 そして、ナナ達の番が来た。

「連合王国連絡局エーベルト辺境伯領支局の連絡員30277号です」

 ここ最近していなかったとはいえ、慣れた作業。所属と番号を告げて、首に提げた「識別子」を出そうとその紐に手をかけて。

 そこで、いきなり後ろに引っ張られる。

 よろけるナナと入れ替わるようにして、管理官の前に立ったのは銀髪の魔女。

「第四位の封書の魔女です。こちらは私の契約者」

 いつの間にか手にした黄ばんだ封筒を見せつけるようにして、管理官に告げ。

「仕事ばかりで退屈なのも分かりますが、ここでふざけると他の方の迷惑ですよ。えっと、そちらは30277号と。あなたの識別番号は?」

 管理官はアストラエアの方を見ることもせずに手元の紙に何かを書きこみながら答える。

「だから、しいて言うなら4番かな」

 あからさまにむっとした顔をしたアストラエアは手にした封筒を光の粒子にして手元から消すと、空いた手を高く掲げて。

「別にいいよね、もう名乗ったし」

 その指が澄んだ音で鳴らされると同時、ナナ達二人を残した周囲の人影が一斉に崩れ落ちる。

「いいのか、そんなことしちゃって」

「どうせ小一時間もしたら目を覚ますよ。あそこで押し問答しても時間の無駄だしね。穏便に入れるに越したことは無かったけど、別に連合王国に礼儀を通す理由も無いし」

 倒れた同僚たちを踏まないようにして、生存圏の内側へ。

 懐かしい、とは思わないが見慣れた景色が目の前に広がる。

 ずっと握っていた手を離すと、掌に空気が冷たい。広域暖房のおかげで外よりは暖かい生存圏だが、それでも人肌よりは当然冷たいのだろう。

「まあとにかく連合王国って事は、今度は追われる心配も何もなく街中を堂々と歩けるわけか」

 魔女がどう思っているかはさておき、連合王国はアストラエアをまだ敵とは見ていないはず。

 ひとまずの安全地帯にほっと胸をなでおろすナナだったが、アストラエアの返事は芳しくなかった。

「それはどうだろうね」

 門から中心部へ通じる目抜き通り。その先を真っ直ぐ見つめるアストラエアに、ナナもつられてそちらに目をやる。

「封書の魔女殿、ようこそおいで下さいました」

 まだ人通りの残るその通り。つい先程までは通行人の一人だと思っていた人物が、こちらにゆっくりと歩み寄って来る。特段目立つところのない服装でも分かる、洗練された立ち居振る舞い。貴族階級の人物だろう。そう思うナナの前で更に一人、二人と貴族階級と思われるものがその男に続いてやってくると、アストラエアの目の前で立ち止まる。

「この生存圏を我が王より預かっております、辺境伯のクラウス・エーベルトと申します」

 そう言うと、最初にやって来た男、エーベルト辺境伯と名乗った貴族は、深々と礼をして。

「我々連合王国に協力していたけるたこと、そして連合王国のため骨を折って頂いたこと、国王の一臣下として感謝申し上げます」

 何のことだろう、と少し考えてから、それが先ほどのフロストレインでのことだろうと思い至る。彼等から見れば魔女の独断専行とはいえ、アストラエアが連合王国の為に動いたと見えても不思議ではない。

「フロストレインからの脱出などでお疲れでしょうから、宿泊先の方は私が責任をもって用意させていただきます。もちろん、そちらの契約者の方についても、魔女殿とご同行できるよう私の方から連絡局には話を通しておきますのでご安心を」

 連絡員とみて眉を顰めない辺り、よくできた為政者なのだろう。先程の検問での様子を見ていたというだけかもしれないが。

 残りの数名の貴族はエーベルト辺境伯の警備の者なのか、何もない風を装ってはいるがその右手は腰に下げた銃を即座に抜けるように身構えている。

「ありがたいお話ですが、お気持ちだけ受け取っておきます。私にも私の用がありますので」

 アストラエアがフロストレインで行った事は、連合王国の為ではない。具体的な思惑こそ知らないが、むしろ、その逆のはず。しかしアストラエアは辺境伯の誤解を特に訂正することもなく、普段の様子を知るナナからは慇懃無礼とも見えるような口調でそう答える。

「ですが、連合王国のために力を貸してくださった魔女殿に何のもてなしもしないというのでは連合王国貴族の名折れ。御用が済みましたら迎えに上がりますので、どちらへお迎えに上がればよいのかだけでもお教えいただければ」

 悪い人ではないのだろうが、少しお節介な人だなと。そんなことをナナは思って。

「今夜の宿についても当てはついておりますので、申し訳ありません。どうしても面目が経たないとおっしゃるのでしたら、そうですね」

 他人行儀な作り笑顔から、よく見せる魔女らしい笑みにその表情を変えたアストラエアは。

「私が自由連盟第二の都市の命脈を握っている事を、貴殿の主に伝えていただきたい。それとも、もう、ご存じでしょうかね」

「…………承知いたしました」

 軽く頭を下げた辺境伯の目の前でナナの肩に手をおいたアストラエアは、かつんと踵を鳴らすとその目の前から一瞬にして消え去った。

 

 ***

 

 懐かしい場所だった。古びた木の看板。奥の建物とは不釣り合いに小さな間口。併設された質素な寮。ナナの記憶にある、初めての「外の景色」。違うのは、その門戸の両脇に立った門番のような警備兵の存在だけか。

「届け先って……ここ?」

 看板の消えかかった字を見上げながら、ナナは呟く。

「そう。工房グレムリン」

 思い出される記憶や感情に対処するので精一杯なナナは、アストラエアのその声にいつもは無い感情が含まれていることには気づけない。

 懐から取り出した手紙を見つめてから、アストラエアは扉の脇の小さなスイッチを押す。

 ぽーん、と。聞きなれた間の抜けた音が響いた。

 異様に長く感じられる沈黙の末、滑りの悪そうな音と共に曇りガラスの引き戸が開けられ。

 現れたのは、見た目で言えばアストラエアと同じくらいの年に見える女性。

「はい、なんでしょう。うちは今営業は、」

 面倒くさそうに言うその顔に、ナナはどこか見たことがあるような気がして。

 そして、アストラエアは黙って小さな封筒を手渡すとこういった。

「第四位の封書の魔女。いや、元第六位って言った方が分かるかな。アストラエアだよ」

 その女性はアストラエアの顔を見つめた恰好のまま固まり、ぎこちない動きでその視線を隣に立つナナの方へ向け。

 こくり、とナナが頷いたのを見ると奥の方へ走り去っていき、こう叫ぶのが聞こえてきて。

「父さん、あれ本当だったの!?」

 後を追うようにして玄関をくぐったナナは、小さく「ただいま」と呟いた。

 

 

 暖房の効いた、暖かい部屋。ナナ達の腰掛けるのは柔らかい二人掛けのソファーで、紅茶と茶菓子のおかれたローテーブルを挟んだ先には先ほどの女性と、中年の男性がそれぞれ一人がけの椅子に腰掛けている。恐らくは先程の会話からして、父娘か。

「いやぁ、まだやっているとは思わなかったね。てっきりとっくに廃業してるかと」

 出された紅茶を一口飲んでからそう言ったのは銀髪の魔女。

 ナナの記憶より数回り老けて見える、というか実際に歳をとったのであろうこの工房の主人が足を組みなおしながら答える。

「一時は廃業も考えていたらしいですけど、十数代前の時に連絡局の指定養成先になったおかげで、ここ数世紀はは安泰です」

「それより父さん、あの話って本当だったの?魔女の依頼を受けたことがあるって」

 その主人に食いつくように尋ねるのは、先ほどナナ達を出迎えた女性。歳の程からして、ナナの記憶にある3歳ほどの幼児が彼女だろう。そう考えるとどこか見覚えがあるのも納得いく。

「ここが自動人形工房だった時代の話だ。当時のホムンクルスは自動人形を使ってたらしいからな。魔女が依頼したってので、当時はずいぶん繁盛したらしい。まあ、俺もおやじから聞いた話だし、親父もきっと爺さんから。爺さんはひい爺さんから聞いたんだろうがな」

 そう言った主人はナナの方に目をやると。

「にしても、この工房出身の連絡員がまた魔女の契約者とは、これを奇縁というんですかね。まあ魔女ともなるとただの偶然とおっしゃるのかもしれませんが」

「奇縁、か。そうかもね。確かに魔女として運命とかその手の物は信じてないけど、この種の偶然を縁と呼ぶのを否定するほど野暮でもないよ」

 未だに驚き冷めやらぬ様子の女性の視線を浴びながら、アストラエアは籠に入った袋入りの焼き菓子を取り、口に放り込む。

「にしても、自動人形工房が500年も経てばホムンクルス工房とはね。当時のご主人は滅びつつある伝統の科学を守るとか言ってたけど、それも叶わずか」

「昔の事は知りませんが、時代の流れには逆らえないというやつでしょう。あなたから依頼を受けた後はホムンクルスも扱うようになったそうですし、当時から経営は厳しかったんじゃないですか。それに、この業界は一度軌道に乗れば安泰ですからね。高度な技術を扱うせいで参入は難しいですが、その分あとは楽ですよ」

 まあそうだろう、とナナは心の中で頷く。だがアストラエアは首を傾げ。

「私がここに依頼を出したときは、あちこちで工房ができては潰れを繰り返してたような気がするけど」

「それは昔の話ですね。ずいぶん前の制度変更でホムンクルス工房は認可制になって、それ以来ほとんど業界地図に変化はありません。確か、ホムンクルスの命の材料に使う事で地脈を循環する未加工の生命力の総量が減るのを危惧して、基本的に材料の生命力は使いまわしにするようになったとかで。ご存じの通り、ホムンクルスの命を作る際の生命力の加工は工房毎の企業秘密みたいなものですからね。生命力の回収と再加工、そして再利用をできるのは、それまでもホムンクルスを扱っていた工房だけというわけです」

「ふぅん。まあ、その辺の制度とかは知らないけど、あの小さな町工場みたいな工房が、それで今や国指定の大工房ね。私が聖域でのんびりしてた間にも、時代は変わってるもんだね」

「随分年寄臭い事を言うな」

 クッキーを齧りながらナナがそう言うと、アストラエアは背もたれに倒れ掛かったまま首だけナナの方を向いて。

「実際ここにいる中じゃ最年長だよ。きっと今この生存圏にいる中でも最年長さ」

「知ってる。500歳近い人間がそういてたまるかってんだ」

 適当に答えてから、ナナは立ち上がって、相変わらず応接間というには生活感の溢れる部屋の隅にある冷蔵庫から追加のお茶を取って来る。もちろん、主人には断ってから。

「……君ずいぶん寛いでるね。まるで実家みたいだよ」

 そういうアストラエアに、ナナは少し迷ってから。

「ある意味実家みたいなもんだからな」

 別に普通の人みたいに数十年暮らしたとかいう訳ではないし、何よりナナは実家という物を知らない。それでも、ナナの想像する実家という物に一番近いのは生まれてからの数年を過ごしたここだろう。それに。

「ははっ、お世辞でもそう言ってもらえると職人冥利に尽きるよ」

 きっと、この工房はそれを目指しているのだろうという事はここで「生まれ」たナナには分かる。連絡員として世に出るまでの数年間、せめてそれくらいは「人」として生きさせてやろうと。これを工房側の優しさととるか、ただの自己満足の罪滅ぼしととるかは連絡員の中でも人によるが。

 それでもやはり、ナナはこれくらいの優しさを受け取れる素直さは持っていてもよいのではないかと思う。

「久しぶりに帰って来たんだし、健診でも受けてくか?ここも今は訳あって暇なんだ」

 主人がナナにそう言って。

 目を輝かせた娘の方は、アストラエアと主人の話が途切れた隙を見て、

「あの、ほんものの魔女なんですよね!?その、なんかしてみてくれませんか?」

 と好奇心露わに詰め寄る。

 恐らく、窓からこの部屋の中を覗き込めば、ごくごく平和な、久々のお客をもてなす家庭に見えるのだろう。

 アストラエアもそう思ったのか、小さく微笑むと。

「多分、ナナの健診をしてもらう時間はないかな」

 そう言ってソファーから立ち上がる。そのまま手に持っていた紅茶を一気に飲み干すと。

「何か見せてあげられるものは無いけど、そうだね、これをあげるよ」

 女性に手渡したのは、ナナも見慣れた金属の棒、「ペグ」。

 彼女だって連絡員を輩出する工房の娘、それが何かはすぐに分かったのだろう。両手で受け取って、首を傾げる。

 それをよそにアストラエアはナナの手を取り、無理やり引っ張るようにして立たせ。

「懐かしい看板を見に来るくらいのつもりだったけど、気が変わった。相方の実家に迷惑をかけるわけにはいかないからね。魔女の特製だよ。大事に使うといい」

 そしてアストラエアが先ほど入ってきた玄関の方を振り返ると同時。ぽーん、という間の抜けた音が響いて。

「王国警邏隊である!エーベルト辺境伯の命によって、旅人の身柄を――」

 訪問者が口上を言い終える前に、その扉をあけ放った魔女は。

「旅人なんて誤魔化さなくてもいいよ。お探しなのは、この封書の魔女かい」

 不敵に笑ったまま、両手を上げた。

 

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