第10話


 予想通りの管理官の奇異の視線に耐えて検問をパスし、生存圏の中へ。「里帰りですか」なんてよく分からない事を言われたが、管理官が雑談を好むのはどこでもそうなので聞き流した。

 連絡員として入った以上、ここにある連絡局の支局には顔を出しておかないとまずいのでナナはそちらへ向かい、一旦アストラエアとは別行動。当然、雪原からビルが頭を覗かせるだけの「外」とは違い、中は直轄領と似たようなごく普通の街。それでも道行く人から街並みまで、自由連盟の生存圏に来るのは初めてではないものの、やはり慣れ親しんだ連合王国とはずいぶんと雰囲気が違う。

 まばらに閉まったシャッターに、ペンキか何かで書かれた落書き。バツ印の下に掛かれているのは一体誰の名前なのだろうか。

 ふらふらと歩きまわり、十分ほどかけて、連合王国でよく見る硝子ではなく重たい木の扉で閉ざされた支局を見つけた。「識別子」を提示して、番号を告げ、一掴みほどの紙の束を受け取ればここでのナナの業務は完了。恐らくこの書類は魔女の城で裏紙にでもなるのだろうが、もともと連絡局に託される書類や手紙は連絡員が行き倒れる可能性も考慮して二、三通の写しが同時に出されるのが普通。大した問題ではないだろう。

 ついでに規定分の食糧と携帯燃料を受け取り、支局を後にする。外から見た時は分からなかったが、内側から見ると分厚い木の扉は昔の城門のようにも見えた。

 来た道を辿るようにして、待ち合わせ場所の交差点へ。

 ずっとそこで待っていたのか、それともどこか店でも見ていたのかは分からないが、アストラエアは先に来ていた。ところどころ塗装の剥げた古そうな街灯の脇で、建物の壁にもたれるようにして。

 ただ、一人ではなかった。

 はぁ、と小さくため息をつきそうになる。

 手元に視線を落として本を読む銀髪の魔女を囲うように立っているのは、血気盛んそうな数名の若い男女。本から視線を外そうともしないアストラエアの周りで、何かを執拗に捲し立てている。ただのナンパ、だったらいいのだが九割方そうではないだろう。女性がいるというのもあるが、それ以前に全身で醸し出す雰囲気がその本性を多分に語っている。最早自由連盟の生存圏では風物詩と言えるほど見慣れた種類の人達。ナナもお世話になった事は数回だがある。俗な言い方をすれば破落戸というやつであろう。

 完全無視を決め込んだアストラエアに詰め寄る数人と、交差点の他の角でこっそりとそちらの様子をうかがっているつもりであろう数人。大方、ターゲットが逃げ出したときのための布石だろう。ずいぶんと手の込んだ恐喝である。

 通行人は少なくないものの誰も何もしようとしないのは、事なかれ精神だけではないだろう。それだったら通報くらいする人はいるだろうし、もし連合王国なら警察がやって来る。しかしここは人民派、自由連盟である。人権重視のお題目は伊達ではない。

 少し迷って、魔女だし別に放っておいてもいいかなと思って。そこまで考えたところで、ナナはアストラエアが読んでいる本が見慣れたものであることに気が付く。ただの本にしては、やや装飾が過剰な手帳ほどの大きさの本。それをめくるような素振りで本に手をかざした銀髪の魔女の口が薄く笑っているのを見て。

 はぁ、と今度こそ大きなため息をついて、ナナは肩にかけた鞄を片手でまさぐりながらそちらへ近づく。視線を上げたアストラエアがナナの方を見て、にやりと笑う。どうするつもりだい、とでも言うように。

 鞄の中を探っていた手が冷たく硬いものを探し当て、それをしっかりと右手で握る。

 連絡員という身分が役に立つことなんてこれくらいなのが悲しいところか。

 真っ直ぐそちらへ向かうナナにようやく気が付いた破落戸の男女が振り返る。

 彼等に何か反応をする暇は与えてはいけない。連絡員という肩書とそのイメージを最大限に利用して、こちらのペースに飲み込む。

 右手を高く掲げ、引き金を引く。出来る限り、機嫌の悪そうな顔で。

 乾いた破裂音。

 銃口から金属の弾丸が飛び出し、空へ撃ち上がる。

 交差点の、時間が止まる。

 生きる者誰しもが持つ魔力、即ち生命力を単純に殺傷力へ変換するための道具、銃。火薬を使っていた時代のような破裂音は後付けのいわば効果音だが、それでも十分な威圧効果はある。

 アストラエアに詰め寄っていた数人だけでなく、少し離れたところで見張っていた者たちの視線も自分の方に向いているのを感じながら、ナナは次どうするかを考える。

 何か一言警告するか、それともこのままアストラエアと共に逃げ出すか。

 一秒にも満たない逡巡の末、ナナは結論を出す。

 生存圏の中の人間社会からは外れた連絡員。その粗野な、外れ者としての印象、得体の知れなさを最大限利用するにはどうするべきか。

「……」

 そのまま下ろした銃口を、アストラエアの前でこちらを向いて固まる男女に向ける。細かい狙いはつけずに、大雑把に顔のあたりに

 いくら自由連盟の生存圏とはいえ一般市民が銃を持つことは流石にできない。そして、ここは自由連盟。人民の権利が何よりも優先される。勿論、建前上は人民に含まれる連絡員が、恐喝をしている破落戸に対し引き金を引く権利も。

 数秒の間。

 捨て台詞は無かった。リーダーと思しき男の合図で、交差点にいた面々がばらばらに走り去る。全員が去ったのを見届けてから、ナナは手にした銃を鞄の中に仕舞った。

 再び交差点の時間が動き出す。

「たまには助けられるってのも悪くないね。久々の感覚だよ」

 他人事のようにそう言ったのは、銀髪の魔女。

「あれくらいなら自分でなんとかしてくれ」

 応えるナナに小さく笑ったアストラエアは、手に持った手帳を振りながら。

「さすがにお忍びで来てるのに、人死にを出すわけにはいかないでしょう?」

「他にもやりようはあるだろ」

「銃まで出して脅した君が言えたことかい」

「こっちはあんたとはわけが違うんだよ。下手うちゃこっちが袋叩きだ」

 肩をすくめたナナは、アストラエアを追うようにしてそそくさと先ほどの交差点から離れる。

「なら、逃げなかったら撃つつもりだったのかな」

「まさか。人を殺しても捕まらないような場所で余計な恨みを買うのは御免だ。何の後ろ盾もない連絡員は弱いからな」

 連合王国所属の連絡員はここ自由連盟では余所者、情勢的には下手をすると敵だから――というだけではない。

 人民の権利の保障。自由連盟の掲げるイデオロギー。それを体現した治安形態。万人に平等に、一切の制限のない権利を。聞こえはいいが、それは要するに無法地帯にほぼ等しい。

 ナナが引き金を引く「権利」もあり、他の物がそれを罰する「権利」もある。

 威嚇射撃程度なら荒事慣れした民衆は静観するが、流石に人を撃てばそうもいかない。

「じゃあ諦めると?」

「その時はあんたに任せるよ。自分の身は自分で守ってくれ、ってな」

「女性に対する扱いじゃないね」

「そうはならなかったんだからいいだろ。結果オーライってやつだ」

 そこで、唐突にアストラエアが立ち止まった。くるり、と体ごとナナの方を向き直る。

「……確かにそうだけど、ね。けど、オーライというには少し足りないかな」

「なんだ、危険を冒してでも助け出すとか思ってもない事を言った方がよかったか?」

「そうじゃなくてね。あれはちょっと目立ちすぎだったかな」

 そこまで聞いて、やっとそのことに思い至る。連絡員が、銀髪の女性を助けようと、街中で発砲。目立たない要素が無いくらいである。わざわざこっそり来た意味がない、とまでは言わないものの、あんまりよろしくないのは分かる。

 ずっと後ろの交差点がざわついているような気がするのは、フロストレインの衛兵か何かが騒ぎを聞きつけてやって来たのか。

「というわけで、ちょっとゆっくりしようかと思ってたんだけど無理そうかな。予定を変更して、さっさとやることを済ませて帰らないとね」

 そう言って、銀髪の魔女は不敵に笑った。

 

 ***

 

 扉をあけ放つと、押し寄せるのは喧噪だった。

 怒号、嘲笑、野次、喝采。

 無秩序を極めたかに思えるその空間は、しかし本来は秩序の象徴たるべきもの。

 魔女の手には黄ばんだ封筒の形をした「神格霊装」。連絡員の手には、制止すら出来ずただの置物と化していた衛兵から魔女が取り上げた銃身の長い魔術銃。

 扱い方すら分からない長物を抱えて踏み込むのは、フロストレイン、その議事堂。

「せっかく魔女が来てあげたってのに、挨拶も無しかい」

 呟いたアストラエアに扉の脇にいた禿頭の男が振り返り、数度瞬きをした後に椅子から転げ落ちる。その音で振り向いた周囲の数名も続くものの、しかし酒場のような煩雑な喧騒に掻き消され議場全体には到底至らない。

 振り向いた魔女がナナの抱える物とナナ本人を往復するように目配せし。

「ナナ」

「断る」

 今更多少罪状が増えたところで知った事ではないが、そもそも使い方を知らない。

 残念そうに小さくため息をつくと、アストラエアは喉に手を当てて。

「あーあー、大事なお話の途中悪いね、「人民の代表」の皆々様」

 依然扉が開かれた事にすら気が付かずに喧騒をまき散らす空間に、それを踏み潰すように増幅された魔女の声が響く。

「それとも、税金を食いつぶすための時間稼ぎの歓談だったかな」

 扇状に配置された無数の椅子に、燭台の時代を彷彿とさせる古風なシャンデリア。床を覆う紺青のカーペットには趣向を凝らした金糸の刺繡が見慣れぬ紋章をかたどっている。

 空間の中心でひときわ存在感を放つのは、羽根と天秤を模した金属細工。壁面に掲げられたそれは、しかし古い物なのか赤茶けた錆がその表面を覆っている。

 魔女を中心に霜が降りるかのように、その空間を満たしていた喧騒が引く。

 明らかな闖入者に向けられる敵意は、しかし一瞬。異物を排除せんとする槍のような視線は、その姿を認めると同時に盾を構えた警戒感で塗り固めたものへと変わる。

「……封書の魔女」

「分かってもらえるとはそれはなにより」

 誰かが呟き、答える魔女がにやりと笑う。

 並ぶ席の向く議場の中心、そこへゆっくりと歩みを進める魔女を止める者はいない。

 当然、行き着く先は議場の中心。錆びついた天秤と自由連盟の標章を頭上に頂く議長席の前で、そこに腰掛ける初老の男と霊装を片手に持つ魔女が向かい合う。

 議長と思しきその男は、後ろに控えるナナを一瞥し、小さく鼻を鳴らした。

「連合王国はいつから断りも無く余所に上がり込む礼儀知らずになったんだ」

「別に君たちが何をどうしようと興味は無いし、話をしに来たわけでもないんだ。どいてもらえるかな。そこにいられると邪魔なんだよ」

 体面が気になるなら無理矢理でもいいけどね、と続けるアストラエアに、小さな舌打ちを残して男はその過剰なまでに装飾の施された椅子を離れる。

「全能気取りの悪魔めが」

「お褒めに預かり光栄だね」

 聞こえていると思わなかったのか慌てて振り返る男を一瞥し、アストラエアは空いた椅子の後ろ側へ回り込む。

 ナナも向けられる視線に警戒をしつつアストラエアについて回り込み。

「まさか、議会の邪魔をするのが今回の目的?」

「そっちじゃないよ。こんな議会を抑えたところで、何の役にも立ちやしない」

 アストラエアが小さく口を動かし、議長席の後ろの木彫りの装飾を施された壁が内側へ開く。

 現れるのは空間を貫き通す太い柱のような物体。それ自体に見覚えはないものの、その特徴的な造形はどこか既視感を感じさせる。いびつな、植物の茎の一部のような。

「……維持霊装?」

「正解」

 生存圏を展開する維持霊装は、文字通りその生存圏の中核。連合王国では高塔に収められているそれだが、自由連盟では政の中心である議事堂にあるというのもまた自然な話。

「また再起動云々か」

「いいや、今回は違うよ。別に隠れてやる必要も何もないからね」

 封筒から青白い光の文様が現れ、呼応するように歪な茎からも白い光の文様が蔦が伸びるかのように現れる。その二つの文様が絡まるようにして繋がり。

「魔女にもなれば大体のセキュリティは力技で突破できちゃうのさ。代わりに誰がやったのかも丸分かりだけど」

 その光に青白く照らし上げられた魔女の口角が、小さく上がる。

「これは私がやるから、君はそっちのお偉いさんたちを見といてちょうだい」

「本気でそれで通じると?案山子を置いた方がまだ効果がある」

「何のためにそれを持たせたと思ってるのさ。いいから頼んだよ」

 小さくため息をつき、議場の方を向き直る。

 目の前に机と椅子があるのだから座ってもいいんじゃないかとも思ったが、その様を想像したら不釣り合いすぎて滑稽なほどなので却下。結局は傍らの壁に寄りかかってこちらを向いて並ぶ議員席をぼうっと眺める。既にそろそろと議場から抜け出そうとする人影がいくつか見えるが、人質を取るという話も聞いていないので無視。もしこれで逃げる者は皆殺しだ、なんて言われていたら自分は撃つのだろうかと少しだけ考えて、その思考の不毛さに阿保らしくなる。

 最初は凍てついたような沈黙が降りていた空間も、次第に魔女が自分たちに関心が無いと分かった議員たちがこそこそと話し始め、かすかにだが空気が弛緩する。

 そして、そのせいだろう。

 空いた机にもたれるようにしてこちらを見ていた先程の男が、ナナの方に視線を投げる。浮かぶのは、ナナの見慣れた嘲るような微笑。

「このフロストレインを落としたところで、自由連盟が引くとでも」

 知るか、とナナが胸の内で呟くと同時、アストラエアも声だけで答える。

「言ったはずなんだけどな、君たちがどうしようと興味は無いって」

 小声で言ったそれに返事があると思わなかったのだろう。視線がアストラエアの背中とナナの間で羽虫のように彷徨い、そして最後には再びナナの方へ向いて落ち着く。

「…………、無駄だ。先に実力行使をちらつかせたのは連合王国」

 どうやらナナと話しているという事にしたらしい。どうしても、議長席に座っていたのにという第一印象も相まって小物感が拭えない。

 ナナは派閥の対立に興味は無いし、アストラエアも恐らく同様。適当に聞き流しながら、この男はナナが手にした銃を構えたらどうするつもりなのだろうか、なんて漠然と思って。

 しかし続いた言葉は聞き流そうとしていたナナ達の意識を引き留めるには十分なものだった。

「そちらが招いた戦争だ、今更慌てて脅しをかけたところで止まるものじゃない」

「……どうせ他の魔女にでも丸投げだろうにそんな威張って、恥ずかしくないのかい」

 相変わらずナナに向けて話し続けるその徹底ぶりには感心するが、そこではない。

 戦争。通説を信じるならば天文重爆撃以来、派閥間の対立は外交のテーブルにおける争い、あるいは派閥に協力する魔女による代理戦争の形をとって来た。原義通り、派閥同士が力で以て衝突する戦争というのは起きていない。いや、起こせないはず。が。

「まさか。たかがこの程度、魔女の手を借りるまでも無い」

 相変わらず魔女の方を見れない男の表情が、しかし笑みを浮かべようとして醜く歪む。

「運送員と連絡員。この住み分けを先に破ろうとしたのは連合王国だ」

 唐突に出た連絡員という単語に、視線が跳ねる。

 ああ、そういうこと、とアストラエアが呟くのが聞こえる。

「平和的な警告はもう何度も出しているはずだ。それを無視して流血を望むというのなら、自由連盟は実力をもってその利益を守るのみ」

 話について行けないナナを余所に、首だけ振り返った魔女が平坦な声で告げる。

「実力?王国派に兵糧攻めでもするつもり?それこそ、連合王国が大義名分と共に連絡員事業を運輸まで拡大して自由連盟の十八番を奪い取るだけだよ」

 その視線に射すくめられた男は小さく後退り、しかし後ろにあった机にぶつかって踏み止まる。ナナに向けられていた視線が、無視はできないのか魔女との間で行き来する。

「……あんまり人間を馬鹿にしないでいただきたい。人間には人間のやり方がある」

 その場で踵を返して逃げ出さなかったという点では、この男の評価を改めるべきだったのかもしれない。しかし、引き攣った笑みで虚勢を張りながら答えるその様子はどうしようもなく憐みすら感じるもので。

「あなたもご存じでしょう。生存圏の外でも活動が出来る。それでもって、必要とあればいくらでも増産が掛けられる、人間の代わりに血を流すにはもってこいの道具。大昔の攻城戦ならいざ知らず、連合王国の思惑を潰す程度なら用が足りる」

 ああ、と小さく嘆息する。

 男がぶつぶつと言っていたこの対立の背景ははっきりとは分からない。知る気も無い。ただ、自由連盟が何をしようとしているのかは想像がついた。

「だってあなたも使ってるんですから」

 だから、アストラエアが何かを言う前に。ナナは動いた。

 抱えた銃から手を離す。

 銃床が床を打つ硬い音を背に、まっすぐに歩み寄る。

 怪訝そうな表情を浮かべた男の正面で立ち止まり。

 その姿が視界から掻き消える。残されたのは、振りぬいた握り拳の凍傷のような鈍い痛み。

「へえ、そうか」

 自分でも、出た声の冷たさに驚いた。乗せたはずの感情は、扱いきれずに渦を巻く。

「全部俺たちに押し付けて、それで人間のやり方か。確かに、人間らしい」

 今までならば自虐的に笑って済ませていただろう。それが連絡員の生き方であり、生まれた時から、製造された時からの当たり前。何を言ったところで、何一つとして変わる訳ではない。人間に作られ、使われ、役目を果たせなくなれば「廃棄」される工業製品に過ぎないのだから。

 ただ、ここにいるのは連絡員30277号ではなく、魔女の契約者であるナナだ。その束縛から抜け出したものとして、言葉を上げられる者として、ナナには声を荒げる義務がある。

「貴様っ」

 呻くのは頬に赤い跡をつけた男。

 落ち着いた静寂を保っていた空間が、にわかにさざめきだす。微かに滲むのは殺気か。

 視界の端で腰を上げようとしたアストラエアを、ナナは片手で制止する。

 これはナナの、連絡員の喧嘩だ。アストラエアであっても、そうでない者の手を借りる訳にはいかない。魔女の手を借りる訳には。

「この不良品がっ。連合王国は人形の制御すらまともにできんのか」

 よろけた男が取り出したのは、片手で持てるほどの大きさの銃。それが、慌てたようにナナの眉間へ突き付けられる。

 なるほど、無法地帯に等しい自由連盟。議員ほどの地位の者となれば、その程度自衛用に持ち歩いているというのも分からない話ではない。だが。

「撃つなら撃てばいい。その代わり、撃ったらこの維持霊装は機能を停止する。知ってるだろう。ホムンクルスってのは歩く魔術爆弾なんだ」

「主の威を借りた人形が良く吠える」

「なら言うさ、手出しは無用」

 頭に血が上ったのか威勢の良くなった男に、畳みかけるように続ける。

「それにそもそも、別に人間を殴るななんて禁則事項はどこにもない。そうだろう、あんたらも運送員を使って戦争をしようってんだから」

「勘違いしてるみたいだが、人形に人間を殺させるわけがないだろう。人形は人形同士で殺しあうだけだ。こちらの運送員と、貴様ら連絡員がな」

 心底理解できないという風に男は鼻を鳴らす。

「何がそう気に食わないんだ。同じことだろう。人間の為に働くのが、貴様らの生き方だろう」

 確かに生き方は決められてる。製造目的は生まれた時から与えられている。連絡員と言う形で。ただ、それは生き方であって、決して死に方ではない。生き方すら与えられていないこの男は、その違いすら知らないのだろうが。

「それとも、自分たちの製造目的は戦う事じゃないとでも言うつもりか。忘れたつもりなのかもしれんが、お前たちは人間の手による製品に過ぎない。連絡員だ運送員だ云々以前に、貴様らの存在意義は人間の為に使われる事。つまりは、人間の為に死ぬことだ」

 だから、この男を端から言い負かそうだとか、何かを通そうとは思っていない。対話が成り立つとは思っていない。互いに一方的な言葉のぶつけ合い。

「作ったものをその目的の通りに使う。当たり前だろう」

「なら、お前たちがそのための子どもを産んで、子供に同じことをやらせたらどうだ。当然、それも当たり前の事なんだよな。そのために作ったのなら」

「神聖な自然の摂理と一山いくらのお前たち人形の製造を同列に語るなっ」

「自然の摂理か、笑わせる。お前たちが勝手に作っただけだろう」

 眉間に押し付けられた銃身の冷たい感覚を感じながら、一蹴する。

「その自然の摂理とやらが、人間様の特別性か。何の意味も無く、本能を満たすためだけに作られる。それをそんな雑な言葉で繕って、この世の支配者気取りか。御大層な哲学だなんだでありもしない存在理由を探して、それを掲げて」

 慣れない自己主張は、制御を失って走り出す。

 最早、自分が何を言っているのすら分からなかった。形の定まらない感情が輪郭の無い言葉を吐き出し、堆積する言葉が、感情と言う泥をなす。理屈や論理なんてどこにも無かった。

 突き付けられた銃にも構わず胸倉を掴む。周囲の議員や掴まれた男が何かを言うのを無視して纏まらない言葉を吐き出し続ける。義務感と、扱い慣れない感情と、自分でも把握できない色々な物が、道端で溶けかけた土色の雪のように汚く混ざり合って。

「ナナ」

 後ろから肩を叩かれ、ようやく言葉が途切れた。外れかけていた車輪が、回転を止める。

 振り返ると、アストラエアの困ったような微笑を浮かべた顔がすぐそこにあった。

 引き際を与えられたという事が分かる程度には、判断力は残っていた。

 得体のしれない物を見るように引き攣った顔をしていた男の胸倉を乱雑に離す。淀んだ水のような、粘度のある沈黙。それが、いつの間にかナナの周囲を包んでいた。

「……作業は」

「もう済んだよ」

 霊装同士を繋いでいた光の文様は、もう無かった。アストラエアが手に持った封筒を一振りし、それは光の粒子となって虚空へ消える。魔女は代わりにいつもの「写本」を手に取る、ことは無く。

「さて、用も済んだし逃げる準備をしようか」

 そう言ったアストラエアは拾い上げた衛兵の銃をとるとそれを上に向ける。

「逃げる?」

「そうだよ。君もこれ以上不毛な口論を続けたところで疲れるだけでしょう」

 明らかに本来の魔術銃が放つべきではない光を纏い、輝く光弾が撃ち上げられる。

 それは遥か上に掲げられた天井画を突き破り、更にフロアをもういくつか貫いて。その破片も、床に落ちる頃には砂のように形を失い、風に乗って霧散する。

 建物の上までは生存圏の広域暖房も届いてないのか、「外」のような冷たい空気が勢いよく流れ込む。

「……それで、なんで天井を」

 アストラエアは用の無くなった銃を傍らに投げ捨てると。

「魔女なんだからここは魔女らしく逃げないとね」

 場を支配する、纏わりつくような沈黙。その奥から、ざわめくような音がかすかに響く。

「ナナ、ちょっとこっちに寄って」

 手招きされるままにナナはアストラエアのすぐ横に立ち。

「やっぱり魔女と言ったらこれでしょう」

 子供をあやすようなわざとらしい、けれど含みの無い笑み。それを浮かべて右手を真横に水平に伸ばしたアストラエアの、その手の中で光の粒子が何か細長い物を形成し。

「それに、あれを蹴散らして強行突破するのも悪いしね」

 議場後方のドアを開け放ち溢れ出るようにして現れたのは十人以上の衛兵、ではない。衛兵と同じ銃を手にして、しかし纏う制服はナナも目にしたことの多い運送員のそれ。明らかに戦うための装備を持たされたその姿に、ナナは小さく視線を逸らす。

「それと、フロストレイン。手出し無用って事だからさっきの話についてこの魔女からどうこう言う事はしないけど、それとは別にひとつ言っておくよ。自分で戦争と言っておいて本当に高みの見物が出来ると思っているなら、いささか楽観主義が過ぎるんじゃないかな。既に盤面には魔女がいる。その行動が読み切れると、本気で思ってるのかい?」

 ナナの腰に左手を回したアストラエアは、冷え切った水底のような低い声でそう言うと。

 再びナナの方を向いて小さく笑い。

「じゃあ、振り落とされないようにね」

 右手に持った箒に引っ張られるようにして、そしてナナを脇にぶら下げるようにして、撃ち抜かれた天井から橙色に染まった夕焼けの空へと勢いよく飛び出した。

 

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