第11話


 

 遥か下には、色とりどりの屋根がチョコレートスプレーのように無秩序に並ぶフロストレインの街並み。体に吹き付ける風は冷たいが、先程の熱が抜けきっていないのか、はたまた緊張のせいか、ナナはさほど寒さは感じない。

 そのナナが体を預けるのは、子供の腕ほどの太さの木の棒に箒草を括り付けた、簡素な箒。

 横を見上げると、その長い銀髪を夕日で朱に染め、ほぼ真横になびかせるアストラエア。

 自転車の荷台に横向きに腰掛けるような要領で、箒の柄の部分に横向きに腰掛けている。それを見上げるナナはどうもバランスが取れないせいか箒の上に座ることができず、腋のところで箒の柄に引っかかっているような状態。

 ナナとしては身体能力でアストラエアに負けているつもりは無かったのだが、左手でナナを抱えつつ右手一本でぶら下がった状態から難なく箒の上に乗ってしまうのあたり、何か魔術的な補助でもあるのだろう。

 先程までいた議事堂は遥か彼方。夕焼けに染め上げられた円形の生存圏が、その周囲の銀世界も相まって上空からだと絵画のようにも見える。

「久しぶりだけどこうやって飛ぶのも悪くないね」

 最初のうちは下から撃ち上げられていた光の弾も、ろくに当たらないと分かったのか今や全く飛んでこない。

 フロストレインの上空を緩やかな円を描くように飛ぶ箒に乗った魔女は、地上からはどのように見えているのか。

 そして、そこに風で飛びかけた洗濯物のように引っかかっている連絡員は。

「……魔女って本当に箒で飛ぶんだな。てっきりお伽噺の中だけの話かと」

 もぞもぞと安定する姿勢を探しながらそう呟くナナに、アストラエアはふっと笑うと。

「間違ってはいないよ。別に箒である必要はどこにも無いからね。デッキブラシでも、物干し竿でも、何なら絨毯でも大丈夫なのさ。体重を預けられるだけのサイズがあればね。少し大変だけど、極端な話、身一つでも飛べなくはないよ。けどね」

「けど?」

「それじゃあ雰囲気が出ないからね。魔女なんだから魔女らしく箒で飛んでみないと。もし私の肩書が魔女じゃなくって魔人だったら、絨毯で飛んでたと思うよ」

 にやりと笑う魔女に、ナナは溜息をつく。

「その方が乗りやすかったんだけどな」

「生憎私は魔女だし、魔人に転向する予定もないからね。せっかくだし、悪い魔女の共犯者として乗れるように練習しておいたらどうだい」

「だったら箒に座席でも付けてくれ」

「君は椅子が付いた箒を見たことがあるのかい?」

 そもそも空を飛ぶ箒をこれ以外で見たことが無いのだが。

「で、いつまでこうやって遊覧飛行してるんだ?」

 いつ追手が同じように空を飛んで追いかけてくるか知れない、そう思うナナだったが。

「いいじゃない。こうやって空を飛べるなんて普通の人なら一生かけてもできない体験だよ。なんてったって、飛行術式は魔女の専売特許だからね。天文重爆撃の前は空を飛ぶための道具なんてものも出回ってたらしいけど、地脈が乱れた今じゃあ魔術師程度なら飛んだところですぐに墜落するよ」

 アストラエアが体を傾けると、今まで一定の度合いでゆっくりと旋回していた箒が急に進路を変え、一直線に降下するようにして高度を落とし始める。

「こうやって見ると、自由連盟の生存圏の構図がよくわかるよ。中心はさっきの議事堂。維持霊装が中心なのはどこの生存圏も同じだけど、その周りの立派な建物は殺気の議員とか政治家とか、裕福な人の家だろうね。あれは議会かな。その周りのよくある感じの住宅街は、まあたぶん不自由なく暮らしてる人たちの家だね。外側の薄汚れたエリアは貧困街ってところかな」

「魔女ともなるとよく知ってるもんで。連絡員だと支局より内側は縁が無いからな」

 振り落とされないように捕まるのに必死なナナには地上を眺める余裕はないが、ざっくりした分布なら何となく分かる。支局が位置するのは、アストラエアの言葉を借りるのならば住宅街と貧困街のちょうど狭間のあたり。

 ちなみに、貧困街が生存圏の外縁部にあるのは、広域暖房の効きが悪く、かつ「アララトの円匙」に不調があって生存圏が縮小したときに真っ先に生存圏から外れる場所だから。実際、年に数回はそういう事があるらしい。

「……君が望むなら議事堂のあたりを爆撃してあげてもいいんだよ。魔女にかかれば箒の上から地を這う蟻だってピンポイントで撃ち抜ける」

「ありがたい話だが遠慮しとく」

 多少の気晴らしにはなるかもしれないが、それ以上にはならない。

「それにあんまり長居したくはない」

「そうだね。それは同感だよ」

 Ⅴ字を描くように降下から上昇に転じた箒のすぐ下を、無数の光の弾が突き抜ける。

 再び高度を取れば、それ以上の射撃は無かった。

「で、どうする?見たところ、下で走り回ってるのは大体正規の衛兵だね。弾幕の中を突っ切って着陸して、大立ち回りの逃走劇でもするかい?いかにも悪い魔女らしいし、私は別に構わないけれど」

「このまま飛んで逃げるって手は無いのか?」

 正直、今の状態も心臓に悪いが、大立ち回りはその数倍心臓に悪そうに思える。そもそも、運送員を抱える自由連盟はその数だけで言えば連合王国を上回る。生存圏を出たところで、動かせるホムンクルスを総動員して追ってくることは想像に難くない。しかも、「戦争」仕様の運送員で。そうなれば、不慣れなアストラエアを連れるナナが逃げ切れるとは思えない。

「無難だけど、面白くないね」

 下を流れる街並みを眺めながら、気乗りし無さそうに言うアストラエア。

「あんたが大立ち回りなんてしたら、この生存圏が落ちるんじゃないか」

 一般的な言い方なのかは知らないが、連絡員をはじめとする連合王国の人間は、生存圏が機能停止する、即ち維持霊装が機能を失うことを「落ちる」という。そうなれば、魔女の手を借りてアララトの円匙を設置しなおすまで、そこは「外」と変わらない乱れた地脈に覆われた死の大地。別に珍しい事ではないので対策もされており住民が全滅という事はまずないが、それでもやはり死者はいくらか出る。

 そのナナの問いに、アストラエアは少し興味を惹かれたような様子で。

「意外だね、君が生存圏の心配をするとは。悪い魔女の共犯者になるくらいだから、てっきり人間なんてどうでもいいと思ってるとばかり」

 意地の悪そうな、取ってつけたようなその顔の下にあるのは、一体どんな表情か。

「それに、さっきも随分と怒ってたみたいだし」

「だからと言って別に人間が滅びろと思ってるわけじゃないさ」

 アストラエアの真意は計りかねたが、ナナは思うままを口にする。図らずも醜態を晒した、という気まずさも背中を押した。単に棒切れ一本に頼って空を舞っているという状態で頭が回らなかっただけかもしれないが。

 もしかしたら、ひとまず蓋をした掴み切れない渦に手を突っ込めば、そういうものがどろどろになって溶けているのかもしれない。よぎったその可能性を、存在ごと意識の隅に追いやる。

「へぇ。でも、悪い魔女を止めるつもりは無いと」

 アストラエアはそう言うと箒の上でもぞもぞと腰を動かして姿勢を正し。

「まあ、魔女なんだから大立ち回りを演じるにしても手加減くらいはできるし、別にフロストレインを「落とす」気もないけどね」

 再び箒の進行方向が変わる。

「けどまあ、君の言う通りこのまま次の目的地に向かうとしようかな。そもそも、自由連盟に喧嘩を売るのがここに来た目的じゃないしね」

「まだあるのか」

「忘れたかい。私は連合王国に他人の事情に土足で踏み込んだツケを払わせなきゃいけないんだよ。ここはあくまで、そのための準備。今なら私がしたことは、全て連合王国の仕業と他派閥は解釈してくれるからね。たとえ、連合王国にその気が無くとも、そういう風に連合王国が舞台を作ったんだから」

 言葉を切ったアストラエアは、ナナに視線を投げ。

「それに、あの話を聞かなかったことにして帰るのも、君の本意じゃないだろう」

 くるり、と。箒に対してこういうのが正しいのかはナナには分からないが、舳先を持ち上げるような形で縦のループに。

 アストラエアとしては、何気ない動きのつもりだったのだろう。走る前に、膝を曲げ伸ばしするような。

 ただ、完全に自力で箒に掴まっているナナは、前置きの無いアクロバティックな動きに、慌てて箒にしがみ付き。

 その肩に掛かっていた鞄を遠心力が支えきれず、鞄の一番上に入っていた書類や手紙の束が宙を舞う。出来の悪い、紙吹雪のように。

 元から届ける予定は無かった物。別に構わないか、と後ろへ流れてゆくその紙吹雪をぼーっと目で追い。それが真上になり。そしてループの終わりに差し掛かった箒が未だにほぼ同じところをひらひらとまっているそれに勢いよく近づき。

 その中をちょうど突っ切るというとき、足をぶらぶらと揺らしながら箒に横に腰掛けていた魔女が、手を伸ばしてその中の一通を手に取った。何となく、といった様子で。

「連絡員の運ぶ手紙って、こんなものなのかい」

 風で乱れた長い銀髪を片手で整えながら、ループを終え直進状態に戻った箒の上で、アストラエアは片手に持った小さな封筒の表と裏をまじまじと見つめて。

「…………グレムリン」

 ぼそり、と何かを呟いた。

 後ろでは、残された手紙たちがゆっくりと地表へ向けて舞い落ちている。

「俺たちが死ぬ可能性も考慮して、どうせ他にも写しが出されてる。あの書類が道端で踏みちゃんこにされたところで、別に誰も困りはしないさ」

 別に、銀髪の魔女が手紙の事を気にかけていると思ったわけではない。ポロっと出た、ただの自虐。自然と自虐が出てくるなんて俺も変わったな、とナナは思って。

「前言撤回かな」

 魔女の言葉に思わずそちらを二度見する。

 箒に腰掛けたままナナの方を向いた銀髪の魔女は、今までとは少し違った笑みを浮かべて。

「この手紙だけ、届けに行こうか」

 その小さな封筒を懐に仕舞う。

「届けるって、それ一つだけ持って支局に顔出せってか?絶対怪しまれるぞ」

「いいや、直接届けに行くよ。どうせ、同じ連合王国だしね」

「尚更どういうつもりだ?」

「魔女は気まぐれ、ってね」

 そう言った魔女はぱちんと指を鳴らして小奇麗な防寒具姿に一瞬にして装いを変えると。

「フロストレインの上空を出るから、頼むよ」

「ま、仰せのままに」

 ナナがどうこう言ったところで変わらないのだろう。差し伸べられたアストラエアの手を取ると、普段のアストラエアからは想像もできないような力で箒の上に引き上げられる。魔術的な補助、というやつなのだろう。

 今度は、バランスを崩すことは無かった。繋いだ手のおかげで、アストラエアの魔術がナナにも作用しているのだろう。細い棒の上に座っているとは思えないほどに安定する。まるで、ベンチにでも座っているように。

「で、届け先はどこなんだ」

 尋ねるナナに、ナナの手を握ったアストラエアは箒の進行方向を見つめたまま答える。

「連合王国の、エーベルト辺境伯領」

 

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