第3幕 連絡員

第9話

  突き抜けるような青い空、果てしなく広がる銀世界。そこから時折頭を覗かせる、半分崩れかけた在りし日のビルや塔。そして、自分達の足音以外は何も聞こえない、まるで別の惑星にでも来たかのような静けさ。

 好き好んでやっていた仕事ではないものの、やはり人生のほとんどをここで過ごしてきたナナにとっては久々に帰る母校のような感覚だった。もっとも、ナナ達連絡員に母校というものは無いので想像するしかないのだが。

 膝下まである厚い防寒靴の中にまで少しずつではあるが侵入してくる冷たい雪。少し口を動かしただけで唇が割れそうな乾いた空気。今にも耳たぶがもぎ取られそうな冷たい風。

 唯一ナナの慣れ親しんだものと違うのは、右手の中にある温かく柔らかい物体か。

「これ、本当に一瞬も離しちゃ駄目なのか?」

「まあ実のところ別にちょっとなら大丈夫だけどね。けど、知らないかもしれないけど魔女っていうのは聖域の、というか生存圏の外だと人並み以上に脆弱なのさ。だから、君の手を離した状態で私がどれだけ持つのかは未知数だよ。ひょっとしたら数分持たないかもね」

 繋いだ手、その先にいるのはナナと同じく防寒具を着込んだ銀髪の魔女、アストラエア。

 ただ、ヨレヨレになるまで着古した連絡員の制服を纏うナナとは対照的に、アストラエアの纏うその防寒具はまるで新品のようにも見える。

「じゃあちょっと一瞬離させてくれ。マフラーを巻きなおす」

 立ち止まって手を離すと、人肌の温度に慣れた掌に寒気が針のように突き刺さる。手早く緩んだマフラーを巻きなおし、再びアストラエアの手を取る。

 そして。

「なあ、そろそろどこに向かってるのか教えてくれてもいいんじゃないか」

「着いたら教えるさ。下手に口にして誰かにばれたら面倒だからね、それまでは私の頭の中だけに留めておくよ」

「そうかい。はぁ、今日はやることが済んだらゆっくりできると思ってたんだけどな」

「仕方ないでしょ。予定外だったんだから」

 そう、予定外。

 正直情報量が多すぎてナナはついていけていないのだが、それでも容赦なく時は進むし、銀髪の魔女はナナを引きずってでも前に進むだろう。

「ったく、魔女ってのはどいつもこいつも」

「あれを私と同じみたいに言わないでほしいね。私は悪い魔女だけど最低限の礼儀と分別は備えてるつもりだよ」

 はぁ、と小さくため息をついてから、ナナは雪道に不慣れなアストラエアを先導するようにして、その手を引きながら再び歩き始める。数時間前の事を思い出しながら。

 

 ***

 

 第八位の六分儀の魔女が去った後。

 ベージュを基調とする地味な服を赤黒い色に染めたまま、アストラエアはこちらを振り向く。

「そういや、大丈夫かい」

 先端が赤く染まった銀色の髪がその拍子にふわりと広がり、思わず見惚れそうになった。

「まあたぶん大丈夫なんじゃないか。それより、むしろそっちの方が」

「ああこれね。服は駄目だけど体の血と匂いは洗えば落ちるから大丈夫だよ」

「いや、そもそもその体が大丈夫なのかって話だけど……、まあその感じだと大丈夫なんだろうな」

 いい加減この手の事には慣れてきた。

 予想した通り、彼女は血塗れの顔でにやりと笑うとこう言う。

「私は魔女だよ。魔女ともあろう者が心臓を突かれたくらいで死ぬわけないじゃない。……ってのは冗談だけど、まあ今回についてはそういう事だよ。ほら、もう穴は開いてないでしょ」

 くるり、とこちらに背中を向けるアストラエア。その背中の赤く血に染まった服の穴からは、傷一つない白い肌が覗いている。

「さっきの第八位も言ってたけど、聖域っていうのは、魔女の半身みたいなものなんだよ。魔女は余所から生命力を引き込んでその総量を増やしてるから半不死なんだっていう話は前にもしたと思うけど、その大量の生命力を使って構築されるのが聖域なのさ。普通の場所は誰の命でもない、真っ白な生命力が循環して地脈を形作っている。生存圏ではそれを人為的に歪めているものの、循環しているのは同じく真っ白な生命力。けど、ここで循環してるのは私の生命力なんだよ。ある意味、私の中と言ってもいいのかもね」

 こちらを向き直り、乾き始めた血をゴミでも取るように落としながら、彼女は続ける。

「で、そもそも死ぬっていうのは、肉体が機能停止して命の容れ物としての機能を失ったことで命が拡散してしまう事を指すの。生存圏の外で乱れた地脈の負荷に耐えられなくて死ぬ場合は肉体の機能停止なしに命が拡散するけど、これはイレギュラーだね。まあどちらにしても、命の拡散っていうのが死なのさ。よくされる例えだと氷が溶けるような感じかな。色水でできた小さな氷が命だとして、それが浮かぶ広く透明な湖が地脈。氷が溶けたら、もう同じ色の氷は作れない」

 こうやって説明モードに入った彼女が止まらないのはもう学んだ。ラジオを聴くくらいの気分で半分ほど右から左に流しながら、適当に相槌を打ち。

「けど、聖域の中なら話は別なのさ。聖域はいわば氷と同じ色水でできた、小さな池なんだよ。だから氷が溶けたところでまた凍らせれば同じ色の氷ができる。つまり、聖域の中に限れば私は死ぬことはないんだよ。もちろん、「凍らせる」ための仕掛けを聖域の側に仕掛けておく必要はあるけど、それさえしておけば魔女っていうものは聖域では不死と言っていいのさ。心臓を貫かれようと首が飛ぼうと肉体が消滅しようとね」

 今更驚かないだろうと思っていたが、その想像の数回り上だった。いや、具体的に何か想像していたわけではないが、ついさっきの戦闘も相まって、掴みかけていた魔女という物のイメージがまた遠くに逃げていくような気がして。

「あー、あんたがぴんぴんしてるのは分かったけど、このクレーターはどうすんだ?模様替えどころか土木工事が必要そうな感じだけど」

 思わずそれを掴み止めようと、とっさに思いついたことを口にした。

 そんな心の内を知ってか知らずか。

 一通り取れる血を取り終わって満足したのか、彼女は顔を上げて。

「まあそれもなんとかしなきゃだけど、それより先にやらなきゃいけないことがね」

「この隕石が落ちたみたいな大穴より優先することが?」

 胸元、心臓の所に空いた服の裂け目から覗く白い肌から目を逸らしながら尋ねる。

「そうだね、割と大事なことが」

 彼女はそう言うと扉の取っ手に手をかけて。

「私はさっとシャワー浴びてくるからナナは出掛ける準備をして。連絡員のフル装備で」

「フル装備って、夜逃げでもするつもりか?」

「魔女が夜逃げするようになったら世も末だよ。まあ今も十分末だけど、今回は違うかな」

 にやりと笑ったその顔は、全身に飛び散った血も相まって猟奇的に、けれどどこか妙に美しく見えて。

「第八位のいう事を信じれば、連合王国は私が何かしら企んでいることは気づいている。そして、その上でこの封書の魔女を自陣営に取り込めると踏んでいる。まあ本格的な妨害を受けていないあたりからして、何をしようとしてるのかまでは分かってないみたいだけど」

 その圧倒的な引力に、視線を逸らすことすら叶わない。

「別に派閥間対立がどうなろうと興味は無いよ。どうやって連合王国が私を懐柔するつもりなのかも。ただ、私の行動は全て彼女のためにある。それをつまらない抗争の道具に使われて黙っていられるほど、悪い魔女は寛容じゃないんだ」

 その背中が扉の向こうに消えてから、自分が息を止めていたことに気が付いた。

 

 ***

 

「今日はこの辺にしようか」

 一歩一歩足を取る深い雪に、体力を削り取る寒気。目に突き刺さる雪の反射。最初は多かった口数もお互い少しずつ減ってきて、ただひたすら黙々と歩くようになった頃。

 アストラエアが唐突に立ち止まったかと思うとそう言った。

 地面ばかり見ていた視線を上にあげてみれば、夕日とまではいかないものの傾いた太陽が目に刺さり、思わずナナは目を顰める。

「やっぱり日帰りとはいかないのか」

「たまにはこういう非日常もいいんじゃないかい。修学旅行みたいで。いつも変わり映えしない毎日だと退屈だからね」

「こっちが俺にしちゃ日常さ」

 肩にかけていた鞄を下ろし、周りを見渡す。元は何もない平地だったのか、それとも谷に雪が積もった結果なのか。離れたところに見える山肌以外は崩れかかったビルの頭どころか樹木すら見当たらない平らな雪原。雪崩や落石、落雪の心配はないだろう。

「じゃあちょっとどいてくれ」

 左手でポケットから取り出した手のひらに乗るくらいの正四面体を無造作に投げると、それは雪に触れた瞬間広がって小さめのテントとなる。連絡員が支給される数少ない道具の一つ。ついでにテントの底面積くらいの範囲の雪をどうやってか押し固めてくれる優れモノで、確か市中には出回っていない。

「やっぱり見ない間に随分と技術も進んだんだね」

「魔術の最先端である魔女として危機感でも抱いてんのか」

「いや、それはないかな。技術が魔女の今の能力に追いつくには、あと数百年は要るしね。しかも、そのころには魔女はそれ以上に進歩してるはずだよ」

「そんな事だろうとは思ってたよ」

 ナナは繋いでいた手を離してから、変な向きを向いたテントを手早く転がすようにして雪の上に立たせ。

「ペグちょうだい」

「はい。こんなの作ったの久しぶりだ」

 テントをそのペグで止めれば、今夜の寝床は完成。

 テントも大事だが、この「ペグ」こそがこの連絡員の寝床の本体と言っても過言ではない。

 ホムンクルスである連絡員は普通の人間に比べ生存圏外の乱れた地脈への耐性が高いとは言え、それでも活動限界はせいぜい10時間ほど。当然雪の中を歩いて生存圏から生存圏へ移動するのにそれだけで足りるはずもない。持ち運びのできる休憩地点が必要となる。

 正式名は知らないが、連絡員の間で「ペグ」と呼ばれるこの道具は、純粋にテントを地面に固定するだけでなく、短時間だけ局所的な生存圏を張る機能を持つ。「アララトの円匙」を大幅にダウングレードさせたもので、テントと同じく連絡員に欠かせない支給品。ただ今回はもともとナナが持っていたものはアストラエアと会った時にはもう機能を失っていたので、わざわざアストラエアに作ってもらった物。本人曰く、「あんなおもちゃよりは数倍信用できる」らしいが、ナナにはその良し悪しは分からない。

 テントが設営されると、真っ先にアストラエアがその中に潜り込んだ。

「あー、生き返るね」

「温泉に浸かった老人みたいなことを」

「一応、これでも多分500歳位はいってるからね」

「婆さんって呼んだ方がよかったか?」

「そうやって普通に年を取って死んでいくのも悪くなかったかもね。家族や孫に見守られて大団円。ま、悪い魔女には縁のない話さ」

「連絡員にも縁のない話だな」

 続いてナナも靴を脱いでから、テントの中に入り口をくぐるようにして入る。汗を吸った靴が凍っては困るので靴はテントの中に。鞄は外に置いたまま。凍って困るような物など入ってないし、盗んでいくような人や動物もいない。

 テントの中はシングルベッドより心なしか広いくらいの床面積。一番高いところですら立ったら頭がぶつかるくらいでお世辞にも広々としているとは言えないが、これまたどういう仕組みだか布一枚とは思えないほど断熱はしっかりしているので割と快適なのではないかとナナは勝手に思っている。まあ、これ以外のテントという物をナナは知らないのだが。

「一つしか支給されてないから二人でこれ使う事になるけどいいか?」

 良くないと言われてもどうしようもないのだが、一応礼儀として尋ねる。

「別に構わないよ。そもそも私が無理行って君にこうやって連れて行ってもらってるんだからね。それで難癖付けるほど捻くれちゃいないさ」

「助かる。もう手は繋いどかなくてもいいのか?」

「その言い方だと私が年端もいかない子供みたいだね」

 テントの中で腰を下ろしたアストラエアは、首に巻いたマフラーをほどきながら続ける。

「この中にいる限りは別に大丈夫だよ。それともその方がよかったかい」

「遠慮しとくよ」

 狭い空間の中に二人。窮屈なのは言わずもがなだが、外にいるよりはずっと楽なのでナナも久方ぶりに腰を下ろして一息つく。地脈のせいか外にいるとしんどいというか、どうも疲れがたまるのだ。

 ひとまずの安全圏を確保して人心地着いて、ナナはふと浮かんだ疑問を口にする。

「そもそも、半不死の癖に外が出歩けなくて、そんでもって俺と手を繋げば歩けるってどういう事なんだ?」

「別に「手を繋ぐ」である必要はないんだけどね。負ぶうでも担ぐでもいいんだよ。体のどこかが触れていればね。けどまあ、君を負ぶったり君に負ぶってもらったりするのは非現実的だから手を繋いでもらったわけさ」

 分厚い防寒具をカーディガンだけを残して脱いだアストラエアは、畳んだそれをひざ掛けのようにして伸ばした足に掛ける。

「魔女の半不死の仕組みについてはさっき簡単に説明したでしょ。あれは言い方を変えれば、自分で吐いた息を吸って生きているような物なんだよ。口に大きな袋をかぶせて、それで生活しているような。まあ、本当にそんなことをしたら窒息死するけど、そうすれば周りの空気がウイルスまみれだろうが毒ガスだろうが関係ない。そしてその引き換えとして、魔女は聖域の外の乱れた地脈への耐性は薄いんだ。潔癖に育った子供が、風邪をひきやすいのと同じでね」

「それで何で手を繋ぐって話に」

「契約の時にも使った君の「識別子」。あれ、なんて説明されてた?」

「これか?連絡員としての身分を証明する霊装だろ」

 そう言って、ナナは首にかけていた小さな巾着袋を引っ張り出し、そこから取り出したビー玉ほどの大きさの精巧な模様の彫り込まれた硝子玉を手の上に転がす。

「やっぱり連絡員にはそういう説明なんだね。考えてもみてよ。身分を証明したいなら、普通にカード状の身分証でも発行すればいい。霊装である必要すらない」

 ナナの手から硝子玉を取り、それを二本の指でつまみながらアストラエアは続ける。

「これはホムンクルスの「命」への、アクセスキーみたいなものなんだよ。人造の命には、人が後から調整したりするために干渉できる窓口があるのさ」

「……だからそれとこれとがどう関係するってんだ」

 硝子玉がナナの手に返される。

 命に干渉。耳障りの悪いその言葉に湧き上がる不快感を慣れた作業で抑えつつ、ナナは尋ねた。

「乱れた地脈が問題なら、聖域と同じように「自分の吐いた息を吸えば」いいんだよ。けど、いくら魔女とはいっても聖域が無ければ一人でそんなことはできない。人間の鼻と口がどう頑張っても繋がらないようにね。だから、君を使わせてもらったんだよ」

 ナナの持ってきたコッヘルですくった雪。それを指先から出た炎で溶かして飲んでから、アストラエアはナナを指さして。

「魔女の私とホムンクルスの君、二人の間でなら「私が吐いた息を君が吸って、君が吐いた息を私が吸う」ができる。……想像すると気持ち悪いから今の例えは忘れてちょうだい。まあとにかく、二人分の命で生命力を循環させれば、その間で疑似的な聖域が作れるのさ。もちろん本物の聖域みたいに半不死とはいかないけどね。そしてその循環のために、どこかしら触れている必要があるんだよ。手を繋ぐ、とか」

 アストラエアがコッヘルを差し出し、それを受け取ったナナが残りの水を一気に飲み干す。

「まあ、ナナが私と契約を結んだ連絡員だから出来る事ではあるんだけどね」

 へえ、とナナは他人事のように思って。

「じゃあ魔女は一人じゃ外を歩けないのか。案外不便なんだな」

「別に不可能ではないよ。専用の霊装があればね。けどまあ今回は急だったからね。作る暇も無かったし、こうやって君のお世話になってるわけさ」

「どっちみち不便だ」

 適当に相槌を打ちながら、ナナは手に握りしめたままだった硝子玉を首に掛かった巾着に仕舞う。

「慣れればそうでもないさ」

 アストラエアはそう言うと中腰で立ち上がり。

「というわけで、魔女を殺したかったらどこかの山奥にでも捨ててくるのが一番手っ取り早いかな。そうすれば勝手に朽ちて死ぬからね」

「そうしたところで、転移魔術で聖域に帰るだろうが」

「はは、さすがにこれはバレるね」

 さっと靴を履いてからテントの入り口をくぐって外に出る。慌ててナナも後を追おうとし、

「お花を摘みに、ね」

 そっとテントの中に引っ込んだ。

 

***

 

 翌朝。鳥の声、なんて風流なものは無く、相も変わらず風以外の音はしない静かな朝。テントの布越しに差し込む日差しで目が覚める。

 隣の寝袋で未だに寝ている銀髪の魔女を叩き起こして、朝食。メニューは昨日の晩と同じショートブレッドのような固形食糧。アストラエアには不味いと不評だったが、連絡員に支給される食品は基本これなのでナナにはどうしようもない。なんだかんだでこれを食べていれば栄養失調や飢えに悩まされることは無いので、ナナ自身はそこまで悪いとは思っていないが。ちなみに缶詰ではないのは、水分が凍って破裂するかららしい。

 食べ終えたら身支度をして、さっさと出立。身支度とは言っても上着を着るくらいしかすることは無いのですぐに終わる。「ペグ」の効果時間が切れる前に移動を始めておくのは、連絡員として骨まで染みついた習慣。

 二人分の体温が籠り、優秀な断熱性能のおかげで暖房が効いたかのように暖かく、いつも以上に快適になったテント。それを離れるのは少し惜しかったが、潔く諦めて「ペグ」を抜き、テントを元の正四面体に戻す。起きてからここまで、30分ちょっと。一人でないのは初めてだったので少し手間取ったが、許容範囲だろう。

 テントを回収してからは、昨日と同じように手を取りあってただひたすら歩いて行く。昨日に引き続き天候に恵まれたおかげで、慣れない二人での行程でもさほど困難は無かった。

 行き先を指し示すのはアストラエア。本来なら、連絡員には地脈を探索して目指す生存圏の向きを指し示してくれる「コンパス」と呼ばれる魔術的な道具が支給されるが、これもナナはアストラエアと会う前に失くしている。ペグと同じように作ってもらってもよかったのだが、「あんな玩具に頼るくらいなら私が案内する」と言われたら特に断る理由もない。

 時たま雪に足を取られて白い大地に顔から突っ込みそうになるアストラエアを支えつつ、あれこれと他愛もない話をし。

 太陽が上がり、雪の上で倒木に腰を下ろしてやはりブロック状の昼食を食べ。

 再び分厚い雪の中を、いつ倒壊してもおかしくない千年近く前のビルを大回りに避けるように迂回しつつ、アストラエアの指し示す方向に歩き続け。

 そして、そろそろ西日が目に眩しくなってきたころ。

「お、あれだね。今回の訪問先だよ」

 小高い丘のような地形を越えたところで立ち止まったアストラエアの指さす先に見えたのは、天文重爆撃前はそれなりに栄えた場所だったのか、まばらに雪から突き出すビルを取り込む様に利用して作られた、目的地らしい小さな城壁。中世の城郭都市を彷彿とさせるような石造りの壁が、白い世界にぽつんと佇んでいる。

 ただ城郭都市と決定的に違う点があるとするのなら、その城壁が外からの侵入を拒む物ではなく、中からの脱出を阻む物である点か。

 別に、生存圏が監獄のような性質を持っているわけではない。ただ、外に出ることが即ち死を意味する以上、間違っても市民が外に出る事の無いようにするのは為政者の責任となるのだ。

 ナナは目を細めてそちらをじっと見てから。

「自由連盟、か?」

 連絡員としていくつもの生存圏を行き来していると、何となく分かるようになるのだ。派閥ごとの雰囲気というか、何というか。

「あたりだね。フロストレイン。自由連盟こと人民派の第二の規模を誇る生存圏」

「てっきりまた連合王国に殴り込みにでも行くのかと」

「いやだね、私を何だと思ってるのさ。その程度はきっと連合王国も想定してるよ」

 だから、連合王国が一番嫌がることをやってやる、と。

「自分が何を取り込もうとしたのかを教えてあげないと」

 その低い声に思わず厚い上着の下で小さく身震いし。

「……なあ、来たのはいいけどどうやって入るつもりなんだ?」

 ふと、そこで気が付いてナナは尋ねる。

 生存圏も基本的には四大派閥のいずれかに属しているとはいえ、それぞれが小さな国のような物。当然、出入りは管理されているし、誰だって入れるというわけではない。

 そもそも、生存圏の間を行き来するのは基本的には連絡員や運送員をはじめとするホムンクルスだけ。四大派閥の要人などが移動することもあるが、それも魔術的な準備を重ねに重ね、何十人もの連絡員を従え、それで初めて実現するレベル。連絡員であるナナは問題なく入れるが、連絡員どころかホムンクルスですらないアストラエアが不審がられないはずもない。

 それに。

「わざわざこうやって来たって事は、あんまりばれたくは無いんだろ」

 恐らく、アストラエアは連合王国陣営として他派閥には認識されている。存在が知られれば、警戒されるのは必至。アストラエアが転移魔術を使わなかったのも、今回の行程で大掛かりな魔術を使わずナナの装備に頼り切りだったのも、きっとそのため。いわゆる「お忍び」だろう。

 何かと細かな世情に疎そうな銀髪の魔女の事、このことは考えて無かったのだろうかと思うナナだったが。

「察しが良くて助かるよ。けど、それについては心配無用かな」

 ぱちん、とアストラエアが指を鳴らすと同時に、その新品にも見える防寒具がまるで数年間使い続けたかのようにくたびれた物へと変わる。

「連絡員の協力者という事で」

 協力者。

 意外と細かなことまで知っているらしい。世情に疎そうというのは撤回すべきか。

 久々に聞く響きに、ナナは思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。

 そう。生存圏の間を行き来するのは、「基本的には」連絡員などのホムンクルスの仕事。ただ、例外も存在する。それが協力者と呼ばれる人達。文字通り、連絡員などの「手伝い」。

 当然、人間ではなく「工業製品」に任せられている仕事まで落ちてくる時点で、普通の人生のレールからは外れてしまった人たちなのだが。

「いいのか、逆に目立つかもしれんが」

 実際、協力者なんて使っている連絡員はごく少数である。どうして俺たちが落ちるとこまで落ちた人間の世話なんてしなければいけないんだというのが大多数の連絡員の思うところであって、ナナも例外ではない。当然、協力者と言ったってろくな待遇ではない。

 それに、目立つのみならず、連絡員以上の好奇の視線にさらされることになるだろう。それが銀髪の見た目だけなら若い女性なら尚更だ。

 が。

「まあ、検問を抜けるときだけだからね。街中に入ったらこうすればいいし」

 再び指を鳴らすと、直轄領でも見た町娘のような恰好になり。

「あ、さむっ」

 身を震わせると、元の小奇麗な防寒具姿に戻る。

 好奇の視線には慣れているのか、それともむしろ連絡員の協力者としての印象を残しておけば生存圏の中で一般市民として動くのに都合がいいと思っているのか。

「さて、じゃあ行こうか」

 気にする素振りもなく、改めてくたびれた上着へと一瞬にして装いを変えたアストラエアは、ナナの手を引くようにして先に見える城壁の方へ歩き始める。

「悪い魔女がやって来たよ。フロストレイン」

 

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