間章3
Episode-1.2
見渡す限り広がる圧倒的な銀世界を鏡写しにしたような、純白の空だった。
雲を透かすように差し込む光の筋が地面を舞う雪の粉を照らし出し、羽衣のような淡い帯が風に吹かれるままに踊る。雪化粧した山々は遠景に溶け込み、悠然たる姿はまるで絵画のよう。
寒風の中で繋いだその手は、心なしか暖かいように感じられた。
私の隣で付き従うように歩く彼女の手を引くようにして、膝までの雪の中を一歩ずつ進む。
「そういえば、今日は何の日か覚えてますか?」
唐突に、彼女がそう言った。
「覚えてるかって、倦怠期の夫婦みたいなことを言うね」
特に考えずにそう答えてから、私は自分の口にした言葉を改めて頭の中で反復する。
何か変な事を言ってしまってはいないか。家族というものを生来持たない彼女に投げかけて良い例えだったのか。適当に言った例えが嫌味のようになってしまっていないか。当然考えてわかるような物ではないが、彼女の答えがそれは私の考えすぎであったことを教えてくれた。
「知ってますか、の方がよかったかもしれませんね。10月31日。昔はナントカという有名な行事の日だったらしいですよ。今の教会の前身となった宗教が取り込んだ、とある地方の年末の祭りだそうです。名前までは分かりませんが」
「昔の大きな祭りも、今となっては誰も覚えてない、か。悲しい話だね」
私も魔女とは言え、ほとんど見た目通りの年齢の若輩者。回顧に浸るような人生経験も無ければ、何かを語れるほど過去を知る訳でもない。それでも、百年前、千年前、ひょっとしたら数千年前かもしれないが、その年の今日、今や氷に覆われた世界でところどころ突き出しているだけのビルや建物の中でその行事を祝っていた人たちがいたかもしれないと思うと、諸行無常を思わずにはいられない。
しみじみと呟く私に、彼女は小さく笑いかける。
「そのためにあなたは私を作ったのでしょう?そして現に、私はこうやってその祭りの事を覚えています」
「違いないね。それも何かの文献に載っていたのかい」
「ええ。曰く、悪魔や魔物の装いをして、街を練り歩き、通行人を恐喝してお菓子や玩具などを強奪する祭りだそうです」
恐喝とはまた物騒な祭りである。お菓子を出さないとどうなるのだろうか。そもそも、普通は常にお菓子や玩具など持ち運んではいないだろう。ただ、だれも持っていないでは祭りが成立しない。では、昔は菓子や玩具などを日常的に持ち歩く文化があったのだろうか。天文重爆撃の前は豊かだったと聞くので、あり得ない話ではないのかもしれない。
いい年をした大人が鞄の中にクッキーやマカロンを大量に忍ばせているのを想像し、それから頭に角を生やした大人がその人物に詰め寄るのを想像し、私は思わず笑いを漏らす。
随分と愉快な祭りがあったらしい。
「残念ながら、私から強奪しようとしても何も持っていないよ」
「魔女を恐喝して強奪なんてしたら後が怖いですからね。どちらにしろやりませんよ」
「さすがに私だってそれで怒るほど風情が分からなくはないよ。祭りを楽しむくらいの余裕は兼ね備えてるさ」
肩をすくめるようにして答える。
嘘ではない。ただ、私はそのような大きな祭りという物に参加したことは無いけれど。
大昔の城郭都市のような生存圏に閉じ込められた人類に、昔からの風習などと言ったものは残っていないのだ。そのような祭りは豊かだった時代の話だろう。生きるので精一杯だった時代に、その手の物は失われたに違いない。
その上、私のような魔女はそう言ったありふれた近所付き合いや人間関係という物とは縁遠い。魔女という存在はあらゆる意味で強大すぎる。当然、自らの意志で魔女となった以上その点について不平不満を言うつもりは無いが。
「では、やっぱり何か下さい。そうしないと、そうですね、今夜枕元で騒ぎ続けます。私は多少なら眠らなくても大丈夫ですから」
「それは困るね。正直歩きっぱなしで疲れてるんだ。けどさっきも言った通り、何も持ってないから許してくれ」
ひたすら私の枕元で一人騒ぐ彼女という物も見てみたかったけれど、それはまたの機会にしておこう。
「あるもので構いませんよ。そうですね」
彼女とのじゃれ合いのような会話は不思議と心地よいものの、未だに少し慣れない。
今までは魔女として公の場で話すことしか無かったせいかもしれない。
「保存食のビスケットとかどうですか」
「あれでいいのかい」
腰のポシェットから割れてないのを選んで取り出した袋入りのビスケットを、彼女に渡す。
「ありがとうございます」
繋いだのと逆の手でそれを受け取った彼女は、一旦繋いだ手を離してその封を切るとビスケットを一枚かじって。
「せっかくの祭りの日なんですから、あなたもやってみたらどうですか」
「ひょっとして、何か用意してたのかい?」
「それはお楽しみです」
明るく笑う彼女に、私はおとなしく先ほどの彼女の台詞を思い出しながら。
「じゃあ、何かくれないかい。でないと……どうしようか。そうだね、まあ、何かするよ」
「そう言われると何をされるのかも気になりますけど」
彼女は私の方を向いていたずらっぽく笑うと。
「いいですよ。差し上げましょう」
先程のビスケットの袋を私に差し出す。二枚入りのビスケット。当然、一枚残っている。
「ありがと」
思わず小さく笑って、そのビスケットを受け取る。
久しぶりに食べるビスケットは記憶より幾分か美味しくって。
「そういえば、その悪魔や魔物の装いの中に魔女の装いというのも混じっていたらしいですよ」
一足先にビスケットを平らげたのか、水筒の水を一口飲んで彼女がそう言った。
「果たして悪魔と魔物、どっちに分類されていたのかが気になるところだね」
「どちらにしろ、いい印象は持たれていなさそうですけどね」
「どうせなら悪魔の方が良いかな。その方が大物感があるじゃないか」
「まあ、今となっては、答えは分かりません」
と。そこまで言った彼女が言葉を切ってこちらを向く。
「ちなみに、その魔女の装いというのは、三角帽子を被って箒を携え、その箒に載って空を飛ぶ、という物らしいですよ」
魔女という単語がその実態とかけ離れているあたり、この祭りはまだ魔術が発展する前の時代の物なのだろうか。
「その目は何だい。私にそれをしろというのかい」
「今日は今は亡き祭りの日ですよ。遥か昔に思いをはせるのも悪くないと思いますよ」
「空を飛ぶのに箒とは、理解に苦しむね。箒は掃除をするものだろうに」
けれど、やってみるくらいはいいかと、そう思って。
「まあ、空から見れば城を建てる場所を探すのも多少は楽になるかな」
魔術的にその辺りの雪をかき集め、圧縮し、成型して作り上げた氷でできた箒を、彼女と繋いだのとは逆の手でつかむ。埃を掃く事は出来ない、飛ぶための箒。
「三角帽子は用意できそうにないから、これで我慢してちょうだい」
術式を無機物用に構築し直し、飛行術式を箒にも適応。不規則に変化する乱れた地脈に対応するための術式を追加し、即座にその演算を始める。
ふわり、と。無事に浮き上がった箒に横向きに腰掛けるようにして飛び乗り、つないだ手で彼女をその上に引き上げ。
「じゃあ飛ぶよ。3、2、1!」
空の上で茶色い髪を風になびかせた彼女のこの笑顔を、きっと私は忘れないだろう。
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